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〈助太刀兵法21〉 尾道かんざし燈籠 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2012年9月16日 10時57分の記事


【時代小説発掘】
〈助太刀兵法21〉 尾道かんざし燈籠
花本龍之介 



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概
 佐吉の遺骨を生まれ故郷の尾道ヘ持って帰ることになった飛十郎と弥助は、山陽街道を備後福山藩まで歩いてきて、鞆の浦から海路尾道へむかう。波おだやかな瀬戸内を船で進み、ついに山紫名水の地、尾道を初めて目にした飛十郎は、あまりの美しさに息を呑んだ。すぐ前に島があるため川のように見える細い海を前にした港は、出船入船一日に千艘といわれて、諸国から集まる海産物や名産品で盛大に賑わっていた。
 

【プロフィール】:
尾道市生まれ。第41回池内祥三文学奨励賞受賞。居合道・教士七段。
現在、熱海に居住している。


これまでの作品:
[助太刀兵法1]鎌倉しらす茶屋  
[助太刀兵法2]人助けの剣
[助太刀兵法3]白波心中
[助太刀兵法4]おとよの仇討 
[助太刀兵法5〕神隠しの湯
〔助太刀兵法6〕秘剣虎走り
〔助太刀兵法7〕象斬り正宗 
〔助太刀兵法8〕討ち入り象屋敷 
〔助太刀兵法9〕夜桜お七
〔助太刀兵法10〕夜桜お七 (2)
〔助太刀兵法11〕柳生天狗抄 (1)
〔助太刀兵法12〕柳生天狗抄 (2)
〈助太刀兵法13〉柳生天狗抄(終章)
〈助太刀兵法14〉山の辺道中
〈助太刀兵法15〉山の辺道中(2)
〈助太刀兵法16〉十五夜石舞台
〈助太刀兵法17〉五夜石舞台 (2)
〔助太刀兵法18〕大江戸人形始末)
〔助太刀兵法19〕大江戸人形始末(2)
〔助太刀兵法20〕大江戸人形始末(3)

猿ごろし



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【時代小説発掘】
〈助太刀兵法21〉 尾道かんざし燈籠
花本龍之介 





