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〔助太刀兵法26〕 尾道かんざし燈籠(6) (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年4月7日 14時10分の記事


【時代小説発掘】
〔助太刀兵法26〕 尾道かんざし燈籠(6)
花本龍之介 



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概
 尾道の対岸、向島に渡った飛十郎は、そこで不思議な釣り侍に出会う。見晴らしがよく酒が呑める場所を聞くと、侍は丘の中腹にある茶店を教えてくれる。坂を登りかけた飛十郎が、斬り合いの音を耳にして引き返すと、釣り侍が五人の浪人たちに襲撃されていた。間一髪のところを救われた侍は飛十郎に、お礼に一杯やろうと申し出る。酒を酌み交わすうちに釣り侍と飛十郎は、肝胆あい照らす仲になる。それから三日後、納屋と住屋は尾道奉行所に呼び出されて、思いがけない依頼をされる。平山奉行が幽霊を呼び出すから、それが本物なら騒ぎの責任を取って、お春の供養をする費用をすべて出せと命じられたのだ。尾道中の人々が固唾をのんで見守るうち、果たして幽霊は出現したのか? 意外な展開を見せる飛十郎の策略は、お春の怨みを晴らすことが出来るのだろうか? 物語はいよいよ佳境に入る。

 

【プロフィール】:
尾道市生まれ。第41回池内祥三文学奨励賞受賞。居合道・教士七段。
現在、熱海に居住している。



これまでの作品:
[助太刀兵法1]鎌倉しらす茶屋  
[助太刀兵法2]人助けの剣
[助太刀兵法3]白波心中
[助太刀兵法4]おとよの仇討 
[助太刀兵法5〕神隠しの湯
〔助太刀兵法6〕秘剣虎走り
〔助太刀兵法7〕象斬り正宗 
〔助太刀兵法8〕討ち入り象屋敷 
〔助太刀兵法9〕夜桜お七
〔助太刀兵法10〕夜桜お七 (2)
〔助太刀兵法11〕柳生天狗抄 (1)
〔助太刀兵法12〕柳生天狗抄 (2)
〈助太刀兵法13〉柳生天狗抄(終章)
〈助太刀兵法14〉山の辺道中
〈助太刀兵法15〉山の辺道中(2)
〈助太刀兵法16〉十五夜石舞台
〈助太刀兵法17〉五夜石舞台 (2)
〔助太刀兵法18〕大江戸人形始末)
〔助太刀兵法19〕大江戸人形始末(2)
〔助太刀兵法20〕大江戸人形始末(3)
〈助太刀兵法21〉尾道かんざし燈籠
〈助太刀兵法22〉尾道かんざし燈籠(2)
〔助太刀兵法23〕尾道かんざし燈籠 (3)
〔助太刀兵法24〕尾道かんざし燈籠 (4)  
〔助太刀兵法25〕尾道かんざし燈籠(5)

猿ごろし




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【時代小説発掘】
〔助太刀兵法26〕 尾道かんざし燈籠(6)
花本龍之介 



一 向島の太公望

 弓なりになった細い道の片側は、岩が散らばった砂浜で玉の浦の静やかな白い波が、つぶやくような音を立てて打ち寄せていた。飛十郎は立ち止まると、耳を澄ませて潮騒の音に聞き入っていた。
「うむ。これは、いい。まるで心が洗われるような音だ」
 砂に寄せる波音にまじって、海鳥の鳴く声がする。飛十郎は両手を大きく広げて伸びをすると、胸いっぱいに潮の香りを吸い込んだ。
「む……。なかなか風流な御人だ。あんなところで、のんびりと釣りをしている」
 湾曲になった細道の先に、侍らしい人影が海に突き出た岩に腰をおろして、明るい五月初め(今の六月初旬)の太陽に照らされながら釣り糸を垂らしている。
「いいなあ!」
 思わず飛十郎は、嘆声をあげた。遠くから見ても、いかにも自分は〔天下の太公望〕といった風情をただよわせている。太公望というのは、中国・春秋の時代、渭水の浜に釣りをして世を避けていた人物。文王に見い出され、その子武王を助けて殷の紂王を討った英雄である。
――おれも、あのように世俗を離れ、なにも考えずに釣りをしたいものだ……
 そう思いながら飛十郎は、ふところ手をして尾道の太公望のほうへ近寄っていった。
「ま、そうもいかぬ。いろいろと、気がかりなことがあるからな」
 自分のほうから幽霊騒ぎに頭を突っ込んだくせに、そう呟やきつつ飛十郎は無精髭をひとこすりした。
――それにしても、さっきの殺伐とした五人の無頼浪人とくらべ、この男はどうだ。周囲に春風のごとき駘蕩(たいとう)たる空気を醸し出しているではないか……
 釣り侍の足の横に置かれた網代笠に目をやって、飛十郎は思わず足を止めた。
「や、これは……」
 あくまでも温厚そうなその侍は、口元に穏やかな微笑を浮かべていたが、まさしく年の頃は四十一の前厄あたり。黒の無紋の単衣の着流し姿、腰には飛十郎よりずんと立派な梨地金高蒔絵の印籠を吊り下げている。
――まさしく天の助け。蟹陣がいっていた、尾道奉行の平山清左衛門に違いなし……
 膝を叩く思いで、ひとしきり無精髭をこすり廻したあと、なに喰わぬ顔で清左衛門の傍へ寄っていった。
「いい天気ですなあ」
 知らぬ人間に声を掛けるには、天候のことが一番である。当たりさわりの無いことを言いながら、飛十郎は背後に立った。
「釣れますかな」
 こんな具合に侍のすぐ後に突っ立てば、問答無用で抜き討ちに叩き斬られても仕方がないのだが……。
「まずまず、という所ですかな」
 そこは太公望のありがたいところで、釣果(ちょうか)を聞いたからといって怒る者はまずいない。
 ちらりと飛十郎を見ると、尾道奉行らしい中年男は笑みを浮かべたまま、足元の魚籠(びく)のほうへ顔をむけた。
「拝見しても、いいですかな」
「どうぞ」
 穏やかな相手の声に、待ってましたとばかりに飛十郎は覗き込んだ。磯の香りが、つんと高い魚籠に海草が敷かれ、その上に虹色の美しい魚が三匹ほど横たわっている。江戸では目にしたことがない魚である。
「ぎざみ、でござる。江戸前にはない魚でしょうな」
「たしかに。ですが、てまえが江戸者だということがよくわかりますな」
「さよう。なんと申すか、匂いですかな」
「え、匂い?」
 飛十郎は袖に鼻をつけて、くんくん嗅いだ。
「は、はは。といっても、べつに実際に匂うわけではない。なんとなく尾道や広島あたりの人と違い、あか抜けた、ちょいと粋な感じがしたので、そう申しただけでござる」
「ははあ、てまえが粋? いや、そうですか」
 生まれて初めてそんなことを言われた飛十郎は、すぐさま気を好くした。わざわざ芸州藩から商都・尾道の奉行職を命じられただけあって、如才のない男である。
「この、ぎざみという魚ですが、どんなふうに喰えば一番おいしいですかな」
「まず塩焼き、ですかな。荒塩をまんべんなく振りかけ、炭火でじっくりと焼けば、鯛にまさる味がすると思います。酒の肴(あて)には、これが最高ですな」
 酒の肴に最高と聞いて、飛十郎は喉をごくりと鳴らした。
「よろしければ、一匹さし上げますぞ」
 親切な釣り侍の申し出に、飛十郎はうれしげに頭を掻いた。
「いや、これは、ありがたい。さっそく宿に帰り、あなたがいわれたように塩焼きにして一杯やりましょう。ところで、ぎざみを味わいながら呑む酒は、なにがよろしいでしょうかな」
 喰い物に意地汚ない飛十郎は、図々しくも酒の銘柄までも相談したものだ。
「そうですな、白牡丹も悪くはないが、ぎざみには賀茂鶴でしょうな。ぎざみの白身は、ごく淡白なあっさりした味ですから、しいていえば賀茂鶴のほうがようござるかな」
 厚かましい飛十郎の問いにも、嫌な顔ひとつせず釣り侍は答えたものだ。ここまでくれば、初対面ながらこの二人の男は、肝胆相照らしたと言ってもよい。
「ちと、お待ちなさい」
 釣り竿を上げて岩に置くと、魚籠から一番大振りな、ぎざみを取り出すと叮嚀に懐紙に包んで飛十郎に手渡してくれた。
「ところで、おぬしの宿はどちらですかな?」
 恐縮して魚を受け取った飛十郎に、さりげなく聞いてきた。さすがは尾道奉行、不審な浪人者の居場所を探り出すつもりだ
「旅の宿は、藤半でござる」
 あっさりと飛十郎が、明かした。
「ほ。藤半といえば、この尾道でも名高い料理茶屋。もし泊まれば、たいそうな宿代をとられると聞いたが」
「いやあ、泊まる気などまるでなかったのですが。法事の酒に酔いしれ、不覚にも気がつけば朝になっておりました」
「なるほど、なるほど……。その気はないのに、思わずそうなっていた。というのは、生きておればよくあることだ。で、それからずっと藤半にご逗留かな?」
「そうです。といっても女将のお福どのの好意で、宿賃は格安にしてもらっておりますが」
 面目なさそうに、飛十郎は額(ひたい)の真ん中を指でこすった。
「ふむ。それがしも寄り合いで藤半には何度もいったが、たしかに気っぷの良さそうな女将でござった。それにしても、あそこの座敷は広い。あんなところで眠れるとは、おぬしはよほど胆っ玉が太うござるな」
 顔付きも口調も温厚そのものだが、時おり目の底が鋭く光る。釣り竿を振る身ごなしも隙がなく、剣の腕もよほどのものと飛十郎は見た。
「あは、はは。てまえの胆なぞ無いも同然。最初に通された座敷は三十畳もあり、目が廻る思いがして眠るなぞ思いもよらず。お福どののに泣きついて、江戸は深川の裏長屋と同じ四畳半の行灯部屋に変えてもらい、やっと明け方になって寝ることができました」
 飛十郎は首をすくめると、目の前を通りすぎる帆掛け船を見ながら頭を掻いた。
「うふ、ふふ。それで得心いたした。失礼ながら、どう見てもそれがしと同じ浪人者のおぬしが、あのような豪勢な料理茶屋へ居続けられるというのが、ちと腑に落ちなかったのでござるが、これで安心して眠れるというもの。いや、なっとくなっとく」


