貴重なパズルの1ピースとしての人生 | |
2014年11月15日 7時4分の記事 | |
人間、生きているといろんなことがあります。 うれしいこと、楽しいこと、つらいこと、苦しいこと。 怒ること、笑うこと、泣くこと。 これらはすべて、貴重な経験です。 人生をパズルに例えると、たった一つではあるけれど、そこでする経験は、かかせないパズルのピースです。 どんなに醜い形をしたピースでも、それがないと全体のパズルは完成しません。 パズルが完成して初めて、全体の絵がわかるのです。
人間の一生も同様です。 いろんな一生があります。 主婦として平凡ではあるけれど、命を生み、育む人生。 サラリーマンとして、役人として、人と人をつなげる人生。 アーティストとして人に感動を与える人生。 科学者として究極の何かをみつめる人生。 僧侶として人を導く人生。 乞食として世の中のレールから飛び出して生きる人生。 殺人者として人を殺める人生。 様々です。 しかしそれらは、全体として一つのパズル、タペストリーを形成しているのであって、どれか一つでは全体としての役割が見えにくいものです。 また、社会的地位があるからとか、ないとか、 裕福であるとか、貧しいとか、 障害を持っているとか、持っていないとか、 身分が高いとか、低いとか、 そういった人間が作り出したレッテルには、人間そのものの価値は全く影響されません。 全てその人の個性です。 三次元世界でのいかなる人間的な営みも、キラキラ光るダイヤモンドのように見える次元があります。 依存、執着、恐怖心まみれで重たいものを引きずりながら生きた人生でも。 人を殺めてしまった人生でも。 です。 だから、好きなように生きればいいんだと思います。 結局は、我々は社会的な幻想の中で、あーでもない、こーでもないと、枠組みの中で生きているにすぎないからです。 自分の人生はどうしてこうなのだろうと、嘆いても仕方がありません。 それよりも、今日も呼吸をして、生きていられることができた。 太陽も暖かい。 ケーキがおいしかった。 子供たちの笑顔で癒された。 など、日常生活の中は、本当は喜びが満ちています。 ですが、光に暗闇を見るように、天使を悪魔と見るように、自分自身が心を閉ざしてしまうことによって、喜びにふたをし、自分で作り出した悲しみの中で生きることがあります。 喜びは、ありがとうという気持ちに直結します。 悲しみ、つらいことは、ありがとうにはつながりにくいです。 でもこれは、どちらを選択するかという、自分自身の選択の問題だと思います。 なぜなら、我々はどんな状況であっても、喜びに満ちた生き方が潜在的にはできるはずだし、本当は世界も喜びに満ちているからです。 ただ、それに気づいていないだけです。 嫌なもの、苦しいものを無条件にあたえられているように見える。 けれど、たとえどんな状況であっても、それは貴重なパズルの1ピースであり、それがないと全体としての調和がとれません。 でも、一通り経験したら、今度は自分で選択して生きることができるようになります。 喜びに満ちた生き方をするか。 葛藤にまみれて生きるか。 全ては自分次第です。 人に寄り添ってもらい、慰めてもらうことや、励ましてもらうことはできても、自分の人生をかわってもらうことはできません。 ならば、生きましょう! たとえどんな人生でも、それはあなたにとって貴重なピースなのですから、まずは自分の人生を受け入れましょう。 自分自身を受け入れましょう。 自分自身の内面を見つめていくことで、自分にはこういう側面もあるのかという発見があります。 過去に起きた出来事を見つめて、もう卒業しようとそれに対する葛藤を手放したり。 あるいは、あることを考えるとワクワクする夢があるから、その実現のために現実世界で動き始めたり。 内面からくる衝動というのは、自分の喜びにつながりやすいものであり、自分自身を導いてくれるものです。 そうやって、人は過去でなく「今」に生き始めます。 Some rights reserved by acryptozoo | |
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