 備後の国・福山十一万石の城下町から、芦田川に添った街道を南に下っておよそ二里(約八キロ)あまり行くと、瀬戸内でも有数な古い港である鞆の浦へ着く。
「ふうむ。いい景色だな」
 川はいつの間にか海へと変わり、対岸に見えるこんもりとした緑の山の間に、ひときわ姿のいい小島が水面に浮かび上がるように見えてきた。
「あれが絶景で有名な、仙人が眺めて思わず酔ってしまったという〔仙酔島〕でございます」
 江戸から一諸に旅をしてきた弥助が、もの知り顔で説明した。
「なるほどな。だが、仙人がこの世に居るかどうかが問題だな……」
 早船飛十郎はそう呟きながら、腰から紙がすり切れて破れかかった渋扇を引き抜くと、暑そうに顔をあおぎはじめた。三月初旬に江戸をたって一か月あまり、旧暦四月の初め頃(今の五月初旬)ともなると、直射日光が差す日中はかなり暑い。
「旦那。仙人が居たというのは、遠い昔のことでございますよ。それにしても、ここ二、三日はえらく暑
うございますな」
 弥助は、大事そうに胸に抱えていた佐吉の遺骨箱を脇にずらすと、手拭いで首筋から腹にかけてぬぐった。
「仙人の神通力ではございませんが、その扇子も不思議ですな」
 使い古しの渋扇を見ながら、弥助が首をひねった。
「なんのことだ」
「江戸を立つ時には柿渋色だったその扇が、旅泊まりを重ねるうちにだんだん黒ずんできて、とうとう真っ黒になっちまったじゃありませんか」
「は、ははは、そうか。これはな、使っているうちに柿色がはげて、白い色が出てきたから旅籠の番頭に筆を借りて、墨を塗りたくっているうちに、ついに黒扇になってしまったのだ。ま、これも窮余の兵法というやつだな」
 扇を動かす手を止めると、鮮やかな緑と白砂の仙酔島へ漕ぎ寄せていく一隻の小舟に目をやった。陸地からその舟まで一筋の波がつづいている。艪がきり分ける小さな白波がすぐには消えず、長く残って見えるほど静かな海だった。
「渡し舟が、かよっているようだな。それにしても、絵のように美しい光景ではないか」 溜め息のような声をもらすと、飛十郎は渋扇を顔の上に翳(かざ)して、しみじみと見入った。
「このほかにも、鞆では〔対潮楼〕というのが有名です」
「なんだ、それは」
 渡し舟に乗り込んだ、四、五人の人影に目をやりながら聞いた。町人や漁師にまじって侍がひとり乗っている。膝の間に立てた大刀の拵え金具が、きらりと光ったことでわかった。
「将軍様お代替わりの祝賀に、はるばる海を越えてやってくる朝鮮通信使が泊まる客殿のことですよ」
「そうか。名からみると、海に面した高楼のようだな」
「へい。その座敷から見た瀬戸内の海と島々の美景に、正使や随伴の学者たちが、思わず筆を取って書いた詩や画が、ずいぶん残っているそうです」
「ふうん。たいしたものだな」
 午後の陽光が頭上から、容赦なく照らしつけてくる。飛十郎は顔をしかめると、美しい景色を見捨てるように歩き出した。
「それにしても喉が乾いた。弥助、このあたりで海を眺めながら一杯やれる茶店はないのか」
「ついさっき福山の城下で、枡酒をやったばかりじゃないですか。お城を見ながら地酒をひっかけるのは、なんともいえぬ。なんていいながら」
 弥助は、あきれたような声を上げた。
「早船の旦那が、呑んべえなのは知ってたが、あんまりだ」
「旅空だ、かんべんしろ。行く先々の見知らぬ土地で、地酒を一杯やる。これが、旅の楽しみの極まりというやつだ」
「へええ、そんなもんですかねえ」
「そんなもんだ。おまえは酒が呑めんから、わからんだろうが。おれは七合までは、まるで酔わん。一升でちょっと陽気になるくらいだ。安心しろ」
「その先は少し呑んだほうが、居合の技のきれが良くなるってんでしょう。もう耳たこだ。町並みを抜けて行った先に、海が見えるいい茶店がありますよ」
 飛十郎を押しのけるように前へ出ると、弥助は足早に鞆の町へ入っていった。
 奈良朝の頃に開かれ、平安末期には平清盛の対宗貿易によって栄えた、という鞆の港の家々はさすがに大きく古い。海の大道といわれる瀬戸内航路は、文政年間の今も松前の昆布や鮭や数の子などの海産物を積み込んだ、日本海廻りの北前船で盛んに賑わい、下関や尾道と並んで鞆の浦も重要な寄港地になっていた。
「お。なにやら、いい香りがするではないか」
 十間(十八メ−トル)はあろうかという広い間口の商家の前で足を止めると、ふところ手をしたまま鼻を動めかしながら店の中を覗き込んだ。
「保命酒か……。やはり造り酒屋だな」
 古めかしい看板に彫られた金文字を読みながら、飛十郎は無精髭をひとこすりした。
