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〈助太刀兵法17〉 十五夜石舞台 (2)(無料公開)
[【時代小説発掘】]
2012年4月22日 10時10分の記事


【時代小説発掘】
〈助太刀兵法17 十五夜石舞台 (2)
花本龍之介 



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概
 お日美に飛鳥を案内された飛十郎は、念願の酒船石を見る。奇妙な形とそれを造らせた斎明女帝の奇怪な伝説に、飛十郎は首をひねるだけであった。勘右衛門との約束通り、夕暮れ時にお日美を石舞台に連れてきた飛十郎は、豪華な儀式に目を見張る。満月が石舞台の真上に来たとき、踊るお日美めがけて矢が飛んでくる。それを合図に決戦がはじまり、土雲典膳の秘剣蜘蛛の糸と、飛十郎の居合の死闘もはじまった。果たして最後に生き残ったのは誰か? すべてが終わった後、飛十郎は飛鳥をあとにして江戸へむかう。
 

【プロフィール】:
尾道市生まれ。第41回池内祥三文学奨励賞受賞。居合道・教士七段。
現在、熱海に居住している。



これまでの作品:
[助太刀兵法1]鎌倉しらす茶屋  
[助太刀兵法2]人助けの剣
[助太刀兵法3]白波心中
[助太刀兵法4]おとよの仇討 
[助太刀兵法5〕神隠しの湯
〔助太刀兵法6〕秘剣虎走り
〔助太刀兵法7〕象斬り正宗 
〔助太刀兵法8〕討ち入り象屋敷 
〔助太刀兵法9〕夜桜お七
〔助太刀兵法10〕夜桜お七 (2)
〔助太刀兵法11〕柳生天狗抄 (1)
〔助太刀兵法12〕柳生天狗抄 (2)
〈助太刀兵法13〉柳生天狗抄(終章)
〈助太刀兵法14〉山の辺道中
〈助太刀兵法15〉山の辺道中(2)
〈助太刀兵法16〉十五夜石舞台)

猿ごろし

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【時代小説発掘】
〈助太刀兵法17 十五夜石舞台 (2)
花本龍之介 



一 王家の財宝 

「どうやら、番所のお役人も到着したようですな」
 勘右衛門の声に塀の外を見ると、御用と書いた高張提灯がいくつも動いている。
「面倒なことになる前に、盗賊は逃げ去ったといって、引きあげさせましょう」
「そんなことが出来るのか。三輪明神のほうはともかく、桜井宿から出張った役人どもは、形だけでも調べねば引き下るまい」
 飛十郎の驚いた顔を見て、勘右衛門は微笑を浮かべた。
「なに、簡単に出来まする。お役人衆には袖の下を渡し、ほかの者たちには酒を振るまえば、上機嫌でお帰りになりますよ。では、早船さまは破られた土蔵の番をしていてくだされ」
 勘右衛門がそう言って立ち去ると、飛十郎は盗賊たちが置いていった大八車の上の木箱に近寄った。蓋の間から、布でくるんだ土人形のような物が見える。星明りにすかして見たが、とうてい二十五人もの賊が押し入って持ち去るような、値打ちのある品には思えない。まるで子供が粘土をこねて作った泥人形のようだ。
「なんだ、これは……」
 箱の中には、やはり布で大切そうに包んだ丸い銅の板のような物がある。よほど古いものらしく、縁が欠けているうえに緑色の錆がこびり付いている。
「おわかりになりませぬか、早船さま」
いつ引き返してきたのか、勘右衛門が手にした提灯で箱の中を照らした。
「埴輪でございますよ。数千年ものあいだ人柱のかわりに、大王や天皇の陵墓を守ってきた古代の兵士の人形でございます。そして、これは馬、これは家、これは水鳥、どうです見事な品ではありませぬか」
 勘右衛門は、熱病におかされたような声で言った。
「う、うむ。そうだな」
「それに、これは青銅の鏡。独特な形と模様から、三角縁神獣鏡とよばれております」
 積み重ねた木箱の蓋を開く勘右衛門の手が、細かく震えているのに飛十郎は気付いた。「まだまだ、ございますぞ。この箱の品は、古代の神々の耳や首や胸を飾った宝玉。翡翠や瑪瑙(めのう)や紫水晶でつくられた勾玉(まがたま)に、琥珀や碧玉の管玉もありますぞ。それからこれは、特に貴重な品々が入った箱でございます」
 四方に鉄を打った千両箱を大きくしたような頑丈な箱を選ぶと、勘右衛門はふところから出した鍵で蓋を開けた。とたんに箱の中から、眩いばかりの輝きがあふれ出した。
「この王冠も、胸飾りも、腕飾りもすべて黄金ですぞ。特にこれは江戸の豪商や大名などの好事家たちが、よだれを流して欲しがる逸品」
 そう言って勘右衛門は、箱の中から一振りの剣を取り出した。
「黄金の太刀にございます」
「ふうむ」
 感嘆の声を上げると、飛十郎は思わず手を出した。
「いけませぬ。これは王家の剣ですぞ。さわれるのは、王家につらなる一族だけ」
「しかし勘右衛門、おぬしはさわっているではないか」
 飛十郎は、不審そうに首をかしげた。
「と、いうことは……。おぬし、まさか」
「よく気が付かれました。わが一族は、王家すなわちのちの天皇家につらなる血筋にございます」
「それが本当ならば、おれなど傍にも寄れぬ、やんごとなき身分ではないか」
 慌てて飛十郎は、ふところに入れていた手を袖から引き抜いた。
「けっして嘘ではありませぬ。だが、それも、はるか悠久の昔のこと。今では、この三輪の里・箸中のただの造り酒屋でございます」
 広大な屋敷に、寂しげな勘右衛門の声が響いた。
「では、ここにある古代の品や、この黄金の王の剣も、すべておぬしの家に伝えられた宝なのか」
 提灯の火が風に揺れるにつれ、目にもまばゆい光りを放つ黄金の太刀から、飛十郎は目が離せなかった。純金の厚板を折り曲げ、精緻な細工をほどこした柄や鍔や鞘には、数えきれぬほどの赤や青や緑の宝玉が嵌め込まれている。
「いや、それにしても見事な剣だ。手離すとすれば、値はいかほどになる」
「天下の重宝、国の宝ですぞ。値なぞ付けようがありませぬ。だが、どうしてもということならば、まず五千両はくだりますまい」
 五千両といえば、江戸の町人が何十人束になって一生働いても、とうてい稼げる金額ではない。
「それほど途方もない品なら、このまま放って置くわけにはいくまい。どうするつもりだ」
 壊された土蔵の扉の破片を、飛十郎は見廻した。
「ひとまず蔵に運び、朝まで立て籠るしかありますまい。夜が明ければ、すぐに出入りの大工と左官を呼んで、さらに頑丈な戸に造り直しましょう」
 飛十郎と勘右衛門が木箱を運び終えたとき、母屋から大勢の唄い騒ぐ声が聞えてきた。「ふん、こっちの苦労も知らず、神人や役人どもは大分ご機嫌なようではないか。ふ、ふふ、手拍子など
打って、のん気なものだ」
「それが、こちらの狙いでございます。あの大騒ぎを聞いては、盗賊たちも引き返してはきますまい」
「だが油断は禁物。蔵の中の明りは絶やさぬほうがよかろう」
「そこに、抜かりはございませぬ」
 袖の中から蝋燭を四、五本取り出すと、勘右衛門は立ち上がって壁の鉄製の掛け行灯に、提灯に火を移した。
「これは」
 飛十郎の目の前に、天井まで高く 積み上げられた、おびただしい数の木箱が浮かびあがった。 
「勘右衛門、まさかこれがすべて、先ほど見た古代の宝ではないだろうな」
「おみせした木箱の中身、早船さまはなんとお考えになりまする?」
 飛十郎の問いには答えず、勘右衛門はそう聞き返した。
「はるか悠久の彼方であろうがなかろうが、天皇家といえばこの日本で最古も家系を誇る貴種であろう。おぬしの家がその血筋にかかわりがあるとすれば、あのような重宝が祖先から伝来しても、なんの不思議もない。が、この木箱すべてがそうだとすれば、あまりにも数が多すぎるな」
「は、はは、よく見抜かれましたな。お見せした古代の宝、黄金の太刀をふくめて、すべて箸墓から掘り出したものでございます」
 三諸屋に来てから驚くことが多かった飛十郎も、これには愕然とした。
「信じられぬ。それではこの品々は、さきほど語ってくれた百襲姫の亡骸をおさめた柩(ひつぎ)の中から、おぬしが見つけたというのか」
 勘右衛門は、ゆっくりと頭を横に振った。
「いいえ、てまえではありませぬ。わが祖父、曾祖父、先祖代々にわたって掘り当てた品々でございます」
「なんと。それでは、おぬしの一族は墓荒しの家系だったのか」
「墓荒しとは、ひと聞きが悪うございますな。早船さま」
 掛け行灯の明かりに浮かぶ勘右衛門の片頬の苦い笑いの影が、土蔵の小窓から吹き込んだ風に、ゆらりと揺れた。
「どうせなら、盗掘人の家柄といってほしゅうございますな。わが祖先は大陸からの渡来人、それも百済の王族のひとりでございます」
 誇らしげな顔で、勘右衛門はうず高く積まれた木箱を見た。
「箸墓だけではございませぬぞ。この箱の中は、すべて大和、河内、摂津の国々に点在する陵墓の埋蔵品でございます」
「怖くはないのか、勘右衛門。数千年ものあいだ安らかだった死者の眠りを乱したことになるぞ」
 背筋に冷たいものを感じながら、飛十郎は蔵の中を見廻した。
「なんの、怖くはありませぬ。この品は、そのほとんどがわが一族が大陸から将来して、その時々の天皇に献上したか、召し上げられたもの。いわば、取り戻しただけでございますよ」
「…………」
 さすがの飛十郎も、絶句してまじまじと勘右衛門の顔をみているだけだった。
「あの埴輪とて、わが祖先が百済から連れて来た土師(はにし)が造ったもの。人を埋めるのをやめさせ、かわりに土人形を陵墓に並べるようにしたのも、祖先のひとりだとの伝承も家にはございます。ただし、さきほどお見せした三角縁神獣鏡だけは、魏の国の皇帝が倭国の女王におくったと、魏志倭人伝にありますので、もっと古い時代の品だと思われます」
「魏とは、どこのことだ。また倭国とは、この日本のどこにある」
 飛十郎は、とまどった声を上げた。
「魏とは、中国の古き国の名。また倭とは、この大和の国のことでございます」
 さらりと勘右衛門は言ってのけた。
「その魏国の古書に、およそ二千数百年あまり前のわが国のありさまが書いてございます。そこに魏帝が倭国の女王・卑弥呼に親魏倭王の金印と、銅鏡百枚を与えたとの記載があり、箸墓はその女王の陵墓ではないかといわれております」
「おう、日御子か。おぬしの酒蔵が造っている酒の名ではないか。その女王の名をとったのか」
「はい。ですが、字がちがっております」
 腰の矢立てから筆を取り出すと、勘右衛門は懐紙にさらさらと文字を書いた。飛十郎は覗き込んだ。
「卑弥呼と日御子か、なるほど」
「女王の本当の名は、この日御子のほうです。早船さまは、中華思想というのをご存知ですかな」
「いや、知らぬ」
「中国こそが天地の中心であり、そのほかの国はすべて野蛮国である。という考えのことでございます」
 飛十郎は顔をしかめた。
「ふざけた考えだな」
「まことに。このため女王の名を問われた使者が、正直に日の御子(みこ)と答えたのを、片腹痛いとばかりに卑弥呼に、国名の大和を邪馬台に、さらには大の字を取り去って、ただの和国と変え、ついには倭の字を当てたのでございます」
「ひどいことをするなあ。こっちが片腹痛くなるぞ」
「国力の差でしょうな。それに文字もなく、読めもしないのでは、他国の歴史書にどう書かれようが抗議のしようもありませんからな。その後わが国が国家として形をととのえ、唐の国をはじめ高句麗や百済や新羅などと交際ができるようになったのも、わが一族が大陸の先進技術を持つ集団を、どしどし飛鳥に呼び寄せたからですぞ」
「わかった。それで、その一族はなんという名なのだ」
 胸を張り、得意満面に小鼻を動めかしている勘右衛門を見ながら、飛十郎は無精髭をこすった。
「わが国に伝来した仏教を隆盛にみちびき、排仏派の物部守屋を厩戸皇子(のちの聖徳太子)とともに討滅して、日本で初めて瓦をのせた大寺院を建てた島の大臣・馬子さまの蘇我家の流れこそ、わが一族でございます」
「蘇我の馬子か。その名は奈良で聞いたぞ。あの石舞台は、その馬子とやらの墓だというではないか」
 勘右衛門は、大きく頷いた。
「さればこそ、年に一度八月十五夜の名月の下で、無念をのんで滅亡した蘇我一族の霊魂をなぐさめる祭祀が、石舞台でおこなわれるのです。てまえのほかは、あのお日美が蘇我家の最後の血筋。明後日の石舞台の儀式こそ、わが一族にとってもっとも重要な行事なのでございます」
「いや、もう明後日ではなく、明日だぞ」
 遠くで鳴く鶏の声がして、飛十郎が見上げた土蔵の小窓から青白い朝の光が差し込んだ。
「そろそろ夜明けでございますな。さぞ寝不足でしょう。きょう一日は、ゆるりと躰をお休みになられて、お日美と明日の朝お立ちになられるとよろしいでしょう」
 飛十郎は立ち上がると、手足を突き出して思い切り伸びをした。
「う、うう、むむ……。そうさせてもらうか。ところで勘右衛門、この蔵にある品だがもし値を付ければ全部でどのくらいになる?」
「さよう、まず五十万両はいたしましょう」
「なるほど。盗賊どもが金蔵に目もくれず、この土蔵を狙ったわけがそれでわかった」
「あの盗賊たちを差しむけたのは、河内の楠公の政五郎に間違いありますまい。その背後で糸を引いているのは骨董狂いで高名な江戸の豪商でしょう。さらにその糸は、京のある公卿につながっているはずでございます」
「江戸の糸のほうはわかるが、京の糸がわからん。その公卿はなんという名だ?。どうせ聞いてもわからんだろうが」
 江戸っ子ではないが、三代つづいた浪人暮らしの飛十郎だ、京の上流貴族なぞ、とんとなじみがない。
「藤原北家の流れをくむ、六条佐通(すけみち)でございます。この男の家系こそ、元をたどれば仇敵、中臣鎌足。こやつめが飛鳥の板蓋宮において、皇極女帝の前でひと言の弁明もさせず、中大兄皇子とともに蘇我家の嫡男である入鹿どのを、なぶり殺しにした陰謀の張本人にございます」
 歯ぎしりするように言った勘右衛門の目が、憎しみにぎらりと光った。
「このこと初めて耳にしたが。それにしても、皇子みずから剣をふるって、帝(みかど)の面前で人を斬るなど、よほどのことだ。理由はなんだ」
「入鹿どのに専横のことあり、ということになっておりますが。なに、次の天皇位をめぐっての権力あらそいでございます」
「なんだ。大名家によくある、お家騒動ではないか。いつ頃のことだ」
「はい。およそ、千二百年前のことでございます」
 すました顔で勘右衛門が言った。
「は、はは。またえらく昔のことではないか。気のきいた怨霊ならば、とうに生まれ変わっているぞ」
「笑いごとではありませぬ。早船さま」
 勘右衛門が、渋い顔をした。
「飛鳥京にはじまり、藤原京、平城京、そして平安京にいたるまで、わが一族は千二百年ものあいだ藤原一門と暗闘を繰り返してまいったのです」
「おぬしの一族というのは、いったい何人いるのだ」
「さよう。およそ十七人ですな。それも半数は九十九髪(つくもがみ)の老人でございます」
「相手の藤原一門は、どのくらいだ」
「まず、千人」
 飛十郎は天井を見上げると、あきれ顔で無精髭をやたらとなぜ廻した。
「ふん。十七人と千人では、まるで勝負にならんではないか。しかも半分は白髪の年寄りというのではなあ……」
「いえいえ、千人すべてが相手ではありませぬ。藤原家は、鎌足の息子・不比等の代で四家にわかれました。武智麻呂の南家、房前(ふささき)の北家、宇合(うまかい)の式家、そして麻呂の京家となりましたが、この四兄弟のなかで北家の藤原房前が朝廷でいちばんの権力者にのし上がったのでございます」
「なるほどな、ほかの三家は衰微し出頭人の北家の一門が、長きにわたって蘇我一族と争ってきたというわけか」
「さようで。北家の末裔、六条佐通とその妹・薫子(かおるこ)こそ敵の首魁。このふたりが蘇我家の財宝を執拗に狙っているのでございます」
「うむ。恐れおおいいが御所の築地塀の崩れも直せぬほど、帝のお手元は不如意だということだ。まして公卿にいたっては、江戸の旗本より少ない俸禄だそうではないか」
 そう言いながら、飛十郎は壁の掛行灯の短くなった蝋燭の火を吹き消した。夜は完全に明けて、蔵の中に朝の光が流れ込んでいる。
「生かさず殺さず、という朝廷にたいする公儀の方針も悪い。だが博打うちを手先に使い、盗賊まがいに押し込みを働くとは、六条とかいう公卿、名門貴族とは思えぬあきれかえった所業だ。ゆるせん」
「よほど、この蔵にある五十万両の財宝がほしいのでしょう」
 勘右衛門が言った時、土蔵の外の石畳の道を踏む足音が聞えた。
「旦那さま、大工の棟梁が左官を連れて、扉を直しにまいりました」
「おお、あの声は番頭の与兵衛。早船さま、さぞお疲れになられたでしょう。さっそく離れに戻り、朝餉と寝酒を召しあがって、お休みください」
「そうだな。腹がへっては戦にならぬというからな」
 飛十郎はふところ手をすると、勘右衛門のあとについて土蔵の外へ、のっそりと出ていった。


