他人軸と自分軸について | |
2015年9月17日 22時13分の記事 | |
他人軸という言葉はありますが、自分軸という言葉はあまり聞かないですよね。 ですが、これからは自分軸の時代だと感じています。 なんでもいいんです、自分のやりたいことをとことんやっていく。 そして、周りの環境はともかく、自分がどうありたいのかを第一に追求していく生き方です。
最近、子宮系の人の話をよく聞きます。 名前を出すとご迷惑をかけるかもしれませんので言いませんが、話を聞いていてすごくスピリチュアルだなーと思って聞いています。 とりあえずスピリチュアルという語彙を使いましたが、私は世間で思われているような意味あいを込めて「スピリチュアル」という言い方をしているのではなくて。 自分の信じるところに照らして最も真実味のあることを言っているので、とりあえず「スピリチュアルだな〜」という表現を使っています。 ある方は、姫マインドと下女マインドという表現を使っていらっしゃいます。 素晴らしい表現ですよね。的を得ていると感じます。 要はこれは男性にも当てはまるわけでして。 他人軸に生きているか、自分軸に生きているかということだと思うんです、突き詰めると。 要するにブレがない。 話していること、やっていること、生き方に一本筋が通っている。 他人の意見に翻弄されないで我が道を突っ走っている。 男だろうが、女だろうが、見ていてカッコいいし、さっぱりしていて気持ちいい。 他人に自分の気持ちを預けたりはしない。 したがって他人の気をことさら引こうという気はない。 でも、逆にそういう人はどこか魅力的なんで、他人から好意的に思われたりするが、そこでもちゃんとバランスが取れているし、妙に相手に気を使わせたりもしない。 もちろん、自分から妙に気を使ったりもしない。 どんな形であれ、他人を持ちあげたりはしない。 自然に共感できる部分があって発現なり態度になって表れるということはあるにしても。 これが、自分軸の生き方だと感じます。 これは、その人がどんな信念を持っているかどうかは別にして、生き方、方向性の問題な気がします。 もちろん、人間ですから、不安感を抱いたり、恐怖心に駆られたりということもあることでしょう。 でも、そんなもの誰でも持っていますし、それ自体は人間を続けていれば大なり小なり生じてきます。 でも、それを持っているとか、持っていないとか、そういう話とはちょっと違うんですよね。 方向性の問題な気がします。 それが、いわゆる子宮系の人の話を聞いても、すごく納得できたり、素晴らしいなと感じたりする部分とかぶっているように思います。 究極的には、他人はどうでもよくて、自分はどうありたいのか、ただそれだけなんですよね。 でもそれは、私利私欲に走るとか、利己主義に邁進するということじゃないんですね。 まさにこれですよ。 「周りの状況がどうかが問題ではない。自分がどうあるかが問題である。」 | |
このブログへのチップ 0pts. [チップとは] [このブログのチップを見る] [チップをあげる] |
このブログの評価 ★★★★★ [このブログの評価を見る] [この記事を評価する] |
◆この記事へのコメント | |
コメントはありません。 | |
◆この記事へのトラックバック | |
トラックバックはありません。 トラックバックURL https://kuruten.jp/blog/tb/imimi/337066 |