「へ、へへ、残念でした。これは早船の旦那が呑むような酒じゃあございません」
 うれしげな弥助の顔に目をやって、飛十郎は怪訝そうに首をひねる。
「おれがのむような酒でないとは、どんな酒だ」
「普通の酒より匂いが甘いでしょう。漢方薬数十種を練り込み、毎日すこしずつ飲めば万病にかからぬという、鞆の浦名産の薬用酒でございますよ」
「なんだ薬種か。弥助、海が見える茶店というのはまだか」
 たちまち店先から離れると、足早に歩きはじめる。
「旦那、そっちじゃありません。こっちですよ」
 振り向くと、弥助は細い路地へ入っていく所だった。
 沼隈半島の先端に突き出た岬の、わずかな平地に造られた鞆の町の道は、ひどく狭い。すべて路地といってもいい感じの道である。通りすごした道を慌てて引き返して、弥助が姿を消した細道へ入って行くと、そこは明るい海に面した岸壁になっていた。
 瀬戸内の海は、あくまでも波おだやかである。雁木(がんぎ)と呼ばれる海へつづく石段に、ゆったりと波が打ち寄せている。与謝蕪村ではないが、春の海ひねもすのたりのたりかな、という風情である。
 長い雁木の横に突き出た岸壁の上に、大きな石造りの常夜燈が立っていて、その横に葭簀張りの茶店があった。
「なにしろ鞆に来たのも十五年振りだ。昔のままこの茶店があったので、わしも安心したよ」
 備後特産の花茣蓙を敷いた縁台に腰をおろした弥助が、ひどく楽しげな声で言う。
「お客さん、ご注文はなんかの」
 北前船が日に何十艘も発着する港にふさわしく、備後絣に花柄の色めいた前掛けをした若い女が、愛想よく注文を聞きにきた。
「まず酒だ。それに……」
 と言って飛十郎は、茶店の壁に張った品書きに目をやって驚いた。鯛の刺身に鯛の浜焼、それに鯛の荒煮に鯛の潮汁とすべて鯛づくしである。目を丸くした飛十郎を見て、弥助がおかしそうに笑った。
「旦那、このあたりの海は鯛が名物ですよ。福山や鞆や尾道の住人は、江戸と違って鰹や鮪なんぞの赤身の魚には目もくれませんよ」
「所かわれば品かわる、というが本当だな。ようし、ならば鯛刺しに浜焼をたのむ。二人前だぞ」
「へえ。よろしゅう、おあがり」
 このあたりの方言なのか、綺麗な顔立ちと髪に差した花簪や髪飾りに似合わず、素朴な言葉使いである。
「もう少したつと、さっき見た仙酔島の沖で鯛網がはじまります。こいつは豪勢なもので、一見の価値がありますが、ちょっと季節が早すぎたのが残念です」
「ほう、鯛網がな。それは、どんなものだ」
 飛十郎、初耳である。
「わしも見たことはないんですがね。なんでも、この鞆の当納屋忠兵衛と、走り島の村上って人が工夫した縛り網漁法らしゅうございます」
「その村上というのは、戦国の頃に活躍したという水軍にかかわりのある一族のことだろうな」
「さあ、そうかも知れねえ。とにかく網の中に桜鯛の群れがひしめきあって、そりゃあなんとも華やかなものだそうですよ」
「江戸では、一匹でも縁起物として珍重される鯛だ。こんな茶店で無雑作に売られているのは、江戸者から見れば不思議な光景だな」
 そう飛十郎が言ったとき、茶汲み女が盆に乗せた枡酒と、皿に盛った鯛の刺身を運んできた。江戸では。向こうが透けて見えるほど薄い鯛身が五切れほど並んでいるだけだが、この茶店では分厚い切身が八切れものっている。すぐに手を伸ばすと、枡酒に口をつけた。
「ううむ。これはうまい。なんという酒だ」
 ぐびりと喉を鳴らして呑むと、飛十郎は思わず讃嘆の声をあげた。
「へえ、賀茂鶴という酒でございます。安芸の西条宿で造られてるそうで」
「酒は伏見か、灘だとばかり思っていたが、安芸の酒もいけるではないか。これだから旅はやめられぬ。いや、日本は広いな」
 驚いた顔の飛十郎を見て、弥助は愉快そうに笑った。
「は、はは、江戸の人は剣菱がうまいの、いや菊正宗にかぎるだと言いなさるが。備後や安芸には、この酒をはじめ、酔心や白牡丹といったおいしいお酒がいくらでもあります。なにしろ安芸の酒どころと言われる西条宿には、街道添いに四十五軒も造り酒屋が並んでいるそうですから」
「なに、四十五も違う銘柄の酒があるのか。ぜひその西条とやらへ行って、軒なみ利き酒をしたいものだ」
 酒呑みの夢を言いながら、飛十郎は箸でつまみ上げた鯛の切身を口に入れた。
「………」
「どうです早船の旦那? うますぎて声が出ないでしょう」
「うむ。頬が落ちるとは、このことだぞ弥助」
「でしょう。でもね旦那たしかに鞆の鯛もいいが、尾道の鯛はくらべものにならねえほどうまいんで。特に鯛の浜焼ときたら、思い出しただけで口の中に唾がわいてくるほどですよ」