二 謎の石 

 桜井宿は旅籠のかずおよそ四、五十軒あまり、茶屋・料理屋のほかに商い店は数えきれず、というこの界隈きっての繁華な宿場町である。古くは八十衢(やそのちまた)と呼ばれ、東は霊験あらたかな長谷観音で高名な長谷寺をへて伊勢へ、西は浪速の津へ、北は山の辺の道を奈良へ、そして南は飛鳥へとつづく交通の要衝であった。
 また三輪の里と桜井宿のあいだを流れる初瀬川には古代の湊が置かれ、大陸からはるばる運ばれ浪速津でおろされた貴重な舶載品は、すべてこの湊から飛鳥へむかったという。傍には日本で最初といわれる海石榴市(つばいち)が開かれて、近郷近在の人たちが集まりさまざまな物品が交換された。
 万葉集には、この海石榴市の椿の木の下に集った貴族や庶民の若い男女が、歌垣で唄い踊った求婚の恋歌が数多く残されている。が、それも今はすべて夢のまた夢、わずかにその名残りが山の辺の道のほとりに、金屋の石仏と海石榴市観音が旧蹟としてあるのみであった。
 その桜井宿から飛鳥まで、およそ一里半(六キロ)あまり。蘇我一族ゆかりの飛鳥寺へ参拝した飛十郎は、参道とは思えぬ荒れ果てた道を通って田舎道に出ると、お日美のあとについて、のんびりとした顔で歩いていた。右側につづく雑木林のむこうに、小高い丘が見えてきた。その丘をおおうように茂った竹林の間から、一羽の鳥がふわりと飛び立った。「あ、鳶や。ええなあ。うちも、あないに気持よさそうに、空を飛んでみたいな」
 お日美の声に、飛十郎も空を見上げた。空が高い。その澄みきった高い空に、鰯雲が浮かんでいる。鳶は羽根を撓(しな)らせると、飛十郎とお日美を見おろすように悠然と旋回したかと思うと、火の見櫓の立つ集落にむかって、さっと飛び去っていった。
「空の上から見たら、うちらは豆粒みたいに見えるんやろな。飛鳥寺や、甘樫丘や、雷丘や飛鳥川は、いったいどないに見えるんやろ。ねぇ早船さんは、どない思う?」
 飛十郎は空を見あげたまま、困惑した顔で頭をかいた。
「わからんな。おれは空を飛んだことがないからなあ。聞かれても困るぞ」
「あたりまえや。空を飛べるのは、役の行者か仙人だけや。けど早船さんだって子供の頃には、空を飛ぶ夢を見たことがあるやろ」
「はて……」
 腕を組むと、飛十郎は首をひねった。
 たしかに幼い頃、空中を自在に飛び廻り、浅草寺の大屋根や五重塔のてっぺんに止まったり、江戸城を飛び越して富士山の頂上へいった夢を見たような気もするが。もはや忘れ果てて、さだかには記憶がない。
「もうええわ。聞いたうちが、あほやった」
 お日美はいきなり走り出すと、丘の麓の雑草をかき分けて脇道に入っていった。飛十郎が、ゆるやかな坂になった小道の前に立つと、お日美の姿がどこにも見えない。
「おおい、どこだ! お日美」
 呼んでも答えがない。仕方なく飛十郎も、雑草に埋もれた獣道のような小道に足を踏み込んだ。道は折れ曲がりながら、丘のほうへ伸びている。
「早くおいでよ。遅いなあ、早船さんが見たがってた 酒船石やで」
 見上げると、鬱蒼とした竹林の丘の上でお日美が手を振っている。坂道は、そこから胸をつくような急勾配な階段になっていた。
――― 酒船石というのは、こんな高い丘の上にあるのか ………
 意外に思いながら、飛十郎は土を踏み固めて丸太を並べただけの粗末な階段を見た。袴をたくし上げると、草履の爪先を滑りやすい丸太にかけて、飛十郎はゆっくりと登っていった。
「何回見ても、これは変な石やなあ」
 お日美の声のほうを見ると、古びた扁平な形の大石が、わずかに傾斜して横たわっている。
「それに石に彫ってある模様も、なんやわけがわからんなあ」
 片手を石に掛けたかと思うと、子鹿のような敏捷な動作で、石の上に飛び乗った。大きさは、男ひとりが楽に横たわれるほど大きい。元は楕円形でさらに大きかったようだが、誰かが城の石垣にでもするつもりか掻き割ったらしく、両側に鏨(たがね)の掘り跡が残っていた。
「いったいなんだ、これは?」
 見れば見るほど、奇妙な石である。江戸で安達屋藤兵衛から、酒船石の名を聞いた時には、満々たる酒をたたえた船形の巨石を思い浮かべていたが。目の前の大石は、飛十郎が生まれて初めて見るような不思議な形をしている。
「こいつが、どうして酒船石なんだ。お日美」
「なんでも大昔に、この穴で酒を造ったんやないか、ゆう話や。けど、いくらなんでも浅すぎて、とうてい酒なんかつくれへんらしいわ」
 たしかに石の上部に小判形の穴が彫ってあるが、どう見ても二寸(約六センチ)ほどの深さしかない。その穴から縦に石の下部まで長い溝が彫ってあり、枝わかれした溝の先端に円形の浅い穴が左右に二つ彫ってある。
「ふうむ……」
 飛十郎は腕組みをすると、無精髭をこすりつつ酒船石の廻りを一周した。地面が傾斜しているから、上の穴ヘ液体を落とせば、溝を通って枝わかれした穴や、中央の楕円形のくぼみへ溜まったあとで、石の下へ流れ落ちていくらしい。ということだけは、わかる。
「ほかにも、ここで薬を調合したとか、油を搾ったんやないかとか、辰砂(しんしゃ)を朱にするために水銀と硫黄をここで混ぜたんやないかとか、いろんな説をとなえる学者がおるけど、本当のことはさっぱりわからんらしいわ」
 お日美は、ほっと溜息をついた。
「つまり、謎の石ということか。まことのことは、この石しか知らぬわけだな」
 灰色の石の溝の中を、両手を振りながら登っていく緑色の蟷螂(かまきり)に目をやりながら、飛十郎はつぶやいた。
「うまいこというなあ、早船さんは。ほんまに、この石がしゃべったら、なんのためにここに置かれているのか、わかるんやけどなあ。だけど、誰がここへこの石を置いたかは、わかってるんやで」
 蟷螂は、中央の小判形のくぼみにたどりつくと、足を止めた。虫の動きを目で追っていた飛十郎が、驚いたように顔をあげた。
「こんな大きな石を、わざわざここへ運び上げた男の名がわかっているのか」
「男やない、女や。斎明さんゆう女の天皇や。飛鳥のあちこちのある石で造った物は、ぜんぶこの天皇さんが命令して造らしはったゆう話や」
「斎明天皇か。その名は勘右衛門に聞いたことがある。だが、その女帝はどうして飛鳥に、こういった石の造り物をつくったのだ」
 それまで動かなかった蟷螂が、のろのろと進みはじめた。それを見ながら飛十郎は、首の後ろに手を当てた。
「なんでも斎明さんは、ちょっと気がふれていなさったということや。七万人もの人を集めて石丘山というの築きはったけど、石垣を積むそばからぽろぽろ崩れて世の人に笑われたそうや。ほかにも三万人もの人を動員して、石上(いそのかみ)から石を運ぶ川を掘ったそうやけど、それも失敗して皆んなから狂心の渠(たぶれこころのみぞ)と呼ばれて、あざけられたそうや」
 飛十郎は、無精髭をごしごしこすりながら、酒船石の廻りを歩き出した。
「ほかにはどんな物を、造らせたのだ」
「山の上に双槻宮(ふたつきのみや)という高殿も建てなはったと、日本書紀の斎明紀に書いてあるそうや。どこの山のことか、今ではさっぱりわからんゆうことやけど、うちの一族のいい伝えでは、その場所がわかってるんやて」
「ほう、蘇我一族の伝承というわけか。いったいどこだ」
「ふん。ここや」
 酒船石の上から飛びおりると、お日美は塗下駄を履いた足で、とんと地面を叩いた。
「なんだと。この丘が、その高殿のある山だというのか」
 飛十郎は、目を丸くして周囲を見廻した。
「しかし、お日美。双槻宮というからには、女帝が住む宮殿であろう。こんな狭い場所に建てられるはずがないぞ」
「宮殿が建っていたのは、もっと奥や」
 竹藪の間につづく細い道のむこうを、お日美は指差した。
「伝承では、、ここが石垣を積み上げた石丘山で、おじいちゃんの話では石山は二段になっていて、この酒船石の奥にもっと高い山があって、双槻宮はその山の上に建ててあったということや」
 お日美の声を背中に聞きながら、飛十郎は竹藪の道を抜けて、むこう側に出た。何を作っているのか、土地の百姓が野菜を植えた畑が広がっている。一段高い石の山なぞ、何処にもない。こんもりした森や、低い山々が連なっているだけである。
「高いほうの石山は、斎明さんが死んだあと、よってたかって突き崩して土や石材は全部よそへ運んだらしいわ。残っているのはこの酒船石だけやゆうのも、なんや哀しいような気がするなあ」
 酒船石の表面に刻まれた模様を指でさわりながら、お日美はしみじみとした声で言った。
「わかった!」
 引き返してきた飛十郎が、酒船石を手で叩きながら声をあげた。
「なんや、大声だして。びっくりするやないの」
「この酒船石はだな、素麺を食べるための器(うつわ)だ。その昔、斎明女帝がここで野外の宴を催し、この溝に水と麺を流し、両側に立った王族や客人たちが、浅いくぼみにたまった素麺を箸ですくって食べたのだ。どうだ、間違いなかろう。なんといっても、三輪からこのあたりは素麺の名産地だからな」
「あ、ははは。早船さんには、ほんまにあきれるわ。酒船石で流し素麺を食べたなんて。そんなら斎明さんも、中大兄皇子さんも、大海人皇子さんも皆んなこの石を囲んで素麺を食べはったことになるやないの」
 脇腹を押さえて大笑いをしたお日美は、泪がにじんだ目尻を指で拭きながら飛十郎を睨んだ。
「やっぱり、ちがうか」
「あたりまえや。だいいち斎明さんの時代には、まだ素麺はなかったのと違うかなあ。うちには、もう酒船石がなんに使われているか、見当がついているのや」
「やはりあれか、蘇我一族のいい伝えというやつか」
「そうやない。酒船石については、なんも残されてないのや。これは全部うちが考えたことやけど、まず間違いないと思うわ」
「ほほう、いやに自信がありそうな口ぶりではないか」
 飛十郎は酒船石に寄りかかると、お日美の顔を見た。
「かんじんなのは名まえや。薬を作ったのなら薬船石、油を搾ったのなら油船石と呼ぶのがほんまや。どうして酒船石ゆうのかが問題や。早船さんは、そう思やへん? うちは、この石はやっぱり酒を造るのに使ったと思う」
「しかし、この穴は浅すぎて、酒など造れんといっていたではないか」
「そうやけど、それは日本の酒のことや。異国の酒なら、このくぼみみたいな穴でも造れんことはないそうや」
「異国? つまり南蛮酒のことか。あの葡萄からできるという赤い酒だな」
「うん。斎明さんの頃には、南蛮の波斯(ぺるしゃ)という国から珍しい品や飲み物が飛鳥へ入ってきたそうや。おじいちゃんに聞いたけど、葡萄は波斯が原産やゆうし、お酒にするには葡萄の房を足で踏んだり手で潰さなあかんらしいわ。それなら穴が浅くても作業ができるし、集めた葡萄の液も溝を使って下で受ければええわけや」
「ふうむ……」
 飛十郎の脳裏に、ゆるやかな唐風の白い衣装をまとった美しい官女たちが酒船石のまわりに立って、みやびな手つきで葡萄の粒を潰している姿や、ひときわ大きい中央の小判形の穴では色とりどりの花を髪に飾った豊麗な美女が、肌もあらわに踊りながら足で葡萄を踏む光景が浮かんできた。すぐ傍では異国の楽器を手にした宮廷の楽人たちが、天空から蓮の花弁が舞い落ちてくるような美しい音楽を奏(かな)でている。
「それだ! 間違いない。でかしたぞ、お日美。これで酒船石の謎がとけたな。さあ、行くぞ」
 拳で酒船石を一つ殴ると、飛十郎はふところ手をして、さっさと段坂を降りはじめた。「なんや。早船さん、もういくんかいな」
「あたりまえだ。謎が解けたからには、いつまでもこんなところにいる必要はない。見なくてはならん場所は、まだいくらでもあるんだからな」
 急な坂を下っていく飛十郎の背中にむかって舌を出すと、お日美は酒船石の上に飛び移って、小判形のくぼみに立つと、葡萄の房を踏む真似をした。
「まあ、こんなものやったんやろなあ」
 そう言って、ぴょんと飛び降りると、今は自然の小山にしか見えない斎明天皇の石丘山から、飛十郎を追って駆け降りはじめた。


