リトリーバルの意味、意識の自力救済とアセンション | |
2015年2月20日 11時4分の記事 | |
リトリーバル(救出活動)についての誤解があるようですので、その点のお話と、 なんでもかんでも霊的な問題にして考える傾向が見受けられる場合があること等について、 意識の自力救済とアセンションとの関係性について、お話したいと思います。
いつの頃からか、リーディングでリトリーバル(救出活動)の依頼が時々くるようになりました。 リトリーバルというのは、ごく簡単に言うと、「死者の救出」という意味であり、亡くなった人で成仏できていない人を成仏できるようにお手伝いすることを言います。 ただ、実際に拝見すると、ほとんどの場合が必要ありませんし、そもそもリトリーバルの趣旨から外れています。 というのも、リトリーバルというのは本来、より大きな「自分」(=トータルセルフ)の中に含まれる他の人格存在を救出し、ひいてはトータルセルフ全体の進化を促進していこうというところにあるからです。 このようなリトリーバルの趣旨から考えると、基本的には今の自分に直接的にかかわりのある過去世や未来世の自分、今世の過去のある時点に囚われた自分の意識の解放に主眼があります。 ですから、リトリーバルというのは、基本的には自分でするものであり、人に頼むものではないのです。 もっとも、私が例外的に自殺者の救出をリーディング例の中に入れているのは、 クラアイントさんが何十年も生きている中で、他人を自殺せしめたと誤解し、自責の念によって何十年も苦しんでいる場合がかつてあったために、 例外的に自殺者の救出もその必要があればお手伝いすることによって、当該クライアントさんの問題解決のお手伝いをさせていただいています。 ですが、このような場合はまれであって、多くの場合、自殺者についても拝見すると救出の必要がなかったり、 また囚われ領域にいてもその囚われ領域にいることが学びにつながるので、余計な手出しはしない(できない)ことが多いです。 その辺をよく考えてから、リーディングの依頼をしてきてください。 よろしくお願いいたします。 大切なことは、まずは人よりも自分自身を救い出すことです。 今自分が置かれている苦しい境地、人間関係、生活環境、そういったものの中で自分が苦しんでいると感じている感情を解放し、感情の停滞から自由になり、 より楽しい幸せなことに意識を向けられるようにし、与えられた人生を前向きに生きていくことが最も大切なことだと、私は考えています。 自分自身を救い出す手段として何が必要かということですが、もちろんリトリーバルの手法を学んでもいいですし(私も自分のワークの中で取り入れています)、それ以外でも様々な感情解放のやり方があると思います。 自己流に走らずにきちんとしたセラピストのもとで感情解放をされることをお勧めします。 きちんと感情解放(ネガティブな信念等の手放し)が起きた場合、多くの場合、現実世界に変化が現れてきます。 以前とは物の見方・とらえ方が大きく変化したり、精神的な浮き沈み、あるいは職場の人間関係の変化、転職、引っ越し、等々。 これらは多くの場合、その直面する人にとっては、「お試し」であることが多く、二元性の見方をすればネガティブな問題発生であると捉えられるかもしれません。 しかし、実際には、内面の変化(ネガティブな葛藤、信念等の手放し)によって、それが現実世界に浮き出てきただけであり、「そこに反応しないでスルーすれば」、自然と物事が好転していき、それ以前よりも自分の魂の衝動に即した生き方ができやすくなっていきます。 これを、プチ・アセンション(小さなアセンション)ととらえることもできると思います。 なぜなら、アセンション(次元上昇)というのは、まずは個々人の内面から起きるのであって、 それは多くの場合、精妙な振動数にそぐわない重たい信念等の解放によってもたらされるものですので、その重たい信念(不安、恐怖心、執着心等)が解放されたことで、その人の振動数が上昇し、 それに伴って職場の移転や引っ越し、人間関係の変化等がもたらされていくと考えることができるからです。 このようなことを通して、間接的に私たちは、「現実は自分自身が作り出している」ことを実感することができます。 