なぜ今スピリチュアルなのか? | |
2014年6月12日 15時4分の記事 | |
最近は、社会全体が戦前・戦後に比べて比較的裕福な時代となって、多くの人が精神的なものにも目が向けられる時代となりました。 例えば、スピリチュアリズムの世界では世界的に見て評価の高いシルバーバーチにしても、その登場は1920年代であり、激動の時代であった第二次世界大戦中において、苦しい状況に置かれていた人類に向けてメッセージを送り続けていました。 しかし、当時はまだ精神世界のことはごく少数の人にしか関心がない中で、細々と続けられていた状況でした。 つまり、世の中がとても苦しい時代において始まった精神世界への目が、割と平和な現代において盛んに花開くようになったという見方ができるように思います。
人間、苦しいときには、何かにすがりたくなるものです。 第二次大戦中、戦場に向かう兵士の中には、シルバーバーチの霊訓を肌身離さず持ち歩いていた者もいたといいます。 つまり、その当時は世の中全体が大変な時でしたから、苦しい状況を乗り越えるための心の支えとして、スピリチュアリズムが生きていた時代であったわけです。 転じて、現代はどうでしょう。 いくつかの地域では、いまだに紛争が絶えないところもあります。 ですが、たとえば我々の日本においては、幸いにもそういった紛争状態に置かれているわけではありません。 したがって、我々がスピリチュアリズムのような精神的なものを求める理由は、苦しい状況から逃れるためというより、より自分自身の深奥に目を向けるためというように、目的が昔とは異なってきているという事実があります。 もちろん、この辺も、人によって状況は異なるわけですけれども。 ただ、現代のスピブームというのは一種の娯楽の延長のようなところがあって、エンターテイメントの要素がたぶんに含まれているのが現状だと感じます。 テレビや映画を見るようにして、いかに自分を楽しませてくれるのか、そういったものがもてはやされる時代であるように思います。 私は、21世紀の次元上昇(いわゆるアセンション)の時期というのは、一人一人がもっと自分自身の内面に目を向ける時代であると感じています。 いわゆるスピリチュアルな存在というのは、つまりところ、我々の存在それ自体を指していると感じます。 超能力、霊能力、心霊スポット、そういったものを求めることがスピリチュアルではなくて。 もっと、日常生活に目を向けた、当たり前のところに、ごくありふれた人間関係において、人間の感情の表れである喜びや希望、叡智、愛、創造性、そういったものの発露こそがスピリチュアル的な部分の本質ではないかと感じています。 つまり、何を求めるにしても、日常生活をしっかり見つめて、心豊かに過ごしていけることこそが、人間として重要なことではないかと考える次第です。 私は縁あって、リーディングというものを深く追求するようになり、それを人様にさせていただいたり、ご説明したりする機会をいただくようになりましたが、そもそもリーディングというものは、摩訶不思議な能力ではなくて、人間ならだれもが備えた潜在能力にすぎません。 今必要なのは、我々の潜在能力の延長上にたとえば超能力や霊能力その他の能力を位置付けることによって、もっとハードルを下げてやって、それらを日常生活で活用しながら、より心豊かに、周りの人と調和・協調してやっていくことではないかなと日々感じています。 そのための瞑想ならそれは素晴らしいものだと考えますし、そのためのリーディング、ヒーリングなら、それもありだなと感じています。 つまり、我々とは切っても切れない関係にある、我々の本質部分であるスピリチュアルな部分を、我々とは切り離して論じること自体、ナンセンスだと感じています。 かつて、ブッダはこういったことがありました。 過ぎたことを顧みることなく、 まだ来ぬ出来事をいたずらに追い求めることなく、 取り越し苦労をせず、 日々の生活を噛みしめていけば、 身も心も健やかである、と。 我々にとって今大切なのは、日常生活を喜びに満ちて、健やかに、生活していくことであって、 そのためには、自分が今直面している現実から目を離さずに、それと向き合い、 日々の日常を生き切ることが重要だと感じています。 そのためには、今ままで常識だと信じて疑わなかった社会の古い因習的な信念等を、いったんわきに置いてみることが時として有益であることがあります。 そうでないと、お金や地位や名誉、家族など、自分以外の何かのために身をすり減らして働いてきたが、災害ですべてを失った時に、我々は何をよりどころにして生きていけばいいのかわからなくなる可能性があります。 仏教では、脚下照顧という言葉がありますよね。 一般的には、脱いだ履物をそろえる意味で使われていますが、それだけではなく、自分自身の心を整えるという意味も込められているといいます。 つまり、一番身近にある自分自身の足元を見つめなおして、心身を整えていくことによって、何かに頼らずとも、心すこやかに生活していけることのアドバイスが含まれているように感じます。 同じことは、スピリチュアリズムにも言えます。 今はもう、何かにすがる時代ではないと思います。 何かにすがっても、結局人生を生きるのは自分自身であり、自分で何とかしなければならないからです。 もしそうだとするならば、まずは自分自身を見つめなおし、自分の持っている古い信念を脱ぎ捨て、周りとの調和・バランスを意識して、すこやかに生活していけることこそ何より大切なことではないかなと感じます。 超能力、霊能力、リーディング、ヒーリングそれ以前に、我々は一人の人間なんだということを、もう一度考えてみる時期に差し掛かっていると感じる、今日この頃です。 | |
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