三 島の庄 

「うむ。これが、石舞台か……」
 飛十郎は坂道の途中で立ち止まると、行く手のなだらかな岡を埋めつくした雑草の中に見える巨石に目をやった。巨石は一つではない。お日美が言うには、三十数個の大岩を組み合わせてあるらしい。
「うちのご先祖の、蘇我馬子さまのお墓や。さっき通ってきた島の庄に、壮大なご殿をつくらはったということや」
「げせんな。海もないのに、どうして島の大臣とか、島の庄とか呼ぶのだ」
「日本で初めて大きな池をつくり、その中に人工の島を築きはったからや」
 自慢げに胸を張ると、お日美は田圃の畦道に足を踏み入れた。石舞台のある平地をのぞいて、周囲はすべて田畑である。
「なるほど、これは大きい。益田の岩船も相当であったが、このほうがさらに大きいな」 雑草をかき分けて石舞台のすぐ傍へ行くと、飛十郎は思わず嘆声をあげた。
「でも、これは岩をいくつも組み上げたものやろ。一つなら益田の岩船のほうが、うちは大きいと思うわ」
 益田の岩船というのは、弘法大師空海のために益田池のほとりに建てる石碑の台石だといわれる、伝説の巨石である。〔大和名所図会〕に巨大な石に縄をたらしてよじ登ったり、頂上から見おろしたり、手をつないで石を取り囲もうとしている、幾人もの旅姿の見物客たちが描かれている。
「しかし、これが馬子どのの墓だというなら、どうしてこのような裸にむかれた無残な姿をしているのだ」
「帝位をかたむけんと謀叛をたくらんだ入鹿の祖父やゆうことで、鎌足が兵をひきいてこんなひどいことをしたそうや」
 悔しげに唇を噛みながら言ったお日美の言葉を聞き流して、飛十郎はふところ手のまま石舞台をゆっくりと半周した。
「ほう……、ここから中へ入れるのか」
 上に積まれた二個の巨岩のうち、ひときわ大きな岩の下を飛十郎は覗き込んだ。人が潜り込めるほどの穴が、ぽっかりと開いている。
「中にはなんもあらへん。からっぽや」
 飛十郎は、背中を丸めると狭い穴にもぐり込んだ。巨大な岩と岩が、巧妙な技で刃物を通せぬほど、ぴたりと組み合わせてある。
「長いあいだの風雨で、土砂が流れ込んで石室が埋もれたらしいわ。ほんとは見上げるほど天井は高いそ」うや」
 背中を伸ばすと、髷(まげ)が当たるほど天井が低い。
「底石まで掘れば、馬子さんの遺骨があるかもしれんゆうことや」
 ―――いや、まず、それはあるまい………
 これほど巨大な墳墓の盛り土を崩し棄てる。という中臣鎌足の憎悪を思えば、蘇我宗本家の出頭人・馬子の遺骸はいずれかに取り捨て、金銀財宝をはじめとする莫大な副葬品は、すべて盗み去られたと見ていい。また、それだからこそ生き残った蘇我一族の者たちは、盗掘をくり返して失われた財宝を盗み返していた、と言えなくもない。
「あ、二上山が今日も真っ赤や。このぶんなら明日も、きっといい天気や」
 がらんと何もない石室を見廻していた飛十郎の耳に、跳ね上がるようなお日美の声が聞えた。きびすを返して墓穴から出ると、飛十郎は深呼吸をした。なにやら、どんよりと霊気が立ち込めた石室から出ると、ことさらあたりの田園風景が爽やかに見える。
 西の空を赤く染めた夕陽は、はるか遠くに小さく見える二上山の彼方にゆっくりと姿を隠そうとしてる。
「おう、見事な夕焼けだ。明日も晴れそうだな」
 うれしそうに無精髭をごしごしこすると、夕暮れの空気に沈んだ飛鳥の集落から目を離して振り返った。灰色の石舞台も青々とした田圃も淡い浅黄色をした畑も背後に連なる山脈も、夕陽のために真っ赤に染まっている。
「ひとつ訊くが、この馬子どのの墓が、どうして石舞台と呼ばれているのだ」
「なんや。まだ知らんかったの、早船さんは」
「奈良の新薬師寺の坊主にたずねたのだが、行けばわかると笑って教えてくれなかった」「なんでも、えらい昔のことやそうやけど。八月十五夜の月見酒に酔って、ふらふら歩いていたら満月の大きな月の光りを浴びながら、この岩の上で美しい女が長い袖をひるがえして舞っているのが見えたそうや。その若いお百姓さんが思わず駆けよっていくと、いつの間にやらその美女は白い狐に変化(へんげ)していたゆう話や」
「ふむ。白狐がこの上で踊っていたというのか。なかなか風流な伝説ではないか」
そう言いながら飛十郎は、足元に咲き乱れている彼岸花に目をやった。夕陽に負けぬ鮮やかな赤い色をしたこの花は、飛鳥の川や野や道の際(きわ)のいたる所に群生している。
「うん、そうや。その狐がまるで舞台の上で踊ってるように見えたとゆうことで、この岩は石舞台と呼ばれるようになったんやて」

 
四 怨念の決着 

 お日美が、石舞台を見上げたちょうどその時、鐘の音があたりに響き渡った。
「あれは、どこの寺の鐘だ」
「岡寺や思うけど……、もしかしたら橘寺かもしれん。二つとも近いから、ようわからへん」
 澄んだ音色(ねいろ)をした、余韻のあるいい鐘であった。その音に耳を傾けながら、飛十郎は坂の下に目をやった。島の庄があったという集落から、その鐘の音に導びかれるように行列があらわれると、暮れ六つの時の鐘が鳴りやむと同時に、駕籠が降ろされた。
「お約束を守られましたな、早船さま」
 駕籠の中から姿を見せた勘右衛門は、金襴の布に包まれた箱を捧げ持っている。
「飛鳥は、どちらをご見物なりました」
「うむ。酒船石にはじまり、亀石、鬼の俎板、鬼の雪隠、猿石、益田の岩船、そして最後がこの石舞台というわけだ」
「おや、石ばかりでございますな」
 勘右衛門は、面白そうに笑った。
「ほかにも、伝板蓋宮跡というのを見たが。あたり一面の田圃で何がなにやら、とんとわからなかったぞ。入鹿どのが鎌足たちに殺害された宮殿の跡だというが、たしかなのか?」
「はい。伝承というものは馬鹿に出来ませぬでな、早船さま。十年ほど前になりますが、田圃の持主にことわって、あのあたりを掘ってみたことがございます」
「なにか出たのか」
「敷石らしき丸石、太い柱穴が出てまいりました。あの地が板蓋宮跡だということは間違いありませぬ」
「おぬしの言うことだ。間違いあるまい。それにしても、大変な荷物だな」
 行列には荷を満載した大八車が、三台ふくまれている。車を曳いていたのは、三諸屋の手代と丁稚たちだったが、残りの十二人あまりの老人たちも白い布でくるんだ品々を手に手に捧げて、石舞台の前に運び込んでいる。
「ごらんくだされ、早船さま。鎌足めに封土を持ち去られた馬子さまの墓が、八月十五夜の満月の下で今宵一夜だけ、いにしえの姿に戻ります。蘇我一族にとって、もっとも重要な儀式の夜。その祭祀に必要な品、これでも少なすぎるほどでございます」
 勘右衛門が話している間にも、暮れなずんだ石舞台の廻りに、八基の篝火が置かれて火がつけられた。
「月の出とともに、儀式は開始されます」
 あらかじめ薪に油が浸み込ませてあったのか、勢いよく燃えあがった篝火の焔に、あたりは真昼のごとく明るくなった。
「早船さま、これを」
 勘右衛門は金襴の布を、はらりと取った。
「おお、これは昨夜見せてくれた黄金の宝物ではないか」
 蒔絵の広蓋の上に置かれていたのは黄金の太刀、黄金の鏡、黄金の王冠の目もまばゆいばかりな財宝であった。
「鎌足をはじめとする藤原一族の謀略によって無念の死をとげた、入鹿どのと父の蝦夷どの、従兄の蘇我倉山田の石川麻呂どの。さらには安息の場である奥つ城をこのように荒され、千二百年の長きにわたって無残な姿をさらす馬子さまの怨念を晴らすための品々でございます」
 初秋の風に吹かれて篝火の焔が揺れるたびに、勘右衛門の顔に黄金の照り返しが、不気味にゆらりと動めいた。
「ふうむ。それでは、これらの黄金の品は、毎年の蘇我の鎮魂の儀式に飾られるのか」
「いいえ、こたびだけでございます。お聞きくだされ。長きに渡るわが一族と藤原一族の確執も、これが最後でございます」
「どういうことだ、勘右衛門」
「今宵、藤原鎌足の末裔・六条佐通と、一挙に決着をつけるつもりです。これは、敵を誘いだす囮(おとり)の品でございますよ」
 飛十郎は、はっとしてあたりを見た。
「では今夜、この石舞台へ、敵をおびき寄せるというのか」
「はい。手の者を京へ行かせ、昨夜のうちに六条屋敷へ矢文を射ち込ませておりまする。河内の楠公政にも同様にいたしておりますれば、おそらく……」
 と言って勘右衛門は、顔を上げて山のほうを眺めた。
「あのあたりの山裾の木立の中に、ひそんでいることと思います」
「さすがは蘇我の血をひく男。なかなか思い切ったことをするではないか。で、誘いの矢文には、なんと書いたのだ」
「石室の祭壇に、黄金の祭器が飾ってあること。てまえを殺せば、蔵の中の品々とともに自由に持ち去ってよいこと。これにて一族のあいだの暗闘を中止すること。などを書きましてございます」
「のってくるかな?」
「かならず出てまいります。これから祭壇に飾らせる黄金の品々だけで、安くみつもって三万両。借金で首がまわらぬ貧乏公卿が、この餌に喰いつかぬわけがございません」
「なるほど。大和の国で、その人ありと聞えた三諸屋勘右衛門、さすがに打つ手に抜かりはない」
 感心したように首を振った飛十郎が、石舞台に目をやって驚きの声をあげた。
「おお……。石舞台が、布でおおわれている。馬子どのの墓が千二百年前の姿に戻るといったのは、このことだったのか」
 五色の絹布によって、石舞台は完全に覆われていた。
「上に積まれた二つの大岩には、厚い毛氈(もうせん)を敷きつめております。妙なる楽の音にあわせ、お日美が〔魂しずめ〕の踊りを舞い、ほろび去った蘇我一族の霊魂をおなぐさめいたします」
「しかし、舞台とは名のみ、岩の表面は平らではなかろう。足を踏み外して落ちでもしたら、命にかかわるぞ」
「なんの。お日美には六歳の頃より、わが屋敷の奥庭にあります石舞台そっくりの庭石の上で、みっちりと十五夜の舞いを仕込んでおります」
 微笑を浮かべて、勘右衛門は山を見上げた。
「ごらんなされ。山の端が明るんでまいりました。すぐに月が姿をあらわしますぞ」
「いよいよ満月が出るか。ということは、儀式がはじまるわけだ。………なあ勘右衛門、ちと無心をしたいのだがな」
 無精髭をこすりながら、飛十郎は月を見た。
「なんでございます、早船さま」
「ふむ。飛鳥を歩き廻ってな、どうにも喉が乾いてたまらぬ。その、水や茶ではないものを、呑みたいのだがな」
「ふ、ふふ、酒でございますな。てまえは蔵元ですぞ。四斗入りを二樽持参いたしております。腰が抜けるまで存分にお呑みくだされ」
「ありがたいが、そうもいくまい。これから、ひと仕事ありそうだからな」
 山から三分の一ほど顔を出した、満月を眺めながら飛十郎は残念そうな声を出した。
「祭祀をいたしながら饗宴をすすめる、というのが家祖・蘇我稲目さまからの一族のしきたり。祖霊にそなえる神酒とともに、山海の珍味をそろえております。さ、早船さまも石舞台の中へ、急ぎまいりましょう」
「まってくれ。このおれも祭祀にくわわるのか?」
「もちろんです」
「かんべんしてくれ。おれはかた苦しい席が嫌いでな。だが、そうでなくては酒が呑めないというなら、仕方がない」
 勘右衛門の後について飛十郎が歩き出すと、何処からともなく楽の音が聞えた。初めて耳にする異国の音楽である。
「山を離れたあの十五夜の月が、中天に差しかかり石舞台の真上にきた時に、お日美が舞いはじめます」
 石舞台の入口へ来ると、勘右衛門は五色の絹布を、さっと引き開けた。
「や。これは……」
 とたんに眩しいばかりの明りが、飛十郎の目を皓々と射た。朱色の緞通を敷きつめた床の上には、燭台が立ち並び、一族の末裔十二人が、巨大な石に背をもたせるように座っていた。
 豪華な食膳を前に置いた男たちは、頭に唐風の冠(かんむり)をのせ、ゆったりとした紫衣(しえ)を身にまとっている。飛十郎は茫然として、正面の祭壇に目を奪われた。白木の祭壇には神酒、神饌(稲、米、鳥獣、魚介、蔬菜、塩、水などの供物)とともに、黄金の太刀をはじめとする埋蔵の金製品が飾られている。
「早船さまは、このお席に」
 声に振り返ると、いつ着替えたのか勘右衛門が、紫の衣服と冠姿で立っている。
「いや。それは困る。これに連らなうのは、蘇我家の血筋を伝える者のみではないか。おれのような余所者には、資格がないぞ」
「あなたさまは、お日美の命の恩人でございます。早船さまが儀式にくわわることは、皆が承知しております」
 勘右衛門の言葉に、全員が笑いながら頷く。
「おい、ゆるしてくれ」
 目のやり場に困ったように、飛十郎は頭をかいた。
「おれは、こういった窮屈な席は、苦手なんだ。外で月見酒をやっているほうが性にあっている。悪いが逃げるぞ」
 飛十郎は身をひる返すと、表へ走った。
「は、ははは。天下の早船飛十郎さまが逃げ出す姿も、また一興でございますな。では、ご随意に。酒と料理はすぐに運ばせましょう」
 高笑いをした勘右衛門は、悠然とした足取りで祭壇にむかって歩き出した。


