スピリチュアルとは、人間そのもの | |
2014年11月5日 22時51分の記事 | |
先ほど、山口の自宅に戻りました。 お送りしなければならないメール等は、明日以降にさせてくださいm(__)m ということで、今回は、飛行機待ちの間に書いていた記事です。
今回は、仙台でのリーディングワーク、個人セッション、講演会でした。 私は、今のリーディングの仕事をさせていただくようになってから、いろんな所に行かせていただく機会が増えたんですが、 その土地土地で人々の意識というかエネルギー的な雰囲気とでもいうようなものが異なることに気づいてきました。 それは、ワークや個人セッションが終わったあとにうっすらと感じられてきたりします。 東北の人は、エネルギーが「あったかい」んです。 もちろんそれは、物理的な温度のことを言っているのではなく、別の表現をすれば、人情味あふれる、心の琴線にふれるような雰囲気です。 それは、高次元とか低次元とかいう序列的な価値判断が不要の「人間らしい」エネルギーです。 人間らしいといえば、愛や歓喜、創造性といった私なりの見方では霊性と呼ばれる部分に通じてくるわけですが、 3.11のような大変なことを経験された地域でそのようなエネルギーにふれられるのも、偶然ではない必然を感じます。 人間って、いろんな思いをかかえながら生きていますよね。 つらい思い、悲しい思い、憤る思い。 あるいは、嬉しい思い、幸せな思い。 喜怒哀楽のすべてが、貴重なパズルのピースになっているのではないか? そんな気がふつふつとしています。 スピリチュアルという言葉が一人歩きしている部分があります。 多くの人は、スピリチュアルの意味をよく考えずに使っているかもしれません。 あるいは、スピりチュアルとは、霊能力や超能力的なもののみを対象としていると考えているかもしれません。 でも本当は、人間そのものを対象とする言葉なんじゃないだろうかという気がしています。 人間そのもの、それは、いろんな瞬間に訪れます。 私は今日、うれしそうな笑顔を見ました。 笑顔というのは、その人のもつうれしさがエネルギーとして現れます。 特に顕著なのは、悲しみ・絶望・欠乏の気持ちから、うれしさ・幸せ感・充実感に気持ちが転じた時の笑顔です。 見た瞬間にそれがわかります。 霊性そのものが作り出す、霊的な笑顔です。 依存、執着、不安、恐怖、それらがその人にどれだけあるかとは「無関係に」、霊性そのものが笑顔の中にのぞかせます。 それが本当のスピリチュアルなんだと思います。 つまり、スピリチュアルとは、「人間そのもの」なんだということです。 Some right reserved by Ian Sane | |
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