自分にとって好ましいことをしていく時代 | |
2015年2月12日 10時28分の記事 | |
2012年頃から、例えばバシャールなんかは、これから世の中は二極化していくということを盛んに言っていました。 最近、実際そうなっていると感じることがあります。
たとえば、私が一番顕著に感じるのは、いわゆるスピリチュアルなことに対する人々の興味です。 いわゆる超能力、霊能力、ヒーリング、そういったものには興味を示さなくなる人が出てくる一方で、現実世界に根差した部分で自分なりの個性や輝きを発揮していこうという人々も増え始めている気がします。 そういった人は、霊的なものにはほとんど興味はないのですが、とてもスピリチュアルな生き方をしていたりします。 逆説的ですよね。 スピリチュアルが好きでないのに、スピリチュアルな生き方をしているなんて。 これは、一面的な見方になるかもしれませんが、いわゆるアセンションとディセンションに関係している可能性があります。 その人が何に興味が惹かれるのかという問題ではありません。 スピ好きとか、そうでないとか、そんなことはどうでもいいと思っています。 要は、「その人が本当に好きなことを自分を偽らないでとことん追求しているかどうか」、これだけではないかなという気がします。 ですから、うまくいく人は何をやっても成功する時代になっていきますし、逆にうまくいかない人は仕事でも勉強でも趣味でもうまくいかない(というか自分を偽り続ける)可能性が高いです。 成功する、しないは、結果論であって、「たまたま」なんだと思います。 ある人は成功の理由を、「自分は運が良かった」と表現するかもしれません。 別の人は、「自分は多くの人に支えられていた」と言うかもしれません。 別に理由は何でもいいのだと思います。 大切なのは、「今」、自分にとって好ましいことに向き合っているかどうか、な気がします。 たとえば、受験生であれば、志望校に合格したいという目標や夢がありますよね。 それは素晴らしいことです。 仕事でもそうです。 今取り組んでいるプロジェクトを無事に成功させたい。 日々淡々として過ごす中でも、自分なりの目標に取り組んでいるとき、向上心が生まれ、モチベーションが刺激されていきます。 それはおそらく、年齢に関係ないんだと思います。 最近、65歳で弁護士になられた方の記事を目にしました。 このような事例はまさにそれを象徴しているように思います。 やれないと決めているのは自分であって、他人ではありません。 でもそれを「やらねばならない」わけではなくて、やりたければやったらいいのです。 やりたくないものをやらなければならないという現実を作り出しているのも、自分自身です。 そういう私も、リーディングなんかでは結構追いつめられてやっているほうですから人のことは言えませんけどね。 もちろん、普段ぐうたらしていて期限間際になって一気呵成で仕事をするので、普段から余裕をもって仕事をしていればそういうことにはならないわけで、自分で選択しているわけですけどね。 私にとっては、リーディングというのは、自分の創造力を駆使してあらゆる叡智を総動員させて作り出す芸術作品のようなものです。 ですから、基本的には自由で喜びに満ちた心境であってはじめてより良いものが生み出されるものです。 ですから、労働の対価と考える通常の仕事とは、根本的に異なっているところがあります。 いわば苦しみの産物ではないからです。 もちろん私も今は何十年も一応人間をやっていますから(笑)、努力とか苦労などといった自分の習性に引きずれてしまうこともありますし、通常の価値観でもって「仕事たるもの、価値あるものを提供しなければならない」と考えてしまうこともあります。 価格改定後は特にその傾向が強まってはいたんですが、それもすべて手放そうと思っています。 つまり、評価というのは、あとからついてくるもので、その時その時で嬉々として自分に与えられたものと向き合っていればいいのではないかということです。 別の言い方をすれば、価値があるかないかは、自分で決めるものではなくて、自分以外の誰かが決めるものだということです。 それが、例えばリーディングの依頼であればお客さんということになりますし、他のお仕事なら、その仕事を依頼してきた人物や周りの人達、ひいては共同体、地域社会といった広範囲のグループかもしれません。 別にそれはなんであってもいいのですが、要は他人からの評価中心に生きれば生きるほど、苦しくなりますし、自分中心でなくなります。 自分中心でなくなれば、それをしていて楽しくありませんし、ワクワクしません。 ですから、まずは大切なのは、自分中心でいいんだということだと思います。 縁のある人や仕事は、それでもやってきます。 むしろ、人生一度きり、苦節うん十年の人生より、幸せでワクワク感に満ちたうん十年のようが良くないですか? 私だったら、後者のほうがいいな〜 その転機が、今社会全体に訪れてきているというのが、最初にお話ししたこととかぶってきます。 人間、自分が正しいと思っていることが、自分自身を苦しめていることがあります。 自分が正しいと信じて疑わないことです。 でも、それが正しいとか、正しくないとか、どっちでもいいのです。 所詮、人間は、どこまで行っても「井の中の蛙」であり、自分が直面する現実だけがすべてだと思っています。 その中で、自分が信じている考え(信念)に従って生きているのです。 でもそれが、気が付いたら他人軸になっていたり、他人からの評価を極度に気にしすぎていたりして、自分を見失い、仕事でも評価されなくなり、自暴自棄になってギャンブルに走ったり、刹那的な快楽に走ったり、そういった人生を歩んでしまうことにもなりかねません。 でもこれだと、いったいなんのための人生なのでしょう? 創造的で、喜びに満ちて、叡智や愛を発揮して、人々とともに成長していくために、生まれてきたのではないのかということです。 ですから、スピをやるとかやらないとか、そんなことはどうでもいいわけですよね。 私は自分が嫌だと感じるものはやりません。 これからはますますそうなっていくかもしれません。 自分にとって喜びであることを他人と共有し、その人にも喜んでもらおうと思って、今の仕事(リーディング)を続けています。 ですから、基本的に自由ですし、縛りがありません。 もちろん、三次元的な約束事や、たまたまのタイミングの悪さ、失敗や成功と思われる仕事上の出来事、自分なりの経験に基づいた価値観とか考え方、いろいろあるかもしれません。 ですが、私が今まで多次元的な世界から見聞きした真実に照らして思うのは、やはり根本的な方向性の問題だと感じざるを得ません。 人はそれを、やりたいことをやってますか?とか、ワクワクすることをやってますか?とか、いろんな言い方をするかもしれません。 でも、表面的な言葉はどうでもよくて、私なりの言い方をすれば、「自分軸で生きてますか?」ということになります。 それでも、縁のある人や仕事との出会いはあるでしょう。 自分がわくわくすることをしていれば、結果的に良いものができ、自分でなく他人からの評価も「あとから」ついてくることでしょう。 それでいいんじゃないかな〜という気がしています。 Some rights reserved by bwminseattle | |
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