「そんなにおいしいのか」
 そう言って枡酒を取り上げたとき、茶汲み女が盆にのせた料理を持ってきた。
「遅うなりゃんした。鯛の浜焼です」
「おう、浜焼がきたか。待ちかねたぞ」
 枡の角から一口呑んだ飛十郎が、さっそく浜焼に箸をつける。弥助がそれを見て、ふんと鼻を鳴らした。
「そんなものは、浜焼でもなんでもねえよ。本場・尾道の鯛の浜焼ってのは、一匹丸ごと荒塩の中へ埋め込んで蒸し焼きにするんですよ。こいつは切り身に塩をつけて火で焙っただけの代物(しろもの)じゃありませんか」
「しかし、なかなかいけるぞ、これも」
 こんがりと焼けた皮と一緒に、真っ白な鯛の身を味わっていた飛十郎は、満足そうに目を細めた。
「まあいいではないか、本物の鯛の浜焼は弥助のいう通りだろうが。ここは、ただの茶店だ。切り身しか出せんぞ。それに鯛を丸ごと出されても、とうてい喰えん」
 弥助をなだめながら、刺身と切身をせっせと口に運びはじめた。枡酒を三杯呑み、皿の上の鯛を綺麗にたいらげた飛十郎は、楊枝を使いながらあたりを見廻した。茶店がある岸壁は海に突き出した形になっているが、片側が雁木石段になっている。その幅広い石段に添って、幾艘もの荷船が係留されて波に揺れていた。今しも三百石ほどの船が、ゆるゆると帆を上げはじめた。
「ほほう、金毘羅丸か。名からすると四国の船だな」
 雁木の前に並ぶ廻船問屋の中から、荷物を持った商人や水手(かこ)たちが出てくると、石段から船へ渡した一尺五寸(四十五センチ)ほどの狭い渡り板をわたりはじめた。
「えっ、金毘羅丸ですって?」
 満腹したのか、眠そうに目を閉じていた弥助が、声をあげて立ち上がった。
「おおいっ。 船が出るぞう!」
 船頭が、ねじり鉢巻きをしながら、潮風できたえた胴間声を張り上げる。
「いけねえ。わしらが乗る船だ」
 慌てて佐吉の骨箱を持つと、首に結びはじめる。
「落ちつけ。すぐには出ん」
 船頭は太縄を巻きつけた棒杭の上に腰を降ろすと、のんびりと煙管をくゆらしはじめた。
「どうやら、まだ届いていない荷があるようだな」
「それなら旦那。わしは廻船問屋へ顔を出して、船頭さんへ声をかけとくよ」
「おう、ひと足先にいってくれ」
 駆け出す弥助に声を掛けると、飛十郎は立ち上がって刀を帯に差した。
「お客さんは、あの船にお乗りになりゃんすか」 
 顔を出した茶汲み女が、愛想よく聞いた。
「そうらしいな。勘定をたのむ」
「へえ、百五十文です」
「なんだと、二人分でか。そいつは安いなあ」
 驚いたように言うと、飛十郎は右手を袖に入れて袂をさぐった。心積りより、よほどに安かったらしい。
「いや、うまかった。釣りはいらんぞ」
「お侍さま。こんなに頂いて、ええんですかのう」
 手の上に置かれた一朱銀を見て、茶汲み女が目を見張る。
「いいから、遠慮なく取っておけ。あまったら簪(かんざし)でも買えばいい」
 楊枝をくわえたまま茶店を出る飛十郎にむかって、奥から出てきた老爺が渋団扇を持ったまま茶汲み女と一緒に頭を下げる。
「もっとも、そんな釣り銭では、ろくな簪は買えぬだろうがな。は、はは、ではまたな」 飛十郎は、ふところ手をして歩き出した。船へ向かう飛十郎の横を、荷車が車輪をきしませて追い抜いていく。荷台には、頑丈に梱包された木箱と麻袋が積み上げてある。
―――ははあ。船頭が待っていたのは、この積み荷だな………
 そう思いながら眺めている飛十郎の目の前で、荷揚げ人足たちが木箱をひょいと肩にかつぐと、波で上下に揺れる渡り板を、腰で拍子をとりながら器用に渡っていく。
「たいしたものだな」
 腕を組みながら、飛十郎は思わず声を上げた。長年の修練とはいえ、なかなか出来るものではない。狭い渡り板の上で闘うはめになれば、飛十郎なぞ刀をぬく間もなく、ざんぶと海に落ち込むことだろう。
「なにをしているんですよう。旦那、早く乗っちまってください」
 金毘羅丸の上から、弥助が声を呼びかける。飛十郎は手をあげると、木箱をかついだ人足の後について板の上を歩き出す。すぐ後から、麻袋を肩にのせた人足が歩いてくる。荷は重い。人足が歩くたびに、渡り板は大きく揺れる。危うく転落しそうになりながら、飛十郎はやっと舷側にたどり着いた。
「ひやひやしましたよ。旦那は早船って名のくせに、船の渡り板をわたるのは初めてですかい」
「あたりまえだ。大川を行き来する渡し舟か、猪牙舟しか乗っておらん」
 顔をしかめて飛十郎が言ったとき、渡り板がはずされて艫綱がほどかれた大船は、ゆらりとひと揺れして海へ滑り出した。