五 月下の舞い 

「やはり、なんだな。酒は月を見ながら呑むにかぎるな」
 酒と料理を運んできた若い女に無精髭をこすって見せると、飛十郎は白磁の盃を差し出した。ととのった顔立ちの女は、五合は入りそうな瓶子(へいし)を傾けて、盃になみなみと酒をそそぎ入れた。
「すまんな。あとは手酌でやる。どうも、あれだ……。おぬしのような綺麗な女に傍に居られると、落ち着いて呑めんでなあ。引きとってくれ」
 口に手を当てて笑うと、若い女は立ち上がった。
「では、そのように……。お酒がなくなったら手をお鳴らし下さい。すぐに、お持ちいたしますゆえ」
「おう、たのむ。その時は遠慮なく手を叩くからな」
 優雅にお辞儀をすると、若い女はしなやかな身のこなしで、月の光を踏むように立ち去っていった。虹色の裳裾(もすそ)を長く引き、紗のような薄物を肩にはおったその姿が、古代の宮居に見られる官女の風俗だということを、飛十郎は知らない。
「さすがは、まほろばの里の飛鳥だ。あのような、みやびやかで美しい女がいるとは……」
 名残り惜しげに見送ると、飛十郎は思いを断ち切るように、月を見あげた。
「月はいいなあ」
 中天に輝いているのは、〔月の中の月〕と言われる十五夜の名月である。陶然となった飛十郎は、ぐいとばかりに盃の酒を呑み乾した。
「なんというか……。美女をおのれのものにした男を見ると、小腹が立ってくるが、月だけはいくら美しくとも、誰も手をふれることは出来ぬ……。つまり、わけへだてがない。と、いうわけだ。そこが良いのだな」
 わけのわからぬことを呟やきつつ、飛十郎は瓶子の酒を盃につぐと、左腕を袖の中に入れて、また満月を見あげた。

