リーディングの検証 | |
2014年8月20日 23時15分の記事 | |
前回ご紹介したMさんの過去世で、興味深いものがあります。 それは、フランス革命期に処刑された王の血を引く人物であったという点です。
フランス革命の時に処刑された王といえば、歴史上、ルイ16世しかいません。 こういったケースは非常に稀です。 通常、過去世を見ても、それが真実かどうかの検証ができないのですが、上のケースでは少なくともルイ16世の家族については歴史上記録が残っているからです。 そこであらためて調べてみたところ、ルイ16世には4人の子供がいたらしいです。 男の子が2人、女の子が2人です。 このうち、長男は7歳半で脊椎カリエスのために死去しています。 次男はルイ17世で、幽閉された後に病死しています。 次女は1歳弱で病死し、 天寿を全うしたのは長女のマリー・テレーズのみであるとされています。 マリーテレーズは結局、73歳ぐらいまで生きているのですが、このマリーテレーズという人物は、フランス革命後、伯父のルイ18世と共にオーストリアに亡命しています。 そして最終的には王家の血を引くもの者として波乱に満ちた生涯を送っています。 ところが、このマリーテレーズという人物には、替え玉がいたという説があるようなのです。 それは、エルネスティーヌという人物で、マリーテレーズに瓜二つだったと言われています。 このエルネスティーヌという人物は、もともとはヴェルサイユ宮殿の小間使いが出産した少女が、王の娘であるマリーテレーズの遊び相手として迎えられた人物らしく、少女の生みの母親が亡くなると、王妃であるマリーアントワネットはエルネスティーヌと改名させ、養女にしたと言われています。 このマリーテレーズとエルネスティーヌとのすり替え説は、真面目に議論されているらしく、すり替えは1795年にマリーテレーズがタンプル宮に幽閉されている間に起こったと言います。 当時17歳であったマリーテレーズが、何者かによって乱暴されて身ごもってしまったために、瓜二つであったエルネスティーヌとすり替えられたというのです。 それというのも、当時ウィーン王家との間に縁談の話が持ち上がっていたマリーテレーズとしては、高貴な身分にありながら未婚の女性として妊娠することはもってのほかであり、許されない事だったからだというのです。 その後、マリーテレーズが王家と離れて暮らすことになり、すり替えられたエルネスティーヌがマリーテレーズとしてオーストリアに行き、そこで生涯を終えているというのです。 そして、当のマリーテレーズは、いろいろなところに身を隠しながら、そして様々な人物の庇護を受けながら、ヨーロッパを放浪し、最終的には1837年にドイツのアウスハウゼン城で亡くなっています。 このマリーテレーズ本人の生涯が、前回ご紹介したMさんがフランス革命時に女性として生まれていた場合の人生に非常によく似ていると感じます。 マリーテレーズのすり替え説については、このサイトに詳しく載っていますので、興味のある方は読んでみてください。 一方、ルイ16世には三男は歴史上存在したとはされていないことから、これについての裏付けはとれませんでした。 セスの考え方に基づけば、いわゆる蓋然的現実として、ルイ16世に三男が誕生する可能性レベルでの現実が存在していたのかもしれません。 あるいは、実際に記録には残っていない三男がいたのかもしれません。 マリーテレーズの遊び相手だったエルネスティーヌのような存在が、長男か次男にもいた可能性があります。 ただ、それについてはここでは検証できないので深入りしません。 いずれにしても、ここまで過去世の人物で裏の取れた人物は今までいなかったので、リーディング結果と実際に起きた歴史的事実との整合性を見る上で興味深い資料として、備忘録的にブログ上で書き記しておきたいと思います。 Some rights reserved by Pank Seelen | |
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