典子様のご成婚、伊勢と出雲の歴史について(PART3) | |
2014年10月7日 21時32分の記事 | |
(前回の続きです。)
これに対して、出雲の縄文文化に由来する古代国家は、シリウス系です。 今から3500年以上前のことです。 このグループも、もともとは渡来系の人々が出雲の地に流れ着いてきているのを感じますが、 興味深いのは、今の伊勢の伊雑宮(いざわのみや)のあたりに超古代にあった国の民族と同族であると感じることです。 重要だと思われる点は、両者とも、シュメールのユダヤ民族に端を発していると感じられる点です。 おそらくは、縄文期にあった出雲国の民族も、伊雑宮の近くにあった古代国家(私はこの古代国家は、「ホツマツタエ」のハラミ宮との関係を感じます)の民族も、 古くはシュメール文明を受け継いでいる民族で、ほぼ同時期に日本列島にたどり着いているのを感じますが、 そのたどり着いたルートが異なっている可能性があります。 つまり、出雲が朝鮮半島を経由してやってきたのに対し、伊雑宮のグループは、ロシア、北海道を経由して東北地方に入り、やがて伊雑宮の地まで到達したと感じます。 それが紀元前1500年頃です。 それ以前にも日本列島に人間がいた可能性もありますが、6500年前にすでに大規模なパラダイムシフトが起きた後だと感じますから、 いわゆるムー文明とのつながりは希薄となっていますので、日本の歴史は紀元前1500年前に始まったという見方もできるように思います。 (青森県の三内丸山遺跡などは5500年前の遺跡とされていますから、ムー文明とのつながり等について、今後リーディングしていきたいと思っています。) そんなわけで、伊勢と出雲のつながりは、いまからおよそ約3500年前(紀元前約1500年前)に見出すことができると感じます。 余談ですが、伊雑宮とユダヤ民族との関連性は、「イザワ」→「イザヤ」という音もそれを示唆していますが、 そうすると、古代イスラエル王国の成立と若干年代的に合わない可能性があります(古代イスラエル王国の成立は紀元前1021年頃)。 一つの可能性としては、歴史上のイスラエル王国誕生前の古代国家とのつながりがある可能性があります。 なぜその古代国家が歴史に残っていないのかと言えば、 日本において古事記や日本書紀が時の権力者によって都合よく書かれた可能性があるように、 新たに成立した王朝がそれ以前の王朝の歴史を封印したからではないかと思います。 典子様はもともと天皇家とは無縁の魂の起源をもち独自の進化を遂げてきた方で、天皇家とのかかわりは先ほど申し上げたようにあるにはあるんですが、それほど強烈ではありません。 だからいいんだと思います。 新しい旋風を巻き起こしてくれる方ですから。 それに対して、数霊とは異なり、リーディングによれば、 千家国磨さんのほうがどっぷりと出雲を守ってきた千家家の負の遺産を受け継いでいて、それが氏の背後に暗雲のように立ち込めています。 その「暗雲のように」という表現の意味ですが、昔に存在していたであろう出雲大社の古い宮殿が見えていて、 江戸時代ぐらいのものが最も手前に大きく見え、その奥にはその前に建てられていたであろう神殿が見えてきます。 それは、吉野ヶ里遺跡の高見やぐらに近い形状をしています。 これらの神殿が負の遺産であると感じられるのは、ここでは深入りしませんが、出雲の歴代の神殿は、かつての国譲りの際の怨念を封印する意味合いがあるためではないかと思います。 そんなわけで、千家国磨さんを陰に見立てれば、典子様は陽の人物です。 陰、陽はエネルギー的な性質の違いにすぎず、そこに良い悪いはありません。 面白いのは、通常は男性が陽、女性が陰に見立てられるところが逆になっている点です。 これはまさに、新しい時代の到来を示唆しているとみることもできるように思います。 最後に出雲についてのリーディングをご紹介したいと思います。 リーディングの途中、「我々」と出てくるのは、千家国磨さんの意識をずっとさかのぼっていったときに行きついた、大国主と思われる存在が語っていると思われるために、そうなっています。 (私の感応では、大国主は実在した人物であり、千家氏は霊的なつながりにおいて大国主の分け御霊を授かっていると感じます。) もともと出雲の地は、海の神を祀る王国がありました。 