大神神社と石上神宮(PART1) | |
2015年3月31日 11時47分の記事 | |
29日に、希望者を募って奈良の神社巡りをしてきました。 行ったのは、大神神社(おおみわじんじゃ)と石上神宮(いそのかみじんぐう)というところです。
大神神社は、三輪山を御神体とする神社で、相当に古いところです。 ただ、史実としては、日本書紀に記載されている石上神宮が日本最古の神社の1つとされています。 (日本書紀には、伊勢神宮と石上神宮を「神宮」として記載しているようです) 難しい話は他の方に譲るとして、私は上の二社を訪れた際に感じられた印象についてお話したいと思います。 まず大神神社ですが、5年ぶりに訪れました。 人も多くなく、雨による浄化のためか、境内はエネルギー的にとてもすっきりしていて、神社らしい清浄さや凛とした雰囲気に満ちていました。 神社のエネルギーは、第二鳥居をくぐったあたりから、ぐんと高まりました。 神社の鳥居は、結界としての役割をもっていて、神と人の世界を分け隔てる役割があるものと思われます。 結界をもうけるということ自体が二元性特有の考えですが、それはさておき、古代人の叡智というのはすごくて、神社は鳥居によってエネルギーの結界を作り、内部に神聖な領域を作り出しています。 ちなみに、太古の日本には神社などはなく、人々は岩や山、太陽に宿る霊を神として崇めていたと感じます。 いわゆる神社が出来たのは、長い日本の歴史からすると最近のことで、およそ2000年前からです。 もっというと、元来、日本には神社を作って神と人とを分け隔てるという発想はなかったと感じます。 これは、朝鮮半島からの支配者によって伝えられた風習だと感じます。 この時に、自然の山や岩などではなく支配者(人)を神として祀るようになったのだと思います。 この点、1800年前ぐらいに建てられた伊勢神宮などは、当時の支配者の考えが色濃く反映されていて、前支配者の影響力(怨念)を封じ込める目的で建てられた経緯があります。 (ただ、そうであるからといって今の伊勢神宮が怨念に満ちているわけではなく、むしろ独特の凛とした清浄さを保っています) しかし、伊勢神宮の経緯が特殊なだけで、神社がすべて怨念を封じ込めるために作られたわけではなく、単に当時の伝統的習慣に従って作られたまでのことです。 自然との一体化や回帰という本質から見れば、神社は本来不要であり、内在神は自分自身の内面にあることに気づくことのほうが重要な気がします。 しかし、そうはいっても、本質に回帰するに際して、古くからの伝統を伝える神社にもその本質の痕跡が残っている場合があります。 大神神社の御神体である三輪山は、相当に古くから祭祀をおこなっていた場所だと感じます。 卑弥呼も山頂で祭祀をおこなっていたと感じます。 卑弥呼については、以前にリーディングで考察したことがありました。 卑弥呼は役職名で、数代にわたって祭祀を司っていた可能性がありますが、大和政権が誕生した頃には、優秀な女性シャーマンは何人も畿内地方にいたはずです。 三輪山は、そのようなシャーマン達が祈りを捧げる場所でした。 今はその痕跡を祓戸神社(はらえどじんじゃ:セオリツヒメが祀られた小さな社)に感じとることができます。 この社では、巨大な白蛇が感じられてきました。 ポジティブなエネルギーです。 この白蛇は、三輪山の眷属神だと思います。 (このビジョンが見えたことを参加者の方たちにその場でお話すると、ある方から、本殿に行けばその意味がわかると言われました。 そこで本殿に行ってみると、白蛇のために卵をお供えしてあるところがありました。 つまり、この神社は蛇信仰があるみたいで、蛇とは密接なかかわりがあったのです。 白蛇は浄化の力が強く、この地域一体を清浄に保つ働きをしているところです。 この白蛇の霊力と交わって、古代の女性シャーマン達はさまざまな神祀りをしたのだと思います。 シャーマニックなことは古代においては盛んでしたが、どちらかというとそれらは対処療法的なもので、時の支配者の意向や権力闘争にシャーマンが巻き込まれることもしばしばだったと感じます。 しかし、それよりもさらに古い時代の痕跡が残されているのが、大神神社とりわけ三輪山です。 おそらくは、縄文時代から祭祀をおこなっていたはずです。 神祀りの原型の意識が宿っている珍しい場所です。 神霊は、白っぽい光の球体に見えます。 神霊につかえる眷属は、白装束を来た巫女です。 この巫女は意識が拡大していて、かつてこの地域でシャーマンだった人物かもしれません。 あるいは、先ほど述べた白蛇の化身かもしれません。 エネルギーは、大神神社はすっきりしていました。 特に良かったのは、狭井神社(さいじんじゃ:三輪山の登山口付近にある社)のあたりです。 ハイハートにくるエネルギーでした。 ハイハートは、第5チャクラと第4チャクラの間にある多次元ゲートで、源(生命エネルギーの根源)に通じています。 感覚的には、ハートの奥に感じられるかもしれません。 この狭井神社は、大神神社に祀られている大物主神(オオモノヌシノカミ)の荒魂が祀られているらしいです。 エネルギー的には大神神社と似ていますが、こちらのほうがより源に通じている印象がありました。 | |
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