今の日本に起きつつあること | |
2015年2月22日 22時34分の記事 | |
このブログはスピリチュアル系のブログですので、現実世界の出来事は極力控えるようにしています。 しかし、最近はフェイスブックでのやり取りで突っ込んだやり取りなんかもしていますし、また最近のスピリチュアルの傾向も、現実世界との接点を重視されるようになってきたこともあり、 何がスピリチュアルで何が現実問題なのかの境目もなくなりつつあるように思います。 そういったわけで、最近ちょっと気になることをつぶやきたいと思います。
私がこれはちょっとおかしいぞと思い始めたのは、秘密保護法が盛んに議論され始めた時です。 いわゆる秘密保護法です。 内容については相当に議論され、去年の12月に総選挙に隠れるように施行されました。 秘密保護法が議論されていた当時は、現政権は盛んに、表現の自由が萎縮されるようなことはないことを強調していました。 ところがどうでしょう。 最近、顕著に、マスコミが口裏を合わせたかのように同じ報道をするようになりました。 表現の自由が萎縮しているような印象がかなり鮮明に感じられてきます。 新聞の見出しが、各社一字一句同じになるということが、ありうるだろうか? 素朴な疑問があります。 表現の自由が制約されることがいかにゆゆしき事態なのかは、少しでも法律を勉強したことのある方ならお分かりいただけるのではないかと思います。 現行憲法は、通説によれば「二重の基準論」を採用しているとされています。 これは、ごく簡単に言うと、経済的自由に関する規制立法は民主制の過程で是正可能なので、立法の違憲審査は緩やかでいいとされているのに対し、 精神的自由に関する規制は民主制の過程が破壊されると回復困難なので、立法の違憲審査は厳格にされなければならないというものです。 要は、法律を作るのは国会議員ですよね? その国会議員の作った法律に対し、最高裁判所が「その法律は憲法違反ですから認められませんよ」と言える度合いが、 経済的自由に関する法律よりも、精神的自由に関する法律のほうが、裁判所がより口出ししていいということなんです。 しかし、表現の自由が萎縮し始めるというのは、このような根本的な部分が覆され始めているということなんです。 つまり、こういうことです。 なんだかんだ言って、みんなが言いたいことを言える世の中だからこそ、その中でより良いものが作られていきます。 しかし、そもそも言いたいことを言える世の中でなかったらどうでしょう? すべてなあなあで議論されて、結論は最初から決まっていて、なんとなく議論したふりだけして、物事が決まっていく。 これでは、国民のための政治なのに、国民がなおざりにされてしまいますよね。 今のマスコミ報道が、まさにこれを匂わせています。 国民にはちゃんと情報を伝える必要があります。 そうしないと、議論できませんから。 でも、その最も大事な情報の信頼性がなくなりつつある。 これが、今の日本に起こりつつある状況なのです。 Some rights reserve4d by Takashi(aes256) | |
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