 
二 小歌島

 ふたりは顔を見合わせると、大声をあげて笑い出した。ひとしきり笑うと、釣り竿の先端を左に見える小じんまりとした島に向けた。
「おぬしは、あの島のことを……。いや、いつまでも、おぬし呼ばわりは無礼でござるな。それがしは、平田清兵衛と申すもの。よろしければ、名を教えてもらいたいが」
 尾道を支配する平山奉行としては、見知らぬ浪人者に軽々しく本名を告げぬのは当たり前だ。
「よろしいですとも。おれの名は早船飛十郎、自慢ではないが三代つづいての浪人者。住まいは、江戸の深川海辺大工町の裏長屋でござる」
 さらりと言ってのけると、飛十郎は静やかな波にゆったりと白い砂を洗われている形のよい小島に目をやった。
「や。ご丁重なる挨拶、まことに痛み入る」
 相手が身元をすべて明かしたのに、変名を告げたことに気がさしたのか、平田清兵衛こと平山清左衛門は恐縮したように会釈した。
「それがしの住まいは、あそこに見える光明寺の下……、あたりでござる」
 対岸の尾道に目をやったが、遠すぎて飛十郎にはどれが寺やら商家やら蔵やら見分けがつかなかった。それでなくても尾道は寺だらけだ。だが、嘘をついているつもりはなかろう。たしかに奉行所は光明寺の下あたりにある。
「さて、あれは小歌島(おかじま)と申す名でしてな。古(いにしえ)には、、ある分限者が島を買い取り、立派な浜御殿を建て、京の都から名高い庭師を呼び、金にあかして見事な汐入りの庭園を造ったそうな。その上で商いをすべて人にゆずり渡し、おのれは終日釣りをして暮らし、悠々自適の人生を終えたそうでご
ざる」
「ほほう。そいつは、うらやましい。おれも、そんなふうに何もかも捨てて、のんびりと生きてみたいものだ」
 うらやましげに声をあげたが、なに財産といえる物は家をはじめ何ひとつ持っていない。
「もっとも捨てる物など、ほとんど持っておらんが」
 無一物の長屋を思い浮かべたのか、苦笑いをすると飛十郎は照れたように海に目をやった。
「早船どのは、物なぞ持っていないと申されるのか」
「さよう。持ち物といえば、この腰の刀と印籠だけ。ふた品とも安物でござる。頼れるのは、この躰とこの腕だけ。考えてみれば平田どの、気楽なものですなあ。は、はは」
 人ごとのように笑い飛ばすと、飛十郎は水面の浮きをじっと見つめている清兵衛の横顔に、羨(うらや)ましさと、孤独と、諦らめが入り混じった複雑な表情が浮かんでいるのに気が付いた。
「物がないとは、うらやましゅうござる。それがしなぞ先祖伝来の物に囲まれ、長きに渡る人のしがらみと義理に、この身をがんじがらめに縛られて、今や身動きできぬありさまでござるよ」
 深い諦念を帯びた沈んだ語調に、軽々しくなぐさめなど口に出せぬ思いで、飛十郎は低い波の音につつまれて立っていた。
「ですが、おれのような境遇も淋しいですぞ。おのれ一人の天涯孤独。ひとたび病いにかかったり、斬られたりすれば野たれ死に。末は名も知れぬ寺に無縁仏として葬られる身ですからなあ」
「それもそうですな……。すべて満足できる生きざまというものは、この世にはないのかもしれぬ。人間というもの、与えられた一生を必死になって生きつづけなくてはならぬ定めなのかもしれぬ」
 呟やくように言ったとき、頭上から海面めがけて舞い降りてきた大きな鳶が、清兵衛の釣り糸のすぐ横で魚をすくい取ると、水滴を振りまきながら飛び去っていった。
「やっ。あやつめ、わしの獲物を横取りしおったわ」
「大きな魚でござったな、平田どの」
「うむ。俗に逃がした魚は大きい、と申すが。今のは大きかったなあ、ざんねん!」
 心から無念そうな声を聞いて、まず飛十郎がぷっと吹き出し、少し遅れて清兵衛もはじけるように笑い出した。
「腹が痛い……。いや、もう、このように大笑いしたのは、まことに久し振りでござるて」
 懐紙で目尻の泪をぬぐいつつ、清兵衛は悲鳴のような声を出した。
 それからしばらくの間――。ふたりは黙ったまま、尾道の町と千光寺山の上を流れる雲と、海流にのっていく帆船の群れを眺めていた。心と思いがかよい合えば、多くを語る必要はない。
「さてと。天涯孤独のおれは、ちと喉が渇いた。無縁仏になる前に、一杯やりたくなった。平田どの、このあたりで景色を眺めながら、うまい酒が呑める店をご存知ないかな」
「ありますとも。この道を少し引き返すと、上に登る道がござる。丘の中腹に、まことに見晴らしのよい茶店がある。そこで尾道の海と山と空を肴に一杯やれば、まずどんな酒であろうが極上の味がいたしましょう」
「かたじけない」
 微笑をふくんだ親切な清兵衛の言葉に、軽く頭を下げて歩み出したが、すぐに足を止めて飛十郎は手に持った懐紙の包みを差し上げて見せた。
「その茶店は、このぎざみを焼いて喰わせてくれるでしょうかな」
「親切な老夫婦がやっているだけの茶店。たのめば、きっと焼いてくれるでしょう」
「そいつは、ありがたい。では平田清兵衛どの、また何処かでお会いいたそう」
 手を上げると、眩しげに目を細めて明るい海を見ながら歩き出した。