「いよいよ、ですぞ。早船さま」
 ふいに勘右衛門の声がした。
「どっちのことだ? お日美の舞いか、それとも仇敵との剣の舞か」
 月を見たまま、飛十郎は答えた。勘右衛門は、黒の筒袖に黒のたっつけ袴という戦闘に適した姿に変わっている。
「は、ははは、さすがは江戸のお人、しゃれたことを言われますな。はて、どちらのことでしょうかな」
 片頬に笑みを残したまま、勘右衛門は酌をしようと白い瓶子を取りあげた。ゆるやかに流れていた楽の曲調が変わった。
「はじめて耳にする、めずらしい調べだ」
「胡楽にございます。胡とは、中国の西域の異民族ことでございますが。この曲はさらに遠く、砂漠の都・敦煌や楼蘭をはるかに越えた、山々の彼方にある波斯(ぺるしゃ)の調べでございます」 
 飛十郎は、月から目を離して、石舞台を見た。岩の上に身を伏せていた影が、ふわりと浮き上がった.五感を狂わせるような、あやしい旋律にのって、お日美は軽く目を閉じたまま、ゆっくりと手足を動かしていた。
「これが、魂しずめの舞いか」
「はい。わが一族に、長きにわたり伝えられた踊りにございます」
 身を揺らすたびに、月の光と篝火の焔が、淡い桃の衣(ころも)と茜の裳裾の色を微妙に変えた。いつ手にしたのか、薄絹の長い細布を風になびかせるように巧みにあやつっている。
「おう。あれこそ天女が持つ、羽衣だ」
 思わず、飛十郎が声をあげた。
「いえ。あれは蘇我家に古くから伝わる、領巾(ひれ)でございます」
「領巾? なんだ、それは」
「神代の昔から、魔をはらい、毒を持って人に害をなすものを追いしりぞける、強き呪力をもつといわれる、ありがたき布にございます」
 くるくると舞いながら、長い薄絹を身に触れぬように踊りつづけるお日美を、盃を傾けるのを忘れたかのように飛十郎はうっとりと眺めていた。
「わかった。領巾とは、ひらひらと風にひらめく意で、ついた名だろう」
「その通りで。よくおわかりですな、早船さま」
「なに、見たままを言ったまでだ。しかし、見事な舞いだな、勘右衛門」
 感心したように飛十郎が言ったとき、山裾の森のどこかで、鹿の鳴く鋭い声が二度した。
「きましたぞ」
「わかっている」
 勘右衛門と同時に立ち上がると、飛十郎は手にした刀を帯に差し込んだ。素早く下げ緒で襷(たすき)をかけると、草履を脱ぎ捨てた。
 舞いをやめて、山のほうを見ていたお日美が、あっと声をあげて石舞台の上にうつ伏せになった。
「どうした! お日美」
 声をかけた飛十郎の足元に、一筋の矢が突きささった。
「うぬ、卑怯な。敵は弓を持っているぞ。お日美は射抜かれたのではないか」
 飛んで来た二の矢を、飛十郎は鮮やかな抜き討ちで斬り落とした。
「藤原の矢に射られるほど、お日美はやわには育てておりませぬ。 早船さま、あれを」 勘右衛門の声に飛十郎が石舞台を見ると、子鹿のように岩を駆けたお日美が、くるりと見事なとんぼ返りをうつと、地面の上にとんと降り立った。
「やるではないか。おれに傍をぜったいに離れるな」
 駆け寄ってきたお日美の肩に手を置くと、飛十郎は顔を覗き込んだ。うれしげにお日美は、こくんと頷いた。地に伏した三人の頭上を、空気を鋭く切り裂いて何本もの矢が飛んでいく。
「これでは、敵の矢数がつきるまで動けぬぞ」
「心配いりませぬ。敵と同様、こちらも飛び道具を持っております」
 勘右衛門が手をあげて合図を送ると、石舞台の入口から、しゅっと音を立てて火筋が、月にむかって駆け昇っていった。
「おお!」
 飛十郎が声をあげた瞬間、炸裂した火花が音をたてて夜空に散った。
「まあ、綺麗な、花火……」
「これ、のん気なことを言うな。これは戦さの合図じゃ」
 お日美を叱り付けたとき、あちこちで火薬の音がした。
「む、この音は火縄銃だな。おぬし、鉄砲まで用意していたのか」
「なにをいわれます。種子が島よりはるか昔、この国へ中国から初めて火薬を持ってこられたのは、馬子さまですぞ。蘇我の家に、鉄砲がそなえてあるは当然でございます」
「そういわれれば、その通りだが……」
 頭をかきながら飛十郎が見ると、矢がはたと止まっていた。
「やはり弓より鉄砲のほうが威力がありますな。さあ早船さま、射手はすべて倒しました。あとは、刀での斬り合いですぞ」
「ぬかりはない。お日美、おれについてこい」
 袴の股立ちを高くとって、山にむかって駆けだそうとした飛十郎を、鋭い声で勘右衛門が呼び止めた。
「どこへ行かれます! 石舞台から離れられますな」
「だが戦闘は、あの山裾の林のあたりではじまっているではないか。助けにいかなくてもいいのか」
「あちらで闘っているのは、楠公政の手下の雑魚ども。博打うちや金でやとわれた喰いつめ浪人どもです。てまえの手の者が、相手をしております。重要なのは、この石舞台。祭壇に飾られた黄金の埋蔵品を狙って、敵の首魁はかならず姿をあらわしますぞ」
「なるほど、おぬしのいう通りかもしれぬ。よし、まかせよう」
 飛十郎は石舞台の入口へ歩いて行くと、刀を帯から抜いて岩に寄りかかった。鞘を抱きかかえると、鍔を肩の上に乗せた。
「うちが見込んだだけあって、早船さんはやっぱりすごいわ。この騒動の中で、寝れるんやもん」
 山のあたりから、刀の打ち合う音や、人が斬られる悲鳴や絶叫が、遠く近く流れてくる。
「寝てはおらん! 心を静めているだけだ」
 飛十郎が、珍しく声を荒げた。
「親玉の六条なにがしが来るなら、その護衛の土雲典膳もかならず姿を見せるだろう。あやつ、これまでおれが出会った中でも、一番と思える難剣の使い手だ。あの黒という犬も油断がならぬ。どう闘うか考えているのだ」
「考える時間は、もはやありませぬぞ。早船さま、敵はそこに」
 切迫した勘右衛門の声に、のっそりと立ち上がると、飛十郎は静かに刀を帯に差した。「きたか、土雲典膳。おれの目の黒いうちは、石舞台の中へは通さぬぞ」
 典膳の痩せた姿が篝火に浮かびあがる前に、犬のうなり声があたりに不気味に響いた。「ほざくな、早船飛十郎。きさまの剣、江戸ではどうか知らぬが、この飛鳥の地では通用せぬぞ。ふ、ふふ、刀の錆にしてやる」
 ぎらりと刀を抜くと、典膳は腰を低く落として、地摺り下段に構える。
「まちやれ。わらわは、早船とかいう男の剣さばきが見てみたい」
 かん高い若い女の声に、すぐさま典膳が刀を鞘に納めると、うしろへ引きさがった。かわりに篝火のあかりに浮かび上がったのは、笏(しゃく)を手にして頭に烏帽子をのせた若い公卿であった。
「ゆるせ、典膳。また薫子の気まぐれじゃ。これ、そこな浪人。ここにひかえる男たちは、陰の舎人ともうす麿(まろ)の手の者じゃ。いずれも禁中に伝わる陰流の手錬(てだれ)じゃ。心して相手をするがよい」
 ととのった品位のある顔立ちは節句人形の男雛そっくりだが、書き眉と不気味に光る黒い歯は、飛十郎が生まれて初めて目にした奇怪なものだった。
「そうじゃな。最初は、ま、三人でよかろうの」
 六条卿の下知(げち)に、顔に覆面をして袖と袴の先を紐でしばった忍び姿の、三人が進み出た。それを見た飛十郎の顔に緊張が走った。柳生新陰流の太刀筋こそ見たが、その源流となった室町の頃の古流・愛洲陰流とは、初めての立ち合いである。飛十郎は両拳を軽く握り、脇にたらした。視線は、やんわりと細めた遠山の目付けであった。
「ふ。その構え、居合じゃな。何流を使う」
「無双直伝英信流」
「おもしろいのう。では、こちらも居合で立ちむかうのじゃ。よいな」
 鶴の一声である。抜きかけた刀を慌てて納めると、左指で鯉口を切り右手で柄を握って、陰の舎人たちはじりじりと詰め寄った。微笑ともつかぬ笑みを頬に浮かべると、飛十郎は気軽な足取りで三人にむかって歩きはじめた。
「う」
 ざざっと、三人が後へ下がった。
 〔一足間合い〕の居合は、両者の刃先が躰に触れる距離に踏み込んだ瞬時に、生死が決する。そのため腕が互角の場合、一刻(二時間)あまり刀の柄に手を掛けたまま動けず、ついには倒れてしまった例があるほどだ。
 両腕をぶらりと下げ、月光をあびて逍遥するがごとく進んでくる飛十郎を見て、陰の舎人たちが驚いたのも無理はない。しりぞいた舎人のひとりの背中が、篝火に当たった。火の粉を散らして篝が傾いた。
 瞬間――、居合腰になった飛十郎は、その低い姿勢のまま、地面を摺るように跳躍すると、刀を抜こうとした右側の舎人の腕を斬り落とした。
「ぐわっ」
