夢と現実の相対性、寛容性を手掛かりとしたアセンションの把握について | |
2015年1月5日 21時56分の記事 | |
今日は、現実は夢のようなものであり、夢は現実の一部をなしているという話をきっかけに話したいと思います。 あなたが現実だと感じている世界が、もし夢だったとしたら。。 実際、明晰夢と呼ばれる現象があります。 「あ~、これは夢だな」と、夢を見ている時に夢の中でそのことに気付く現象です。
私は、明晰夢はないのですが、体外離脱をしたときに現実の肉体から抜け出たと認識していたことがあります。 それはつまり、現実世界ではないと気付いついますから、一種の明晰夢とみることも出来るかもしれません。 そこで疑問がわいてきます。 この世が仮に唯一絶対の現実だとして、そのことを証明することは可能でしょうか? もし、現実世界で、「あ~、これは夢だな」と気づけば、それはある意味明晰夢と同じことになりませんか? 科学的な証明といっても、測定器が全て同じ次元に存在しているのに、どうやってこの世界が唯一絶対の現実だと証明できるのでしょうか? 結論はどちらでもいいんだと思います。 その人の考え次第だと思うからです。 今後の社会は、寛容性ということが求められてくるかもしれません。 太古の時代には、食人という風習があったと感じます。 異なる部族同士の争いで、戦闘中の者が、たまたま最強と言われる武将に勝った場合、その体力や知力、霊力を授かるために、食人をしたと感じます。 あるいは数千年にわたり、異なる民族間や異なる宗教を信じるもの同士が、自分の属している民族や宗教が正しいことを証明するために、戦争をしてきました。 人種差別なんかも、これと同レベルだと感じます。 ある高次の存在に、我々がアセンションの方向に向かっていることをどうやって確認したらよいのかを聞いた時、 この寛容性が社会全体にどれだけ出てきたのかを考えるとよいと言われたことがあります。 果たして、私達の世界には寛容性はあるでしょうか? いえ、私達というのは正確ではないかもしれません。 「あなたの目からみて」寛容性は現実世界の中に現れているでしょうか? あらゆる科学機器は同一の次元に存在しますから、次元上昇が仮にあるとして、それを知る手段は、「自分自身にある」、こういうことになるかもしれません。 Some rights reserved by paul bica | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. naggao 2015年1月6日 9時25分 [返信する] > 測定器が全て同じ次元に存在 新年早々、喩えが冴えますね。 その昔、解脱体験したときに感じたことですが、 人生体験とは「ほんの僅かな間の夢」にすぎないことを認識しました。 そのときに想起されたのは、嘗て強く愛した体験だけでしたが、それですら夢だったのです。 日常の些事など夢のまた夢?
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