三 ぎざみ手裏剣

 海沿いの細道を引き返した飛十郎は、教わった通り丘へむかう急な坂道を登りはじめた。坂をあがって間もなくのことである。さほど遠くないあたりで異様な殺気を感じて立ち止まった。
――む。どこかで斬り合っているな……
 ふところに入れた手を袖から抜き出すと、耳を澄ました。
「たあっ!」
 鋭い気合い声がして、海辺のほうから刀を打ち合う音がする。
「これは、いかん」
 くるりと振りむくと、飛十郎は脱兎のごとく走り出した。
 釣をしていた大岩の前で、清兵衛が五人の浪人たちに取り囲まれている。斬り込まれた一撃目はどうにか打ち払ったようだが、踏み込みざまに斬りおろしてきた二撃目を受けようとした清兵衛が、濡れた岩肌につるりと足を滑べらせた。
「えいっ」
 間に合わぬと見た飛十郎は、手にしたぎざみを顔面めがけて投げつけた。なんと、それがものの見事に刀を振り降ろした浪人の右目に命中したものだ。小魚とはいえ濡れた鱗(うろこ)にぴったり張り付いた和紙に何重もくるまれた、ぎざみはそれなりに一つの武器といえよう。
「わっ」
 思わぬ方角から片目を狙われた、浪人の手元が狂った。倒れた清兵衛の左肩のわずか横一寸(約三センチ)に、刀の切っ先が打ち込まれた。がっと音がすると、岩の欠片(かけら)と火花が飛び散った。慌てて刀を構え直した浪人は、痛そうに目をしかめると三太刀目を刃風の音を立てながら振り降ろしたが、もう遅い。素早く駆け寄って抜き放った飛十郎の刀が、目にも止まらぬ速さで斬り上げて浪人の刃を受け止めたからだ。
「またれい! それがしは平田清兵衛という者。人ちがいいたすな。そなたたちと斬り合ういわれはない」
 間一髪で死をまぬがれた清兵衛は、刃の下から身をずらして立ち上がった。
 後ろにいた首領株が、引導を渡す。
「早く、殺せ。人がくると面倒だぞ」
 受けた刀を打ち払うと、そのまま飛十郎は割って入った。
「なにがあったか知らんが、死ぬだの殺せだの、物騒なことをいうな。だいいち、たった一人に五人もかかるとは卑怯だろう」
 立ちはだかった飛十郎の顔を、取り巻いた浪人たちがまじまじと見た。
「お。こやつは舟で乗り合わした浪人者。あの時のみならず、また邪魔だていたすか」
 見廻すと、なるほど渡し舟で会った五人の無頼浪人どもだ。
「刀をひけ。なんの恨みか知らんが、白昼刀を抜いての刃傷沙汰は、この美しい尾道の風景には似合わんぞ」
 刀を抜き連れた四人の浪人に向き直った時には、飛十郎の刀は鞘におさまっている。首領株の羽織浪人は、鉄扇を手にしているだけで刀は抜いていない。軽く腰を落とすと、飛十郎はだらりと両手を脇におろした。
「こやつ、居合を使うぞ。油断するな」
「そうか。さっき大事の前の少事といっていたのは、平田どのを斬ることだったのか。理由をいえ」
 両の拳をゆるりと握ると、飛十郎は遠山の目付けをした。居合は、遠き山を見るがごとし、一点を見てはならない。
「べつに恨みも理由もない。ただ頼まれたから斬るだけだ。なにせ、その男を斬れば百両くれるというのでな。ふ、ふふ、おぬしでもやるだろう。どうだ、こっちにつかんか。邪魔だてしても一文にもならんぞ」
「だまれ。金のために人の命を奪うとは……。血に飢えた狼浪人とは、きさまたちのことだ。平田どの。この早船飛十郎、義によって助太刀いたす」
「あいや、早船どの」
 片手を上げて、清兵衛がなにか言いかけるのも待たず、飛十郎は指を鍔にかけて鯉口を切ると、身を沈めざま右手の浪人の顔めがけて刀を抜き放った。
「うっ」
 斬られたと思って、恐怖に顔をひきつらせた浪人が後ずさりした瞬間、躰のむきを変えた飛十郎は抜いた刀の切っ先で左横の浪人の右腕を、ぐさりと突き刺した。同時に後ずさりした浪人の左腰に、刀の物打ち(先端から十五センチ)を叩き込んだ。無双直伝英信流居合の奥の抜刀〔多敵刀〕である。
 瞬時に二人が倒れ込んだが、飛十郎が刃先の動きを止めたから、腕も腰も浅手だった。だが、もはや剣を使うことは出来ない。強敵と見て、ざざっと残る三人が後へ下がった時には、目にも止まらぬ早さで鞘に刀は入っていた。
「いいかげんにして、刀を引いたらどうだ。命をもらう気はないが、悪くすると手足が使えなくなるぞ」
「馬鹿をいえ。ここまで追いつめて、やめられるか。この連中に呑ませた酒代と宿賃だけでも、すでに四、五両使っているのだ。元も取らずに引きさがれるか」
 ゆっくりと鉄扇を帯に差すと、刀の鯉口を切った。首領株だけあって、腹がすわって剣も一番出来そうだ。飛十郎は、顔をしかめた。
「どうしてもやる気か。よければ、その五両はおれが出してもいいぞ」
「やる。きさま早船とかいったな。狼呼ばわりしおって、人斬りには人斬りの意地があるのだ」
「そうか。なら、仕方がないな」
 無精髭をひとこすりすると、飛十郎は眩しげに尾道の海に目をやった。傾むきかけた午後の陽光が波に反射して、きらきらと輝いている。海路の真ん中を何も知らない漁師が、のんびりと艪を動かして通り過ぎていく。
「おい。きさまら二人は、その居合浪人にむかえ。その間に、おれが獲物を片付ける」
 刀を引き抜くと、首領株は落着き払って清兵衛にむかう。
「それもいいが、その前にこの二人の血止めをしてやったほうがいい。ほっとけば命取りになるぞ」
 ひとりは右腕を抱え、もうひとりは腰を押さえている。傍へ寄っていくと、飛十郎は無雑作に片膝をついてしゃがみ込んだ。隙だらけの姿勢である。それを見て、首領株が大きく舌打ちをした。
「ちっ! なにをしている、斬れ」
 慌てた浪人にふたりが、振りかぶった刀を両側から同時に斬りおろしたが、すでに遅い。
 無双直伝英信流には、立膝の技がある。鎧武者が戦陣で座る形だが、飛十郎はこの姿勢から自在に技をくり出すことが出来る。背中に目があるごとく、さっと一回転したが、その時には早くも一人の脛(すね)を斬り裂いて刀を鞘におさめていた。悲鳴をあげて波打ち際に倒れ込んだ浪人を、もう一人が斬り込む形になる。同志討ちを避けて、よろめいた浪人の前で立つと、前方に抜いた刀の棟(みね)を腹に押し当てて、ぐさりと浪人の肩に刺し込んだ。
 廻りながら脛を斬った技が〔浪返し〕。つづいて立ちながら肩を刺した技が〔滝落とし〕で、いずれも立膝の技前であった。
「うつ」
 がちゃりと刀を落とすと、浪人はうめき声をあげて膝をついた。右肩を刺されては、落とした剣を拾い
上げることも出来ない。清兵衛に斬りかかろうとした狼浪人の首領株は、瞬時にふたりを倒した飛十郎の早技に、獲物を襲うことも忘れて見とれている。
「きさま、やるなあ」
 百両の儲け仕事を邪魔されたことも忘れたのか、羽織浪人が感嘆の声をあげた。清兵衛も飛十郎の居合のあまりの凄さに、青ざめた顔で立ちすくんでいる。
「それほどでもないさ。それより、どうする? やはり、やるか」
「やめた。どうせ、きさまには勝てん」
 ゆっくりと刀を鞘におさめた首領株は、苦笑いをすると鉄扇を抜き取って、ぱらりと開くと顔をあおぎ出した。


