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〔助太刀兵法33〕御家人馬鹿囃子(終章) (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2014年1月26日 13時24分の記事


【時代小説発掘】
〔助太刀兵法33〕御家人馬鹿囃子(終章)
花本龍之介 



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概
 浅草寺の境内の茶店で、のんきに串団子を頬ばっていた飛十郎は、突然あらわれた芸者の小吉に驚かされた。武蔵屋で知り合った御家人の勝小吉に、すぐ来てくれと言われて深川へ駆けつける。勝の甥の松阪忠蔵が、遊び仲間の伊丹重三郎に女の取り合いで斬り殺されたというのだ。このままでは松阪家が取り潰されるから、なんとか重三郎の倅の新之助に仇討をさせたい。ついては飛十郎に助太刀を頼みたいと言われる。二人は相談して、その女お初がいる深川の女郎屋・汐入り屋に罠を仕掛ける。はたして重三郎は、やってくるのか? わずか十歳の新之助が、無事に仇討ができるのか? 本所深川の下町を舞台に、飛十郎の人情あふれる助太刀居合剣がうなりをあげる! 
  

【プロフィール】:
尾道市生まれ。第41回池内祥三文学奨励賞受賞。居合道・教士七段。
現在、熱海に居住している。


〈助太刀兵法21〉尾道かんざし燈籠
〈助太刀兵法22〉尾道かんざし燈籠(2)
〔助太刀兵法23〕尾道かんざし燈籠 (3)
〔助太刀兵法24〕尾道かんざし燈籠 (4)  
〔助太刀兵法25〕 尾道かんざし燈籠(5)
〔助太刀兵法26〕尾道かんざし燈籠(6)
〔助太刀兵法27〕尾道かんざし燈籠(終章)
〔助太刀兵法28〕室の津綺譚
〔助太刀兵法29〕室の津奇譚(2)
〔助太刀兵法30〕 室の津奇譚(終章)
〔助太刀兵法31〕御家人馬鹿囃子
〔助太刀兵法32〕御家人馬鹿囃子(2)



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【時代小説発掘】
〔助太刀兵法33〕御家人馬鹿囃子(終章)
花本龍之介 



