The UNKNOWN REALITY(=「知られざる」現実)セッション708から(後半) | |
[セス] | |
2013年6月17日 17時51分の記事 | |
身体のもつ意識のケースについて、見ていくことにしましょう。 動物がそうであるのと同様に、(人間の)身体はそのおかれた環境の中で申し分なくその能力を発揮することができます。 あなたがたはその状態を、知性を欠いた状態と呼ぶかもしれません。なぜなら、そこには(行動について)何の理由もないように思えるからです。 この議論だけの目的のために、次のような身体をイメージしてみてください。 その身体というのは、完全に身体の意識をコントロールし、いかなる理由からも病気にならず、生まれついての欠陥というのもありません。 また、あなたがたが持つ自我(エゴ)志向の意識によって優先されることのない身体です。 そのような性質をもつ種というのが今までに存在しています。 あなたがたの言い方では、彼らはまるで夢遊病者のように見えますが、彼らの身体能力はあなたたちのそれを上回っています。 彼らは実際のところ、動物と同じくらい動きがすばやく、無意識ではないのです。 彼らは単に、異なった種類の認識を扱っているだけなのです。 あなた方の言い方では、彼らは[全体的な]目的というものを持ち合わせていませんが、彼らの目的というのが、単にそうであるというだけです(訳者注:物質社会において特定の目的を持たないことが目的)。 彼らのメインの意識のポイントは別のところ、別の種類の現実にあり、他方で身体を(現実世界で)操るということが(意識のポイントとは)分離していました。 彼らが第一次的にフォーカスしている意識は、彼らが作り出した身体についてほとんど気づいていませんでした。 しかし、それらの身体でさえ「経験を通して」学んでいて、「目覚め」始め、自分自身に気づくようになり、時間を発見し、あるいは時間を作り出しているのです。 このスリープウォーカー(夢遊病者)達は、私たちは彼らを仮にそのように呼んでいるわけですが、自分自身としては眠っていたわけではなく、ただあなた方の見方からすればそのように見えたことでしょう。 そのような人類の種というのがいくつか存在しています。 彼らの[全体としての]第一次的な経験は、身体の外にありました。 物質的な身体的存在は、二次的な結果でしかありませんでした。 彼らにとっては、現実は(あなたがたにとっての)夢の中の世界で、その世界には最も高い刺激、最も集中した経験、最もよい状態で保たれた目的、最も有意義な活動、そして最も組織化された社会や文化的な行動が含まれていました。 言うなればこれはあなたがた自身の経験の別側面でもあります。 そのような種族というのは、彼らがそれに気づくように物質的な地球に多くを残していました。 (ただ)その時のメインの活動というのが、肉体から離れた意識を含んでいたのです。 あなたがたの言い方にすると、物質的な文化というのは未発達でした。 さて、身体組織それ自体は、そのような種類の現実体系も扱うことができます。 その現実は、あなた自身のものより良くも悪くもありません。 それは単に、(現実世界での行動の)代わりとなる行動であり、生物学的および霊的に可能なのです。 身体を移動するための複雑なシステムといったものは、用意されていません(訳者注:つまり、一つの意識で異なる二つの現実を操作しているということ。ある現実から別のどこかに移動する必要はないということ。)。 身体的な状態において、つまりあなた方でいうところの目覚めた状態において、これらの個人(スリープウォーカー)というのは寝ています。 あなたがたにとって、対照的な言い方となりますが、彼らの目覚めているときの活動というのは、夢のように思えるでしょう。 しかし、彼らは優れて自然な身体的優美さをもって行動しており、身体を能力の限り機能させることができました。 彼らは病気や制限といったネガティブな信念というものを背負い込みませんでした。 そのような身体というのは、あなた方の身体がするように、老いるということを現代の(我々がする)程度まではしませんでしたし、大いなる安らぎを楽しんでいました。また、自分の置かれている環境に属しているという感覚もありました。 そういうわけで、肉体でつながれている意識は、霊的にも生物学的にも大きな余白があり、あなたがた自身の特定の方向性を除いて、肉体と、そして肉体を通して多くの点でそれ自体にフォーカスすることができます。 メインの方向性は精神的な部分であるためにあなたがたには明らかではないけれども、非常に洗練された発達した文明というのがあります。 (高い精神性の)一方で、彼らは身体的な種族それ自体としては非常に未発達であるように見えることでしょう。 彼ら自身の個人的な夢のいくつかにおいて、私(セスのこと)の多くの読者は通常の現実とほとんど同じくらいの鮮やかな現実を発見していることでしょう。 そして時には(同じどころか)より鮮やかなのです。 これらの経験によって、私が話している存在についてのかすかなヒントを得ることができるかもしれません。 同様に、いくつかの動物の冬眠に関係した身体上の器官があり、それは身体と意識との関係性について、さらなる手がかりを与えてくれます。 例えば、ある状況下では、意識というのは、身体的なメカニズムを損なわれない状態におかれ機能はしていますが、メインテナンスレベルのままにおいておくことができます。 そして、最適な条件が戻ってくると、意識は身体を再び活性化します。 そのようなふるまいは動物だけができるのではありません。 あなた方自身のシステムとは異なったシステムにおいて、あなたがたにとって数世紀もの不活性の後、身体組織が活性化している現実があります。 繰り返しになりますが、コンディションが適切であれば、です。 ある意味において、あなた方自身の生と死のサイクルは、あなた方が理解している冬眠の原理の別の側面にすぎません。 