もっとも、これを証明する必要はなく、要は人生をより心豊かに実り多きものにしていければそれでいいわけです。 悩み、苦しみ、幸せ、歓喜、そういった感情体験を通して、我々は自分自身をより深く知ることができます。 すべての感情は愛から生じ、不安や恐怖、怒りですら愛の表れであると言われています。 それらは単に、その人(存在)の表現方法の手段なのです。 ですが、どうせ生きるなら、より軽やかに、健やかに、歓喜に満ちて生きたいものです。 ですから、不要な葛藤を手放さ「なければならない」わけではなく、葛藤まみれの、欲望だらけの人生でも、その人の判断ですから、全然かまいません。 好きなようにしていいわけです。 ですが、例えば私のリーディングでも、クライアントさん自身の不安感や恐怖心、依存心、欲望、そういったものに根差した依頼をされていた場合、 私のほうではその依頼が不安感や恐怖心、依存、執着、欲望からきているという指摘は出来ても、 その根本的な部分にあるそれらの不安や恐怖、欲望を昇華させるのは、クライアントさん自身によって行っていく必要があります。 あとは、必要以上になんでもかんでも霊的な問題に結びつけて考えないことです。 現実世界で生じた問題は、基本的には現実世界の中に対処法が存在しています。 それを霊的に解決しようと思っても駄目です。 多次元的な視点から解決方法を参考程度に求めるのは構わないと思いますが、例えばリーディングの依頼が現実を直視することの「逃げ」になっていることがあります。 結局は、自分でそれを何とかしていかなければならないのに、それをガイドとかハイアーセルフに神頼み的にお願いしたり、 私にリトリーバルをしてもらってまるで悪魔祓いでもするかのようにお願いしても、無意味です。 なぜなら、自分が直面する現実は、自分でしか変えられないからです。 人から影響を受けることはあります。 ですが、その影響も、もとをただせば、その影響を自分で受け入れると決めたから影響されるのです。 基本的には、自分と他人は全く別の宇宙に生きています。 自分の意図や行動に対する全責任は、自分自身が負うことになります。 その代わり、他人が作り出した意図や行動に対する責任を背負い込むことはしなくてよいですし、他人の作り出した意図や行動が、自分の魂の根源的な部分にまで影響を与えることはありません。 自分の人生は、生まれる前から決めてきた条件の範囲で、現実世界で自由意思のもとで、自分の力で生きていく必要があります。 与えられた範囲内で、より幸せに生きられるように「誰でも」なりますし、そのために特別なことをする必要もないです。 大切なことは、自分がこうありたいという明確なビジョンを意図して、愛や喜びに満ちて生活していこうとただ決めるだけです。 そこに「本当だろうか?」とか疑いをさしはさむと、その疑いが現実化しますから、無心でおこないます。 ですから、ある程度集中力の高まった瞑想状態にこれをおこなうといいです。 他力本願でなく、自力本願で。 これは人生を生きる上での基本だと思います。 もちろん、助け合いは必要ですよ。 また、人によっておかれた環境は様々ですから、「その人にとっての」ということになろうかと思います。 でも、そうではなくて、依存関係だと息苦しくなっちゃいますし、依存関係の無限ループにはまり込んで、お互いの振動数も下がり、より精妙な波動を保てなくなってしまう可能性があります。 アセンション(次元上昇)かディセンション(次元降下)のどちらかで言えば、それはディセンションの方向になってしまいます。 これはあらかじめ決められたものではなく、完全に自分の意思で決められるものです。 できるだけ心軽やかに、喜びに満ちて生活していくのか。 それとも、古臭い既存の慣習や伝統に従って執着まみれで生きていくのか。 どちらでもいいとは思うのですが、より多くの人がその大きな転機に差し掛かっていると感じます。 地球は自浄作用によって今後振動数を上げていく可能性が高いですし、今はある意味、各人にとって意識の上での「選択(洗濯)の時」かもしれません。 Some rights reserved by nattu | |
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