一 新之助

 波入屋は、その名のごとく汐入りの堀川を前にした、さほど大きくない遊女屋だった。勝小吉と飛十郎が、堀川に架かった木橋を渡って、見世のある河岸道へ入ろうとした時、天水桶の陰から男がふいに姿をあらわした。
「お待ちしておりやした」
「ごくろう、岩吉。ひき合わせておこう。こちらは、おれの助太刀人の早船飛十郎どのだ」
 飛十郎の名を耳にして、岩吉は何かを思い出すような表情をした。浅黒い精悍な顔の、敏捷そうな躰つきの中年男である。
「飛さん、この男が深川佐賀町に住む、御用聞きの岩吉親分だ。こう見えても、なかなかの腕利きでな。知っておいて、損のない男だぜ」
 首をかしげていた岩吉が、あっという顔で手を打った。
「そうか! 両国橋で、おとよの助太刀をしたお侍さんだね、旦那は。どうりで、見たことのあるお人だと思いやした。そうですかい、勝の旦那のお知り合いでございましたか」「早船飛十郎と申す。以後よしなにたのむ」
 無精髭をひと撫ぜすると、岩吉にむかって軽く頭を下げた。
「と、とんでもねえ。こっちこそ、よろしくお頼みしまさあ。けど、早船さまが助太刀なさるのなら、千人力だ。よろしゅうございましたねえ、勝の旦那」
「うむ。岩吉のいう通りなんだ、飛さん。忠蔵の倅の新之助は、なんといってもまだ十歳だ。重三郎が見かけたら、情けようしゃなく叩っ斬って、返り討ちにするぜ。今夜だけは、おれも傍に居られるが、あしたからは飛さんと岩吉にまかせるしかねえんだ」
 苦汁に満ちた顔で、勝小吉は言った。
「わかりました。なにがあろうと、新之助どのは守ってみせます。だが居場所がわからねば、手のほどこしようがない。どこにいるんです? お屋敷ですか」
「いや、あそこは危ねえ。なんといっても、一度斬り込まれているからな。岩吉にいって、この近くに運ばせてるんだ」
 勝小吉はそう言って、岩吉の顔に目をやった。
「へい。新之助さまは、おいいつけ通り駕籠で辰巳亭へ、お連れしておりやす」
 岩吉の言葉を聞いて、満足そうに勝小吉はうなずいた。
「ご苦労だった。飛さん、辰巳亭という料亭は、この岩吉の妹の嫁ぎ先でな。ちょいちょいおれも寄っているが、まさかこんな近いところへ新之助がひそんでいるとは、さすがの重三めも気がつくめえ」
「まったくでござんすよ、勝の旦那」
「そこが、こっちの狙いよ。岩吉、手を出せ」
 怪訝そうに出した岩吉の手の平の上に、勝小吉は小判五両を乗せた。
「人出がたりねえようなら、これで何人でも雇え。けちけちするんじゃねえぞ、岩吉」
「ですが、旦那。昨日いただいた金が、まだたんと残っていますぜ」
「いいから取っておけ。おまえの上の藤井同心や、そのまた上役の与力にもばらまいておくんだ。いいか、これは表沙汰には出来ねえ仇討なんだぜ。いわば闇の仇討だ。岡場所の女郎を奪い合っての刃傷なんぞ、御公儀(おかみ)にとっちゃあ、けっしてあってはならねえことなんだ」
「へえ、そういうもんですかねえ」
「いつの世にも、御政道というものはそういうもんだ。女郎も小っ旗本も、虫けらみてえなものさ。ひねり潰してえと、腹の中で考えてる連中が山ほどいるんだぜ。千代田のお城にはな」
「くやしいねえ、勝の旦那」
 岩吉が握り拳で、鼻水をすすりあげた。
「だから岩吉。おめえと、この勝小吉と、早船の飛さんが、そうはさせねえ。とここにいるんじゃねえか」
「そうはさせねえたってさ、勝の旦那。相手は、御公儀ですぜ」
 勝小吉は、不敵な笑みを浮かべた。
「ふん。その御公儀にひと泡ふかせ、将軍家(だんな)をびっくりさせるために、この闇の仇討をやるんだ。いいか岩吉この勝負、松阪の家を取り潰されたら、おれの負けだ。そうさせねえためには、どうしても重三郎の首がいるんだ」
「えっ! 首を、いってえどうするんで」
 岩吉は、目を白黒させた。
「きまってるじゃあねえか。その首を持って、評定所へのり込むのよ」
「なるほど。取り潰しにかかる若年寄やお奉行を、それで逆に脅しあげるつもりですな」 感心したように飛十郎が言った。
「さすがは飛さんだ。さっしが早えや。じゃ、この十五両をおさめてくんな」
「なんです。勝さん、これは」
 小判の包みを見て、不審げに飛十郎が聞いた。
「助太刀料の前金だ。あとの十五両は、無事に仇討が終ったら、かならず渡す」
「まった」
 飛十郎は、手を上げた。
「こんどの一件は、勝さんが若い頃に男谷精一郎どのとやったという、大喧嘩の助っ人をするつもりできたんだ。金をもらう気はない」
「だが、助太刀は飛さんの商売だ。こっちも金を支払わねえわけにはいかねえぜ」
「いや、これは勝さんの男気に惚れて助太刀をする気になったんだ。こんなものは絶対に受け取るわけにはいかん」
 勝小吉が大きな目玉で睨むと、ふところ手をした飛十郎も一歩も引かぬ顔で睨み返した。
「ちょ、ちょっと旦那方。いいかげんにしてもらいてえな。子供の喧嘩じゃあるめえし、往来の真中で睨み合っても仕方がねえでしょう。お二人の気持ちは、この岩吉がようくわかりやした。この十五両は、ひとまずあっしが預かりましょう。それで手を打ってくだせえましな」
 飛十郎と勝小吉のあいだに割って入った岩吉が、ひったくるようにして十五両を受け取った。
「ありがてえ、仲裁はときの氏神というからな。おれも、いったん出した金を引っ込めるわけにゃいかねえし、ふところに小判を戻したひにゃ腹が冷えてしょうがねえや。岩吉、助かったぜ」
「いや、またぞろ武蔵屋の二の舞いになるかと思って、おれも内心ひやひやしていた。岩吉どの、礼をいうぞ」
 苦笑いしながら、飛十郎は岩吉に言った。
「よしてくだせえ。餓鬼の頃からの長えつき合いで、勝の旦那の気性は自分のことのように知ってまさあ。
それより、こんなとこで油を売ってたってしょうがねえ。早く波入屋へ乗り込みましょう」


