マーフィーの法則と多次元的真実 | |
2015年5月25日 15時22分の記事 | |
ミクシィからご質問です。 意図の現実化(PART2)へのご質問から http://blog.kuruten.jp/imimi/328620 >自分も潜在意識を研究しています。 マーフィーの本を読んでいますがマーフィーは願いを叶えるのに自分の状況や客観的情勢は関係なく叶うと書いてありました。 例えば借金ある人が家を手に入れることも可能。しかしちゃんとイメージしないと犬小屋だったりさらに借金で買った家である可能性もありと書いてありました。 どう思いますか?
それはありうると思います。 ですが、「ちゃんとイメージしないと」という部分がこの場合問題となる可能性があります。 私の経験上、顕在意識だけでいくら具体的にイメージしても限界があり、変性意識下で具体的にイメージしたほうがよりうまくいくことが多いです。 変性意識下では、多くの場合、自分の意識の範囲が拡大しますから、普段自分であると意識している部分以外の意識も「自分である」と感じ始めるので、時として自分が大きくなったような錯覚を覚えることがあります。 つまり、ちゃんとイメージする主体は誰なのかという問題です。 私の言い方ではより大きな「自分」あるいはそれに近いくらいに意識状態が拡大した自分です。 あとは、記事にも書きましたように、可能性レベルで存在している他の蓋然的現実についても考慮する必要があります。 我々の世界というのはミクロ世界とマクロ世界が相似象に成り立っていると考えられますが、ミクロ世界での量子的世界は、実はマクロ世界であっても成り立っているというのが、ある視点から見た真実であると感じます。 そうすると、今自分が直面している現実と、可能性レベルで存在している現実を精査して、いかなる現実に自分が直面しうるかを予測していく必要があると感じます。 つまり、意図の仕方も問題ですが、それだけではなく、自分を取り巻く確率的状況を精査していくことも必要ではないかと思います。 >ということは客観的情勢も関係しているのですか? 自分の事ですが、彼女が欲しいのですが自分の状況は出会いのきっかけのない職場に働いていて客観的状況的には難しいのですがやはり難しいのでしょうか? マーフィーの本では恋愛は特定の人にこだわらなければ全ての異性を対象になるため可能と書いてありましたが難しいのですかね。 いえ、主観的状況です。 厳密には客観的状況は存在せず、現実というのは、つきつめると「その人から見えた世界」にすぎません。 ですから、同じものを見ているつもりでも、微妙に見え方や感じ方、捉え方が人それぞれ異なる可能性があります。 それに加えて、先ほど申し上げたように、現実には量子的性質がありますから、複数の現実が同時に存在している可能性があります。 ミクロレベルでの素粒子のふるまいと同様に、観測者の主観によって実際に直面する現実が変化します。そこに、直前で述べた蓋然的現実の要素が加わるわけです。 ですから、全く同じ現実のように見えても、自分の内面を変えることで対人関係が変わり得ますし、潜在意識下で生じる人と人との間の情報のやり取りによって、新たな出会いが生まれたり、また自分自身の活動範囲が広まることで、人を通じて、あるいはネットを通じて新たな出会いが生まれる可能性もあります。 変化がないようにみえるのは外側であり、しかもその外側ですら自分の内面によって見え方が変わる可能性を秘めています。それによって自分の活動範囲も変化していく可能性があります。 しかも、それよりも流動的な人の意識と人の意識とのつながり、潜在意識下でのネットワークは、いくらでも変わり得るのだと思います。 ですから、お話のように、職場で出会いがないというのは全く気にする必要がなく、また「職場で出会いがない」ということに自分自身が制限されることもないわけです。 Some rights reserved by mypubliclands | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. ショウタ 2015年5月26日 20時6分 [返信する] mixiの回答ありがとうございます 量子学について興味深いです。 話は変わりますが死後の意識についてはどう考えていますか? 量子論の分野ではペンローズとハメロフの量子脳理論が注目されているらしいですが
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