二 百島

「順風満帆だ。この調子なら、尾道にはすぐに着きますよ」
 弥助が帆柱を見上げながら言った。つられて飛十郎も目をやると、真帆いっぱいに風を受けて大きくふくらんだ帆布が、ぐんぐん三百石船を進めている。
「木箱には焼印が押してあるから保命酒だとわかるが、麻袋のほうはなんだろうな」
 積み込まれた荷を見ながら聞く。
「ああ、あれは保命酒の粕です。鞆の名産で」
「ほう、酒粕が名物とは珍しいな」
「薬用酒の粕だけあって、甘うございます。なに、女子供の食べるものですよ」
 それでは仕方がないな、という顔で船の進むほうを見た。
「あれは、なんだ弥助」
 何を見たのか、飛十郎は右を指差した。波をきって進む船の右舷の岩の上に、お堂が見える。海上に突き出した巨岩に高く石垣を積みあげ、その上にお堂が造られているのだ。「阿伏戸(あぶと)の観音堂でございます」
「ほう、観音様がまつってあるのか」
 たちまち飛十郎は観音堂にむかって一礼し、口の中でなにやら念じはじめた。宮本武蔵の独歩行の一文、われ神仏を尊んで、これを頼らず。ではないが、飛十郎も信仰心はあまりない。ただ三月十八日(いまの五月十八日)の聖観世音の日に生まれたためか、観音様にだけは弱い。一度など浅草・三社権現の祭礼に、手拭いで頬かぶりをして一之宮の御輿をかついで廻ったほどだ。
「旦那、舳先(へさき)へいってみましょうよ」
 弥助にさそわれて船首ヘ立つと、海風が顔をなぜてじつに気持ちがいい。品川や鎌倉の海岸に打ち寄せる外海の荒波と違って、四国に風をさえぎられた瀬戸内は信じられないほど波静かだ。
 潮の香りが高い。聞えるのは舳先が海面を切り裂く、ざざっという水音と、はためいている反帆(たんほ)の音と、太綱が滑車の中できしめく音だけである。
 飛十郎は刀を帯から抜き取ると、足の間に立てて柄頭の上に両手を置いた。全身に潮風を受けて目を閉じると、おのれが海の上を滑走しているような気になる。飛十郎は片手で柄を握ったまま、右手を思い切り空に突き上げて大きく伸びをした。
「いい気持ですねえ旦那。雲ひとつ見えませんや」
 佐吉の骨箱を大切そうに足元へ置くと、弥助も両手を大きく広げて潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
「流行り唄の文句じゃないが〔追手に帆かけて、しゅらしゅしゅしゅ〕てのは、このことですね旦那」
 弥助が、珍しく陽気な声を張りあげた。少年の頃に二人で尾道を飛び出し、放浪をしたあげく江戸へ流れ着くまで言葉につくせぬほど辛苦を味わった、幼な友達の佐吉を殺害された衝撃で、当初は口もきけぬほど落ち込んだ弥助も、ここへきてようやく気が晴れてきたようだ。
「あの波の上に見えているのは、なんだ弥助」
 金毘羅丸の行く手を競うかのように、黒い魚影が波の上を疾走している。
「飛び魚ですよ、旦那」
 名は耳にしたことはあるが、目にするのは初めてである。
「なるほど、空を飛んでいるな。まるで船の水先を案内しているようではないか」
「ほんとだ、按針みたいですねえ。そういえば、旦那とよく似た名じゃありませんか」
 飛び魚と似た名と言われて、飛十郎は頭をかいて苦笑いをした。
「あの魚、食べられるのか」
「鯛には及びませんが、刺身はなかなかいけますよ。伊豆七島で作る飛び魚の、くさやが絶品だそうです」
 焼く時に発する強烈な臭気を思い浮かべて、飛十郎は顔をしかめた。
「くさや、か。一度食べると、忘れられぬ味だそうだな」
「あんな干し魚は尾道にはねえから、わしもまだ食べたことはありませんよ」
 帆の白と、小島の緑と、海の青が、きらめく光の中で、まことに美しい。しばらく無言のまま、生まれて初めて目にする瀬戸内の景色に見とれていた飛十郎が、すぐ目の前に見える海辺の集落に気付いた。家の外に立っている人の顔が見分けられるほど近い。
「あれは、なんという村だ」
「常石(つねいし)でございます。鞆と尾道のあいだにある小さな漁師村で」
 陸地を指差していた弥助が、海のほうを見たかと思うと、ふいに喜びの声を上げた。
「あっ、百島(ももしま)だ! ありゃあ百島じゃねえか。なつかしいのう」
 ひときわ大きい姿のいい島を、船べりから身を乗り出すようにして弥助は指差した。
「知っているのか、あの島を」
「知ってるどころじゃ、ありゃんせんよ。佐吉の親戚が、この百島で西瓜をつくっとって、毎年夏になると佐吉と二人で西瓜畑の番小屋へ寝泊まりに行っとったんじゃけえ」
 見張りをせねば、一つ残らず西瓜盗人に持っていかれるらしい。 
「ありゃあ、ほんまに楽しかったなあ。子供が番するんじゃけえ、遊び半分じゃったけど。一晩中起きてて、盗っ人がきたら鍋や釜をぶったたいて大声をあげるんじゃ。びっくりして西瓜泥棒は、ほうほうのていで逃げていくけえのう」
「ほう。そいつは、面白かったろうな」
 いつの間にか弥助の言葉が、故郷の方言に変わっているのに気付いて、飛十郎はにやりとした。
「あれが、その西瓜畑じゃ。なあんも変わっとらん。番小屋も昔のままじゃのう」
 島の中央にそびえる小高い山の裾に、緑の葉を低く地に伸ばした西瓜畑が広がっている。
「朝めしのとき、わしがうっかり潮水で米を炊いたもんじゃけえ、塩かろうて喰えたもんじゃのうてのう。怒った佐吉が、いきなり殴ってきたけえ、わしも腹が立って、そこの砂浜で取っ組みあいじゃ」
「ふむ。おまえと佐吉が、喧嘩をな」
「勢いあまって、二人とも海へざんぶとばかり落ちたもんじゃ」
 少年の頃の、懐かしい夏の追憶にふけっている間にも、船はみるみるうちに西瓜畑と砂浜から遠去かっていく。