二 女郎の命

 お初は、勝小吉が言った通りの女だった。お多福をそのまま絵にしたような顔をしていたが、やさしげな低い声と抜けるような白い肌で、遊客たちに人気があるということだった。
 客の侍ふたりが、自分をめぐって殺し合ったことに責任を感じているらしく、泣きはらした目が飛十郎には痛々しく見えた。
「何度もいうようだが、おめえが悪いんじゃねえぜ。お初」
 手摺り越しに見える奥庭を見おろしながら、勝小吉がさとすような声で言った。
「でも……勝さま。あたしさえ、お二人に逢わなければ……こんなことにはならなかったと思うと……」
 消え入るような声でつぶやくと、お初は身を縮めるようにして、うなだれた」
「なあに、あの馬鹿野郎どもが、へたをやったんだ。気に病むことは、爪の先ほどもねえんだぜ。それより心配なのは、おめえの身の上だ。重三郎は忠蔵を斬って、頭に血がのぼっている。今夜にでも連れ出しにくるかも知れねえんだぜ」
 びくっとして顔を上げると、お初はおびえた目で勝小吉を見た。
「でも伊丹重三郎は、忠さまを殺した憎い仇。たとえ姿を見せても、あたしはけっして一緒にいきません」
「そりゃあ、おめえの心持ちはそうだろうが。相手はおめえのために、人ひとり斬り殺しているんだ。刀を突きつけて見世から連れ去ったあげく、無理心中しねえとはかぎらねえ。なあ、飛さん」
 ふいに話を振られたが、飛十郎と勝小吉はすでに阿吽(あうん)の呼吸である。
「勝さんのいう通りだ。重三郎は、もはや死にもの狂いだ。吉原百人斬りではないが、扱いをあやまれば、この深川で何百人殺すかしれたものではない」
 わざと腕まくりをした飛十郎は、ひどく深刻な顔をして見せた。
「そこで、この飛さんの出番だ。お初、このお侍えは早船飛十郎といってな、いまお江戸で名代の助太刀人だ。おめえの身を守るために、きていなさるんだぜ」
 お初は、目を見張って飛十郎の顔を見た。
「では、瓦版に出た両国橋の仇討で、助太刀をしたお人でございますか」
「そうとも。剣は無双直伝英信流の居合の達人だ。この勝小吉が本気で立ち合って、勝てるかどうかの腕の持主なんだぜ。いいか、お初。安心して守ってもらえ」
「あい。あの仇討は、あたしも見物にいきました。見事な助太刀でございました。早船さまなら、お初も安心して身をまかせます」
 こっくりうなずくと、お初は熱っぽい視線で飛十郎を見つめた。
「は、はは、なにも身をまかせるこたあねえ。飛さんが、困って頭をかいているじゃあねえか。とにかく、となりの部屋に飛さんがいるから、何かあったらすぐに声をあげな」
 笑いながら立ち上ると、勝小吉は飛十郎に目くばせして廊下へ出た。
「飛さんも知っての通り、この深川は四方八方、堀川が流れている。歩くより舟で動くほうが、よっぽど早いときている。まあ、見てくんな」
 むかい座敷の障子を、からりと開けると勝小吉は先に立って入っていった。四畳半の狭い座敷を通り抜けると、河岸道を見おろす窓を引き開けた。
「おれが重三郎なら、夜になって舟でくる。お初を連れて逃げるにも、駕籠を使うより舟のほうが人目がつかねえ。どう思う? 飛さん」
「おれも、勝さんのいう通りだと思います」
 飛十郎は帯から鞘ごと刀を引き抜くと、抱くようにして手摺りにもたれ掛かった。
「ここは、まかせてもらおう。勝さん、あとは頼んだ」
「よし、まかせた。波入屋の廻りは、岩吉の手下が七人で固めている。奥庭は今夜だけは、おれが見張るつもりだ。いっておくが、その庭のむこうは辰巳亭の裏庭になっているんだ。つまり、波入屋と辰巳亭は背中あわせになってるわけだ」
「ということは、何か騒ぎが起これば、新之助どのはすぐに動けるわけだ。なるほど、打つ手に抜かりがないですな」
 飛十郎は、感心したように頭を振った。
「そう、あつらえたように、うまくいくかどうかわからねえが。ここは、飛さんを頼るしかねえんだ。とにかく夜が明けりゃ、おれは裃(かみしも)を着て評定所へ出むかなきゃならねえ。しかも、それが何か月つづくかわからねえときている。今度ばかりは、さすがの勝小吉もまいったぜ、飛さん」
 首の後を拳で叩きながら、珍しく勝小吉は弱気な顔をした。
「この仇討、それほど長くかからないような気がします。まず、早くて今夜。遅くても、明日中には片がつきますよ」
 きっぱりと言って、飛十郎は刀をかかえたまま勝小吉を見あげた。
「ほう。どうしてそう言い切れるんだえ、飛さん」
「伊丹重三郎には、追っ手がかかっている。目付の配下や町奉行所の与力や同心が、血まなこになって捜していることは本人も知っているはずだ。となれば、朱引き内にぐずぐずしているわけにはいかない。一日でも早くお初を連れて、江戸から逃げ出したいと思うのが人情だ」
 そう言って、飛十郎は無精髭をひとこすりした。
「それはわかるが、もし重三郎がお初を見捨てて逃げたらどうする」
「そいつは、絶対にありえないよ、勝さん。人を殺してまで自分のものにしようとした女だ。一緒に逃げるか、それが出来ねば殺すかの二つに一つだと思うな」
「なるほどな……」
 窓へ寄って行くと、勝小吉は障子の隙間から外を眺めた。
「女と逃げただけなら、どうにでもなるが。殺されちまったら、それまでだ。なんとか、お初が斬られぬ手だてを、考えねえとな」
日暮れが近いのか、差し込む日差しが弱くなった。河岸道を行き来する人声や、堀川を通る猪牙舟や荷船の艪の音が多くなったのに、飛十郎は気付いていた。
「夜になってあたりが暗くなれば、重三郎がいつあらわれても不思議はない。そこで勝さん、お初が絶対に殺されない兵法を考えたのだが……」
 窓から身を離した勝小吉が、飛十郎を見た。
「兵法だと? いってえ何のことだ、そいつは」
「助太刀のための、兵法ですよ。勝さん、耳をかしてもらいたい」