四 阿波浪人

「そうか。で、おぬしは、これからどうするつもりだ」
「さあて、と……。そういえば、さっき五両くれるといったな。よこせ」
 図々しく飛十郎の前に、手を突き出す。
「馬鹿をいうな。それは、おぬしたちが刀を抜かぬ前の話だ」
「ふん、抜いたから駄目か。それにしても役に立たんやつらだ」
 浜辺にうずくまって血を流している無頼浪人たちを眺めて、吐き捨てるように言った。「早く血止めをしてやれ。このままでは動けぬようになるぞ」
「まったく、世話のかかる連中だ」
 文句を言いながら、それでも懐中から出した手拭いを引き裂いて、腕を縛りはじめた。「平田どの。この浪人たちを、どうするおつもりですか」
 声を掛けられて、清兵衛の顔色がようやく元に戻った。
「うむ。兼吉の渡しを入ったところに、番屋がござる。ひとまず、そこへ引き連れようとおもっているのだが」
「それも悪くないが……」
 飛十郎は目くばせすると、倒れている浪人たちから離れるように、波打ち際を歩き出した。
「お聞きいたすが。平田どのは五人の刺客を雇った者が誰か、見当はついておられるのか」
「ついており申す」
 頷ずきながら、きっぱりと言い切る。
「誰です」
「この尾道を牛耳(ぎゅうじ)っている男。豪商でござる。名はいえぬが」
「確信がありますな」
「ござる。商いの邪魔をしたそれがしが、この世からいなくなれば一番得をする男です」 飛十郎が、にやりと笑って頭を掻いた。
「ならば、この連中を捕らえず、解き放してはどうか。と思うのだが」
「ふうむ……」
 思案するように清兵衛は首をかしげた。
「刺客を送った者がわからぬなら、また格別。判明しているならば、こんな腹を空かせた無頼浪人を五人も抱え込んでは面倒なだけですぞ」
「なるほど。そのご意見も一理ありますな。よろしい、早船どのは命の恩人。お言葉通りにいたそう」
 話はきまったとばかりに無精髭をこすると、飛十郎は砂を踏んで引き返した。
「ほう。慣れているとみえて、なかなかの手ぎわだな」
 短い間に、手拭いと刀の下げ緒で、見事に血止めがしてある。
「人斬り稼業をしていれば、こんなことはざらにあるからな」
 鉄扇で肩を叩いて、鼻に皺を寄せた。
「おれが離れている間に、どうして逃げなかった」
 にやりとすると、飛十郎は羽織浪人の顔を見た。
「ふん。逃げてもきさまが追ってくるだろう。それに、この先は行き止まり。おれは泳ぎは出来ぬし、剣はきさまにはかなわん、ときている」
 いまいましげに飛十郎をひと睨みすると、鉄扇をひと叩きした。:
「ほかはともかく、読みはたしかなようだな。ところで、おぬしの名は?」
「名無しの人斬り狼。といいたい所だが、そうもいかんようだな。阿波浪人、三島平九郎だ」
「ほう、四国の生まれか。おしいな、おぬしほど度胸があって、剣も人も使えて人斬り稼業とは。ほかに生きようはないのか」
「ない!」
 肩をそびやかせて、三島は足元の石ころを拾いあげると、海にむかって力いっぱい投げつけた。
「今のところは、八方ふさがりだ。世の中がもっと良くなれば別だがな」
 海面にむかった石は、二、三度水を切って飛んでいったが、すぐに水しぶきを散らして海に沈んだ。
「それもそうだが。ま、こんなぶっそうな商売は早くやめたほうがいいな。ところで、四国を見物するとすれば、どこがいい?」
 飛十郎の意外な問いに、三島はあきれたように鉄扇を鳴らした。
「四国見物だと。きさま四国へいくのか」
「わからん。のんびり四国を旅して廻ればいいだろうな。と思っただけだ」
 照れたように目を細めると、飛十郎は頭に手をやった。
「見かけ通り、のんきなやつだな。そうだな、まず讃岐の屋島か金毘羅宮だろうな。徳島も悪くはないが、阿波踊りの時季に行かねばつまらん。土佐の高知は遠すぎて骨がおれる。あ、ひとつ忘れていた。鳴門の渦巻きは見物しておいたほうがいいぞ」
「そうか。いや、かたじけない」
 ふところの手を袖から抜き出すと、飛十郎は三島平九郎にむかって頭を下げた。
「おかしなやつだな、きさまは。さっきまで斬り合っていた敵にむかって、なぜ頭を下げる」
 珍しい人間を見る。とでも思ったのか、三島が首をひねった。
「何がおかしい。敵だろうがなんだろうが、親切にものを教えてくれた者に頭を下げて礼をいうのは当たり前だろうが」
「ううむ……。きさま、だいぶ変わったやつだなあ」
 三島は奇妙なものでも見るような顔をして、飛十郎を眺めた。
「そういえば、江戸でも深川芸者に同じことを言われたことがある」
「だろうな。まあ、そこが、きさまのいいところかもしれんが。おれたちが襲った男は尾道奉行の平山清左衛門だぞ。どう、おさめるつもりだ」
 刺客に失敗したわりには、堂々としている。奉行所に連行されて、斬首されても仕方がないのに、あきれるほど図々しい男だ。
「あの釣り侍が、お奉行だということは、とうに知っている。おれが恩に着せて、おぬしたちを解き放すように掛けあった」
 これには、さしもの図々しい三島平九郎も驚いたようだ。
「へえ。そ、それで、どうなった?」
 せき込むと、痰がからむような声に変わって、それまでの落ち着き払った態度をなくしている。まさに生死の境目だとわかっているからだろう。
「は、はは、大丈夫だ。お奉行はおぬしたちを、逃がすことに同意したぞ。心配するな」「そうか……。いや、ありがたい」
 傲慢不遜な三島平九郎も、ひとかたならぬ飛十郎の厚意を、さすがに感じ入ったらしい。
「べつに、おれに礼をいううことはない。平山どのが、そのようにはからっただけだ」
 危うく命を落としかけた平山清左衛門が、そうはからうことなどないことは、いかな三島平九郎でもわかっている。無言のまま鉄扇を鳴らすだけで、言葉も出ないようだった。「ところで金はあるのか? 少しでよければ用だてるぞ」
「おい、早船。命を助けてもらったうえ、金の心配してもらうほど落ちぶれてはおらんぞ。ふ、ふふ、これから雇い主のところへ押しかけて百両は無理でも、ひとり三両はせしめてみせるぞ」
 不敵な笑みを片頬に浮かべると、三島は鉄扇を宙で一回転させて受け止めた。
「わかった。ならば平山奉行の気が変わらんうちに、仲間を連れて尾道を立ちのけ」
 そう言い捨てると、飛十郎は袖を風でなびかせながら、背をむけて歩き出した。
「早船どの、これからどちらへ」
 それまで黙ったまま、飛十郎と三島平九郎のやりとりを眺めていた清兵衛が、声を掛けた。
「お教えいただいた茶店ヘいって、一杯やるつもりだが。なにか」
「いや、さしつかえなければ、それがしもご一緒してもかまわぬかな」
「もちろん。かまわぬどころか、大喜びでござる。酒は一人よりは、二人のほうがうまい。もっとも気の合う相手にかぎるが。おぬしならば、こちらからお願いしたいところだ」 うれしげに無精髭をなぜると、飛十郎は清兵衛と肩を並べて歩き出した。


