エドガーケイシーのライフリーディング(PART 1) | |
2014年12月13日 17時25分の記事 | |
今回は、エドガーケイシーのライフリーディングをご紹介します。 (出典はこちらです。 http://www.eccj.ne.jp/?s-gallery)
エドガーケイシーのリーディングは、内容的にも他に類を見ない深いものであり、私のリーディングもかなりケイシーからの影響を受けているところがあります。 転生間惑星滞在などはその最たるものです。 これは、去年の春にブログを有料化した際に、偶然ネットを検索していたときに見つけたもので、その時は非常に興味深いと感じましたが、ブログに紹介してそれっきりでした。 ところが、8月から急に個人リーディングをすることになり、リーディングを始めたんですが、最初は転生間惑星滞在も、ライフシールも入れていませんでした。 しかし、なんとなく物足りなさを感じ、まず転生間惑星滞在を入れ、その後ライフシールを付け加えました。 今では両者共に私のリーディングでは不可欠なものになっています。 その数年前に太陽系の惑星探索をしていたり、高次元に行ってシリウスやオリオン、プレアデス、ベガなどの人類の起源とされる星系を訪ねていたことを思うと、全てつながりがあったんだなと驚きを隠せません。 それでは、ケイシーのライフリーディングをご紹介します。 長いので、何回かに分けたいと思います。 ガートルードというのはケイシーの奥さんで、フルトランス状態のケイシーに質問してリーディングを促しています。 セスも言及するほどのケイシーの卓越したリーディング能力は、我々にとって非常に参考になるものです。 ガートルード: あなたはこの実体と宇宙ならびに宇宙の普遍的力との関係を述べます。 今回の人生にパーソナリティーとして潜在および顕在している状態を述べます。 また、地上への過去における出現について、その時と場所と名前を明らかにし、それぞれの人生においてこの実体の成長を促したもの、あるいは退歩させたものを明らかにします。 現在の実体の能力を明らかにし、この人が達成し得るものとその方法を述べます。 私が行う質問にあなたは答えます。 ケイシー: はい 何と美しい記録だ! ここに、現在[3374]と呼ばれるこの存在の記録がある。 この記録を伝えるにあたって、言葉では言い表せないものが多くある。 精神的・霊的自己の情緒という面での経験があることを実体がこれまで知ってきたとおり、そして現に見出しているとおり、 時として崇高なるもの、そして時として滑稽なるものの間の距離に架け橋をすることができるのは、ただ音楽だけである。 潜在的そして顕在的な衝動は、地上での経験と転生間における経験から生ずるものである。 あなたは、木はその倒れる処(ところ)に横たわる、ということをしばしば聞いてきた。 これが何を意味しているか考えてみたことがあるだろうか? 物質的な概念ばかりではなく、霊的な意味で。 そのことを学ぶように―この諺の観点からして、それは別な意味をもつことになるだろう。 この実体の経験を解釈するに際して、我々は、過去から現在に至る目的を心に留めたいと思うが、決して自分自身を欺かないように。 そのライフ・シールは、14インチかそれ位の方形。 その中央には開いた本が置かれている。 聖書だ。 シールの上に百合の花。 と言うのも、実体の経験で最大のものは、師の話す声が聞こえたあの時期にあるからである。 「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。 しかし、栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした」。 すべての美、純白さと尚また中央に金色を兼ね備えている野の百合の花、このシールはある種の典をあらわしたものである。 シールの上には三匹の蜜蜂がいる―これらは、精神と肉体と魂を表わしている。 一匹は百合の花の中央に、一匹は空中に、そしてもう一匹は開かれた本の上にいる。 蜜蜂達は、増し加えることも減らすこともできるが、減らす蜜蜂は、その書に示されている約束を取り去られるであろう。 増し加える蜜蜂には、そこに記録されている苦難と悲哀が増し加えられるであろう。 それ故、これらのことは、実体が狭く真っ直ぐな道を歩むようにいつも促すであろうが、それにとどまらず、あなたの行く道を他の人々もまた知ることが出来るように教え示すように仕向けるであろう。 地上でのこの実体の出現を示すに当たっては、その人生から沢山の美が導き出される。 薔薇に美しくあるように、菫(すみれ) に香(かぐわ)しくあるようにと誰も言うことはできないし、夕焼けの空そして嵐や風に、自然の歌に自分たちの声を付け加えるように告げられもしない。 だが、音楽と自然そしてあらゆる美がこの実体に多くを語りかけている。 どうしてか不思議に思ったことがあるだろうか? あなたはそのようなものを善用してきただろうか、それとも乱用してきただろうか? これらのことをあなたは自身の内部において答えなければならない。 それは真理の言葉を熟慮することによって可能である。 百合の花の白さと主の声… 主は、全ての真理は神の内にあり、地の物質的な物事の中にはないという教訓を示そうとされたのであった。 いつも働き手でありなさい、そうだ、蜜蜂のように―しかしそれは、地のあなたの場所を、人が住むのにより美しい場所にするような貢献であり続ける方法でなければならない。 みどり児の微笑み、薔薇の花の香しさは、ただ神の人に対する思いやりの映しである。 赤ん坊が可愛らしい仕草のレッスンを受けているとでもお思いかね! 何故なら、人の愚かしさは神の英知、人の賢(さか)しさは造り主の滑稽、なのである。 占星学的には我々は、金星からは支配力としての衝動、水星からは判断力としての衝動、木星からは普遍的意識としての衝動を見出す。 それゆえ、美、愛、音楽、自然、これらは実体にとり最大限に応答してくれるものである。 友情の美、共同の美、風景の美、嵐の美、しかし尚、怖れが実体の身近に迫るとき、不安が忍び寄る。 それは、我々の見るところでは、主への全幅の信頼が欠如しているところから生ずる。 地上での経験は、単なる滞在期間として示されるのみならず、人が境遇とか環境と呼ぶものによって、その魂が成長したり歪められたりする期間として示される。 しかし、神に調和した魂は、百合の花で示されたように、境遇や環境を変えることができる。 事実上、自然界の総ての力さえも変えうる。 何故なら、全ての美は神からのものであり、全ての愛は神に由来するからである。 自然界に内在する全ての力は、その故に、神の愛の証である。 それらは、あなたと同胞とのすべての交わりの中で育てられ、慈しまれるのである。 | |
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