三 野良犬

 四つ半(午後十一時)を過ぎると、うるさく騒いでいた遊び客も寝静まったのか、波入屋もひっそりとして物音ひとつ聞えなくなった。
 幕府公許の遊郭・吉原に遠慮してか、岡場所の女郎屋である波入屋の見世構えは、思ったより質素であった。だが飛十郎がいる女郎の部屋は、なかなか凝った造りになっていた。これまで吉原の京町二丁目の小見世や、河岸見世には飛十郎もあがったことがあるが、深川の岡場所へきたのは初めてである。
 有明行灯のぼんやりした明りに照らされた朱塗りの鏡台や莨盆が、ひどくなまめかしく見えた。長押(なげし)に掛けられた座敷着の派手な花模様に目をやったとき、河岸道を歩くひたひたとした足音を聞いて、飛十郎は素早く窓に顔を寄せた。対岸にある木戸番小屋の前の常夜灯が投げかけるわずかな明りで、近ずいてきた黒い影が町人髷だとわかって、飛十郎はほっと息をついた。
 伊丹重三郎が町人姿であらわれるはずもなかろうし、またそんな閑(ひま)もなかったはずだ。窓から離れかけた飛十郎が、――いや、まてよ。と思い直して、また窓から河岸道を見おろした。堀川の水面に垂れ下がった柳の葉が、かすかな風に揺れている。その柳の木の根元を掘っていた野良犬が、人影を見て低く唸り出した。この犬は、茶と白のひどく痩せ細った斑犬で、ずいぶん前から河岸道をうろついていた。
「しっ。あっちへいけ! まだ、おれの顔を覚えられねえのか。いいかげんにしねえと、叩っ殺すぞ!」
 波入屋の前を通り過ぎて、木橋のほうへ曲がった町人を追っていった野良犬が、石ころでもぶつけられたのか、ひと声悲鳴をあげて逃げていく足音が聞えた。
 苦笑をしながら向き直った飛十郎は、目の前の夕餉の膳を、足で横に押しやった。膳の上の皿には、塩をまぶして梅干しを入れた握りめしが一つのっている。沢庵と豆腐汁も、飛十郎が注文した。茶碗の酒は波入屋の楼主が気をきかして寄こしたものだが、眠くなると困るので飛十郎は口を付けていない。
 沢庵をひと切れ取り上げると、飛十郎はゆっくりと奥歯で噛みはじめた。眠気を追い払うため口に何かを入れるのは、助太刀人の兵法心得の一つである。手近かに食べる物がない時は、木の葉でも草でも噛むことにしている。
 音のしないように沢庵を咀嚼(そしゃく)しながら、飛十郎は立てた右膝の上にそっと右手の拳を置いた。飛十郎の片膝を立てた姿は、傍目(はため)にはゆったりとくつろいだ格好に見えようが、これは無双直伝英信流居合の奥技〔立膝〕十一本を、自在に繰り出す寸前の構えなのである。奥義を極めた者ならば、この姿から瞬時に立ち上がり、どのような攻撃からも身を守り敵を倒すことが出来る。流祖・林崎甚助は、甲冑を身に付けて戦場に座す武士の形から、この技を編み出したといわれている。
「む!」
 ごくりと沢庵を飲み込むと同時に、さっと飛十郎は立ち上がった。飛十郎の鋭い耳が、ほんのかすかな鞘鳴りの音を捉(とら)えたからである。鞘鳴りとは、古くなって内側が削れた鞘が刀身と合わなくて鳴る音のことである。
――きたな、重三郎……
 音もなく廊下を横切った飛十郎は、お初の座敷に入っていくと奥庭に面した障子を引き開けた。袖に手を差し込むと、用意しておいた碁石を掴み出した。目の下に見える汐入りの池の水面めがけて、飛十郎は碁石を放り投げた。
 夜目にも白く飛んだ碁石は、見事に池の真ん中に落ちると高く水音をたてた。この池に魚がいないことを飛十郎と勝小吉は確認している。水音の合図を聞いた勝小吉は、すぐに辰巳亭の庭に入り込み、待ち構えている松坂新之助を引き連れて、お初の座敷へ飛んでくるはずだ。障子を閉じた飛十郎は、眠っているお初の足元に、立膝の構えを してうずくまった。
