ブッダの覚醒の話の続き | |
2014年12月31日 22時59分の記事 | |
先ほどのブッダの覚醒の瞬間の記事についての補足です。
先ほど、ブッダについての記事を書きました。 なんせ2500年前のことですから、当然ながら見た人はいないわけでして。 それでも。。。 私なりの真実に迫りたい!ということで、リーディング能力を駆使してブッダの覚醒の瞬間にフォーカスしてみたわけです。 どんな感じかなと。 それはさておき、私にはブッダの悟りの本質は森羅万象の流転、輪廻にあると感じられました。 はっきり言って霊的な部分を前提にしていると感じます。 なのになぜブッダは霊的なことを弟子に語らなかったのかが問題になります。 その点についてもリーディングしてみました。 しかしこれについては、答というより、2つの蓋然性を示されました。 一つは弟子に霊的なことを伝えた場合の世の中。 もう一つは弟子に霊的なことを伝えなかった場合の世の中。 この2つの世の中には決定的な違いがありました。 それは、人々の霊性の発揮の仕方です。 皆さん、どちらが人々の霊性が高まったと思われますか? 私に見せられたのは、後者でした。 この事実は衝撃的でした。 霊的なことばかり弟子に伝えた場合、弟子たちは奇異にばかり目を向けてしまい、人間としての歓喜や創造性、愛といった霊性の発揮をおろそかにしてしまったのです。 ただ、これとは別に、ブッダは弟子たちに、自らの輪廻転生については語ったと感じます。 ですから、ブッダは輪廻を否定したというのは誤りではないかなと、個人的には感じます。 ブッダが霊的なことについては「無記」としたとの伝承があるそうですが、 無記というのは否定したとか語らなかったという意味というより、語ることを避けたという意味に実際は近い気がします。 Some rights reserved by Eddy Tsai ![]() | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. 小梅 2015年1月6日 20時54分 [返信する] >霊的なことばかり弟子に伝えた場合、 >弟子たちは奇異にばかり目を向けて >しまい、人間としての歓喜や創造性、 >愛といった霊性の発揮を >おろそかにしてしまったのです。 現代でもスピリチュアル好きな方 の中には、そういった人達も いらっしゃるような(汗) 精神性がある程度 高まった状態じゃないと 霊的な世界を知る事はマイナスに なってしまうのかも、ですね。
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