 斬り離された右手が宙を舞って、刀を握ったまま、どさりと地に転がった。吹き出た鮮血が雑草を真っ赤に染める前に、飛十郎は左側の舎人の膝を斬り割っていた。膝の皿が白く見えたが、吹き出す血のためにすぐに見えなくなった。陰の舎人のひとりが篝に背中を当て、体勢を崩した一瞬の左右斬りであった。
「とう!」
 残る舎人が、真っ向から飛十郎の頭を斬り付けてきた。片膝を地面についた飛十郎は、刀の鎬で受けると、左手で抜いた前差しの短刀で舎人の太股を深々と差しつらぬいた。
「むむっ」
 がくりと、舎人は両膝を地面に落とした。右手に刀を、左手に短刀を持って、飛十郎はふらりと立ち上がった。
「見事じゃ。瞬時に三人を倒すとは、まこと居合とは恐ろしい剣法じゃな。麿もそちに習うてみとうなったぞ。最初に二人を斬った技前は、なんともうす」
「奥の立ち技〔行連れ〕でござる」
 答えながら飛十郎は、静かに前差しと刀を鞘の中に納めた。
「ほ、ほほほ、行連れとは、また奥ゆかしき名じゃ。兄君、わらわの思うた通り、この早船とかもうす浪人者の剣さばき、ほれぼれするのう。典膳とどちらが上か、早う見たいものじゃ」
 斬り倒された舎人の血で、真っ赤に染まった地面を見る董子の瞳の中を、篝火の焔が狂ったように揺れている。  
「またか。薫子の気まぐれと、武術好きにも困ったものよ。十六といえば、もう輿入れしても良い年頃じゃというのにな。のう典膳」
 薫子の声に、むっつりと飛十郎の闘いぶりを眺めていた典膳の表情が、初めて動いた。「恐れながら、姫君さまは、ただの武術好きではございませぬ。強き男と男が斬り合い、血を流して死ぬのを見るのが、お好きなだけでございましょう」
 犬の姿は、何処にも見えない。篝の中の薪がはじける音がして、典膳の暗い声がやんだ。
「それはまことか、薫子?」
 六条佐通が、驚いたように妹の顔を見た。
「よう見たのう典膳。まことじゃ、兄君。わらわは幼少の頃から、血の匂いと色が好きじゃった。だが人に見抜かれたは、今宵がはじめて。典膳もしかすると、わらわのことが好きじゃったのかえ」
 うろたえたように、典膳は立ち上がった。
「たわけたことを、それがしは陰の舎人でござる。殿上人を守るために剣をみがき、陰の流れの如く生きるのが、生まれついての定めでござる。姫君さま、おたわむれもほどほどに願いましょう」
「ほ、ほほ、そうしておこうかの。わらわは、どうしても早船飛十郎と土雲典膳の斬り合いが見たいのじゃ。おお、そうじゃ、面白いことを思いついたぞ。典膳、もしこの男の居合に勝てば、わらわはそなたに抱かれよう。女になってもよいぞ」
 そっぽをむいていた典膳の青白い顔が、みるみるうちに血の気がさして赤くなった。
「気がふれたか薫子。この飛鳥の地に藤原家が起こってから、わが一族の姫が典膳ごとき人殺しを生業(なりわい)とする者に、身を任せるなど聞くだにおぞましいわ。耳のけがれじゃ」
 端正な顔を醜くゆがめて、佐通は妹を叱りつけた。
「お待ちなさい、六条卿。貴人に情なしとは、なるほどこのことですな。典膳どのだとて、人殺しが好きなわけではあるまい。あなたがたを守る陰の舎人の家に生まれたゆえ、仕方なく命じられたまま人を斬っていたのではないかな」
 飛十郎にそう言われて、典膳は苦しげに顔をそむけた。
「われらは、すべて同じ人間。たまたま生まれ落ちたのが、佐通どのと薫子どのは六条家。典膳どのは陰の舎人の家柄。この飛十郎めは、三代つづいた裏長屋暮らしの浪人者。というだけのことであろう」
 そう飛十郎が言ったとき、石舞台のむこうから二人の男が駆け寄ってきた。
「勘右衛門さまは、おられるか!」
「おう、ここじゃ。闘いはどうなった」
「はっ。楠公政と主だった一党八人は、ことごとく討ち取りました。そのほかの子分と、金で雇われた浪人ども十五人は、いずれもちりぢりに逃げ去りましてございます」
「よし。ならば戦闘は、わがほうの勝ちじゃな」
 戦況を知らせてきたのは、身ごなしの機敏な若者たちである。
「あ、こやつ黒犬を使う人斬りではないか。京で四人、奈良で三人、江戸で二人、われわれの仲間がこの男に斬られて命を落としております」
 飛十郎と勘右衛門が止める間もなく、若者二人はふいに土雲典膳に斬りかかった。
「仲間たちの仇だ!」
 満月を雲が横切り、つかの間陰ったが、すぐに明るくなった。動いたとも見えないが、典膳は水もたまらぬ速さで二人を斬り倒していた。
「見たか、この陰の暗殺剣。早船、おぬしの口ぞえはうれしかったが、もう手おくれだ。この刀は何百人もの死人(しびと)の血を吸っている。きさまと対決しなくてはならぬようだな」
 血振りをした刀を鞘に納めながら、典膳は悲しげに言った。
「そうじゃ! それが、わらわの望みじゃ。典膳、早よう飛十郎を斬れ!」
 薫子が、高い声で叫んだ。
「気がすすまんが、やらねばならんか」
 袖に入れていた手を出しながら、飛十郎は訊いた。
「やる」
「どうしてもか」
「くどい」
 典膳が、言い切った。
「そうか。では仕方がない。やるか」
 無精髭をひとこすりすると、飛十郎は石舞台の前へ歩いて行った。十五夜の月は石舞台の上を過ぎて、
蘇我家の邸宅があったといわれる甘樫丘のほうへ動いている。
「見ろ。典膳、名月だな。刀など抜かず、月見酒でもやっているほうが、おれは好きだな」
「いくぞ、早船」
 半身になると、典膳はすっと柄に手を掛けた。
「まった」
 飛十郎は、上げた手で頭をかいた。
「なんだ」
「おぬしの親玉と、おれの雇い主に、ちと話があった」
「ふざけるな」
「すまん。しかし、大事な話なんだ」
 その場を離れると、かたずをのんで決闘を見守っていた、勘右衛門とお日美の傍へ歩いていった。
「どうしました、早船さま」
「うむ。さっき矢文に、この戦闘が決着したら一族同志の争いをやめると書いたと言っていたが、あれは本気か。それとも宿敵をおびき寄せるための餌か」
「もちろん、本気でございます」
「あとで気が変わるようなことは、あるまいな」
「けっして」
 勘右衛門はそう答えると、いとおしそうにお日美の肩にそっと両手を置いた。
「わかった。ならば、むこうに話をつけてくる」
 ひっそりと寄りそうように立っている、六条佐通と薫子の兄妹にむかって、飛十郎は声を掛けた。
「お聞きになられた通りです。いかがであろう、佐通どの。千二百年にわたる両家の確執は、いかになんでも長すぎる。人の世は時の流れとともに、新たに生まれ変わっていくもの……。今宵のこの十五夜石舞台で、さらりと水に流すわけにはいかないでしょうかな」 黙ったまま、耳を傾けていた六条佐通は、薫子の顔を見た。
「それも一興じゃの。わが父の前(さき)の六条大納言さまも、よくこぼしておられた。先祖の鎌足さまが、板蓋宮で入鹿どのを殺めたのは、そのおりの都合というもの。そのために子孫たちが、血で血を洗う殺し合いをつづけるのは、とんとふに落ちぬとな。早く止めねばならぬと、言っておられた。麿も小さき頃より、そう思うていたぞ」
「では、水に流していただけるか」
 飛十郎は、ほっとした顔をした。
「承知じゃ。このような、たわけた憎悪の連鎖は誰かが断ち切らねばならぬ。じゃが切るには、こちらにも一つ条件ある」
「お聞きいたそう」
「ほかでもない、この薫子のことじゃ。妹は六条家の血筋を後世に伝える、たった一人の者。そちは典膳と、麿は勘右衛門と剣をかわすつもりじゃ。この中の誰が生き残ろうと、薫子には指一本ふれずに京の屋敷に帰すこと。これが麿の条件じゃ」
「いいでしょう。ただし、あれにおりますお日美も、同じく蘇我家の血脈を伝えるただ一人の者。お手出しなさらぬようお願いいたす」
「わかっておる。若年ながら、見事な舞いの名手。風流をむねとする、わが六条家じゃ。不粋なことはせぬぞ」
「ありがたき幸せにございます」
 飛十郎は、深く頭を下げた。
「どうした。話がついたとなると、急に態度が変わったの。ふ、ふふ、それにしても早船飛十郎、そちは面白い男じゃな。敵にまわすのは、おしいのう」
「殿下には、かまえて約定をたがえませぬように……」
「あたりまじゃ。かしこくも禁中において主上におつかえするわれら、言の葉は汗のごとくである。そちのような下人こそ危ないものじゃ。麿を裏切るなよ」
「浪人に二言はござらん」
 飛十郎は、月にむかって肩をあげた。
「は、はは、愉快じゃ。その言葉、信じよう。これ飛十郎、早ういけ。典膳が、しびれを切らしておる」
 ひと笑いすると、六条卿は扇を上げて石舞台を差した。