五 茶店政談

 茶店は、小高い丘も中腹にあった。真正面に千光寺の赤堂と玉の岩と鐘突き堂が見え、目の下には狭い海峡を行き来する無数の荷船や漁舟が手に取るように見えた。
「ふうむ……。これは、美しい。尾道の町と海がよく見える。まさに絶景ですな」
 店先の赤い毛氈を敷いた床几に腰をおろすと、飛十郎は溜め息をついて言った。
 今しも目の前を千石はありそうな巨大な菱垣廻船が、風に帆布をふくらませて瀬戸内航路を三原にむかって通り過ぎていく。浮世絵にでもありそうな風景に、飛十郎が見とれている間に清兵衛が手廻しよく注文してくれたものか、枡酒が二つ運ばれてきた。
「尾道に茶店の数は多いいが、この茶店と千光寺赤堂横の茶店で景色を見ながら呑む酒の味は、また格別でござるな」
「いや、まったく」
 枡の角からすすり込むように呑むと、生き返ったような顔で飛十郎は答えた。
「この酒は尾道の三軒屋にある、吉源という酒蔵の酒だが。それがしは、これが大好きでござってな」
 満足げに港を見廻しながら、清兵衛は呑みながら銘柄の講釈をする。
「そういえば、安芸の広島の酒はいくつか呑みましたが、ご当地・尾道の酒を呑むのは初めてでござる」
 飛十郎は、口にした酒を舌の上で転がすようにすると、芳醇(ほうじゅん)な香りをしみじみと味わうように目を閉じた。
「さあ、きましたぞ」
 清兵衛の声に、飛十郎は運ばれてきた盆の上を見て、目を見張った。
「や。これは、ぎざみではないか。しかも五匹もあるではござらんか」
 大皿には、こんがりとほど良く焼き目がついた形のいい虹色の魚が、ほっくりと湯気をあげながら若葉の上に並べてあった。
「は、はは、それがしの釣果は三匹。不審に思われたであろうが。あとの二匹はこの茶店の親爺が今朝ほど釣りあげたのを、無理じいに所望いたしたのでござる。さあ、熱いうちにお食べなされ」
 まるで広島表からやって来た、藩の賓客をもてなすような口調で清兵衛が言った。
「うむ。たしかに、淡白ながら鯛の塩焼きにまさるともおとらぬ味。この尾道の地酒によく合いますな」
 口の中の魚の身と酒の味が混ざりあい、なんともいえぬ舌味を感じて、飛十郎はうれしそうに千石船がたてた大波に、木の葉のように揺れる渡し舟や漁舟に目をやった。
「そうでござろう。それがしも退屈な日々の暮らしの合い間に、たまに向島に釣りにきてこの茶店で魚を料理してもらって、一杯やるのがなによりの楽しみ。まことに寿命がのびる思いがいたします」
「そうでしょうな。てまえもこうして潮風に吹かれながら、うまい肴と酒にありつけ、陶然とした思いがして、同様に寿命が二、三年のびましたよ」
「寿命といえば、さきほどは早船どののおかげで、九死に一生を得ました。あらためて礼を申します」
 丁重に頭を下げられ、飛十郎はとまどったように枡を持ったまま手を振った。
「いやあ。おれがよけいな手出しをしなくても平田どのは楽に連中を片ずけたはず。礼は痛み入ります」
 清兵衛の剣の腕がなみなみならぬことを見抜いている飛十郎は、申し訳なさそうにぎざみの身を箸でつまんで口に入れた。 
「おっしゃる通り、武家のたしなみとして剣は香取神道流を修行いたしたが、一度に五人に斬りかかられては、三人はしのげても残る二人に斬られていたろう」
 思い出しても身の毛がよだつ、といった顔で清兵衛は振り向いて茶店の奥に声を掛けた。
「親爺どの、熱燗を一つたのむ。早船どの、それがしは生来の小心者でござってな。斬り殺されて波打ち際に転がっていたかと思うと、なにやら背筋がぞっとしてまいった。冷たいのはやめて、熱いのにいたす」
「そういうことなら、おれも熱燗をつきあおう。親爺、盃をもう一つたのむぞ」
 ほどなく老爺がもってきた徳利を手にして、清兵衛はまず飛十郎に盃を持たせて酒をついだ。
「では最初の一杯だけ、ついでいただこう。あとは手酌にいたす」
 遠慮なく盃を受けた飛十郎は、すぐさま清兵衛の盃につぎ返す。
「まあ、おたがいに無事でなにより……」
 空にむかって盃を上げると、二人はゆっくりと呑み乾した。
「戦国の世に、命からがら戦さ場からもどった武士(もののふ)も、こんな気持ちで酒を呑んだのでござろうな。まことに、喉にしみ通るような味でござる」
 静かに述懐するように言った清兵衛は、盃を下に置くと飛十郎の顔を見つめた。
「とうてい隠しおおせることは出来ぬ。じつは早船どの、それがしは平田清兵衛にあらず、本当は尾道奉行の平山清左衛門という者でござる。変名のまま押し通し、まことに申しわけない。ゆるされい」
「なに、気になさることはない。おてまえは尾道の町政をつかさどる重職につかれている身。軽々しく本名を告げるお立場ではない。まして今は職務から離れた、大公望ではありませんか。それに平田どのが、お奉行であることは、お見かけした時からわかっておりましたぞ」
 清左衛門は、目を丸くして驚いた。
「な、なんと申される。最初から平山清左衛門と知っていたといわれるのか。では、どこかでお会いしましたかな?」
 そう言って、飛十郎をまじまじと見た。奉行職は人に会うのも仕事の一つである。忘れたとあっては、職務に自信が持てなくなる。
「いやいや、今日が初対面でござる。どうしてお奉行を見破ったというと、お忍びなされるおりには必ず着流し姿で網代笠を持たれていると、同心の蟹江陣五郎どのに聞いていたからです」
 飛十郎は、あっさり打ち明けた。
「なに、蟹江に聞かれたと。早船どのは、蟹陣をご存知なのか」
 清左衛門は、あきれた顔をして聞いた。
「さよう。深川亭へ呑みにいったおり、顔見知りになりました」
「ううむ。たしかに、新開は蟹陣の受け持ち。では早船どのは、お紺という酌女もご存知でしょうな」
「よく知っております。じつは、お奉行どの。おれとお紺は、今あることをやっております。そのことで、折りいってお願いがあるのだが――」
 それから後は、聞き耳を立てている茶店の老夫婦にも何を言っているのやら、とんとわからないひそひそ話になった。