「ねえ旦那は、夜の海で泳いだことはあるかのう」
「いや。おれは、大川と洲崎の浜で泳いだことがあるだけだ。夜はないな」
「わしゃあ、佐吉と泳いだよ。えりゃあ暑い日で、夜中に素っ裸になってさっきの浜辺で海にもぐった。まっ暗じゃ。水の中で目を開けると、黒い幕を張ったような海の底から、なんか得体のしれん化物見たような物が、わしらに襲いかかってくるような気がして、大慌てで砂浜へ上がったもんじゃ。ありゃあ、恐ろしかったのう。佐吉と抱きおうて、ぶるぶる震えとったもんじゃ」
 小さくなっていく百島を眺めながら、弾んでいた弥助の声が弱くなったのに飛十郎は気付いた。
「けど、そりゃあ沖へ出たからじゃ。浜辺の夜の海は、夜行虫が息をのむほど綺麗じゃった。波打ち際に佐吉と寝そべって、海水をすくったり足をばたばたさせたりしたら、手の先や足の先から蛍の光のような輝く雫が無数に散って、ありゃあ何ともいえんほど美しかったのう」
 追憶にふけっている間に、佐吉がこの世にいないことを思い出したのだろう。弥助の目から溢れ出した大粒の泪が、船べりを掴んだ両手の上にぽろぽろと落ちているのを見て、飛十郎は顔をそむけるように頭上で風をはらんでふくらんでいる白い帆に目をやった。
「故郷(ふるさと)になんか、帰ってくるもんじゃないのう。つまらねえことばかり思いだすけえ」
 泪で濡れた手を藍木綿の単衣の袖で拭くと、すすり上げるように鼻をこすった。
「そんなことはあるまい。江戸で生まれたおれには、故郷というものがない。うらやましいぐらいだ」
 激しく吹きつけてくる潮風で乱れた鬢(びん)のほつれを指で押えると、飛十郎は行く手に見えてきた百石はどの帆船に目をやった。百島から小さい島から漕ぎ寄せてきた伝馬舟から、荷物を抱えた農家の女が帆船に乗り移ろうとするところだった。
「どうやら、あの小島の住人がどこかへ用足しに出かけるようだな」
「あれは、加島ですよ旦那。船が着ける岸壁がねえから、ああやって伝馬船に乗って、瀬戸内の島々を巡る通い船が通りかかるのを待ってるんでさあ。加島を過ぎりゃあ、尾道はすぐですよ」
「おお、そうか。もうすぐ尾道か」
「お客さんたちは、運がええわい」
 船首でしゃがんで、碇(いかり)と太綱を見ていた船頭が、飛十郎と弥助に声を掛けてきた。
「鞆から尾道まで、海上五里(二十キロ)ほどじゃが。これほど追い風にめぐまれるのも珍しいのう。お侍さんは、よっぽど人助けをしてきなさったんじゃろうなあ」
 ねじり鉢巻きを締め直すと、赤銅色に陽焼けした顔で笑いかけた。潮風にさらされて鍛えられた肉体が、たくましい筋肉を見せている。
「そりゃあそうじゃ。このお方は、江戸で有名な助太刀人の早船飛十郎さまじゃけえのう。これまでに、何十人も困っとる人たちを助けとるんじゃ。後生がええのは、あたりまえじゃ」
 弥助が自慢げに胸を張って言うと、閉口したように飛十郎は頭をかいた。
「助太刀人とは、このへんじゃあ聞いたことのねえ商売じゃが。何十人も人を助けたとは、たいしたもんじゃのう。どれ、見せんさい」
 傍へ寄ってくると、船頭はいきなり太い腕をのばして、飛十郎の左腕をわし掴みにした。ひとしきり腕にさわると、今度は右腕を掴んで揉むようにする。
「ほんまじゃのう。こりゃあ、たいしたもんじゃ。筋肉が、鋼鉄のようじゃ。腕ききの剣客は、右より左手のほうが堅いそうじゃが、その通りじゃ」
「よく知っているな。誰に聞いた」
 刀の柄頭に左右の手を置いたまま、相手のなすがままにしていた飛十郎は、にやにやしながら船頭の顔を見た。
「この船にゃあ、広島藩のお侍や武者修行をしている剣客も、よう乗るけえな。そういう時に聞くんじゃが、あんたほど左腕の肉が太うて鉄みたいな、お侍は初めてじゃ。よほどの剣の達人のようじゃなあ」
 素直に感心する船頭にむかって、弥助が不満そうに口をとがらせた。
「あんたじゃない、早船の旦那じゃ。船頭さん、ちゃんと覚えてくれにゃあ困るのう」
「ほうか、そりゃ悪かった。わしゃあ人の名を覚えるんが苦手でのう。早船の旦那か、は、はは、わかった。ちゃんと覚えるけえ、ゆるしんさい」
 潮風や波の音のも負けぬほどの大声で笑うと、船頭は船のむきが取り舵に変わったのを感じ取って、行く手を見た。
「ほれ、あの陸に広がっているのが高須の塩田じゃ。その先の左に見えとるんが、向島(むかいしま)の山じゃ。さあ、もうすぐ尾道の玉の浦へ着くぞ。尾崎の岬から入る尾道の町は、誰もが声を上げる絶景じゃけえの。ゆっくり眺めんさい」
 間もなく尾道の港へ入るとあって、忙しくなるのか船頭はあわてて船尾のほうへ走っていった。
「ふ、ふふ。いかつい顔に似合わず、人のいい船頭だったな。ところで、玉の浦というのは何のことだ」
「尾道の海の古名(こめい)じゃ、いうことじゃが。平の清盛が連れてきたゆう宋の学者や、室町のころ朝鮮からやってきた学僧が、あまりの綺麗さに宝玉という意味で、そう呼んだらしいのう」
「つまり、玉のように美しい海、ということか。そいつは楽しみだな」
 飛十郎は興奮したように、ごしごし無精髭をこすった。
「へい。よう見ておいてつかあさい。船が山波(さんば)と向島のあいだを港へ入っていくときが、いちばん美しい眺めじゃからのう。見逃さんようにしてください。わしゃあ、佐吉にも見せたいけえ」
 帆柱の根元に置いた佐吉の遺骨箱を持ち上げると、首に結んで右舷の船縁に乗せた。そこから佐吉に、なつかしい故郷の風景を見せるつもりらしい。
「さあ、もうすぐじゃ。佐吉、ひさしぶりの尾道じゃろう。よう見とかにゃあいけんぞ」 泪声で骨箱に話しかけると、弥助は鼻と口を拳で一度に拭った。