六 秘剣蜘蛛の糸 

「おそい! なにをしていた」
 典膳が、怒ったように飛十郎を見た。
「悪い。だが、おかげで話がついた。なんだ、おぬし酒を呑んでいるではないか」
 腰を降ろした典膳の前に、瓶子と盃が置いてある。
「あたり前だ。酒でも呑まねば、待っておれん」
「ふむ、誰が持ってきた。綺麗な若い女か」
「いや。石舞台で踊っていた、お日美とかいう小娘だ。皮肉なもんだな、殺そうとした相手に酒を振るまわれるとはな」
 唇をゆがめて、典膳が苦笑いをした。
「早船、きさまは酒が入ると剣さばきが良くなるというではないか。おれも同じよ。どうだ、呑むか?」
「盃を受けよう」
 突き出された盃を受け取ると、飛十郎は一気に呑み乾した。雫を切ると、盃を典膳に差し返す。
「よし!」
 つがれた酒を呑み乾すと、典膳は月を見たあと、盃を石舞台に叩きつけた。
「馬子どのへ、たむけの酒だ」
 残りの酒を飛十郎は、石舞台にむかって注ぎかけた。
「やるか、早船。まったは、もうきかんぞ」
「いいとも」
 三間半(約六メ−トル)の距離をおいて、ふたりは動かなくなった。叢雲(むらくも)に隠れた満月が、すぐにまた顔を出した。その時には、典膳の抜き放った刀の切っ先が、地摺り下段に構えられている。
「む」
 犬のかすかな唸り声を、飛十郎の耳が捕らえた。声のほうを見ると、黒が石舞台の上にうずくまって、らんらんと光る目で飛十郎を睨んでいる。跳躍すれば軽く飛十郎の喉首に噛みつくことが出来る。
 飛十郎は、慄然とした。飛びかかる犬を両断することはたやすいが、その時には飛十郎は血煙りをあげて倒れている。背中を、冷たい汗がしたたり落ちた。
「安心しろ早船。犬は使わぬ」
 文字通り地面を摺るような刀の先端が、雑草の中でかすかに揺れはじめた。
「なぜだ。使えば、おぬしの勝ちだぞ」
「前にも言ったはずだ、おれは黒を失いたくない」
「ばかな、命がかかっているのだぞ」
 典膳の刀の揺れが大きくなった。
「陰流奥の太刀〔蜘蛛の糸〕が、きさまの居合に勝てるか、ためしてみたくなったのだ」 吹く風に揺れる蜘蛛のように、左右に動く刀の切っ先は何処から斬り付けてくるか、まったく太刀筋がよめない。
 雲間に月が入り、またあたりが暗くなった。 瞬間、無声の気合いが流れ、金属が打ち合う鋭い音が響き、火花が飛び散った。
「……!」
 地面に片膝を付いた飛十郎は、斬りあげてきた典膳の刀の切っ先が、氷のような冷たさで左脇腹を斬り裂いたのを感じた。
「う、む」
 無意識に当てた指の間から、血があふれて落ちた。
「は、早船……。どこだ?」
「ここにいるぞ、典膳」
 飛十郎は、刀を杖にして立ち上がった。
「き、きさまの勝ちだ。腹を斬られた」
 雑草の間から、典膳が顔をあげた。
「いや、相討ちだ。おれも、脇腹を斬られた。血が止まらんぞ」
 傷口を押さえた左手を伝って、ぽたぽたと血が流れ落ちている。
「もう、駄目だ……。指が傷口に入っていく。きさま、肉を斬らせて骨を断ちおったな。と、とどめを刺してくれ、早船」
「気をたしかにもて、典膳」
 黒が悲しげに鼻を鳴らすと、甘えるように典膳に顔を押しつけた。ちぎれるように尾を振っている。
「く、黒と地獄へ旅立ちたい……。早船、最後のたのみだ」
「うむ」
 横たわった典膳にむかって、飛十郎が一歩足を踏み出した時、薫子が典膳の傍へ駆け寄った。
「わらわが、とどめを刺してやるぞ典膳。もう苦しまずともよいのじゃ。黒ともども、あの世へ送ってやろうぞ。よいな!」
「か、薫子さまに送られるなら、て、典膳は本望で、ござる」
 典膳の脇差しを引き抜いた薫子は、素早く喉を刺し貫ぬいた。吹き出す典膳の血が、黒の背中に振りかかった。それを見て、吐き捨てるような佐通の声がした。
「いつものように黒を使えば勝てたものを……。馬鹿な意地を張りおって。犬に意地立てするとは、おろかな男じゃ」
 唸り声あげて振りむいた黒は、牙をむき出して弾丸のように佐通に飛びかかっていった。
「うわっ」
 悲鳴をあげて逃げた佐通を見て、薫子が腰に佩いていた太刀を引き抜いて、黒を斬り捨てた。どさり、と黒が地面に転がった。
「ほ、ほほ。あれだけ可愛がられると、畜生ながら人の言葉がわかるとみえまするな」
 口に手を当てて笑いながら、薫子は太刀を鞘に納めた。
「それにしても兄君、いくら陰の者とはいえ土雲典膳は、わが屋敷でともに遊び育った竹馬の仲ではございませぬか。あまりに冷たいお言葉、あれでは黒でなくとも怒りますぞ」「よいのじゃ。この冷たさがあればこそ、鎌足公より千二百年にわたり藤原一族が保(たも)たれたのじゃ。
 陰の舎人をふくめ下人どもは、すべて捨て駒じゃ。よいな薫子、かまえて無用な情をかけるでないぞ。この道理、勘右衛門どのならわかるであろう」
 さりげなく勘右衛門に近寄った六条佐通は、いきなり太刀を振るって斬り付けた。
「な、なにをする。ひきょうな!」
 思わぬ不意打ちに、勘右衛門は肩を押さえて倒れ込んだ。飛十郎が抱き起こした時には、すでにこと切れていた。即死である。
「どうじゃ、麿の袈裟斬り。ふ、ふふ、われながら見事な技じゃ。それに、この青江下坂の太刀、ほんによう斬れるわ」
 月あかりの下で、血に染まった太刀に見入る佐通の青ざめた顔は、常軌を失ったとしか見えなかった。
「なにをなさるのじゃ。六条家に泥をぬるような仕方、たとえ兄君じゃとて、わらわは容赦いたしませぬぞ」
 薫子が、太刀の柄に手を掛けて詰め寄った。
「ふ、は、はは、何を怒っておる薫子。そこをどけ、そのお日美とかいう小娘を斬れば、五十万両におよぶ蘇我の財宝はすべてわれらの手に入るのじゃ。栄耀栄華は思いのままというに、邪魔だてするなら妹だとて、この青江で斬り捨てるぞ」
 血走った目で、佐通は薫子をじろりと睨みつけた。
「勘右衛門との約定を踏みにじったうえに、わらわを斬り殺そうとは。さては兄君は、この飛鳥の石舞台へきて、化生(けしょう)の者に取りつかれましたな」
「どけ! のかねば、斬るぞ」
 さっと太刀を振りあげた佐通の前に、飛十郎が大手を広げて立ちふさがった。
「狂われたか、六条卿。いくら黄金のためとはいえ、妹ごの薫子どのを斬ろうとは、正気の沙汰とは思ええませんぞ。気をたしかに持たれい」
「無礼者! 虫けらのごとき下人のぶんざいで、麿に意見をいたすか! 身分をわきまえい」
 歯噛みをしながら、どんよりとした赤い目で飛十郎を見すえると、佐通はふわりと宙に飛び上がった。
「きええ―い!」
 猿叫(えんきょう)とも、化鳥(けちょう)とも聞える、奇怪な声であった。薫子を突きのけると、飛十郎は倒れ込むように刀を抜き討った。
 もののけに取りつかれた者は、常人の五倍も十倍もの異常な力を発揮するといわれている。凄ざましい殺気と太刀風が飛十郎の頭上を襲ってきた。受けていれば、刀が粉々になって割れ散るか、受太刀もろとも頭骨は顎のあたりまで斬り裂かれていたろう。身をかわした飛十郎の、右足すれすれに斬り込んできた太刀は、がっと音をたてて物打ち(切先から二十センチ)あたりまで地面に喰い込んだ。
「ぐわっ!」
 飛十郎の抜き討ちが、佐通の腰骨を深々と斬り割っていた。
「なにをしている、お日美」
 震えながら立ちすくんでいるお日美に、飛十郎が声をかけた。
「むうん……」
 自分が流した、どす黒い血だまりの中で、六条佐通は立ち上がろうとしてあがいていた。
「勘右衛門どのの仇討だぞ。早くとどめを刺せ」
 脇差しをお日美の手に握らせると、佐通の前へ押しやった。両手で刀を構えると、唸りながら身を起こした佐通の喉の窪みめがけて、お日美は体当たりした。
「む、無念じゃ……」
 胸をかきむしると、おびただしい血汐の中へ、佐通は倒れ込んだ。
「よくやった、お日美。もうよい、刀を離せ」
「そ、それが手に刀がひっついてしもうて……。どうしても、はなれんのや」
 喉に刀を突き立てたまま、十五夜の月を見上げるように、かっと見開いた佐通の目を見て、お日美はがたがたと震え出した。
「よし。おれがやってやろう」
 強張った指を柄から引き剥がすと、脇差しを鞘に納めながら飛十郎は立ちあがった。
「薫子どの、兄上の瞼を閉じてあげるがよい。死ねば、みな仏だ」
 素直に頷くと、薫子は兄を膝に抱きあげた。透き通ったような白い指が離れると、瞼を閉じた佐通は眠っているように安らかに見えた。
「兄君」
 薫子の瞳からあふれた泪が、末期の水のように佐通の顔の上に落ちた。
「……これで、すべて、終わったな」
 冴え冴えと月光に照らされた石舞台に、飛十郎は目をやった。
「陰の者、これへ!」
 哀しみを振りはらうような、凛とした薫子の声があたりに響きわたった。木立の暗がりから滲むようにあらわれた七人の舎人が、薫子の前に跪(ひざま)ずいた。
「わらわの輿をすぐここへ。兄君の亡骸(なきがら)を、京へ運ぶのじゃ。急げ! 夜明けまでに六条屋敷へ着かねばならぬ」
「ははっ」
 地を蹴るようにして、陰の舎人はたちまちのうちに走り去った。
「早船どの。こたびのこと、わらわはこう納めたいと思う。わが兄、六条佐通は京の屋敷において、急病死。勘右衛門どのは三諸屋の寝所において、ふいの頓死。土雲典膳は、石舞台の中で賭場を開いていた博徒の楠公政たちと、争うて愛犬ともども斬り死にをした。どうじゃ?」
「そうだな」
 無精髭をこすりながら、飛十郎はお日美の顔を見た。
「無事に納めるには、その手しかなさそうだな。いいだろう、それで手をうとう」
 飛十郎の返事を聞くと、薫子は神妙に頭をさげた。
「早船どの、さきほどは助太刀かたじけない。そなたがかばってくれねば、わらわは兄に殺されていたかもしれぬ」
「いやあ、それはない。佐通どのは、おれを斬ろうとしたのだ」
 飛十郎は、困った顔をした。
「かぼうてくれるのは、うれしいが……。兄はあの時、狂うていたのじゃ。わが一族は血族同志の婚姻が多い。血のにごりから、時おり気がふれる者が出るのじゃ」  飛十郎は、痛ましげに薫子の顔を見た。
「ならば、ことは簡単だ。薫子どのが新しい血を一族の中に加えればいい」
「そうじゃな。お日美どの、われら二人で古き因習をうち破ろうではないか」
 お日美を見返りながら、薫子が明るく言い放った時、舎人たちに担がれた輿が着いた。「この衣で兄君を蔽(おお)い、そっと輿にのせるのじゃ……。これ、手荒にするな」
 薫子の的確な指示に、亡骸は輿に積まれ、血の上には砂がかぶせられた。
「あと始末は終わったようじゃ。早船どの、典膳がことは、よしなに頼む」
「うむ。典膳どのと黒の遺骸は、桜井宿の番所役人の調べが終わりしだい引き取って、この地の飛鳥寺に葬(ほう)むるつもりだ」
「それは、うれしいかぎりじゃ。早船どの、こころ使いに感謝いたしますぞ」
 薫子が、そう礼を言ったとき、舎人の呼ぶ声がした。
「姫さま、すでに出立の準備がととのっておりまする」
「すぐに行く。わらわは、もう二度とこの石舞台にはこぬような気がする。つらい思い出が多すぎる……」
 しみじみとした目で、薫子は周囲を見廻した。
「早船どの、世話になった。そうじゃ、京の都を訪れたおりには、ぜひ六条屋敷へ顔を出してほしい。心ばかりの礼をしたい」
「わかった。京へいけば、かならず寄ろう」
「きっとじゃぞ。では、お日美どのも達者でな。さらばじゃ!」
 輿を守るように跪まずいた陰の舎人たちは、薫子がいくとさっと立ち上がった。
 満月の光りで、濡れたように銀色に輝く飛鳥の道を、薫子と輿の一行は静かに遠去かっていった。