六 浮御堂

 納屋吉兵衛と住屋誠兵衛が、尾道奉行所に差し紙をたてられて呼び出されたのは、三日後のことであった。不安な顔の商人(あきんど)ふたりが、蟹江陣五郎に案内されたのは取り調べの白洲でも吟味部屋でもなく、意外にも海に面した茶室であった。
「やあ。商いにお忙しいのに、お呼び立てして申しわけない。まずは一服お立ていたすので、おくつろぎあれ」
 尾道奉行みずからが手前をして泡立てた抹茶を、畳目に滑らせて吉兵衛の前に押して寄こした。侘びた茶碗は、宗旦極めの赤楽である。
「さて、そこに見える浮御堂でござるが。それがしが奉行になって、尾道に着任いたしてまず感服したのが、千光寺とその浮御堂でござってな」
 開け放した窓から、弓なりになった風雅な浮御堂の屋根が見える。
「お奉行さまがいわれる通りじゃのう。満潮のさいには海に浮かんどるように見えるあの御堂は、ほんまに尾道名物の一つじゃ」
 小商人らしく、住屋は調子よく清左衛門に合わす。納屋吉兵衛のほうは、楽茶碗を掌の上で廻しながら表情を変えない。茶碗に軽く辞儀をすると、おもむろに薄茶を飲みはじめる。
「それで、お奉行さま。あの浮御堂がなにか」
 住屋の問いに、清左衛門はにこりと笑った。
「あの御堂にむかう坂を、浮御堂小路と呼ぶようじゃが。このままでは、路地の名を変えねばならんな」
「と、いいますと」
 そう聞いて住屋が首をかしげた時、納屋吉兵衛が茶碗の底の抹茶を音をたててすすり込んだ。
「塩害じゃ。浮御堂へ渡る橋も、御堂の床をささえている柱も波に洗われてぼろぼろじゃ。このままでは、あと何年もせぬうちに崩れ落ちて海にしずんでしまう」
 清左衛門はそう言いながら、見事な手さばきでもう一服たてると茶筅を畳の上に置いて、住屋の膝前へ茶碗を滑らせた。
「と言うわけで、本日は尾道の有力な商人ふたりに、ご足労をお願いした」
 釜がたぎる松風の音のように、清左衛門の声はあくまでもおだやかで、もの静かだった。茶碗を持った住屋の手が、かすかに震えた。
「な、納屋さんは、たしかに尾道一の豪商。ですが、てまえは番頭、手代、小僧ふたりほど使うのみの小間物屋でございます。とうてい、この席に呼び出される身上ではありませぬが」
 薄茶の味などうわの空の住屋も、取り上げた手前しかたなく、茶を喉に流し入れた。
「け、けっこうな、お手前で」
 鶏のような声を出した住屋を、苦々しく納屋吉兵衛が睨んだ。
「は、はは、申すまでもなく納屋は荒神堂浜と薬師堂浜に荷蔵を十五軒。本通りをはじめ目抜きの大通りに商家を三十軒あまり、そのうえ新開・新地の土地はほとんど所有しているという大地主じゃ。納屋吉兵衛に太刀打ちできる商人は、この尾道のいずこを捜しても何処にもおらぬわ」
 平山清左衛門にいくら蓄財を数え立てられても、納屋は表情を動かさず相手の腹をさぐるように白っぽい蛇のような目をむけた。
「だがのう、住屋。わしが調べさせたところでは、福山、三原、尾道の三都を相手の商いに、近頃ずんと売り上げを伸ばしておるそうな」
 帯に差した白扇を抜くと、清左衛門はぱちりと鳴らした。
「それに、ほれ、海に乗り出しての商売、危険なだけあってえらく儲かるそうではないか」
 何もかもわかっているぞ、といった自信たっぷりの顔で清左衛門は言った。
「わっ。ご禁制品の抜け荷など、なにを証拠にそんなめっそうもないことを!」
 悲鳴のような声をあげると、住屋は手に持った茶碗を危うく落としそうになった。
「落ち着け、誠兵衛。平山さまはご禁制品のことなど、ひと言もいっておられぬ。それとも、やっているのか」
 からかい半分の納屋の言葉にも、青ざめた顔に油汗を浮かべて返事も出来ないらしい。「う、ふふ、納屋のいう通りじゃ。なにをうろたえているのか知らぬが、海に乗り出しての商売とは因島、瀬戸田、大三島などの島めぐりの商いのことをいったまでのこと。ほれ、島へ渡るには海に乗り出さねばならぬだろうが」
 茶席の亭主らしく、端正に正座をしていた清左衛門が、くるりと客のほうを向くと、笑いながら大あぐらをかいた。
「ゆるせ、住屋。奉行職というものは忙しい半面、えらく退屈なものでな。ちと、からかったまでじゃ」
「お奉行さまも、お人が悪い……」
 住屋は、額に浮かべた汗を手拭いでふいた。
「浮御堂の床板と橋掛り、それに堂柱の取り替えの費用は、いくらでも御用立ていたしましょう。ですが、わざわざ納屋と住屋を呼び出しての御用は、それだけではございますまい」
 腕組みをしたまま、傲然と清左衛門を見据えた納屋吉兵衛の面構えは、尾道奉行など物ともしない貫禄をみせている。なにしろ江戸、大坂、広島に出店を持ち、幕府の勘定奉行や広島藩の勘定支配頭とも深いつながりがあるという大商人である。へたに動けば、たかだか禄高三百石の御先手鉄砲組頭の平山清左衛門の首なぞ簡単に吹っ飛んでしまう。
「さすがは、尾道一の豪商といわれるだけはあるの。よう見抜いた」
 ぱらりと白扇を開くと、清左衛門は静かに煽(あお)ぎはじめた。
「じつはのう。わしが頭を痛めているのは、ほれ近頃この町で大きく取りざたされている幽霊の噂じゃよ。のう、住屋」
 尾道奉行に名指しされた住屋は、はっと顔色を変えた。
「いま汗をふいたのは、玉栄座の祝儀手拭いでないかな。たしか春先に尾道にまいった上方歌舞伎のものと見たが」
「は、はい。片岡仁左衛門や中村芝翫や坂東三津五郎の顔を見物にいったおりに配られたものでございますが。お奉行さま、それがなにか……」
「だまれっ! 住屋誠兵衛。そのほうは。あの芝居を、なんと見た!」
 白洲で怒鳴れば、盗賊や人殺しの極悪人どもが砂を掴んで震えあがるという、奉行の一喝である。誠兵衛は縮みあがって、がばと畳にひれ伏した。
「あのときの出し物は、心中天の網島に曽根崎心中に冥途の飛脚と、いずれも近松門左衛門の浄瑠璃狂言。それがしも見にまいったが、好いた同志の男と女が義理と人情のしがらみで、この世では添いとげられぬと、悲しい道行きの末に心中する。あるいは金が仇の世の中と、惚れあった仲を無残に引き裂かれる。いずれも泪なしには見れなかった芝居だぞ」
「………」
 茶室の畳に平蜘蛛のごとく這いつくばった住屋は、恐怖のあまり声も出ない。
「あれを見て泪もこぼさなかったとは、そのほうは人間ではない。どうだ!」
「い、いえ。てまえも泣きました」
「ほう、泣いたと申すか。ならば住屋、そのほうも噂とちがって人間とみえるの」
「も、もちろん、てまえは人間でございます」
 平伏したまま、住屋誠兵衛は答えた。
「ふうむ、そうか。では、どうして倅・芳太郎と玉栄座のお茶子・お春の相思相愛の仲を、かんざし一本のことで生木を裂くように別れさせた! 祇園社に出現いたす、お春の幽霊は、かんざしを持たぬのが恨めしい。と毎度うったえておるそうではないか」
「ま、ま、まことに、申し訳ございませぬ」
 身に覚えのある住屋は、おのれの不人情をこともあろうに尾道奉行に指摘されて、震えあがった。
「だいいち、そのほうは小間物屋ではないか。店には、かんざしなど何百本も転がっておろう。お春にそっと結納がわりに、翡翠か珊瑚玉のかんざしを渡し、輿入れの花嫁の高島田にそれが輝いておるのが、人の情けと申すものだろう。それとも、この尾道に住まいいたす町民の人情は、紙よりも薄いというのか」
「恐れ入りましてございます。お奉行さま」
 畳に額をこすりつけた住屋は、とうとう泣き出した。
「まあまあ、平山さま。たしかに住屋がやったことは、ほめられたことではございませぬが。それもこれも、店を守るためにしたこと。なにとぞ、お目こぼしをお願いいたします」
 無言のまま、二人の様子を眺めていた納屋が、おもむろに口を開いた。
「なに。住屋のやったことは、店を守るためにしたと申すか」
「はい。商人が店を守るのは、武士が城を守るによく似ております。身分ちがいは不縁の元といいます。武家が跡継ぎの嫡男に世継ぎを産ませるために、それ相応の家柄から輿入れを望むのも、商人が店を守るために冨裕な家から嫁を取るのもまったく同じこと。いずれも家筋を存続させるための手段でございます」
 胸を張った納屋吉兵衛の言い分に、平山奉行も感心したように首を振った。
「なるほどのう、それも道理じゃな。だがな吉兵衛。その手段のために、うら若い娘が自害に追いやられ、あまつさえ四海波静かなこの尾道の町に幽霊騒ぎが起きたならば、尾道奉行としては見逃すことは出来ぬぞ」
 音高く白扇で畳を叩くと、大声で決めつけた。
「ですが、平山さま。最初にお春の幽霊を見たという船大工は、したたかに酔ったあげくの見間違い。二度目の魚屋の弥助とかいう者が見たのも、臆病者の見間違い。どれもこれも小心者が、枯れ尾花が風にゆれ動く影を、怖さのあまり幽霊に間違えたという、もっぱらの取りざたですぞ」
「では、大銀杏の枝にかかっていたお春の帯と、木の根元にあったというお春の足袋はいかに? 探索の結果、生前お春が所持していた品に違いないと申すぞ」
「あ、ははは。これはお奉行さまのお言葉とは、とうてい思えませぬな。失礼ながら帯と足袋は井戸に身を投げたお春に同情した何者かが、住屋をおどして金をせしめようとしてお春の家から盗んだ品。あるいは、お春の親が娘を死なせた恨みから、たくらんだことかもしれませぬ」
 恰幅のいい腹をゆすって笑い声をあげた納屋は、清左衛門を小馬鹿にしたような目で見た。
「うむ。そこまで言い張るなら、そのほうには直接かかわりのなきことなれど、この席に居合わせた三人が、お春の幽霊が本物か偽者か確かめねばなるまいな。のう納屋」
「けっこうでございますとも。おもしろうなりましたな、お奉行さま」
 糸のように細い目を、ぎらりと光らせると納屋吉兵衛は、望むところだとばかりに身を乗り出した。
「ようし、いい度胸だ。気に入ったぞ納屋。ところで住屋、もちろん同行いたすであろうな」
「と、とんでもございません。てまえは、お春の幽霊なんぞには会いとうはござりません」
 蒼白になった住屋誠兵衛は、手を震わせると救いを求めるように、納屋の背後で身をすくめた。
「そうは問屋がおろさぬぞ、住屋。このたびの騒動は、もとはと言えばそのほうの心得ちがいから出たものじゃ。いくら嫌でも、逃すわけにはいかぬぞ」
 住屋のあまりの怖がりように、苦笑いを浮かべると清左衛門はちらりと納屋の顔を見た。その皮肉な視線に気付くと、納屋はがたがた震えている住屋を見返って舌打ちした。
「お奉行さまのいう通りだ。お前さんがやったことで尾道中が迷惑している。この騒ぎに一日も早く決着をつけねばなりませんぞ」
 叱るように言うと、納屋は鋭い目を清左衛門にむけた。
「いくら尻込みしようが、住屋はこの納屋吉兵衛がひきずっても連れてまいります。ただし、いつ出るかわからん幽霊を、のんべんだらりと待っているわけにはいきませぬ。何日の、何刻に、かならず出現するということがわからぬかぎり、同行いたしかねますぞ」
 さあ、どうだ。とばかりに納屋吉兵衛は、腕を組んで胸を張った。
「さて、そのことじゃ」
 白扇をたたんで膝の上に立てると、平山清左衛門は視線を窓の外へむけた。今しも荒神堂浜を離れたばかりの北前船が、巨大な二十五反帆を大きく風のふくらませて音もなく滑るように通り過ぎていく。すぐに大きな波が茶室の下の岸壁に打ち寄せてきた。


