お返事 | |
2013年12月8日 23時42分の記事 | |
最近、ばたばたしておりまして、せめてコメントへのお返事でもということで、本文のほうにも転載させていただきます。ペコリm(__)m←反省中(笑)
「般若心経後段の霊的意味について」 http://blog.kuruten.jp/imimi/276305 「般若心経後段の霊的意味について(PART2) http://blog.kuruten.jp/imimi/276589 >前回と今回の般若心教、素晴らしい内容で驚き、感動しました。この通りだと思います。そして結界構造を設定した人物を人類史的にどう評価するかという問題はありますが、この結界構造が必要ない時代に我々は突入していて、今回のような情報を得ることができる時代にいることの意味のほうに注目したいところです。 >般若心経の問題についてこれほど具体的に言及されたことは かつてなかったのではないでしょうか。とても貴重な指摘だと思います。 ですが、今まで般若心経に様々なご利益を求めてきた人々の思いを思うと複雑です。 コメントありがとうございます。 般若心経も、それ自体が悪いものではなく、要は使い方なんでしょうね。意識の置き方といいますか。 我々は普段、般若心経の中身までは知りませんし、僧侶の方ですらその状態かもしれません。 むやみに現世ご利益的な効果・効能をそれ自体に期待することや、何かいいことありそうだからただなんとなく唱えているだけでは、駄目なのではないかという問題提起として、今回の記事を読んでいただければ幸いです。 釈尊は、「ジャスミンの花が落ちるように比丘(僧侶)よ解脱しなさい」と言ったそうです。このジャスミンの花というのは、煩悩のことだとされています。 そうすると、我々は煩悩に囲まれつつ、煩悩を一枚一枚脱ぎ捨てながら霊性進化の道を進んでいくことになりますが、そこにお経というアイテムは必須ではないように思います。 では、何が必要かというと、自灯明なんでしょうね。 ちなみに、法灯明というのは、仏典を指しているわけではないと思います。 もっと根源的な、自然法則、宇宙法則を指しているように感じられます。 トータルにみてこの世的な結界構造が明らかにされる時代に入ったことを鑑みれば、 自灯明、法灯明に目覚めつつ、ジャスミンの花のように煩悩を脱ぎ捨てる時代が近いうちに個々人の内面で実現されていく、そういった時代に入りつつあるのかもしれませんね。 Some rights reserved by rjasmin | |
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