神聖幾何学とは | |
[スピリチュアル] | |
2013年6月11日 16時53分の記事 | |
次に、神聖幾何学について聞いてみました。 神聖幾何学で有名なのは、ドランヴァロ・メルキゼデクの「フラワーオブライフ」ですよね。 神聖幾何学とは、「生命の華(はな)」であり、あらゆる生命現象を象徴化させたものらしいです。 そこには、ちょっとこれも耳を疑いましたが、あらゆる生命現象が発現するもとになる情報がプログラム化されて幾何学の中に閉じ込められているらしいです。
でも、それのみを取り出してどうこうできるものではなく、簡単に言うと図形の中にアカシックレコードの情報がインプットされているようなものみたいです。 そのような神聖幾何学というのは、生命の象徴であり、エネルギー的本質なのですが、ある次元において、その神聖幾何学だけで表現された世界というのがあるといいます。 その世界に行けば、我々のような現実世界が神聖幾何学でできています。 そこは神聖幾何学だけで構成されている世界なんです。 そういた世界というのも、我々人間は自由に出入りすることができます。 まずは、自分のエネルギーフィールド(マカバ)から感じる練習をしてみるといいといます。 ハートに意識を置いて、そこに球体を思い浮かべます。 球体が小さくハートのあたりで光り輝いています。 それが、徐々に大きくなっていき、やがて自分の体を包み込み、自分の体が球体の中に含まれて行きます。 その状態になったら、球体自体を手で触れるようにして感じ取ってみます。 実際に肉体の手で触れる必要はないんですけど、「感覚的に」手で触れるような感じです。 そうとしか言いようがないんですけど、手で触れていないのにまさに手で触れるような感じなんです。 それで、球体(マカバ)の表面がどんな状態であるのか感じ取ってみます。 そこから、どんな感じがするか、五感でいうと触覚に置き換えながら探ってみます。 さらにそこから直観的に球体全体の印象が感じられてくるかもしれません。 それはまさに、神聖幾何学模様をなしています。 つまり、我々自身であるところのその球体が、神聖幾何学模様そのものなんです。 そのようにして、自分自身が神聖幾何学模様を構成していることを感じたら、徐々に意識を内面に向けていき、先ほど申し上げた神聖幾何学だけから構成された世界へと入って行ってみます。 もちろん、内面世界での出来事ですから、そこからは一瞬で戻ることができます。 上で述べた球体にしても、もともと我々自身が神聖幾何学模様の球体だったというだけですから、上のエクササイズをしたからといってエネルギー的に別の何かに変わるわけではありません。 このような、自分自身の足元から始めるアプローチというのは、例えば宇宙の神秘について探ろうとするときに有効な方法だと思います。 外宇宙も内宇宙も結局はすべて一体であり、外に表れているものはすべて、自分自身の内面から究極的にはもたらされています。 ですが、そのことに気付くためには、まずは意識を自分自身に向けてみるというアプローチが非常に有効になってきます。 具体的には、瞑想です。 以前私は、伊勢白山道さんの影響を強く受けていたことがあり、瞑想を迷走だと言って否定的に申し上げたことがありました(笑)。 あるいは、動的瞑想として、現実世界で生きることが大切だとかですね。 それは(現実世界で生きること)それで正しいんですが、「・・・ねばならない」的な要素が私自身の中で強かったものですから、私の言う言動にもそれが強く表れていました。 今はこう考えます。 あらゆるアプローチから真理に到達することが可能である、と。 その一つとして、瞑想も有効であり、内なる叡智を引き出す最高のツールとなりうる、と。 自分自身が神聖幾何学を構成する「生命の華」であること。 そして、ある意味において、あらゆる生命は、「生命の華」そのものであること。 できるだけ自然に触れるようにしてみてください。 自然界に表れている現象の中に、生命の華があります。 夜になったら、空を見上げてみてください。 無数に散りばめられた宝石のような星々。 その夜空の投影図の中に、生命の華があります。 瞑想によって自分自身と向き合い、自分自身が生命の華そのものであることを感じてみてください。 最終編集日時:2014年7月31日 23時32分 | |
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