引き寄せの法則は万能か?客観性とは何か? | |
2015年5月26日 21時21分の記事 | |
ミクシィからです。 「マーフィーの法則と多次元的真実」へのご質問です。 >量子学ですか 確かに村上和雄さんの映画『祈り〜サムシンググレートとの対話〜』でも祈りの効果について科学研究をされているらしいですね。 引き寄せの法則やジョセフ・マーフィーの法則も量子論で説明ができて余程トンデモ的な物でない願いなら実現できるのでしょうか? 確かに自分もネットのオフ会で知り合った友人居ますしその友人ともネット以外だったら出会うきっかけはなかったですし出会う場所は一般のリアルとも限らないですね。 そう考えると客観的とはあくまで統計的な物なのか? 「○○が美味しい」とか人気物だってあくまで統計的な物であり人類誰も例外なく共通ではありませんね。 ただイケメンやブサメンは客観的な物とはあるのではないかと思います。 モテるタイプやそうでないタイプもありますので どう思いますか?
>引き寄せの法則やジョセフ・マーフィーの法則も量子論で説明ができて余程トンデモ的な物でない願いなら実現できるのでしょうか? まず、引き寄せの法則やマーフィーの法則で願いがかなうかどうかは、量子論とは無関係です。 我々の世界にも量子的な世界という考えが成り立つ可能性があるというのは、量子論ですべて説明できるということではないので。 あくまで似たような性質を持っているということです。 引き寄せの法則やマーフィーの法則は、願いさえすればなんでもそれが実現するというものではないように思います。 それを、前々回の記事で、意図が実現するには、意図をするときの状態と、複数ある蓋然的現実(パラレルワールド)を考慮する必要があるように思うという言い方をしたわけです。 蓋然的現実というのは、セスの言い方で、一般的にはパラレルワールドとしてとらえられているかもしれません。 両者は厳密には違うと私は感じていますが、説明の便宜上、ここでは同じものを指していると思っていただいてかまいません。 まあそれでも、例えば宝くじを当てることを考えてみてもわかるように、引き寄せの法則やマーフィーの法則、あるいはスピ系で言われている意図をして実現するというのは、万能薬ではないことはわかります。 宝くじで1億円当選すると意図すれば、必ずそうなるかというと、そうならないことのほうが多いですよね。 おそらく、宝くじで1億円当選した人は、その人が宝くじを買う前に、近い将来に宝くじに当選するかもしれないという蓋然的現実(パラレルワールド)があったはずです。 もしなければ当選しませんから。 逆に、宝くじで1億円当選しなかった人は、その人が宝くじを買う前に、近い将来に宝くじに当選するかもしれないという蓋然的現実はなかったかもしれません。 つまり、宝くじを買うときにすでに宝くじに当選するという未来も同時に存在していることになります。 引き寄せの法則とは、この場合に宝くじが当たるという現実を引き寄せるにすぎないもので、最初からない未来を引き寄せることは出来ないのだと思います。 そうかといって、引き寄せの法則が嘘だということにはならないはずです。 つまり、考慮しなければならないのは、意図だけではなく、それ以外にもあるのだということです。 それ以外とは、ここでは「宝くじが当選する」という蓋然的現実です。 ですから、「余程トンデモ的な物でない願いなら」かなうというわけではない気がします。 トンデモ的かどうは、ぶっちゃけ人によるのだと思います。 多くの人にとって、宝くじで1億円当てることはトンデモ的かもしれませんが、実際に当てた人によってはそうとは限らないからです。 あと、後半部分の客観性について。 まず、客観性とは、多くの人の合意によって成り立つものではないかと私は考えています。 例えば1mという距離。 肘から手先までの距離の3つ分ぐらいですよね? これをなぜ1mと呼ぶのか? それは、「そう決めたから」に他なりません。 世界中どこにいっても、1mは同じ長さです。 同じことは、暦にしてもそうです。 今は西暦2015年ですが、キリストの生まれた年を西暦元年と定めたので、今は西暦2015年ということになっています。 それは、そのように定めたからです。 だから、世界中どこに行っても、今は2015年なわけです。 このように、客観性というのは、人々の合意によって作られている特徴があります。 上で申し上げたのは、意識的な合意によるものです。 ですが無意識のうちに合意が成立するものがあります。 それが、例えばイケメンとか美人とかではないかと思います。 これも、時代によって異なる可能性があります。 平安時代の美人と現代の美人の基準が全く異なるというのは、割と有名な話です。 その時代の多くの人々の間で、暗黙の了解があって、それによって「あの人は美人だ」とか、「あの人はブサイクだ」というのが決まっているのではないでしょうか。 客観性とは、我々にとっては確かにあると考えるのが普通ですので、ここではそれについて正しいとか、間違っているとか、そういった話をするつもりはありません。 しかし、セスなどの信頼できる情報によれば、例えば私たちが今いる部屋の大きさにしても、それが常に一定であるとは限らず、微妙に変化しているというのです。 我々はそれを物差し(スケール)で測りますよね? ですが、その物差しも部屋の拡大・縮小に合わせて変化しているので、物差しで厳密な大きさは測れないとセスは言います。 ここでいう物差しというのは、いわゆる科学的な検証とか証明の類に拡大して考えても当てはまります。 科学的な検証というのは、例えば科学的な測定機器にしても、それを構成している原子や分子が絶えず点滅するように存在したり消えたりしていているのですが、 我々はそれが存在しているときに「しか」フォーカスしようとしません。 それは、その科学的な測定機器を用いて測定される物についても同様です。 つまり、あらゆるものは、マイクロ秒ごとに、物質界と非物質界を行ったり来たりしているのが多次元的な真相であるとされています。 ところが、我々には物質界しか通常認識できないために、物質界と非物質界にある物の本当の姿を知らないのです。 非物質界については「なかったことにして」いくら科学的な測定をしても、真相の半分しか見ていないことになります。 このように、客観性は、多くの人が考えているのは意識的あるいは無意識的な合意によって成立したものであって、 そうでないものについても、厳密には観察者の認識の変化でたとえば部屋の大きさが変化したりしているので、 我々が考えているような客観性は存在していないというのが、多次元的な視点から見た真相だとされています。 Some rights reserved byvauvau | |
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