一人一人がグルである時代 | |
2015年1月18日 22時35分の記事 | |
今日、久しぶりに、ロバートモンローの本を読みました。 ロバートモンローという人物は、意識の研究機関であるモンロー研究所を作った人物で、ヘミシンクを開発した人物でもあります。 あまり知られていませんが、セスのチャネラーだったジェーンロバーツとも交流がありました。 モンローはセスからかなり影響を受けていると感じます。 ロバートモンローは自然的体外離脱者であり、ヘミシンクを開発しましたが、ヘミシンクは用いずにあらゆる多次元的な体験をしました。
モンローの著作を読んで感じるのは、物や人に頼ることの是非です。 少なくとも、それが終着点ではないはずです。 単にそれらは出発点にすぎず、やがては自分自身の創造性を追求していく。 それが私達人間なんだと思います。 これは、私達の現実世界のあらゆる面に反映されています。 私が深く関わってきたヘミシンクに限ってみると、ヘミシンクは単なるツールであり、出発点に過ぎません。 我々はどうしても、ヘミシンクCDならヘミシンクCDという外形にとらわれがちです。 極論すれば、ヘミシンクCDというのは、ロバートモンローの信念によって生み出されたものです。 ですが、モンローが生前説いたのは、体験者が自分自身で体験することであり、自分自身を探求していく姿勢だったのではないかなと感じます。 最初は形から入ってもいいのですが、やがてはその形を越えていく姿勢だったのではないかなと。 そうしてはじめて、モンローの生み出した信念から外に出ることができます。 そうかといって、私はヘミシンクを否定しているわけではありませんし、今でもヘミシンクの有用性を肯定します。 ただ、ロバートモンローの著作を改めて読みなおしてみて、モンローの体験の深さがヘミシンクCDから来ているものではないことに、やはり考えさせられるものがありました。 ああ、そうか、人間というのは、やがてはオリジナリティを発揮し、自分らしさを追求していくんだなと。 あらゆる物や人とのふれあいは、単にそのきっかけに過ぎないんだなと。 そのような、うまく表現できないような、伝えきれないものを感じた次第です。 それが何であれ、依存心はさらなる依存を生み、そこから抜け出すのは容易ではありません。 だから、そういったフィールドには必然的にグル(サンスクリット語で先生,師匠の意。尊敬すべき長老,教団の統制者に対する尊称。ここでは「崇め奉られる者」の意)が現れます。 信者には教祖が必要だからです。 しかし、独創性は、それとは別の所にあります。 独創的な立場からすれば、グルはいりません。 一人一人がグルであり、独創性を生み出していけるからです。 モンローには独創性がありましたが、グルではありませんでした。 一人一人が独創的であることを求めたからです。 今はもう、グル(崇め奉られる者)はいりません。 一人一人がグルであり、自分で自分を導いていく時代だからです。 Some rights reserved by IainBuchanan | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. ビフォ 2015年1月21日 2時7分 [返信する] imimiさん、これは、一人一人がパワースポットであれということですかな?多分。 2. いみみ 2015年1月21日 13時8分 [返信する] コメントありがとうございます。 そうですね、感覚的にはそのように解釈できますね。
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