「……お初、おれだ。……むかえにきた」
 障子がすっと開くと、ささやくような男の声が、闇の中を流れた。飛十郎は左の親指で、刀の鯉口をきった。
「おきろ、重三郎だ。おれと一緒に、江戸から逃げてくれ」
 座敷に踏み込んだ重三郎の右手の刀が、闇の中できらりと光った。掻巻蒲団を剥ぎ取られたお初が、襟元を合わせながら、半身を起こした。
「うるさいねえ。重三郎なんざ知らないよ。人がいい気持で寝ているところを、起こすんじゃないよ!」
 握った手を、邪険に振りはらった女の啖呵を聞いて、重三郎は驚愕した
「だ、誰だ! きさまは」
「ふん。振られた男は、おとなしく引っ込んでるものさ。おあいにくさま、お初さんはここにはいないよ」
 女はそう言って、枕元の有明行灯にかぶせた羽織を、さっと引きめくった。
「あたしゃね。この深川で芸者をやっている、小吉という者でござんすよ。そっちはどうだか知らないけど、こっちは女に袖にされた腹いせで恋仇を斬り殺した情けない男のことは、ようく知ってるんだ」
「うぬ! はかったな」
 歯ぎしりするような声を出して睨み付けると、重三郎は刀を振りあげて小吉の肩口めがけて斬り降ろした。うずくまっていた飛十郎が、膝を立てたまま前へ動いたのはその時である。
 居合の斬り付けは、ほとんどの場合、声を発しない。無言のまま、目にも止まらぬ速さで斬り上げた飛十郎の刀の物打ちが、重三郎の刀が小吉の肩を斬り裂く寸前に受け止めた。転がるように蒲団から逃げ出した小吉の目の前で、ぱっと火花が散った。慌てて二の太刀で飛十郎の脇胴めがけて斬り付けようとした重三郎の太股を、刀の切っ先がずぶりと突き刺した。
 重三郎の刀を受け止めた飛十郎が、小吉の躰と入れ替わった瞬間、刀をひねりざま左手の掌を峰(みね)に当てて渾身の力を込めて突いた、立膝〔雷電〕の奥技であった。
「うわっ!」
 目もくらむような激しい痛みに、重三郎は思わず刀を取り落とすと、そのまま身動き出来なくなった。
「小吉、すまんが、その刀を拾って廊下へ出してくれ」
「は、はい」
 恐る恐る近寄った小吉が、畳に転がっている刀を掴もうとするが、手が思うように動かない。無理もない。重三郎の太股から流れ出た血で、畳も蒲団も真っ赤に染まっているのだ。
「大丈夫だ、小吉。重三郎は、もう動けん」
 刀身の半ばまで太股を貫(つらぬ)いた飛十郎の刀の切っ先が、一寸五分(五センチ)ほど壁に突き刺さっていた。
「見ろ、小吉。重三郎は、壁に釘づけだ。おれも、これほど見事に技がきまるとは、思わなかった」
 そう言いながら飛十郎は、右手に握った柄(つか)を軽く動かした。
「むう、う……」
 脇差しを抜きかけた重三郎が、うめき声をあげると柄から手を離した。
 震える指で刀を拾いあげた小吉が、蒼白な顔で刀を引き摺るようにして廊下へ出ていく。その廊下のむこうにある階段を、踏み抜くような勢いで駆け上がってくる勝小吉と新之助の足音がした。
「き、きさまは、何者だ」
 重三郎は、悲鳴のような声で聞いた。
「おれか、おれは早船飛十郎」
 近づいてくる勝小吉の足音を聞きながら、ひどく明るい声で飛十郎が答えた。
「どうして、こんなことをする」
 苦痛をこらえながら重三郎は、自分の太股を刺している刀に目をやった。
「甥の忠蔵どのの無念を晴らしたいと、勝さんに頼まれた。それに、これはおれの商売だからな」
「しょ、商売だと……」
「そうだ。おれは、助太刀屋なんだ。ま、悪く思うな」
 肩でも叩きそうな口調で飛十郎が答えたとき、からりと座敷の障子が開いた。


