23世紀の日本はどんな感じ? | |
2014年12月10日 23時10分の記事 | |
我々が直面する現実は、たった一つではなくて、無数に存在しているという前提で、以下の話を読んでください。 (絶対そうなるという意味ではありませんので、ご注意を。) 一つの小説として読んでいただいても、結構ですよ。
我々が直面する現実というのは、たった一つ存在しているのではなくて、無数に存在する現実のうちの一つに過ぎないと言われています。 このことをセスは「確率的偶然性」という考え方で我々に伝えてきましたし、バシャールは「パラレルリアリティ」(=パラレルワールド)によって説明します。 ですから、この考え方からすれば、我々の現実世界も、確率的に存在していて、絶対的に確定したものではないということなんです。 だからこそ、無数にある可能性レベルの現実の中から瞬時に、私たちは、今の私たちの意識の方向性、振動数に見合ったものを「選び出し」、それを現実として受け入れることによって、今ここに存在しています。 (上図は、私がリーディングで得ている情報の範囲を示しています。 横線は、私たちが実際に直面するタイムラインです。 横線上の小さな丸は、リーディングで得た情報でタイムライン上に出現したものを示しています。 これ以外にも、横線の上に乗らない無数の情報がありますが、一定の範囲内(図でいうと楕円形の範囲)の情報を、私は特定のテーマに沿って情報入手しているというわけです。 実際に現実化するものとしないものが、そこに含まれていることになります。 いわゆる予言が外れる理由も、これと似た部分があります。) たとえば、未来についても同様に考えることができます。 我々は、過去、現在、未来という一直線上に並んだタイムラインを想定しますから、いわゆる我々の常識からした「未来」について、今からお話します。 夢物語として聞いてください。 23世紀の未来です。 人々は、地球以外の惑星にも住めるようになっているようです。 おそらくは、火星でしょう。 コロニーのようなところで生活している様子が、フラッシュのように脳裏をよぎります。 まあ、それはともかく、地球はその頃どうなっているのかというと、かなり温暖化が進んでいるみたいです。 多くの国で、国境が異なってきている可能性があります。 特に顕著だと感じるのは、ヨーロッパです。 イタリア、スペイン、ポルトガルのあたりは、もはや一つの国であるかのように感じられてきます。 イギリスはそれ自体で独自性を保っています。 フランスもです。 スカンジナビア半島のあたりにある国々は、緩やかな連合形態を作っているかもしれません。 このように、大まかにいくつかの連合国のようなまとまりをなしている可能性があります。 しかし、EU全体で一つの国にはなっていないかもしれません。 それ以外の地域については、またの機会にしたいと思います。 一番関心があるのは、日本がどうなっているかです。 日本列島は、大まかには今の外形を保っているようです。 非常に「知性」を感じます。 23世紀には、日本列島は、「知性」によって、多くの場所で今以上に森林が復活している可能性があります。 まるで、科学技術によって森林、自然を復活させることが、とても大切なことであると考えられているかのようです。 ただ、ちょっと気になることがあります。 それは、「都市の空洞化」です。 大都市というものが存在していない印象があります。 それに伴い、首都機能が移転しています。 つまり、東京が首都ではなくなっています。 では、どこに首都が移ったのでしょう? 関西のある都市に移っていると感じます。 そこは、古代都市が存在していた場所です。 でも、一つの大きな特徴が感じられてきます。 それは、首都機能は、たった1か所にあつめられているのではなくて、複数の地方都市が「分業」して、いろんな地域に同時並行的に存在している印象が感じられてきます。 私に感じられてくるのは、関西を中心にして、ベルトコンベアーのように横長に、主要な地方都市が東海方面、中国方面にのびている様子です。 その広大な範囲で、いろいろな地方都市がいろいろな役割を分業して、全体として首都機能を維持している印象が感じられてきます。 その時代には、距離的な問題(たとえば東京から大阪までは時間がかかる)などは存在していない印象があります。 それは、地下に、超高速で大勢の人や物を移動させることができる移動装置があり、それが各地方都市を結び、物理的な移動は何の障害にもならなくなっている印象があります。 でもこれは、体外離脱をしてとか非物質的な移動ではなく、あくまで物理的な移動だと感じます。 たとえば、超高速で移動するリニアモーターカーのようなものを考えてみてください。 ですが、リニアモーターカーよりもはるかに高速で、大量のものや人を運ぶことができると感じます。 この時代、日本列島を上から外観すると、まず先ほど述べたように、緑(森林)の多さに圧倒されます。 しかも、多くの人々は、地上だけでなく、地下都市で生活しているようです。 現代でも、大都市に行くと地下街があったりしますが、その数百倍、数千倍の広さや快適性をもった地下都市です。 地下にも緑(森林)が感じられてきます。 それは森林のもつエネルギー、波動が、その存在を私に知らせてくるかのようです。 地上の変化も著しいです。 まず、車というものがなくなっています。 それに伴い、高速道路が見当たりません。 過去の遺物として撤去された模様です。 あと、道路というものがほとんど利用されなくなっていて、主要な東海道や山陽道などは、史跡として保存されている印象があります。 昔の人は、このような道路を使って車を走らせたり、歩いたりしたんですよということを、道路を遺跡として残すことで、後世の人に伝えるためです。 これが私が感じた、23世紀の日本についての一つの蓋然的現実です。 Some rights reserved by Tez Goodyer | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. アシカビヒコ 2015年12月11日 15時3分 [返信する] すばらしい!ぜひそのタイムラインに接続できるようにしたいですね。エネルギーや食糧の意識を徐々に新時代化していかないと。
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