豊中市の少年について | |
2015年3月16日 21時33分の記事 | |
豊中市の男の子は、非常に残念な結果となりました。 私がこの件に関してツイッターやフェイスブック等でコメントしたのは、まだ生きている可能性があると考えたからです。 亡くなってしまっても、ご両親のもとへ帰らないよりは帰ったほうがいいというのは心情だと思います。 このような結果になってしまった以上、非常に残念ではありますが、私が事件を知った時に何を感じ取ったのかを少しお話ししたいと思います。
まず、事件の第一報を知った時、男の子の情景が見えてきました。 草むらのようなところに倒れている印象でした。 場所をサーチしてみると、「公園のそば」というテロップが見えてきました。 近くに公園があるのでしょうか。 さらに別角度からリーディングするために、内宇宙から少年の意識にフォーカスしていきました。 (ご自分でリーディングされる方は、この「内宇宙から」という視点を忘れるとターゲットに憑依する可能性があり、自分にとってはエネルギーバランスを崩す可能性がありますのでご注意ください。詳しくはリーディングに関する過去記事をご覧ください。) 少年曰く、自分は生きているのか死んでいるのかわからないと言います。 この時の印象としては、どこか草原のようなところを歩いているような印象です。 もしかしたら夢を見ているような感じかもしれません。 別の視点から少年に再び意識を向けてみると、おばあちゃんか誰かが少年の後ろに立って、二人で私のほうを見ている印象が現れてきました。 そして、二人でどこかに去って行きました。 この時点で、私は生還は難しいと感じました。 その後、捜索が難航していることがニュースで報道され、少年が住んでいた地域に緑地があることがわかりました。 緑地にある池を捜査員が捜索している様子が映し出されていました。 しかし、少年はいくら探しても見つからないとのこと。 ですが、この時点で、少年が池の中にいることを確信しました。 少年は緑地の池の中に沈んでいるだろうと。 最終的には、少年はこの緑地の池の中から発見されています。 今となっては事実は検証できませんが、少年はもしかしたら行方不明になってすぐに池に落ちたのかもしれません。 なぜなら、目撃情報などがなく、防犯カメラにも映っていないからです。 そして、最初に感じた草原に横たわっている様子は、もしかしたら池の底に沈んでいる状態だった可能性があります。 私は、これを池の底ではなく文字通りの草原だととらえたために、まだ生きている可能性があるのではないかと思い、コメントしたのです。 この辺にリーディングの限界があります。 少年が生きているのか死んでいるのかの区別が、今回の場合は付きにくかったからです。 リトリーバルと違い、このような事件にリーディングを活用する趣旨は、被害者が生きて帰れることを期待して行うことにあります。 少年少女が行方不明になった場合、事件性の有無が問題になります。 これについては、リーディングでは最初から事件性はないと強く感じていました。 まだ捜査機関の検証が続いているかもしれませんが、今回の場合はおそらく事件性はないのではないかなと思います。 いずれにしましても、亡くなった少年のご冥福をお祈りします。 Some rights reserved by Yoshikazu TAKADA | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. 胸の中の宇宙を抱きしめる 2015年3月17日 8時25分 [返信する] imimiさん、詳しいお話をありがとうございます。施設からたいへん近い池での発見でしたね。とてもよく動く、元気なお子さんだったのでしょう。今回はたいへん残念な結果となりましたが、『そして二人で(おばあちゃんと)どこかに去って行きました』ということを知り、せめてもの救いだなあと思いました。合掌
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