四 仇討

「やったか、飛さん!」
 息込んで入ってきた、勝小吉の額に汗が光っている。重三郎が罠にかかるまで、気が気でなかったとみえる。
「見ての通りだよ、勝さん」
 頭を掻くと飛十郎は、勝小吉の背中にかくれるようにして立っている少年に目をやった。袴の股立ちを高くとって襷を掛けた新之助の顔は、極度の緊張のために蒼白になっている。汗止めの鉢巻きの下の顔立ちも、躰付きも麟太郎そっくりに見えた。
「おい、伊丹。とんでもねえことを、仕出かしてくれたなあ。忠蔵とはいい遊び仲間思っていたが、人ってのは本当にわからねえもんだな」
 勝小吉の大きな目で睨まれて、重三郎は身をすくめてうなだれた。
「一寸先は闇とは、このことだぜ。男と女ってのは、まったく……」
 舌打ちするように言葉を切ると、勝小吉は苦い顔をして飛十郎を見た。
「まあ、いいや。やっちまったことは、今さら何をいってもはじまらねえ。伊丹、おめえはもう逃げられ
ねえんだ。じたばたしねえで、侍えらしく覚悟をきめろ」
 勝小吉が頷ずくのを見て、飛十郎は重三郎の足から刀を抜くと、鍔鳴りの音をたてて鞘に入れた。
「前へ出ろ、新之助!」
 その声が合図だったのか障子が開くと、座敷の中が昼間のように明るくなった。御用提灯を持った岩吉の手下が、廊下に四人並んでいる。同時に奥庭に差し立てられた三本の高張り提灯の灯で、窓の外も明るくなった。
「さっき教えた、気合いを忘れるな。さあ新之助、父上の仇を討ってこい」
 どんと背中を叩かれた新之助は、抜き放った脇差しを胸の真ん中に構えると、飛びかかるような勢いで重三郎めがけて突進した。伊丹重三郎も最後は侍らしく覚悟をきめたのか、目を閉じると助けるように胸を出して走ってくる少年を抱き止めた。
「うっ……」
 刀が肉に突き刺さる鈍い音がすると、重三郎の躰が静かに傾いて壁にもたれた。
「よし。見事な突きだ。よくやったぞ、新之助」
 勝小吉は手を添えると、胸の真ん中に突き立った刀を、ゆっくりと引き抜いた。そのまま切っ先を、重三郎の喉に押し当てた。
「とどめを刺して、本懐をとげるんだ。さっきのように、むやみに力を入れるこたあねえぜ。今度は軽く突きな」
「かしこまりました」
 素直に答えると、新之助は言われるままに刀で重三郎の喉を刺した。喉と胸からしたたり落ちる血が、畳の上で大きく広がっていった。
「これで終わったな、飛さん……」
 新之助の刀を鞘に納めながら、勝小吉は沈んだ声で言った。
「いい仇討でしたよ、勝さん」
「そうかねえ。けっきょく重三郎ってやつも、そう悪い男じゃなかったなあ」
 誇らしげに顔を上げて、廊下へ出ていく新之助を見送りながら、勝小吉がつぶやいた。「しかし、この伊丹重三郎は勝さんの可愛い甥ごどのを、卑怯にも寝込みを襲って殺害した男ではありませんか」
 死んだ重三郎を、淋しげに見おろしている勝小吉を見ながら、飛十郎は無精髭をこすった。
「なあに、二人は同じ穴の狢(むじな)よ。もし重三郎にやられていなきゃ忠蔵めが、この男を斬っていたかもしれねえ。廻っている独楽が踏みはずして、どっちに転ぶかはしょせん紙一重の差だぜ」
「ふうむ。そんなものですかな」
「ああ、そんなもんだ。女と酒に狂って、人の道をそれちまった御家人の落ちていく先は……、死ぬしかねえんだ」
 開け放った窓のむこうに見える空が、ほのかに明るみはじめた。
「早えなあ、もう夜明けだぜ。さあ飛さん、いこうか」
 血駄まりの中に横たわっている重三郎を、見捨てるようにして勝小吉は歩き出した。
「勝さん。重三郎の首を持って、評定所へ乗り込むんじゃないんですか」
 呼び止める飛十郎の声に、勝小吉は笑いながら振り返った。
「は、ははは、あんな冗談を真に受けたのかえ、飛さん。首なんざ、重たくてしょうがねえや。岩吉から南の奉行所へ知らせがいけば、そのまま評定の席へ届くことになってるんだ」
「ふむ。で、そのあとは?」
「鎌倉このかた、武家同志の争いは喧嘩両成敗が御定法だあな。松阪忠蔵を殺した伊丹重三郎を、息子の松阪新之助が討ち取ったんだ。それで、この一件はめでたく落着だ。両家が安泰なら、おれは文句はねえ。もし若年寄や奉行どもが、つべこべいやあがったら」
 勝小吉が、目玉をむいて腕まくりした。
「どうします、勝さん」
「暴れまわって、ご裁定の席をめちゃくちゃにしてやるぜ」
「ふ、ふふ。それなら、すべてうまくいく。裃に威儀をつくろった幕府のお偉方が、勝さんの威しに目を白黒させるところを、おれも見てみだいな」
「そうだろう。今日はこれから面白くなるぜ」
 刀を落し差しにすると、尻端折りをした勝小吉は、廊下を階段にむかって歩きはじめた。