 

三 かき船

 いよいよ船が尾崎の曲がり角を大きく迂回すると、波ひとつ見えない尾道の狭い水路へゆっくりと入って行った。飛十郎の目の前を、まるで巨大な扇絵を広げるように、初めてみる港町の家並みが流れ過ぎていく。
「----------」
 言葉も無く、飛十郎はただ立ちすくむだけである。海峡は、まるで川のように狭い。江戸の大川より、ほんの少しだけ広かった。
「ほら旦那、あれが浄土寺の多宝塔じゃ。なつかしいのう」
 弥助の声に右手を眺めると、海辺から石畳の参道と長い石段がつづく山の中腹に、古びた山門と塔が見える。 
「あそこの境内を走り廻って、佐吉とよう悪さをして、お坊さんに怒られたもんじゃ」
 身を乗り出すと、佐吉に見せるかのように骨箱を浄土寺にむかって、ぐいと突き出す
「寺の下の岸壁に、へばりつくように建ち並んでいる板屋根の小屋が見えるじゃろう。山波の漁師町じゃ。
ここからは見えんけど、あの家並みのむこうの黒門横丁で、わしゃあ生まれたんじゃ」
 粗末な家々の前の杭に、何十隻もの小さな漁舟が繋がれて上下に揺れている。漁師小屋のまえでは魚網を繕っている老人や、舟から揚げられたばかりの新鮮な魚を、木桶や俎板の上で捌(さば)いている女たちの姿が見えた。
「そうか。ならば、弥助の母親や妹はその黒門横丁とやらに住んでいるのだな」
「へい、そのはずでさあ。わしら貧乏人にゃあ、引っ越しなんて贅沢なもんは出来んけえのう。六軒長屋が向かい合って十二軒。狭うて汚い長屋じゃが、それでもわしら家族が肩を寄せおうて暮らしゃあ、極楽みてえに楽しい横丁じゃった」
「ふむ、そうだろうな--------」
 幼い頃、祖父母や両親と大川端の狭い長屋で暮らしたことがある飛十郎は、頷ずきながらしみじみとした声を出した。
「ほじゃが。どうして、こぎゃあな楽しい港町から、佐吉と一緒に飛び出したんかのう?」
 骨箱に両手を添えたまま、自分でもどう考えてもわからん、という顔をして弥助は首をかしげた。
「さあ、それは江戸で生まれて江戸で育ったおれにはわからん。しかし、そんなおれも時折むしょうに
何処かへ行きたくなることがあった。若い頃は特にそうだった。それと同じことだろうな」
「やっぱり、大坂や江戸にあこがれたんかのう。ここは港町じゃけえ、若い者には毒になる派手な噂が、ぎょうさん流れてくるけえなあ」
 飛十郎の目の前に、川が見えてきた。細い川は浄土寺がある高い山と、低い丘のような山のあいだを流れている。
「あ、防地川じゃ。旦那、この川をずっと登りゃあのう。福山藩と芸州藩の国境になる防地の番所があるんじゃ」
「おれたちが、もしこの船に乗らず山陽街道を歩いていれば、その防地の関所で道中切手を調べられたわけだな」
 川は河口で広くなって水は海へそそいでいたが、その落ち口に一隻の船が舫ってあるのが見えた。船尾に大きく文字が書いてある。
「弥助、あの〔かき船〕というのは、なんだ」
「牡蠣は安芸の名物じゃ。広島のご城下へいきゃあ、焼いた牡蠣や、牡蠣酢や、牡蠣の土手鍋を食べさせる、かき船が太田川の河口や堀川に七、八隻も並んどるいうけえのう。そういやあ、大坂の道頓掘でも一隻見たことがあるのう」
「牡蠣の土手鍋か……。まだ口にしたことがないが、えらく酒に合うそうだな」
 話を聞いているうちに唾でもたまったか、飛十郎はごくりと喉を鳴らした。
「わしらは貧乏じゃったけえ、かき船なんぞ傍へも寄ったこたあないが、子供の頃おふくろが牡蠣を買(こ)うてきて、味噌仕立てにして食べさしてくれたことがある。ありゃあ、ぼげちいうまかったのう」
「そうか。おれは、まだその味をしらぬ。江戸には、かき船なんかないからなあ」
「なあに、旦那。尾道へおりゃあ、そのうちいくらでも食べられまさあ」
 船の速度が急に遅くなった。ゆっくりと向きを変えると、海をむいて石の鳥居が立つ小さな神社の横の岸壁へ近寄っていく。
「早船の旦那、あれが千光寺山じゃ。綺麗な山じゃろう」
 正面に見える山を、弥助は指差した。尾道の港と町を背後から抱きかかえるような形の、なだらかな山だがそれほど高くはない。山頂のすぐ下に、竜宮城のような朱色の鐘つき堂と、巨大な岩が見えた。
「ということは、あれが千光寺か。それにしても横にある岩は、でかいなあ」
「玉の岩、いうんじゃ。大昔には岩のてっぺんに夜光石があって、月が出とらん夜でも提灯なしでも歩けたそうじゃ」
「ほう。そいつは便利だな。しかし、見たところ夜光るという玉は、なさそうではないか」
 ふところ手をしたまま山を見上げて、巨岩をしげしげと眺めながら飛十郎は言った。
「ああ、九州のほうからやってきた異国の大船に乗った南蛮人が売ってほしいと申し出たら、大金に目がくらんだ浜の旦那衆が、あっさり売っちまったそうじゃ。それからは尾道の人間も、月の無い晩は提灯を持たにやあ歩けんようになったゆう話じゃ」
「ふ、ふふ、どうやらこの港町の住人は、欲が深そうだな。弥助」
「金持ほど銭に汚いのは、江戸も大坂も尾道も同じゃろう。わしらは銭に綺麗じゃけえ、いつまでたっても貧乏なんじゃ。のう旦那」
 貧乏人の仲間に入れてもらって、飛十郎はうれしげに無精髭をこすった。


