九州旅行の感想など(PART2) | |
2015年1月9日 18時48分の記事 | |
2日間、簡単に言うと食事と温泉三昧でぐーたらしてました。 端折り過ぎですね(笑) 仕方がありません、一応スピ系ブログですから(笑) そんな感じで2泊3日の温泉宿を後にし、帰る途中で宇佐神宮に参拝してきました。
宇佐神宮には3年連続で初詣しているのですが、今年は初めて表参道から境内に入りました。 いつもは三が日にかぶっていたので、表参道からは人が多すぎて物理的に無理だったのですが、今回初めて三が日を外して参拝する機会を得たためです。 ですが、今までは裏からしか入れなかったのに、今年は表から宇佐神宮に参拝できたことに、何か意味があるんだろうねという話を、その時ルシアさんとしていました。 宇佐神宮は八幡ネットワークの総本山であり、八幡様は山口に来てから非常に縁を感じている神様です。 余談ですが、新年が明けてから、どこかの神社のヴィジョンを感じていました。 そこは凛とした神社特有の雰囲気が漂っていて、やたらと静けさが漂っていたのです。 すごく静かな感じです。 でも、三が日の有名どころの神社で、そんな静かなところなどあるはずがありません。 おかしいよな〜と思いながら、ルシアさんにそのことを話していたりしていました。 ところが、今回たまたま3年連続で立ち寄った宇佐神宮の神域の雰囲気が、正月早々感じていた神社の雰囲気にそっくりだったのです。 これと同じくらい驚いたのが、宇佐神宮の雰囲気が以前よりもずっとよくなったことでした。 神社らしい清々した雰囲気に終始包まれていました。 去年も一昨年も、私は三が日で人が多いせいだろうと思っていたのですが、ぶっちゃけ、確かに宇佐神宮は素晴らしいといったほどのインパクトを感じることが出来ませんでした。 ところが、今年からそれが打って変わって素晴らしい雰囲気に包まれていたので驚きました。 ルシアさんも同じことを感じていたみたいです。 それまで、2年連続で参拝していたので、正直いまいちだよね〜という話はしていたのです。 もちろん、神社が変わったというよりは、私たちが変わったんだと思います。 神社は内在神を写す鏡ですから。 宇佐神宮の本殿を参拝した時に光の柱を立てたんですが、その時私はいつものように単に感謝をささげていました。 特に無目的です。 感謝をするときには、言霊の力を使います。 言ってみればこれは、セスのいう「豊かであるフリをすると豊かさを引き寄せる」という話に似ていますが、それとは違います。 実際に言葉の音(言霊)に感謝のエネルギーが生じるからです。 すると、どこからともなくインスピレーションが降りてきて、私は宇佐神宮の本殿で、私がなぜ宇佐神宮を参拝するのかを自分自身に問うてみることにしました。 それによれば、私が宇佐神宮を参拝する目的はただ一つ、自分自身の浄化統合のためであるとのことでした。 同時に見えてきたビジョンは、5円玉のような形の白い光です。 なぜ5円玉の形なのかはわかりません。 お賽銭をあげなさいという意味ではなさそうです(笑)。 このように、宇佐神宮の雰囲気はガラッと変わったわけですが、もちろんこれにはいろんなタイミングが重なったというのもあります。 まず大きかったのは、三が日の参拝を外したというのがあります。 大勢の人が集まると、人の思念で神社の清浄さがかき消されるからです。 (あとは、参拝する時間帯によっても顕著な差が出たりします。) 神社一般については、最近ではいろんな見解が言われるようになりましたし(肯定的なものも否定的なものも)、どれが正しいとか正しくないとかそういうこともないのだと思います。 たとえば神社を否定的にとらえる人からすれば、神社はそこに祭られている人のたたりを封印するために建てられたものだという点を強調されたりする場合もあるようです。 全部ではないにしても確かにそういう側面もあるとは思うのでわからなくもないのですが、むしろ千数百年にもわたる人々の共有思念の働きのほうが強烈だと個人的には感じます。 つまり、名の知れた神社のほとんどがなぜ独特の清々しい雰囲気を保っているのかです。 それはひとえに、リアリティというのは我々の信念によって作られている側面があり、それは神のような存在でも同じことがあてはまるからです。 その意味で、神も我々が作り出しているという見方ができます。 (ですが、それは単なる妄想ではなく、我々の世界ではそれが実際に作用してきます。) 伊勢神宮は歴史的には本当の意味での皇位継承を受けた神社ではないという見方もあるらしいですが(本物はニギハヤヒの系統だという説)、エネルギー的にはまやかしではなく本物だと感じます。 ただしそれは、外宮、内宮、伊雑宮を一体としてみた場合です。 出雲大社にも行きましたし、そのほかにも有名な神社はかなり行きましたが、やはり伊勢、それも伊雑宮のエネルギーは別格ではないかなと思います。 実際に、数年来自分でいろんなところでエネルギーを感じてみて、そのように私はいまだに考えています。 伊勢のエネルギーと比較してみると、宇佐神宮もいいんですけど、抜きん出て良いというレベルにまではいきません。 ですが、百聞は一見に如かずといいます。 ぜひご自分で実際に行かれてみて、ご自分にあった神気(神社のエネルギー)を探してみてください。 ポイントは、「神社を利用してやろう」などという気持ちを持ったり、「ご利益を授かろう」と下世話な考えを持つのではなく、ただ感謝を捧げてみてください。 神社は、自分の神聖な領域の写し鏡だと思ってみてください。 人間にはだれしも、たとえどんなに悪い人に思える人でも、1つぐらい良いところがあるものです。 しかもその良いところというのは、神様の領域まで通じているんです。 私たちが神頼みをするとき、自分にとって何か良いことを神様がしてくれるようにと期待しますよね。 なぜ神様はそのようなことができるのでしょう? それは私たちが、神様はすごい存在なんだと思っているからですよね。 でも。。。 本当は、神様は、私たち一人一人の心の中にいる自分自身なのです。 神頼みをするというのは、私たちは自分で自分を縛っているようなものです。 縛れば縛るほど、それがかなわない方向に向かいます。 自分自身の能力に縛りをかけていけばいくほど、自分の能力を制限していくからです。 最終的には、全部自分の宇宙の中で自分がしている出来事ですから。 感謝だけ捧げて、あとは宇宙にお任せが一番な気がします。 | |
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