くる天 |
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プロフィール |
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板垣英憲 さん |
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 |
地域:埼玉県 |
性別:男性 |
ジャンル:ニュース 政治・経済 |
ブログの説明: 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速報する。板垣英憲の過去著書も連載します。*定期購読月額1000円
板垣英憲マスコミ事務所
http://www.a-eiken.com |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊) 第2章 果てしなき権力闘争 ●復権をもくろむ角栄 |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊)
第2章 果てしなき権力闘争
●復権をもくろむ角栄
受託収賄罪、外国為替法違反罪に問われていた田中は、昭和五十八(一九八三)年十月十二日のロッキード裁判丸紅ルートの判決公判で、懲役四年・追微金五億円の実刑判決を受けた。国民の金権政治への批判を受けて、中曽根は、同月二十八日、田中に「国会議員の自発的辞職」を勧告した。 むろん、勧告を受けたからといって、素直に辞職するはずはない。中曽根もそんなことは百も承知だった。田中、中曽根の間で芝居を打ったのである。総選挙が近づいていたので、国民世論を交わすため、仮に辞職したとしても、大した実害はないという計算もあった。 もっとも、この田中、中曽根の思惑通りには、ことは運ばなかった。 |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊) 第2章 果てしなき権力闘争 ●政権タライ回しの密約 |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊)
第2章 果てしなき権力闘争
●政権タライ回しの密約
鈴木善幸が昭和五十五(一九八〇)年七月十七日、政権を継いだ。これはキングメーカー・田中の鶴の一声で決まった。田中は、ロッキード事件の裁判中でもあり、まだ復権できる立場になかった。そこで傀儡政権を樹立したのである。 凡庸な鈴木が政権の座に就いたことに、 「ゼンコー・フー(善幸とは何者だ)」 という声が世界各国から間かれた。 日本人の間でも多くの人が、なにゆえに田中が鈴木を首相にしたかについて、首をひねった。この田中の指名には、裏があったのである。 |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊)第2章 果てしなき権力闘争 ●三角大福戦争始まる |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊)
第2章 果てしなき権力闘争
●三角大福戦争始まる
昭和四十七(一九七二)年七月五日の自民党大会における総裁選挙では、田中、福田、大平、三木の四人が争った。お互い好敵手の関係に立ち、三角大福戦争と呼ばれた。 「田中角栄VS福田赳夫」の対立構図のなかで田中陣営の渡部と小沢の二人は、福田陣営の小泉と森を向こうに回して、「宿敵同士」として戦っていた。決戦投票の結果、田中が福田を破って総裁に就任した。田中政権が七月七日にスタートしている。 |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊) 第1章 受け継がれた政治家の血 ●「田中派の若手ホープ」 |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊)
第1章 受け継がれた政治家の血
●「田中派の若手ホープ」
同期生には、渡部恒三。羽田孜、綿貫民輔、海部俊樹、森喜朗らがいた。海部は三木武夫、森は福田赳夫の派閥に属した。小泉純一郎(後の位相)は出馬して落選していた。小泉は福田邸宅の書生となり、下足番を務めて、昭和四十七(一九七二)年十二月十日の第三十二回総選挙で当選を果たす。 人間の奇縁とは、異なものである。小沢一郎が昭和十七(一九四二)年五月年五月二十四日、渡部恒三が昭和七(一九三二)年五月二十四日牛まれで同じ誕生日である。このことを知った梶山静六が、二人の誕生日を名目に、自民党の一年生議員四十四人全員を赤坂の料亭「満願」に集めて、当時幹事長だった田中角栄を来賓として招いた。 |
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