コメントへのお返事 | |
2015年1月25日 21時50分の記事 | |
ご質問と、それに対する私からのお返事です。
>こんにちわ、はじめてコメントします。 ヤフー知恵袋にこちらのブログが張られてあったので知り、それから読み始めて2日目です。 疑問に感じたことを質問します。 ●リトリーバルについて このブログは2009年から書かれていますが、その当時のリトリーバルとは、アカシックレコードへのコンタクトなのですか? リトリーバルでは、たくさんの魂が浮かばれてない状態でいるのを天に戻しているように思えました。 このようなことは通常人間ではなく、天使というような、人間ではないものがやる印象を持っていましたが、(天のお迎えが来たなどの文がよくあるのでそう思います)。リトリーバルのようなことはすべての浮かばれていない人間に対して行われているものなのですか。 まだ全部を読めていないのでわからないのですが。 そしたら、人間の住む世界はそのように保たれているのですね? リトリーバルとアカシックレコードへのアクセスは、全く別のものです。 リトリーバル(retrievals)は救出活動という意味で、自分と縁のある人で囚われ領域にいる人を救出するお手伝いをして、その人がしかるべきところに行けるようにすることをいいます。 それに対して、アカシックレコードへのアクセスは、アカシックレコードと呼ばれる情報源にアクセスして、必要な情報を得るものです。 ですから、我々の通常の認識に照らせば、両者は異なっていると考えていいと思います。 リトリーバルは、私独自の視点から見れば、むしろヒーリングに近いです。 実際、救出活動中にも、ヒーリングによってターゲット(救出される人のこと)を救出する場合もまれにあります。 リトリーバルは通常、人と高次の存在とのコラボで行います。 高次の存在は、バイブレーションが高すぎてターゲットに近づくのは容易でない場合があります。 その場合、生きている人間のほうがターゲットにバイブレーションが近いので、接触しやすいのです。 そのため、生きている人間がパイプ役となって高次の存在とターゲットとの間に入り、救出活動を手助けするのです。 これが救出活動の基本的な原理です。 もっとも、いろんなバリエーションがあります。 さきほど申し上げたように、あまり知られていませんがヒーリングによって救出することも可能です。 その場合は、自分が意識を拡大して高次の存在と融合し、高次の存在として活動することになります。 私が救出活動をする場合、このように多次元的な救出活動を行うことが多いです。 つまり、通常の救出活動も行い、高次の存在としても救出活動を行います。 その高次の存在を私は「本来の自分」と呼んでいます。 日航機墜落事故現場での救出活動の過去記事を読んでみてください。 >●自殺者の霊をリトリーバルした記事を読みました。 そのときにimimiさんは恐れを感じたとありましたが、今もまだそのように感じますか? 私には霊感はありませんが、話を聞いただけでも恐れてしまうのですが、どのように感じたらよいでしょうか。 私がリトリーバルの時に感じる感情は、多くの場合、自分以外の誰かからやってきた残留思念であることが多いです。 私が作り出したものではなく。 非物質的に活動するというのは、身体が磁石を帯びるような感じに似ています。 もしそうなったら、体に金属がくっついてきますよね? その金属がここでいう残留思念です。 ですから、リトリーバル終了後には必ず自己ヒーリングをします。 磁石を帯びた体をリセットして、体に付着した残留思念(感情)を取り除きます。 >●アカシックレコードについて たとえば文字は、人に同じような印象や事実を伝えることができますが、アカシックレコードは、自分にとってある日ある時点に行った場合、同じ印象、同じ事実があるのでしょうか。 つまり、固定化された不変の過去があるのでしょうか。主観的なものはあるとしても、ある程度固定化したことがあるのでしょうか。 長々と質問を書き込みますが、よろしくおねがします。 ある程度はそうなります。 しかし、絶対ではありません。 アカシックレコードは多次元的に存在していますが、通常の我々の認識に照らせば、存在ごとにアクセス領域が異なって独立して存在しているように感じられることがありますが、それは限られた我々の知覚、認識によりそう感じられてきます。 つまり、アカシックレコードそれ自体の認識の仕方も、人によって異なる可能性があります。 同じことは、アカシックレコードに書かれている情報を読むときにもあてはまります。 説明の便宜上、アカシックレコードに「書かれている」情報を「読む」と言いましたが、実際には文字がどこかに「書かれている」わけではないし、したがって「読む」わけでもありません。 エネルギーを感じとり、それを五感に置き換えて翻訳します。 ですから、アカシックレコードのエネルギーをどのように感じとり、どのように置き換えるかに、情報を読む人の個性が反映される可能性がありますから、 ある情報を読んでも、同じ言葉・事実として表現されるとは限りません。 つまり、非物質的な世界には、我々の三次元世界と同一の客観性は存在しません。 その情報を知っている存在のレベル(アクセス可能な次元)によって情報が食い違うことはざらにあります。 でも、そもそも我々の世界のような客観性なるものが存在しないので、情報が食い違うほうが自然なのです。 ですから、アカシックレコードを読むさいにも、その辺の事情を考慮する必要があります。 | |
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1. miko 2015年1月25日 23時44分 [返信する] お返事ありがとうございました。 理解が進みました。
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