四 千光寺山

「この船着き場は、なんという名だ」
 ゆっくりと近ずいてくる雁木石段を見ながら、飛十郎は聞いた。
「これが荒神堂浜、そこに見える石の鳥居がある社(やしろ)が住吉大明神じゃ。その住吉さんの向こう側の長い雁木石段が、薬師堂浜じゃ。この二つの船着き場が、尾道の港で一番繁昌しとる浜じゃの」
 言われるまでもなく、それは見ただけでわかった。八百石ほどの北前船を筆頭に、五百石の四国通いの金毘羅船や、百石船、二百石船、飛十郎たちが乗り込んだ三百石ほどの瀬戸内巡航の荷船や客船が、およそ百隻あまりも帆柱を林立させて係留してある。
「たいしたものだな。江戸湾や大坂の河口の港に、ひけをとらぬ船の数だな」
「へい。尾道港は俗に入り船五百隻、出船五百隻といって昔から一日千隻もの船が、この狭い水路を行き来しとりますけえのう」
 すうっと雁木にせまった船は、たくみに船と船の間に入っていくと、波に洗われている石段に音も無く接岸した。すでに帆は降ろされ、風の余力を利用して梶かげん一つで雁木石段に着けたらしい。商売とはいえ、見事な船頭の腕である。
「予定していたより、早う尾道へ着いたのう。近ごろじゃあ、こんな追い風は珍しいぞ。これも助太刀の先生のおかげじゃ。礼をいわにゃあいけんのう」
 船尾から船頭がやってくると、笑いながら飛十郎に話しかけた。
「おい、先生はやめてくれ。背中が、むずかゆくなってかなわん」
「そうかね。ほんなら、早船の旦那よ。この港町でも困りょうる人が、ぎょうさんおるけえ。せいぜい骨おしみせず、助けてやってくださいの」
 鉢巻きを取ると、船頭は顔の汗をぬぐって千光寺を見上げた。
「おう、いつ見ても千光寺山の緑はええのう。鮮やかで、ほんまに目が洗われるようじゃ」
「おい船頭、酒手だ。これで目だけではなく喉も洗え」
 手渡された一分銀を見て、船頭は驚いて飛十郎を見た。
「こりゃあ、いけん。こぎゃあに、ぎょうさん貰うては悪いが。鞆からの船賃が二人で八百文、もう受け取っとるのに、酒手をこのうえ千五百文も貰うわけにゃあいかんわい」
 海の男らしく、口は悪いが根は正直者らしい船頭は、無骨な指で握った銀貨を返そうとした。
「まあ、取っておけ。おれは、この港町へいつこれるかわからんが、この弥助は尾道生まれだ。帰ってくることもあるだろう。困っているのを見かけたら、助けてやってくれ」
 船から雁木石段へ渡された板の上を、荷揚げ人足たちが木箱や俵をかついで次々に荒神堂浜へ降りていく。
「弥助さん、まかせてくんさい。わしゃあ、この金毘羅丸の船持ち船頭で、正吉ゆうんじゃ。瀬戸内の港で名をいやあ、知らん者はおらんゆう名物男じゃ。手を借りたい時は、いつでもきなしゃあ。わしに出来ることなら、なんでもするで」
 日焼けした逞しい胸を叩かんばかりにして、正吉は受け合った。
「どうだ弥助。これで何かあった時は、瀬戸内一番の頼りがいのある船頭に助けてもらえるわけだ」 
 にんまりと笑いながら、飛十郎は弥助を見た。
「そりゃあええが、船積みの荷はもう全部おろされて残っとるのは、わしらだけじゃ。早うおりにゃあ、船が出るで」
 弥助が飛十郎の袖を引いて、心配そうな声を出した。
「あは、はは、心配はいらん。きょうは、わしらも尾道で骨休みじゃ。荷主の浜旦那衆と次に積む荷の打ち合わせがすんだら、ひと風呂あびて新開(しんがい)で、どんちゃん騒ぎをやらかすけえ。新開の呑み屋あたりで旦那とも顔を合わすじゃろうから、そん時にゃあ一杯やりましょうや」
 正吉が、豪快に笑いながら言った。
「その新開というのは、なんだ?」
「尾道一の盛り場のことじゃ。わしらみたいな船乗り相手の女郎屋や、呑み屋がぎょうさんある町でのう。〔全国遊所番付〕にも奈良の木辻町と並んで、前頭の筆頭にあげられとる繁昌な遊び場よう」
 自慢そうに、正吉は胸を張った。
「そういえば、かき船があった海沿いに立派な瓦屋根の二階屋が建ち並んでいたが、あのあたりかな」
「かき船? 防地川にある料理屋のことかい。ありゃあ浜旦那のような金持ちが、芸者を呼んで遊ぶ新地じゃ。あぎゃあな高級なとこは、わしら船頭は年に一、二度荷主に呼ばれて行けりゃあ上等よ。ああなとこは、肩がこっていけん。だいいち酒がおいしゅうないわ」
「そうか。尾道には新開と新地という二つの遊所が、客を競っているわけだな。肩がこるというなら、新地はおれには向かんな。弥助、今夜は佐吉が生まれ故郷に戻ってきた祝いの通夜だ。新開とやらで、思うぞんぶん呑み明かすぞ」
 酒好きな飛十郎に、呑み明かすと言われて、弥助は迷惑そうに首をすくめた。
「は、はは、そう嫌な顔をするな。弥助はおれを新開へ案内して、少しばかりつき合ったら骨箱を持って、母と妹がいる山波の黒門横丁へ帰ればいい」
 しかめていた弥助の顔が、ぱっと明るくなった。
「波に揺られていたせいか、腹がへったな。うまいものを食べさせる店はないか。ただし鯛は鞆で食傷したからな、ほかの物がいい」
「ほんなら、宮徳屋の蒸籠寿司(せいろずし)がええわ。新開にあるしのう。押し寿司の一種じゃが。漆塗りの立派な器の中に、あなごや蒲鉾や椎茸を入れた寿司めしの上に錦糸卵を散らして蒸しあげる。これがまた頬っぺたが落ちるぐりゃあ、おいしいんじゃ」
「寿司を蒸すだと? 異なことを聞く。握りにしても、散らしにしても、寿司は冷たいものと決まっているではないか。熱い寿司なぞ、おれは生まれてから食べたことがないぞ」 考え込んだ飛十郎の背中を、正吉がは勢いよく平手でどやし付けた。
「お江戸じゃ、そうかもしれんが。所かわれば品かわる、ゆうじゃろうが。まあ騙された思うて喰うてみんさい。おいしゅうなかったら代金は払うてやらあ。わしゃあ行きつけの潮見楼ゆう、女郎屋にあがっとるけえのう」
「うむ、潮見楼か。よし、わかった。あとで顔を出すかもしれんぞ」
 骨箱を抱えて渡り板をわたっていく弥助の後につづいて、ふところ手をした飛十郎が一歩足を踏み出しかけて、気が変わったように振り向いた。
「ところで正吉、となりの船に積み込んでいる俵物の中身はなんだ」
「ありゃあ、炒子(いりこ)じゃ。江戸でゆう煮干しじゃのう。下関の海産物問屋が仕入れたものじゃが、蔵にしまい込んで値が上がったところで北前船に積み込む算段じゃ。いつの世も悪がしこうて、ずるい金持ちにゃあ貧乏人は、かなわんのう早船の旦那」
 いまいましそうに言うと、正吉は隣りの荷船にむかって唾を吐いた。
「おぬしの言う通りだ。金持どもは蔵に積みあげた千両箱が心配で、夜もろくろく眠れぬそうだ。おれもお前も、金が無くてよかったではないか」
 お返しのつもりか、今度は飛十郎が正吉の背中をぴしゃりと叩いた。
「では、またな。新開であおう」
 軽く手をあげると、早くもこつを掴んだのか、危なげなく渡り板を歩いていくと、飛十郎は雁木の石段に、ひよいと飛び移った。
「早船の旦那っ。尾道へ、第一歩じゃ。荒神堂浜に、ようこそおいでなさりゃんした、ゆうとこじゃのう!」
 金毘羅丸の上から、正吉が胴間声を張りあげて怒鳴った。

          了 〈助太刀兵法22・尾道かんざし燈籠−2−へつづく〉






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1. モンクレール ダウン 2012年10月14日 10時0分 [返信する]
カッコいい!興味をそそりますね(^m^)

 


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