本来の自分に戻る道 | |
2014年11月11日 17時6分の記事 | |
パソコンのキーボード画調子悪くなってきたんで、思い切って変えました。 で、変えたのはいいんですけど、今度は変えたキーボードのEnterの位置が微妙に前のものとずれていて、打ちづらいです(><) これは、キーボードの交換はまだ早かったということなのか? なんていうことを思いながら、今記事を書いています。 ていうか、なんでこんなにEnterが小さいのか、意味わからんし。 なんていう不毛なつぶやきをしてみました(笑)
さて。 最近思うのは、我々はスピリチュアルなことで至高体験を求めたりして、現実離れした何か素晴らしい体験を求めがちですが、 実際には、我々が直面する現実世界以上の素晴らしい体験はないのではないかなと、私は常々思っていて、数年前からブログでも記事にしています。 では、何のために自分自身の統合化やクリアリング、本来の自分への回帰をして、高次としても生き始めるのかというと、「今」に強くフォーカスして現実世界をより有意義に生きるためにほかなりません。 そのためのワークであり、そのための個人セッションなのではないかなと思います。 普段とは違った環境に身を置いてみること、これも、自分自身の今までの殻を破るのに効果があると思います。 また、同じような志向性を持った仲間と一緒にワークをすることで、グループエネルギーを活用することができ、体験が深まります。 体験とは、向こうから勝手にやってくるものではなくて、自分から作り上げるものなんだと思います。 これは、瞑想でも、へミシンクでも、他のワークでも一緒だと思います。 そして、受け身ではなくて能動的に自ら参加する意欲を持ち、積極的に学ぶ姿勢をもって参加していく。 そして、そこに自分自身の思いを投入していく。 だからこそ、変われるんだと思います。 人間とは、何かのきっかけで変わることができます。 それは、どうしてもそれをしなければならないわけではなくて、単にやりたかったらやればいいという話であり、他のきっかけでもいいんだと思います。 でも、その人にとっては、自分を変えれるチャンスであり、究極的には人生をやり直すチャンスでもあります。 自分は変われるんだということに気づけるかどうか。 これがいつまでも受け身だったら、誰のどんなセミナーやらセッションなら、瞑想教室やら、ヒプノセラピーやら、その他の取り組みに参加したとしても、変われないんだろうと思います。 変わる必要がないのではあれば、それもOKです。 でも、自分が変わりたいのであれば、変わることもOKです。 全ては「その人の自由」なのですから。 私は、変わりたいという人をサポートしたいと思います。 変わるのは、「本来の自分」であり、思い出す作業と言ってもいいです。 人は、誰かのために生きているのではなく、自分のために生きています。 でも、誰かのために生きようとすると、途端に苦しくなります。 自分らしく、ありのままの自分であればいい、そんな気がしています。 ありのままも、あるがままも、ここでは同じ意味だと思ってください。 ですが、それは決して受け身ではなく、積極的・能動的なものです。 余計なもの、重たいものを手放して、より楽に生きるという「生き方」です。 それが、「本来の自分」の戻る道だと思います。 Some rights reserved by Tambako the Jaguar | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. エイ 2014年11月12日 19時21分 [返信する] こんばんは。 記事のリクエストでコメント致します。 アイヌ民族について詳しくリーディングする機会があったら記事にして頂けるとありがたいです。 スペインのバスク語同様、彼らの言語はどこからきたか分からない不思議なもので、神様も日本とは違うような気もします。 まだ末裔もいますが、彼らはどこにいってしまったのでしょう。 もしかしたら過去に記事にされているかもしれませんが、また記事にしていただけたら嬉しいです。 よろしくお願いします。
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