七 大越家

「修験者といいますと、山伏かなにかでございますか」
「おお、その山伏じゃ。これが、ただの山伏ではない。なんと今を去る文化元年(一八〇四)かたじけなくも醍醐三宝院のご門主・高演法親王が大峰山お駆け入りの荒修業をなさったおりに、親王さまのお錫杖を供奉(ぐぶ)したてまつり、その功によって紫衣を賜わったという高位の山伏じゃ」
 と言われても山伏のことなど、とんと知らぬ納屋と住屋は目を白黒させるだけだった。「ははあ。高位といいますからには、山伏にも官位がございますので……」
「ある。下から申すと、新客、新先達、正先達、大宿、大越家とな。いくつも位があるのじゃ」
 講釈師の張り扇よろしく膝を叩きながら、清左衛門が覚えたばかりの山伏の官位を並べたてた。
「わが屋敷に滞在いたしおる山伏の阿厳院(あごんいん)は、最高官位の大越家(だいおっか)なのじゃ。しかもこの阿厳院は、奥州のそのまた北の果ての恐山というところへ院坊を構えておるそうな。そのほうらは、恐山を知っているだろうな」
「いえ、いっこうに」
「なんじゃ、金儲けのほかは何も知らんのじゃのう。恐山はな、下北という岬の先端にある火の山じゃ。
ここはの夏盆の地獄の釜が開くときにはな、冥土から死人(しびと)の霊魂が集まるとされておるのじゃ」
「まさか、そんなことが」
 納屋と住屋が、顔を見合わせた。
「いたこ、と申す口寄せの老巫女たちが十幾人もおっての、死霊や悪霊と言葉を交わすそうじゃ。そのような霊場に住み暮らす阿厳院は、自在に幽霊と意思を通じることが出来るという。そこで、わしは昨夜この阿厳院を祇園社に差しつかわし、お春の幽霊がいるかどうか調べさせたのじゃ。その結果、」
 言葉を止めた清左衛門に、納屋と住屋はごくりと唾を呑んだ。
「おったそうじゃ。お春の幽霊はな、かんざし一本のために命を捨てたのは、いかにも口惜しい。住屋とその家族はもちろん、背後で手を貸した者たちもすべて怨い殺す。そういって血の泪を流したそうじゃ」
 そうでなくても女房が寝込み、手代や小僧がお春の影におびえて暇を取る始末の住屋は震えあがってしまった。
「霊験あらたかな山伏どのの言葉に、よもや間違いないと思いまするが。それでもこの納屋吉兵衛は、おのれがこの眼(まなこ)で見たことしか信じませんぞ」
 迷信などに惑わされてたまるか、という気概が納屋の全身に満ちあふれている。またそれだからこそ、西国一といわれる商都尾道を手中におさめられたのだろう。
「うむ。それでこそ、納屋吉兵衛じゃ。それがしも、この目で見たことしか信じぬのは同じことじゃ。よいか、両人に命じおく。明日の夜、子の刻(午前0時)ごろ、祇園社の前に必らずまいれ。与力同心を引き連れて、この奉行も幽霊が出現いたすかどうか、きっと検分いたす」
 白扇を帯に差し込みながら言い渡すと、平山清左衛門は袴をさばいて、さっと立ち上がり茶室から出ていった。


