ブッダについて(PART3) | |
[ブッダ] | |
2013年6月6日 13時6分の記事 | |
それとの関連で見せられたのは、未来の地球の様子です。 ブッダによれば、今後、多くの人は、自分の生活の中で、命の大切さに気づくようになるといいます。 その生活の規模は問いません。 家族、共同体、社会、様々なところで、「自分自身の心と問答する」中で、真の仏性に目覚め始めるといいます。 その時何が起きるかというと、一人一人が、(霊的に)光り始めます。 人間一人一人が光り始めると、周りの動植物も皆連鎖的に光り始めます。 そうして、地球上のすべての生きとし生ける物が光り始め、それに伴い、地球全体が光り始めます。 これが、未来に起きる出来事だというのです。 もしブッダの言うように、真の仏性に目覚めることが本質だとすれば、我々はまず、誰の言うことも参考程度にとどめて、また自分以外の誰をも神と崇めることなく、自分自身と問答しながら、日々の生活を心がけていけばいいということになります。 私はこの時ブッダに、瞑想についても問いかけてみました。 非物質的に投げかける意図というのは、いろんな意図が混ざり合っていて単純化しにくいところがあるのですが、あえて単純化するとそういうことです。 するとブッダはこう返してきました。 「集団での瞑想は確かに行ったが、それは対面でのやり取り(問答)に比べてはるかに少なかった。」と。 つまり、ここで私が瞑想の話をするのは、ブッダといえば瞑想とセットにされがちであるからです。 その真意を問うたのです。 むしろブッダは、先ほどもご紹介したこの言葉を伝えてきました。 「自分自身と問答すること。」 もしかしたら、この自分自身というのは、より大きな「自分」のことを指している可能性があります。 ですから、手段は問わないのだと思います。 瞑想でより大きな「自分」と対話できればそれでよし、日常生活の中での自問自答によって対話するのもよし。 大切なことは、自分自身の仏性(可能性)に気づき、そして自分自身から目を背けないで、自分自身ときちんと向き合うということなのだと思います。 そうすれば、何をしても自由なんです。 進化というのは、自分という枠組みを超えたところにあります。 自分と他人との目に見えないつながりを感じ始めたときに始まります。 自分は自分であって自分ではない。 この世に存在するものは、究極的にはすべて、自分自身である。 言葉にすると、我々の常識を超えることですが、でも我々はこれを「感覚的に」知り、気づくことができます。 それがまずは、「はじめの第一歩」だと感じる次第です。 最後に、ブッダに、あなたの考えをできるだけ正確に伝える文献は、我々の現代において残されているのかを聞いてみました。 すると、「ダンマパダである。」と言われました。 そういう文献があるのかどうか、ちょっと忘れましたが、ブッダによれば、これはブッダと弟子との問答が直接記録されたものらしく、他の文献は全て、弟子たちが後に作ったものらしいです。 リーディング終了後、このダンマパダという文献が実在するか調べてみたところ、どうやら今は法句経と言われているものらしいです。 ウィキペディアによれば、 「『法句経』(ほっくぎょう)、または『ダンマパダ』(Dhammapada)は、原始仏典の一つで、釈迦の語録の形式を取った仏典である。語義は「真理の言葉」といった意味であり、原始仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。『スッタニパータ』と共に原始仏典の、最古層の部類とされる。」とのことです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%91%E3%83%80 皆様、応援の方、よろしくお願いします(^0^)/)。 ↓ポチッとお願いします | |
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