見えないものに目を | |
2015年9月14日 21時47分の記事 | |
夕食の時、Youtubeで前世の記憶を持つ少年の話をみんなで見ていました。 小さい人に、「あの世ってあると思う?」と試しに聞いてみると、「絶対あると思う!」と断言しておりました(笑) 前世についても聞いてみると、「間違いなく存在する!」と(笑) 最近の子は、YouTubeをDS(ゲーム機)とかでも見れますから、そういった前世とか死後世界が実在する的な話を見ている友達が多いらしくて。 時代も変われば変わるもんだなと、思ったりしております。
我々はどうしても、目に見えるものに心を奪われがちです。 ですが、それが行き過ぎると、一種の喪失感や虚無感、あるいはある種の生きづらさのようなものを感じるかもしれません。 かつての私もそうでした。 若い頃の私は、自分の能力を過信しすぎているところがありました。 やればできる。 そう自分を叱咤激励して、鞭打って、困難なもの、困難なもののほうに挑戦しようとする傾向がありました。 もちろん、適度なチャレンジ精神は有益かもしれません。 しかし、それもその人にとってのキャパ(許容量)というものがあります。 キャパを越えて、バランスを失してまで挑戦し続けると、やがて転げ落ちることになったり、体調を崩して病気になってしまったり。 どんなに心は「ダイジョブだよー!まだまだいけるよー!」と思っていても。 体は正直ですから、「僕はもう無理だよ〜!ギブアップ〜!」となります(笑) それが、方向性が違っているよという、体からの、魂からの叫び声です。 社会的な地位、名声、お金、美貌・・・etc そういった外見的なものを追求していくことは、ほどほどにしていれば問題ないのかもしれません。 しかし、度が過ぎれば、疲れちゃいますし、上には上がいることに気づきますから、果てしない終わりなき競争ゲームの始まりとなります。 そんな時には。。。 見えないものに目を向けてみるといい気がします。 創造性(感性)、喜び、愛。 例えば、彫刻家は、見えないもの(自分自身のひらめきや感性)を彫刻にして形として表します。 ですが、彼らはそのひらめきや感性が本当に存在しているのかどうかを証明しようとはしません。 そんなことをしなくたって、存在しているのは明らかですし、証明するのが重要なのではなく、作品を作り上げることが重要だということを知っているからです。 これは、創造性、感性、ひらめきをスピリチュアルなことに使う場合にも、同じことが言えます。 直観力、ひらめき、霊能力。 およそ人間の持つ能力で不思議なものなんてなく、すべて人間に本来的に備わった能力です。 直観力やひらめき、霊能力が存在しているかどうかを検証する必要はなく、それを用いて例えば私のようにリーディングをして地震予知に役立てたり、ライフリーディングをして人様のお役に立てたり、自分の生活に役立てたりできれば、それでいいのではないかと感じます。 たまには、見えないものに目を向けてみること。 自分自身の感性を信じてみること。 大切な気がします。 Some rights reserved by Roman Hobler | |
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1. ふーみん 2015年9月15日 0時1分 [返信する] 直観力、ひらめき、霊能力…。それらの能力はまだまだ開発途中ではありますが、おかげさまで目標が出来ました。あくまでも、『今現在の本業に身を置きつつ』の前置きにはなりますが、お二人の師の元、自身がそれらの能力を開発された暁には、『副業として』微力ながらも人様のお役に立ちたいと思っております。もちろん、本業の方でも人様のお役には立てますし、むしろ、一般的な意見としては「よそ見、寄り道などせずに本業に専念すべき」との声が最もかも知れません。ですが、単に自身の「やりたい」というハートの衝動なのです。以前は「人様のお役に…」とか建前の理由づけをしがらも、本当はそれらの能力を人様から認められたいだけなんじゃ…?と、ハートの衝動を否定する感情もありました。ですが今は、それすらも否定しません。だって、よくよく考えたら、それはどの仕事でも言える事ですからね。人様のお役に立つのが大前提としながらも、「その仕事をしている自分を認めてもらいたい」のは誰にでも(?)どの仕事をしていても、少なからずある様な気がします。とある方の著書の中に、食べていくための仕事が『適職』、魂が喜ぶ仕事は『天職』、「『天職』で食べていける人は少ない」とあったのが印象的でしたが、まさにその通りだと思います。僕自身も本業を『適職』とし、しっかり生計を立てつつ、魂が喜ぶ『天職』の道も作りたいと。imimi さんが『大きな大学病院の先生』なら、僕は『小さな町医者』で良い。大きな病院に比べ、患者(クライアント)は少ないし、医療機器(能力の精度)は十分ではないかも知れませんが、それでも、自分に救える命(お悩み解決)が少しでもあるなら嬉しい限りです。スクールのおかげで、本業以外でも小さな目標と生き甲斐を見つける事が出来ました事を、この場を借りて、imimi さんとルシアさんに感謝致します。
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