八 子の刻参り

 あくる日の夜。五つ刻(午後八時)を過ぎた頃から、祇園社のある石屋町や中久保町はもちろんのこと、本通りや中浜通りの町筋にも、ぱったりと人が途絶えてしまった。
「だ、大丈夫ですかのう、納屋さん。もしお春の幽霊が出ても、恨みごとを言われるぐりゃあならええが、即座に取り殺されたりしないじゃろうの。怪談話に幽霊にさらわれた男が、躰をばらばらにされて空の上から、手や足や頭が落ちてきたゆうんがありますけえな」
 祇園社の前の道で、真っ青な顔をした住屋が、納屋の袖にすがるようにして足を震わせている。
「心配しなさんな。ごらんの通り二十人もの船頭や人足や雇い人たちに、明りを持たせて周囲を固めさせておる。ひとり残らず化物や幽霊なんぞ、うっかり出ようもんなら取っ捕まえて見世物にしかねん乱暴者ばかりじゃ」
 納屋が言った通り手に手に提灯や六尺棒や棍棒を握った、筋骨たくましい大男たちが廻りをうろついている。
 月のない闇夜である。夜空に雲が垂れこめているのか、星の光もまったく見えない。汐の匂いをふくんだ生あたたかい風が、大銀杏の葉をざわざわと揺すっている。しんと静まり返った境内には常夜燈の油皿の明りが、ちらちらと見えるだけ……。
「そ、そろそろ、子の刻時分になりますのう」
 震え声で住屋が言った時、遠くから馬の蹄(ひずめ)の音と、いななく声がした。
「ふん。どうやら奉行めは、馬に乗ってきたようだの」
 泣く子も黙る尾道奉行を歯牙(しが)にもかけぬ口調で、納屋吉兵衛が吐き捨てるように言った。
「やあ、ちと遅れたかのう。いや、お待たせ、お待たせ」
 陽気な声で挨拶しながら、平山清左衛門がひらりと馬から降りた時、遠く近く寺々が打ち鳴らす九つの鐘の音が響き渡った。
「ちょうど間に合ったようじゃな」
 騎乗の尾道奉行の左右に付き従ってきた鮫島与力と蟹江同心が、納屋と住屋にむかって軽く会釈した。
「お春の霊魂も、それがしが着くのを待ちかねて、早々と現れ出でたということはあるまいの」
 鞭を一振りすると清左衛門は、祇園社の境内の暗がりを窺うように覗いた。
「いまだ犬猫一匹見かけませぬ。それより大越家の阿厳院さまは、いつこられるので」
「おう。身どもなら、ここにおるぞ」
 さして大きな声でもないのに不思議とあたりに響く声がすると、頭上に兜金(ときん)を頂き、水晶の大念珠を首にたらし、萌黄の鈴懸けに摺りの袴をはき、手に重そうな錫杖(しゃくじょう)を握った山伏が、
「ご安心あれ。お春の霊は、いまだ参上つかまつらぬ」
 底力のある声を出すと、阿厳院はあたりを睥睨(へいげい)するように見廻した。
――これは、まるで勧進帳か船弁慶に出てくる、武蔵坊弁慶ではないか……
 初めて目にする者は、誰でもそう思うだろう。威風堂々たる大山伏であった。
「阿厳院どの。これにおるのが納屋吉兵衛と住屋誠兵衛でござる。いずれも、この祇園社の井戸へ身を投げて死んだ、お春と深いかかわりのある者たちでござる」
 幽霊と関わりがあると言われて、納屋は軽く眉をひそめた。
「ご両人とも、ご安堵なされ。身どもの神通力にあっては、いかな悪霊、幽霊、化物どもも指一本手出しはさせぬ。よいかな、ゆめゆめ疑うことなかれ」
 じゃらん、と錫杖を地に突き立てると、、阿厳院は片手で念珠をもみながら呪文を唱え出した。
「さて。ここにおられる御人は、江戸で名高い助太刀人の、早船飛十郎どのでござる」
 清左衛門の紹介に、馬の尻のむこうから飛十郎が、のっそりと顔を出すと無精髭をひとこすりした。
「この早船どのはな、三日前の昼下がりにそれがしが向島で釣りをしているおりに、ふいに五人の無頼浪人に斬りかかられて危うく殺されかけた時、こつぜんと姿をみせて助けてくれたお方でござる。いわば命の恩人じゃ」
 慇懃な態度で飛十郎を、納屋と住屋に引き合わせた。
「ほほう。お奉行を襲う刺客が五人も出たとは、尾道も近頃はぶっそうになりましたな」 阿厳院が、そう言いながら納屋の顔をじろりと見た。
「それにしても、お奉行さまがご無事で、なによりでございましたな」
 平然とした顔で、納屋吉兵衛は清左衛門から飛十郎に目を移した。
「のう納屋、そのほうはこの一件に、まさか関わりはなかろうな」
 鋭い口調で清左衛門は言うと、手の鞭を一振りした。ぴしっと、闇を切り裂く高い音がした。
「めっそうもない。平山さまがいなくなって一番困るのは、この吉兵衛でございますぞ。手前の商いは尾道奉行所ならびに芸州藩と、密接につながっておりますからな」
 表情ひとつ変えずに言ってのけたが、清左衛門が襲われた日の夜、ひとり頭五両よこせと言う三島
平九郎を値切って、ひとり三両合計十五両もむしり取られた苦い記憶がある。
「さようか。ならば重畳(ちょうじょう)、わしも枕を高くして眠れるというものじゃ」
 にっこり笑うと、清左衛門は鞭を肩にかついで大鳥居の中の暗がりに目をすえた。
「どうじゃ阿厳院、そろそろお春の幽霊が出る頃ではないかな」
「子の刻から丑三つ刻(午前二時)ごろが、幽霊の持ち分でござる。あと少しお待ちあれ」 阿厳院は首の水晶の大念珠を手に取ると、声高らかにわけのわからぬ呪文を唱えはじめた。すぐに額の上に熱い汗の玉が浮んできた。
「あと、もう少しじゃ。ほどなく、お春の幽霊が出る!」
 祇園社の暗闇に、阿厳院の大声が響き渡った。その瞬間、大銀杏の上あたりに、ぼっと青白い火が燃えあがった。

           了〈助太刀兵法27・尾道かんざし燈籠−終章−へつづく〉






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10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
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