次元や転生についてのご質問から | |
2015年10月22日 8時9分の記事 | |
>転生や次元について、基本的な事を質問しても宜しいでしょうか?
>前回、自分の過去生を5人教えて頂きました。これは、例えば千回転生してると仮定しますと、その中でも、現在の自分に特に影響を与えている過去生のベスト5と言う理解で宜しいでしょうか?(現在の自分のガイドのような?) そうですね、そう考えられていいと思います。 その影響の中には、いろんな影響が含まれていて、人によって事情が異なります。 性格的な影響、人間関係での似たような影響、特定人物との関係で生じるカルマ、課題的なもの等々。 ひとくくりにできないところがありますが、あえて言えば「影響を受けている(与えている)」という言い方ができる蓋然的現実です。 蓋然的(「可能性のある」という意味)といったのは、過去世も我々の現実世界と同様に可能性レベルで存在しているからです。 あえて言うなら、「もし自分が江戸時代に生まれていたら、こういう生き方をしていた可能性のある現実」といった感じかもしれません。 では、可能性にすぎないならば、現実ではないのかというと、そうとも限りません。 量子世界の素粒子のふるまいにすごく似ています。 素粒子も、場所の特定は確率的にしかできませんが、存在しているのは確かです。 それに似ているかもしれません。 >また、教えて頂いた過去生の順番は(まず最初に…が見えてきます、という具合に)時間的に新しいものから古い時代にさかのぼるのですが(多少の時代の前後はありますが)次元と関係有りますか?4次元、5次元、…という具合に?最後に教えて頂いた時間的に一番古い5人目が一番高い次元にいる?のでしょうか? 過去世も現世も未来世も、時空を超越した視点からみればすべてが同時に存在しているとされています。 ですが、時間軸の中で生きる私には、時間の流れがリアルに感じられてきます。 ですから、私が感じている時間軸の流れに沿って、今から近い過去世で影響の強いものを見させていただいています。 別の見方をすれば、過去世と現世を次元の違いで把握することも可能だと思います。私見では、江戸時代の日本と現代の日本では、バイブレーション(振動数)が異なっています。 次元の違い=バイブレーションの違いと一応とらえることができます。 ただ、我々の今の見方でいうところの三次元、五次元・・・というほどのバイブレーションの違いは、江戸時代と現代にはないと思います。あるのは、微妙なバイブレーションの違いです。 ですから、現代が三次元だとして、江戸時代が五次元、その前が六次元・・・になるわけではないということです。 (四次元は三次元世界に時間軸として包摂されているという風に考えられていますので、それに従い三次元の次は五次元とします。) もっとも、江戸時代に生きていた人格存在(トータルセルフのメンバー。霊的な家族)は、今の我々よりももっと進化していますし、この人格存在自体も輪廻します。 ちょうどそれは、今の我々から見て過去世があり未来世があって、亡くなるとさらに進化の階梯を進んでいき、ある場合には再生(再び生まれ変わること)をしたり、別の場合にはトータルセルフのエネルギーに融合して、より大きな「自分」として生き始めるのに似ています。 というか、おそらく今自分が直接的に影響を受けている過去世の場合、どの時代の人格存在も、そのような進化のプロセスを歩んでいることが多いと思います。 ですから、例えば江戸時代に生きた人格存在は、死後に進化していった結果、現在は五次元以上の世界に存在するということはありえます。 例えば、奈良時代に生きた人格存在が、6次元に存在するということもありえます。 ですが、今お話しているのは、過去世と現世の区別を次元によってとらえることができるかどうかですので、それとはちょっと異なります。 >例えば、千回の転生をしてる人は、千回分の過去生を多次元的には今同時に生きているとも聞いたことがありますが、次元とはいくつもの有るのでしょうか? これは、次元をどう定義するかにもよります。 一般的には次元を振動数の違いによって把握する人が多いですし、基本的には私もそのように考えています。 ただ、それだけではないと感じています。 存在がもつエネルギーの繊細さや個性、物事の認識の仕方や捉え方、許容性、物事に対する視野の広さ、意識の拡大の仕方など、およそ人格存在が関係する精神的な部分すべての違いに及んでくる可能性があります。 ですから、3次元にメインに意識を置く人格存在と7次元にメインに意識を置く人格存在では、単にバイブレーションの違いがある以上の違いがあると、私は感じています。 そして、「類は友を呼ぶ」法則によって、我々の世界と同様、似たようなものの見方、考え方、バイブレーションを持つ人々が集まって、ある特定の次元を構成していると考えてもいいかもしれません。 しかし厳密には、存在は、それぞれが固有の振動数を持っていて、他にはない独自性を備えていますから、あらゆる人格存在はそれぞれ別の次元にいると考えてもいいかもしれません。 この文脈では次元=宇宙ととらえることができます。 あらゆる人格存在は、別々の宇宙に存在しているととらえることができます。 それが、共通の窓のようなものを通して、互いの共有思念によって作り出した共有現実を見ているような感じです。 人と人との間、存在と存在との間で生まれる共同体験とは、このような感じでなされている可能性があります。 ですから、我々の想定するような客観的な次元などというものは存在しない可能性があります。 (本当は、我々が認識する三次元世界においても、です。ただ、それは我々の感覚的理解をはるかに超えていますし、ここでは深入りしません。) すべて主観的なものであり、その人の振動数や物の見方に応じて出現するリアリティです。 ですから、ある意味、存在の数だけ次元があると考えてもいいかもしれません。 別の見方をすれば、次元は無限にあると考える見方もできますし、次元を有限であるという見方をする人もいたりします。 ただ、これらは次元を客観世界であると認識しているところがあると感じます。 しかし、そうではないと思うんですよね。 私的には、「存在の数だけ次元がある」と今のところ考えています。 では、存在とは何かという話になってくるわけですが、我々が自分だと感じている意識も存在ですし、より進化した自分も存在です。バイブレーションや物の見方・捉え方に応じて、いろんな次元にいろんな「自分」が顕現しています。 そのように、意識というのは独自性を持ち、創造主として自分の分身を生み出し、我々のトータルセルフがそうしたように自分のエネルギー体から人格存在を作り出して三次元世界に送り出して体験を積ませたりしますから、存在が存在を生み出すことも容易に行うことができます。 そう考えると、次元は存在の数だけあると考えても、ほぼ無限にあると考えていいのではないでしょうか。 >自分と家族との過去生での繋がりも、1回とは限らずむしろ、何度も繰り返し関わり合って来た、というのが一般的なのでしょうか? 断定はできませんが、その場合が多いと思います。 しかも地球での体験とは限らず、地球に来る前の体験であることもありえます。 >例えば、夫との過去生を3回、息子二人との過去生を2回づつ見て頂く場合、時間的に新しいものから見て頂けるのでしょうか?(回数を増やすと、より古い時代にさかのぼるという理解で合っていますか?) 我々の時間軸に照らして、近いところから順に見させていただきます。回数を増やすと、どんどんさかのぼっていきます。 だいたい2000年ぐらいのスパンで見ていくと、その人物とのつながりが見えやすくなります。 1つの過去世よりも2つ、2つよりも3つの過去世で見たほうが、その人物との関係性がわかりやすいです。 なぜなら、転生ごとに役割を変えて互いに学びを深めていることが多かったり、転生ごとに出現する性格的特徴が異なったりすることもよくあるためです。 Some rights reserved by TANAKA Juuyoh (田中十洋) | |
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