五 馬鹿囃子

 江戸の町人は物見高い。どうして知ったのか、波入屋の前の河岸道は見物の弥次馬たちで、ぎっしりと取り囲まれていた。見世の格子先から、一歩道へ踏み出した勝小吉は、それを見てびっくりしたように足を止めた。
「おどろいたな飛さん、どこからこんなに人が出たんだろう」
「さあ、皆んな仇討が好きですからな」
 飛十郎は、にやりと笑って、ふところ手をした。
「まいった。これじゃ、闇の仇討もなにもありゃしねえぜ。あとから出てくる新之助が、さぞ目を廻すだろうよ」
 河岸道を埋めていた群衆が、勝小吉と飛十郎の姿を見てさっと道を開けた。
「飛さん、早く逃げ出そうや」
 足早やに去っていく二人のうしろで、弥次馬たちが口々に入江町の勝小吉の名を叫びはじめた。木橋を渡って門前仲町を左に曲がり、富岡八幡宮の一の鳥居をくぐった所でようやく勝小吉は足を止めた。
「やれやれ、とんだところで冷や汗をかいちまったぜ。もう追ってこねえだろうな」
 振りむきながら、ふところから出した手拭いで、勝小吉は汗をぬぐった」
「ふ、ふふ、勝さんにも弱いものがあったんですな」
「まあな。強いやつはへともねえが、町の衆と女はとんと苦手でな。笑っているが、冷やかしている飛さんも同じだろうが」
「いい天気になりそうですよ、勝さん」
 うながすように言った飛十郎の横で、勝小吉も空を振りあおいだ。
「ほんとだ。見なよ、飛さん。佃島のあたりが赤くなってらあ。お江戸は、きょうもいい朝焼けがおがめそうだぜ。雨も悪くねえが、やっぱり天気がいいほうがいいや。気持が晴れ晴れするからなあ」
 陽気な声でそう言った勝小吉は、ゆっくりとした足取りで本所の方角にむかって歩き出した。
「なあ飛さん、本所の七不思議というのを知ってるだろう」
「もちろん、知ってますよ」
 肩を並べて歩きながら、飛十郎は指を折りはじめた。
「たしか片葉の芦に、送り提灯、灯り無しの蕎麦屋に、置いてけ堀でしたな。それに足洗い屋敷と送り拍子木か。あと一つは、と……」
 なかなか出てこない飛十郎に、勝小吉がたまりかねて口を出した。
「本所の狸囃子だ。明るい月夜に人気のない本所の町を歩いていたら、どこからともなく陽気な馬鹿囃子が聞えてくる、というやつだ」
「そうか、狸囃子だったな」
「その馬鹿囃子が、あんまり調子がいいんで踊りたくなった男が、笛や太鼓の音につられてふらふらと囃子が鳴るほうへいくと、まるでべつの方角で馬鹿囃子をやっている。いくら捜しても行き着かねえ。とうとう歩き疲れてすわり込んだら夜が明けた。という不思議だったねえ……」
 何故かひどく淋しそうな顔で、勝小吉は言った。
「それが、どうかしましたか。勝さん」
「飛さん、気がつかねえかい。おれがような御家人てのは、その馬鹿囃子にそっくりだと、最近つくづく思うんだ。おれたち旗本御家人は、いや、そもそも侍てえものは、なんのためにいるんだい?」
「それは……。やはり、闘うためでしょう。そのために腰に二本差しているんだから」
「そうだよな。ところが、合戦てえものは、二百年このかたねえときた。二百年てのは、長いよ。どんな人間でも、この年月の流れには勝てやしねえ。てえげえ腐っちまうぜ。まして、喰うや喰わずの貧乏御家人だ。この二百年、権現様(徳川家康)がきめた家禄は、びた一文あがらねえ。ときている」
「ところが物の値は、どんどん上がる。というわけですな」
 勝小吉は、わが意を得たように頷ずいた。
「そうだ。御家人はどうやって喰えばいい。追いつめられる一方だぜ。まるで馬鹿囃子につられて、右往左往している男と同じだ。景気のいい鳴り物につられて、あっちへふらり、こっちへふらり。気がついてみりゃ、忠蔵や重三郎のように、命まで失っているざまだ。おれだって、何時あいつらみてえに殺されるか、わかったもんじゃあねえぜ」
「勝さんは、大丈夫でしょう」
「いいや、そんなことはねえ。狸が鳴らす馬鹿囃子に化かされて、いつ道を踏みはずすか知れたものじゃねえよ」
「そういえば、家康は狸親爺と呼ばれてましたなあ」
「なにっ」
 勝小吉は、ぎょっとしたように目をむいた。藩幕体制と大江戸八百八町を作りあげた初代徳川将軍の名を、あっさりと呼び捨てにされて驚ろいたらしい。まじまじと飛十郎の顔を見ていた勝小吉の目に、感嘆の色が浮かぶと、腹をかかえて笑い出した。
「うわ、ははは、ちげえねえや。飛さん、その通りだぜ。おれたち御家人は、皆んな大馬鹿野郎だ。狸親爺が打ち鳴らす馬鹿囃子に化かされて、二百年このかた踊り狂ってたんだからなあ……」
 笑いすぎて目尻に浮かんだ泪を、指で拭い取ると勝小吉は淋しげに飛十郎を見た。
「こうなると、本所名物の七不思議の最後(おしめえ)は狸囃子ならぬ、御家人馬鹿囃子にあらためなくちゃあならねえな。飛さん」
 勝小吉の片頬に、苦い笑いが浮かんだ。
