コメントへのお返事 | |
2015年1月7日 22時41分の記事 | |
いただいたご質問と、それに対する私からのお返事です。
「ブッダの覚醒の話の続き」 http://blog.kuruten.jp/imimi/316734 >霊的なことばかり弟子に伝えた場合、 >弟子たちは奇異にばかり目を向けて >しまい、人間としての歓喜や創造性、 >愛といった霊性の発揮を >おろそかにしてしまったのです。 現代でもスピリチュアル好きな方 の中には、そういった人達も いらっしゃるような(汗) 精神性がある程度 高まった状態じゃないと 霊的な世界を知る事はマイナスに なってしまうのかも、ですね。 我々はそもそも、存在それ自体が霊的なのであり、霊的存在と霊的能力を分けて考えること自体がナンセンスだと私は思うのですが、 今の社会はほとんど全ての側面で物事を分離することで成り立っています。 スピリチュアルの世界でもそうです。 ですから、オーラが見える能力とか、透視が出来る能力、前世が見える能力だけを問題にして、我々の生活や存在そのものとは切り離して捉えようとします。 ですが、これはひとえに、突き詰めると社会全体の要求のようなものであり、言ってしまえばどうでも良いことだと思います。 社会がどうあるかが問題ではなく、自分がどうあるかが問題だからです。 ですから、スピリチュアルな世界についても今は二極化しつつあるように思います。 表面的なことだけやってみて興味がなくなったら離れていく人達と、もっと深い意味に気づき始める人達です。 自分自身が肉体や現実世界を作り上げている事実に気づき、そこで創造性や喜びを発揮していくことが、真のスピリチュアルな生き方だと感じます。 「夢と現実の相対性、寛容性を手掛かりとしたアセンションの把握について」 http://blog.kuruten.jp/imimi/317053 > 測定器が全て同じ次元に存在 新年早々、喩えが冴えますね。 その昔、解脱体験したときに感じたことですが、 人生体験とは「ほんの僅かな間の夢」にすぎないことを認識しました。 そのときに想起されたのは、嘗て強く愛した体験だけでしたが、それですら夢だったのです。 日常の些事など夢のまた夢? 証明や検証にとらわれ過ぎず、もっと柔軟な視点から良いものは良いと言えるような世の中になればいいなと思っています。 スピリチュアルは変だとか、宗教臭くていかがなものかとか、我々の大好きな「レッテル張り」です。 その中で、我々が現実と夢を明確に分離して考えていて、前者は大事だけれど、後者はとるに足らないものだと考える傾向にあります。 もちろん、そうしないと社会生活が成り立たない側面がありますが、それも時と場合によると思います。 スピリチュアルの本質が人間そのものであることを考えると、現実世界と向き合わざるを得なくなりますが、問題はこの現実というものをどう捉えるかです。 自分では変えられない、苦しみしか生まない、抑圧されたやるせない世界と見るか。 それとも、肉体も自分の環境、人間関係その他、自分が直面するありとあらゆることは自分自身で作り出していることに気づき、歓喜に満ちた現実を創造していくか。 現実というものの捉え方を変えることによって、柔軟な視点から物事を見つめ直すことによって、 受け身の生き方から、積極的、主体的な生き方に切り替えることによって、この夢のような現実をもっと自分にとって有意義に生きることが出来ると、私は考えています。 >わくわくするもの、とありますが、何を指すのでしょうか。 楽しみに思うものと解釈すると良いでしょうか。 例えばそれが犯罪や破壊的行為であっても可とするのでしょうか。 斜め読みの発言とは思いますが、今の時代は残念ながらわくわくとか楽しみ?を見失いがちな時代であり、それを探す為に彷徨う人が大勢いるとも感じます。 imimiさんも以前、心から楽しめない、今日は楽しむ、わくわくしてくる、を意識的にブログで頻繁に口にされていませんでしたか。 もしかしたら何かの外国語変換すると通じる表現かもわからないのですが、どういった状態を指すのかわからず、漠然的と感じましたので質問申し上げます。 >わくわくするもの、とありますが、何を指すのでしょうか。 楽しみに思うものと解釈すると良いでしょうか。 最初はそれでいいと思います。 ですがそもそも、本当にワクワクしている時には、ワクワクとは何か?!などとは考えないものです。 ワクワクすることをしてみてくださいというのは、単なる例示です。 ワクワクが何かは、人によってまちまちですし、あなたが何にワクワクするかは、あなたしかわからないことです。 ワクワクが何かわからなければ、あなたの変える「楽しみに思うもの」でかまいません。 でも、私はあなたにそれを強いているわけではありません。 好きにしてください。 我々は、与えられた範囲内でどのような生き方だってできます。 幸せであろうと思えば、「私は幸せだ」ということを実感するだけです。 たとえあなたの理想的な幸せ像からみて、あなたの現実が幸せとは思えなくても、 考え方を柔軟にして、いろんな見方をすることによって、視点を切り替えることによって、幸せを感じることはできます。 それは外側の世界から、誰かから押し付けられるものではなく、どこかの教祖様から授けられるものではなく、自分自身で探すものです。 これは、他人軸の視点からは生まれず、自分軸の視点、自立した自分自身を確立しようとしたときに生まれてくるものです。 >今の時代は残念ながらわくわくとか楽しみ?を見失いがちな時代であり 私はそうは思いません。刹那的な快楽やギャンブル、お笑い、そういったものに楽しみを見いだしている人は多いと思います。 私はそれはそれで素晴らしいことだと感じます。 だって、本人がそれで満足しているなら、いいではありませんか。 ですから、逆に言えば、楽しみがわからない、ワクワクがわからないなら、それはそれでいいと思います。 その人の自由だからです。 でも、あなたが人生を楽しみたいなら、ワクワクしたいなら、あなたにとっての楽しみやワクワクを自分自身で考えて見てください。 人それぞれですから。 あなたの考える楽しみやワクワクを追求していっていただければと思います。 Some rights reserved by nosha | |
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1. naggao 2015年1月11日 23時41分 [返信する] 気まぐれな書き込みにも丁寧に回答までいただいて有難うございます。 ハートの感覚で自分がどう在りたいのか。 そのことにどれだけ忠実でいられるのか。 自分に問い続けることが大切なのだと理解しました。
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