七 さらば飛鳥 

 それから十日ほどたったある朝早く、旅支度をととのえた早船飛十郎が、三諸屋の庭先に立って箸墓を眺めていた。ようやく明けたばかりの朝は、澄みきった空気と風で、本格的な秋の到来を告げているようであった。母屋のほうから足音がすると、飛び石の上を歩いてくるお日美の姿が見えた。
「あ。靄(もや)や。今朝は三輪山さんが特に綺麗に見える。まるで、早船さんに手を振ってるみたいや」
 池の水面は、朝靄のためにほとんど見えなかった。。その向こうにある箸墓も、半ば白い靄につつまれて、こんもりとした森の先端しか見えない。ただ三輪山だけが、お日美の言葉のように端正な稜線を、くっきりと見せていた。
「思いがけず、長く世話になった。礼をいうぞ、お日美」
 山が手を振るという、純朴な表現(たとえ)に飛十郎は、微笑をさそわれていた。
「もっと居てくれれば、うちはうれしいんやけど……。まあ、しょうがないわ。早船さんも、あんまし江戸をほっとけんやろうしな」
「そうだな」
「うちは、決めたからな早船さん。四年たったら、かならず江戸へ遊びに行くつもりや。ええやろ?」
 お日美は、うわ目使いをして飛十郎を見た。
「おう、来てくれ。本所松阪町の安達屋へいって、おれのことを訊けば家に案内してくれるぞ。もっとも家といっても、ちっぽけな裏長屋だがな」
 飛十郎は、あらためて広壮な三諸屋の屋敷を見渡した。
「しかし、四年たてばお日美も十七歳か。うむ……、嫁にいくか婿をとらねばならんな」「いやや、うちは一生ひとりや。嫁にもいかんし、婿はんもいらん」
 駄々をこねるように、お日美は躰を揺らした。
「無茶をいうな。それでは三諸屋、いや蘇我の血筋が絶えてしまうではないか」
「心配いらへん。うちは、ちゃんと血筋は守っていく。けど、婚礼はせえへん」
「ううむ……」
 飛十郎は溜め息をつくと、頭をかきながら箸墓に目をやった。わずかな間に靄は消え失せて、箸墓はそのどっしりした重みのある姿を見せていた。
「困ったやつだな。では、どうするつもりだ」
「きまってるやないの。そのために江戸へ行くのやから」
 お日美は、悪戯(いたずら)をする時のような顔で、飛十郎を見た。
「わからんな。いったい、どういうことだ?」
 これはあかん、というようにお日美は首を振った。
「ほんまに、にぶいなあ。十七になったら、うちは江戸の早船さんの家で、子種をもらう、ゆうてるのや」
 愕然として、飛十郎はお日美から身を離した。
「ば、ばかな。何をいうか……」
 飛十郎は慌てふためくと、客座敷の濡れ縁に置いていた刀を帯に差した。
「逃げてもあかんよ。早船さんみたいな心ばえのある人に、もう決めたんやから、うちは」
「だめだ、だめだ……。おれは、そんな立派な人間ではない。心ばえなんか、ないぞ。ただ、酒が好きな、心のない蚊のような、ちっぽけな男だ」
 うろたえながら飛十郎は、お日美の前を横切ると、酒蔵のほうへ走っていった。しかしそこには出口がなかったと見えて、すぐに引き返してくると、もう一度お日美の目の前を横切って、奥庭につづく長い塀のほうへ走っていった。しばらくすると、裏の引き戸が開いて締まる音がした。
 お日美は、裏木戸にむかって小さく舌を出すと、首をすくめて見せた。
「なんや、敵にうしろを見せて……」
 あくびをすると、お日美は雲一つない三輪山の青い空を見た。
「けど、早船さんと歩いた山の辺道中は、楽しかったなあ」
 その山の辺の道を、振り向きもせず江戸へむかって歩く、飛十郎の姿が目に見えるような気がした。
「これから、淋しゅうなるやろな」
 足元に転がっていた石ころを蹴ると、お日美はもう一度、三輪山を見た。

           了   〈助太刀兵法18・大江戸人形始末へつづく〉








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09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
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