多次元的に見た「保険」の意味について | |
2014年10月3日 23時13分の記事 | |
御嶽山噴火で保険金支払い=生保各社 生命保険協会は3日、加盟全42社が御嶽山噴火の被災者に保険金・給付金を全額支払うと発表した。 保険契約には噴火や地震などの場合に保険金を支払わない「免責条項」が盛り込まれているが、各社とも今回はこれを適用しない。 免責条項は東日本大震災でも適用しなかった。(時事通信)
生命保険もがん保険もそうですが、保険というのは多次元的に見れば、「自分はもしかしたら〜で死ぬかもしれない」という信念を強化するのに役立つという、なんとも皮肉的な効果を生む可能性があります。 したがって、たとえば「万が一のことがあったら、家族のために・・」といって生命保険を掛けることは、万が一のことがありうることを強化することになる可能性があります。 いわゆる[死]という多次元的現象においては、人間はいつ、どのような形で死ぬのかを決めてから生まれてきていると言われています。 そうすると、何をしようと死の時期や死因には影響を与えないとも思えます。 ただ、最終的には決めてきたとおりのやり方で死に至るとしても、それを無意識のうちに強化していることがあり得ます。 たとえばそれが生命保険であったり、がん保険であったり、がんの定期検診であったりするわけです。 もっとも、がんについては早期発見で助かるケースも増えてきているように「見た目上」見えますから、定期検診は必要であると考えることも十分に可能ではあります。 しかし、突き詰めると、いかなる予防的措置も、「万が一それが起きた時にどうするか」という点で、万が一の起こりうる蓋然性を強化していることには変わりありません。 ですから、多次元的に見れば、生命保険も、がん保険も、がんの定期検診も、不要ということになります。 Some rights reserved by Dakiny | |
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