海の神とは、もともとは海人族の流れをくむものの流れに属します。 祖先は、シュメールやヒマラヤ地方に起源をもちます。 出雲の神は、山の神を祀る九州のヤマト王国とは異なっているものでした。 山の神と海の神との交流が起きたのは、今から2300年前のことです。 それまで、出雲の地には、3つの王宮によって成り立つ王国がありました。 その3つを三位一体として出雲王国としていたのです。 それが、今から約2300年前、九州ヤマト国の者がこの地に兵をかかえてやってきました。 我々は争いたくはなかったので、素直に土地と人民を明け渡し、無血開城しました。 その時に3つの王宮を統括的に治めていたのが、大国主命(オオクニヌシ)です。 九州ヤマト国がプレアデス系だとしたら、出雲王国はシリウス系です。 大国主の兄(弟)が、ニギハヤヒです。 出雲に人が住みついたのは、今から7000~9000年前で、その頃はもっと内陸部にお社がありました。 大地の一部は大陸とつながっていました。 その後、地殻変動によって、徐々に陸が変わり、今の地に社がたつようになりました。 出雲は、宗像やヤマト国とも姻戚関係を持ち、タゴリヒメはもとは我々出雲の人間でした。 (リーディング終わり) 気になるのは、ニギハヤヒが大国主の兄(弟)であるとしている点と、出雲国出身で宗像に行った女性がタゴリヒメであるとしている点です。 まず、ニギハヤヒですが、神話上、大国主にはナガスネヒコという子がいて、その妹とニギハヤヒが婚姻関係にあったという説と、 ニギハヤヒはスサノオの子であるという説があることがリーディング後に調べたところ判明しました。 後者の説に立った場合、大国主はスサノオの子であるという説があるので、大国主とニギハヤヒは兄弟であることになります。 リーディング中、ニギハヤヒが兄であるか弟であるかは、はっきりしなかったので、兄(弟)としました。 もうひとつのタゴリヒメですが、以前宗像大社でリーディングした時には、宗像三女神は実在していて、 しかも三女神ではなく一人の人物(イチキシマヒメ)のみ存在していたという印象を得ました。 そうすると、この点どのように考えるかが問題となりますが、 Wikipediaによれば、『日本書紀』第三の一書では、タゴリヒメをイチキシマヒメの別名としているらしいです。 そうすると、タゴリヒメ=イチキシマヒメとなり、上のリーディングとの整合性も取れることになります。 ここ数か月間、広島宮島の厳島神社に始まり、宗像大社、熱田神宮、伊勢神宮(外宮、内宮)、伊雑宮と各地でリーディングをしてきましたが、 国家レベルでのエネルギー的な大きな流れを感じるようになりました。 詳しくは、各記事をご参照いただきたいのですが、 今回の典子様、千家氏のリーディングも、その大きな流れの中に含まれている気がしてなりません。 私は好きでいろんなところに赴いてはリーディングしていただけなのですが、 今の変革期に際して、過去に埋もれてしまっていた真実の一端を、自分なりに明らかにしていくつもりです。 | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. 小梅 2014年10月10日 22時35分 [返信する] 大国主、実在していたのですね。 ニギハヤヒさんの兄弟ですか。 てっきり、スサノオさんを封印する為に 作り出された、架空の存在かと 思ってました。 2. いみみ 2014年10月12日 20時38分 [返信する] コメントありがとうございます。 神話は、それなりの根拠があって作られているように感じます。 大国主もそうだと感じます。 ただ、大国主については、多くの人に信じられているような怨念は、当の本人にはないです。 出雲の場合は、多くの人の信念によって怨念があるに違いないと刷り込まれている点に問題があります。それによって、実際に怨念に似たネガティブな波動感じとられることがあります。 人々の信念によって歴史が作られる側面があるのです。
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