メッセージが(脳内で)神経末端を飛び越え(てシナプス間で伝えられるの)とほとんど同様に、あなた方自身の意識は身体を(飛び越えて)去るのです。 意識はその間、損なわれません。 さて、冬眠する動物の場合、その体は同じ状況にあります(単に不活性の状態にあるだけで、上で述べた人間の意識と同様に損なわれていないということ)。 しかし、あなた自身が経験するより優れた冬眠においては(生に対する死のこと)、身体は全体として操作できなくなります。 (他方で)明らかなのは、あなた方の中にある細胞は、常に死んでいるということです。 あなたがたが現在保有する肉体は、10年前のものではありません。 というのも、その身体的な構成はあなたが生まれて以来何度も完全に死んできたんですが、あなたの意識がそれらの(死の)ギャップを埋めているのです。 むしろそれら(新たに生まれた体)は受け入れられ、そのような場合、例えばそれはあたかも、7歳、あるいは14歳、21歳の時に(輪廻して)生まれ変わるようなものです。 しかしながら、あなた自身の特定の自分であるという感覚は、ずっと続くのです。 基本的な意味においては、身体というのは、あなたがたが身体は確実に死ぬと考えているのと同じくらい確実に、頻繁に死にます。 ただ、あなたがたが認識している死が一度であるというだけです(実際には何度も死んでいます)。 無数の機会において身体はバラバラになり(死にます)が、あなたがたの意識はそれらの「死」を乗り越えているのです。 あなた方はそれらを知覚していません。 あなた方が「人生の最期に」のみ体の組織が地上に崩れ落ちると考えているように、実際には、あなた方の体の組織は何度も朽ちているのです。 繰り返しますが、あなた方自身の意識は、あなたがた自身が認識していないそれらの(肉体上の)死を何度も乗り越えているのです。 しかしながら、あなた方の選んだ三次元的な存在の中では、そしてそのような三次元的な意味合いにおいてですが、あなたの意識は最終的に死を認識する時がきます。 その(三次元空間)の外側から、意識をピンポイントに交差させることがほとんど不可能となり、肉体から離れるように見えます。 意識としてあなた方が、死が起こると決めたとき、その時あなた方の言い方では、あなた方はもはや、数分刻みで訪れる受け入れられない死のギャップを乗り越えることをもはやしなくなります。 ここで、意識は肉体を離れることを決め、公式な死を受け入れます。 ただ、あなた方はすでに、ある状況を選んでいて、その状況は不可避であるように思えます。 あなたがたがある一定期間肉体であるとみなす意識を、あなた方が選んだという事実は残ります。 全体的に異なった秩序であったり、異なった経験のリズムをもっている他の種族の意識は、あなた方の言い方における人生を一日であるとみなすでしょうし、見かけ上の人生、死、そして新しい人生との間のギャップを埋めるのになんの問題もないでしょう。 人によっては、他の人生の記憶に自分自身で気づいている人も中にはいますし、そのような人生は、魂の別の日なのです(過去世あるいは未来世などにおける)。 そのような人々はそういうわけで、より大きな意識が生と死のギャップに到達していることに気づいていて、地上での経験が、一つの肉体以上の存在の知識(過去世、未来世の記憶等)を[他の存在との間で]含み得るということがわかっています。 したがって本質的に、意識というのは、肉体に合意の上で入り、実際そのような包括的な関係性を実行しうるのです。 おわかりのように、人間の知性によって、あなた方が通常は精通していない(過去世、未来世等に関する)ある種の記憶を扱う潜在能力というのが、少なくとも表れてくることがあります。 これはつまり、生物学的にでさえ、その種(人類)は、一つの特定の時間の体系の中でいまだに(物事を)処理しつつも、異なった一連の時間を扱うことができるということを意味しています。 このことはまた、さらにいっそう優れた心理的な豊かさをも暗に示しています。それは肉体的な現実の中で可能であり,その豊かさの中では、多くのレベルでの関係が扱われ得るのです。 そのような内なる知識は、細胞の中に生まれつき備わっているものであり、通常の進化の言い方に従えば、「未来に」発達するものとして十分可能なものなのです。 知識はたいてい、あなた方の現実では、年齢を重ねた者や、本や歴史書を通して伝えられていくものですが、(実は)人間個人には、彼自身または彼女自身の中に、広大な(知識の)貯蔵所があります。 つまり、あなたがたの言い方では、無意識の理解を通じて得られる、過去の知識の直接的な貯蔵庫なのです。 知られざる現実。多くの現実は、単にあなた方の信念が知識から自分自身を閉めだしているという理由から、知られていないというだけなのです(訳者注:つまり、知識の貯蔵庫へのアクセスを自分自身でシャットダウンしているということ)。 あなた方自身の意識の到達には、制限がありません。 あなたがたは、時間というのは直線的に経過するという観念を受け入れているがために、あなたがたは自分自身が生まれたり死んだりするものとみなす出来事の前や後(つまり、過去世、未来世)が見えなくなっているのです。 しかし、あなた方の大いなる意識は、そのような経験に完全に気づいています。 理想的な話をすれば、「過去の」人生生活を思い出すことができるだけでなく、今、未来の生活を計画することもできます。 より大きな意味では、そのようなすべての人生というのは同時に起こっています。 あなたがたの神経学的構造がこれを不可能であるように思わせているのですが、あなたの内なる意識はそれほど妨げてはいないのです。 Some rights reserved by Dylan Parker | |
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