外宇宙は人間精神の表われである | |
2015年2月12日 21時32分の記事 | |
いただいたコメントと、それに対する私からのお返事です。 「存在全体がフラクタルな生命系」から >imimiさんこんばんは。 ヌースでも出てくるモナドロジーでもあると思います。 スサノオと陽子プロトン ツクヨミと電子エレクトロン アマテラスと中性子ニュートロン そして、それらと、自他構造ではないかと思いますが、違っていたらすみません。ヌーソロジーは確認が大変でして。 ヘミシンクはどうかわかりませんが ヌーソロジーの言う延長ないし、同一性が衝突し合うような考え方の宇宙論は、 もうコスモロジーではない段階が来たということでしょうか?多分。
コメントありがとうございます。 私自身は門外漢ですが、モナドロジーも、ヌーソロジーも、コスモロジーも、真理探究の手法として有効だと思います。 みなそれぞれのやり方でもって、真実について真剣に探究しているわけですから。 かつての私のようなヘミシンク探究者もそうです。 やり方はまちまちですが、結局のところ、人間とは何か、宇宙とは何か、宇宙を超えたところにいる神とは何か、そういった科学を超えたところの真理を探究している気がします。 私の場合は理論的な追求よりも、ヘミシンクを使って高次意識と共鳴し、自分にとっての究極的なものを探究していました。 特に私が重視していたのは、太陽系内にある惑星探索でした。 太陽系の惑星を探索しているうちに、太陽系の惑星というのは、人間そのものの進化と深いかかわりがあるのではないかという風に考えるようになりました。 どちらかというとそれは、人間の精神的な進化と関係がある気がしています。 我々は、科学技術の発展など、目に見えるところの研究は得意であり、皆が注目するところですよね。 でも、目に見えないもの、たとえば人間の精神の研究・探究は、心理学などがあるものの、十分になされているとは言えない状況にある気がします。 非物質的に太陽系を探索する意味というのは、人間精神を深く探究していく端緒となると感じます。 つまり、惑星を生命体と見て、その情報源にアクセスし、惑星や太陽系、銀河、宇宙全体の仕組みを解き明かしていくやり方です。 人間の各チャクラを太陽系の惑星に対応させて考えることができるように、マクロ宇宙の探究はすなわち、ミクロ宇宙である人間そのものの探究につながると感じます。 惑星も自然の一部であり、つまるところ、自然との対話ということになるかと思います。 自然との対話で人間自身を知ることができるというのは、とても大切な点であると思います。 人間も自然の一部であり、だからこそ、自然を観察することで人間自身の姿も見えてくるような気がします。 ですが、現代では、人間と自然を切り離し、自然を切り刻んだり、人間の道具とみなして弄んだりする傾向が見られますが、それは決して本来のあるべき姿ではないですし、 逆に人間自身を滅ぼしてしまう方向性に向かうのではないかと思います。 原子力発電による自然破壊などは、その最たる例かもしれません。 人間は本来、核分裂も核融合も自由におこなえるだけの叡智をアカシックレコード内には持っていますが、 今の技術はきわめていわば人間と自然とを切り離すがごとく、偏屈的なやり方でもっておこなっていると感じます。 その感覚を理論的に説明することは今の私にはできませんが、 原子力を高度に扱うことのできた人類の叡智に意識の投射方向を向けてみることで、その偏屈さを直感的に感じ取ることはできます。 科学技術は人間の精神からもたらされたものですが、人間の精神が未発達なので、間違った方向性として原子力エネルギー使用(原発、原爆)が行われています。 現代では、探究するのは目に見えるものだけに限られた感がありますが、本当は探究すべきなのは人間の精神そのものであり、そちらに実体があるという風に、私自身は感じ取っています。 これは現実世界での生活をないがしろにしてもいいという意味合いではなく、人間の全存在を通して、精神の探究をいろんな形でもっておこなっている最中であるのが、今の私たちなんだということです。 別の言い方をすれば、一人一人のいろんなやり方による精神の探究の成果が、いつの時代においてか寄り集まることで、全体としての進化を生んでいく日がくるのかもしれません。 我々は今、個人レベルで、日々の生活に直面しつつ、感情体験を積み重ねていますよね。 そして、死後に集合意識に経験を持ち帰って、全体として体験から学んだ叡智を共有していきます。 ゆくゆくは人類全体の進化・成長を生み、いつの時代か、人類は今とは全く別の形で、宇宙を認識するようになるかもしれません。 今、我々が夜空に見ている宇宙の見え方・とらえ方とは全く異なったやり方によってです。 セスによれば、太古の人類はそうだったと言います。 我々が宇宙を今のようにとらえるようになったのは、人類の長い歴史から見ればまだ最近のことだと感じます。 Some rights reserved by El Coleccionista de Instantes | |
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1. ビフォ 2015年2月13日 19時58分 [返信する] いつもありがとう
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