「考えてみりゃ、直参だの旗本だの、将軍家(だんな)のためにゃいつだって命を差し出すだのと、片意地張って生きてきたが、すべてがおれたち御家人のひとりよがりだぜ。そうだろう? 肝心のその将軍家の顔を、おれっちは一度も見ていないんだ。こいつは、おかしかねえか」
「おかしいな、勝さん。いざ合戦となれば、真っ先に槍鉄砲を持って飛び出す役目の旗本御家人を、その禄高によって御目見得以上と以下にわけるのもおかしいが、なによりも御公儀(おかみ)の仕組みそのものがおかしいんじゃないかな」
 無精髭をこすりながら、飛十郎は言った。
「ほう、話が大きくなってきたな。おれは頭が悪くてよく呑み込めねえんだが、そこんとこをよくわかるように教えてくんな。飛さん、御公儀のやりかたのどこがおかしいんだい」
 勝小吉は腕組みをすると、飛十郎に向き直った。
「そうだなあ……、勝さんは武士のほうばかり見ているから、気がつかないと思う。たとえば、商人(あきんど)や職人を見ればすぐわかる。あきないの才覚や腕のいい者は、最初は棒手振りの行商人でもいずれは店を持って、それを大店に育てあげる。職人だって同じだ。おれは、そういった連中を大勢知っている」
「うん。たしかに、そうだな」
「その逆に、親からもらった大店を女遊びと酒びたりで、たちまち失なう者もいる。町人は心掛けしだいで浮きも沈みもするが、侍だけは才覚がどれほどあろうが、」
「出世できねえ仕組になっている、というわけだな。くそったれめがっ!」
 空をあおいだ勝小吉が、ふいに大声を出した。よっぽど悔しかったらしい。
「……すまねえ。御家人はこれからどうすりゃいいのかと思ったら、急に腹がたってなあ。まったく、つくづく飛さんがうらやましいぜ」
「どうしてです、勝さん」
「四十一俵の家禄だけじゃあ、ろくに家族にうまいものも喰わせられねえ。いい着物一枚買ってやれねえ。そんな自分に愛想がつきちまったんだよう。浪人で独り身の生きざまの方が、よっぽど気楽でいいやな」
「そうかな。おれは、勝さんがうらやましいなあ」
 飛十郎がそう言ったとき、遠くのほうから納豆売りの呼び声が流れてきた。深川の町に並ぶ商家や、その奥に建つ裏長屋のあたりからも、雨戸を開ける音がかすかに聞こえてきた。
「ふん。気休めをいうねえ。こんなおれの、どこがうらやましいんでえ」
「麟太郎どのがいるじゃないですか。おれは御公儀の政道の仕組は、遠からずかならず変わると思っていますよ」
「そうかねえ。変わるかねえ」
 勝小吉は疑うような顔で、飛十郎に目をやった。
「だって二百年もの長えあいだ、変わらなかったんだぜ。それが、いまさら、」
「変わる、かならず変わる。二百年ものあいだ変わらなかったからこそ、変わるんですよ」
「きっぱりと、いい切るねえ飛さんは」
 感心したように、勝小吉は言った。
 路地の奥から、今度は豆腐を売る声が聞こえてきた。それに重なるように、蜆(しじみ)売りの子供の声が流れてくる。
「いや、おれの勘では、もう世の中は変わってきているな。御家人の勝さんが、公儀のことをおかしいと思うのが、その証(あか)しですよ。そうなれば、いよいよ麟太郎どのの出番じゃないですか」
「うむ。麟太郎のな……」
 勝小吉が考え込むように、組んだ腕の指の先を顎に当てたとき、路地の中の長屋から駆けてきた幼児が、裸のままびっくりしたように立ち止まった。
「坊、早いなあ」
 声を掛けた勝小吉を見て、幼児はくるりと振り向いた。そこへ母親らしい女が、髪を振り乱して追いかけて来た。手に幼児の着物を持っている。
「あっ、これは、お武家さま。この子がなにか、ご無礼なことを……」
 おろおろして頭を下げる母親にむかって、勝小吉はにっこりと笑いかけた。
「とんでもねえ。可愛いい坊やだと思って見ていただけよ。おかみさん、この坊はいい人相しているねえ。大きくなったら、きっと出世するよ」
 幼児の頭を軽くなぜると、勝小吉はうれしそうに頭を下げる母親に背をむけて歩き出した。
「さあ、いこうか飛さん。すっかり明るくなっちまった。朝のこねえ夜はないというが、お江戸も早くそうなってほしいもんだなあ。どうでえ、家に寄らねえかい。客用のいい酒があるんだ。朝酒を軽くひっかけねえか」
「いいですね。寄りましょう」
 酒の呑めぬ勝小吉のさそいを、飛十郎はありがたく受けた。
「あと十年……、いや十五年か。麟太郎が一人前になるまで、おれもくたばれねえ。あいつが世に出るのを楽しみに、せいぜい刀の商売に精を出すとするか」
 ふところ手をした飛十郎を真似て、勝小吉もふところ手をすると、朝の活気に満ちはじめた深川の大通りを、肩を並べるようにして本所にむかって歩き出した。

                了  〈助太刀兵法34・夢泡雪狐仇討へつづく〉






 





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