量子的世界に生きる私たちと予言、意図と現実・内面的変化によって引き寄せる現実の諸相について | |
2016年1月3日 0時9分の記事 | |
新年あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。 スピリチュアルの世界では、今年一年がどうなるのかを占うような、ある種の予言がなされることがあります。 ただ、我々は量子的世界に生きているので、どのような蓋然的現実に直面するのかは、チャンスレベルのところがあります。 要するに、当たる場合もあれば、外れる場合もあるのだということです。 もちろん、好きでそういう占いをしたり、そういった占いを求めるのは結構だとは思いますよ。 ただ、これからは、外の世界がどうなるかを知るより、自分自身がいかにして変わるのかを重視する時代にすでに入っています。 それに気づいている人は、我が道をゆくスタイルで、周りの人や環境がどうなろうと微動だにしませんし、自分軸で生きていくことができます。 要は、その人が直面する事象について、その人にとっては大丈夫だと感じているので、大丈夫になるわけです。
別の言い方をすれば、大丈夫かどうかを「自分で決めている」ことになります。 つまり、外側の事象を予測するより、自分自身がどうあるのかを意図して実行したほうが、はるかにたやすく自分自身の望みとする現実を引き寄せることができます。 外側がどうなるのかを予測するのではなく、自分の望み通りの現実を「自分から変わることで」引き寄せるのです。 ところが今は、二元性の世界に我々は生きていますから、自己と他を明確に区分し、自分と、自分が存在する現実を、明確に区別して生きていると「錯覚」しています。 そのために、自分が作り出したところの現実すら、「どこかからやってきたもの」であるという風に錯覚するのです。 しかし、意識は表層レベル、深層レベルともに、マイクロ秒ごとにその意図する現実を「作り出して」その現実と対峙しているのが真相だと感じます。 ところがなぜ現実はかくも思い通りにならないと顕在意識レベルが認識しているのかというと、それはひとえに、本当の自分とはいかなるものであるのかを全く認識できていないのと、そういったマイクロ秒ごとに織りなされる意識の不可思議な活動に我々は気づいていないからです。 大切なことは、自分が直面する現実は、自分自身が作り出しているのだということを認識し、自分の認識が他人の反応や自分が直面する現実に密接に影響を与えているのだということに気づくことだと感じます。 結局のところ、我々は、自分の見たい世界を見て、自分のやりたいことをして、生きたい人生を生きているのだということです。 そこに良い悪いは一切ありません。 自分がどういう生き方をしても、自分はやりたいようにやっているだけなんだということに気づければ、きっと前よりも人生を生きるのが楽になると思います。 だって、人は皆、したいようにして、生きたいように生きているだけなんですから。 人は皆、様々なところで感情を揺さぶられると思います。 なぜなら、人生はそのようにできているからです。 その感情体験は、基本的には「自分にはないものに惹かれる」ことで浮き上がってきます。 ないものを求めること、理想と現実のギャップによって悩みが生じてくるのです。 それを、仕事や家族、趣味、恋愛、健康などなど、トピックを変えながらああでもない、こうでもないと、人生80年、いろんな出来事が起きていきます。 自分にはないものに惹かれても、なぜそれが手に入らないのか? これはいろんな存在が言っているように、「それを手に入れたい」と思えば思うほど、「今それを手に入れられていない」という現実を同時に強化していきます。ですから、それが手に入りにくいという現実を「自ら」選択していくことに、人はなりやすいのです。 そういった宇宙の根本原理を知ると、自分が望んだ現実を引き寄せやすくなります。 なぜなら、作用と反作用を同時に意図するのを、ただやめればいいからです。 ですから、手始めに、まずは反作用の生じにくい、自分にとって実現しやすい現実を意図してみます。 それによって成功体験を積み重ねていくのです。 そのようにして、自分の意図が確かに現実化するのだということを顕在意識にもわからせるというステップが重要だと感じます。 意図するときに、依存とか執着といった重たい信念を取り除いて、純粋にただ意図することで、自分の願いがかないやすくなります。 そして、その願いが現実化したとき、案外あっけないなと感じたり、こんなものかと思ったり、とにかくそこには、それが現実化した後の「ありふれた感覚」というものがやってきます。 結局、物事はすべて、このような意図というエネルギーが現実化した後に訪れるエネルギー的変化を、この現実世界を通じて体験しているだけなんだと感じます。 そこに余計な執着が信念がくっついている場合が多いですけれども。 でも、その執着や信念があってもなくても、どちらでも物事の真相には変化はないのだろうと思います。 要するに、人生というのは、様々なエネルギー的変化と、それに付随する感情体験を繰り返し体験しているだけなんだろうと思います。 自分が体験したことは、基本的にはその人にとってはすべて正解です。 それがなんであっても、人はそれが体験したくて体験しているだけなんだろうと思います。 特に家族なんかは、同じような課題を持っていることがあります。 でも、たとえどんな環境におかれても、自分は自分だし、自分以外の人はたとえ家族であっても自分以外の人なんだと割り切って、その人の課題に過度に干渉するのをやめるようにすると、たとえ家族であってもエネルギー的な影響を受けにくくなりますし、自分軸でいきやすくなります。 要は、悩みというのは、結局、自分自身で作り出していることが多いです。 それはつまるところ、理想と現実のギャップ、すなわち、自分にはないものを求めることから生じます。 それは、極貧の人生を送ろうとも、超セレブな生活を送ろうとも、自分にはないものに対する葛藤を生じる点では、誰もが一緒です。 ですから、どんな人にだって悩みがあるわけです。 ですが、その悩みですら、その人の選択だということを、上の文脈では申し上げていた次第です。 悩むのも、悩まないのも、本当は自由なのです。 そして実際、悩まずに、うれしい楽しい幸せな気持ちで生きることが、人間誰にでもできます。 そうすると「決めるかどうか」だと思います。 それが、外側を変えようとする生き方ではなく、自分自身が変わる生き方だと思います。 そのほうが早いし、楽だし、実現力があります。 そうやって、人は自分の望みとする現実を、内面的変化から外面的変化(現実力)を伴って実際に変えていくことができると感じます。 もしその人がそれを望むのなら。 | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. naggao 2016年1月3日 12時19分 [返信する] その通りですね。 今までのうちで一番分かり易い説明だと思います。 2. miko 2016年1月3日 22時8分 [返信する] 私は方位に非常に多くの注意を払うのを疑問に思っていますが、そのことへの一つの考え方だと思いました。
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