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 薩摩いろは歌 雌伏編(十三) 思案堪忍(無料公開)
[【時代小説発掘】]
2011年8月14日 10時26分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(十三)思案堪忍
古賀宣子


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


薩摩いろは歌あらすじ:
 お由羅騒動で斉彬派多数が切腹・遠島・謹慎等の処分を受けたのが、嘉永三年(一八五〇)。喜界島遠島になった父から叶わなかった思いを託される正助(大久保利通)と盟友吉之助(西郷隆盛)。生活は困窮を極めるが、志を失わず仲間との会読を欠かさない。月照処分までの経緯が漏れ伝わり、激昂した正助たち会読仲間は密かに突出を決意。が、藩主直筆の諭書によって思い留まり、精忠組が誕生する。常に心の支えは郷中教育で叩きこまれた日新公いろは歌だ。

 
梗概・思案堪忍:
 突出を中止した経緯をいかにして江戸の仲間に伝えるか苦慮する正助。桜田門外の変前後、切迫した空気が薩摩に伝わるなか出兵を願う正助は、粘った末に漸く周防(久光)との拝謁が叶う。「藩庁には人材も少なく、余の意志もなかなか通らぬ」
 ここに至って正助は面を上げ、強さと激しさを秘めた、それでいて深みのある視線をしっかりと捉えた。(本文より)



作者プロフィール:
古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。




薩摩いろは歌 雌伏編(一)
薩摩いろは歌 雌伏編(二) 血染めの裃(かたぎぬ)
薩摩いろは歌 雌伏編(三)島からの手紙) 
薩摩いろは歌 雌伏編(四)十六夜の空)
薩摩いろは歌雌伏編(五)慈父の眼差
薩摩いろは歌 雌伏編(六)耳目の門(みみめのかど)
薩摩いろは歌 雌伏編(七)父の生還
薩摩いろは歌 雌伏編(八)心の駒
薩摩いろは歌 雌伏編(九)吉之助帰藩
薩摩いろは歌 雌伏編(十)祝言
薩摩いろは歌 雌伏編(十一)痛撃
薩摩いろは歌 雌伏編(十二) 精忠組


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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(十三)思案堪忍
古賀宣子


 
一 吉之助への書状

 太守(島津茂久)様 御直筆を以って・・。 
 正助の筆は弾んでいる。宛先は大島の吉之助だ。
 先月、十一月五日「精忠士の面々へ」と記された諭書が届くまでの経緯を簡潔に表し、その内容をそのまま書き写していた。
 諭書の要点は三点と、正助は整理している。
 一つはいざという時は、国家(薩摩国)が一つにまとまり、藩主を先頭に行動する。二つ目は順聖院(斉彬)の遺志を継ぎ、皇国をお守りする。最後は、有志の面々は以上の二点をよく心得、国家の柱石となって、自分を助けてくれるようにと。
 藩士にとって藩主の親筆は最も貴重で、手に触れることも容易でない。しかも自分たちは精忠士の面々と呼ばれたのだ。震えるような感激とともに、正助の中で何かが弾け、同時に腹底に重石が落ちた。
 いずれ吉之助も戻ってくるであろう。二人して、精忠組を率い、何が起こっても国家勤皇のために斡旋していこう。
 正助は諭書の請書を提出する際、自分で起草した上書も添えた。先ず記したのが順聖院の遺策についてであることは言うまでもない。それは吉之助が順聖院から直接聞いたものである。
 井伊直弼の大老就任で、もし将軍継嗣が紀州徳川慶福にきまると、「天下禍乱」となるのははっきりしているので、そのときは自分が出馬して朝廷をお守りする。そうすると九州はすべて自分に味方するのははっきりしているといい、その準備のため西郷を上京させたという。
 それを引き継いでいくために、正助は藩内の人心統一を図る必要性を説いた。その具体策として、人望のある日置領主島津久徴(ひさなる)を家老に再任すること。出兵の際の首将として宮之城領主島津久治(周防次男)を名代に任命されたいと願い出た。
 実は諭書が出された翌日、正助は周防からの書状を受け取っている。そのとき丁度、羅宇売りの箱を担いで源助が来ていた。
「再三届いた手紙で詳しくその意を得ていると、心強い書き出しじゃなかですか」
 周防自身も実に天下の大事と心痛しているという。
「さすがは、順聖院様が後事を託されたお方だけあう」
 正助は再び文面を追う。
 先度も吉祥院へ申しふくめ候通り、何分元気論・和議論これ有り、密路相開きがたく残情すくなからず候・・
「ひそかにお会い下さうお気持ちがあうごとだ」
「なかなかそれが出来ないのが残念と、書いておられもすど。良かったですね」
 先寄り候えは(後日になったら)、随分面談出来候ことと相考え候、先は微意(びい)申し述べ、かくの如くに候
「これまでと変わりなく存念や東部(関東)の様子をしらせよとの追伸が添えられておる」
「ようやく正助さぁの皇国への篤い思いが通じたようですね」
「それも、こん手応えは、確かなものだ」
 正助は声を大にして仲間に触れ回りたい衝動に駆られた。が、それが恥ずべき行為であることは、郷中教育で叩き込まれた日新公いろは歌で解っている。

万能も一心とあり事(つか)ふるに
        身ばし頼むな 思案堪忍


 二才衆は噛んで含めるように、その訳を教えてくれたな。
「万能も、とは、どんなに才能があってもちゅうこっだ。ならば一心はわかるか」
「心を集中さすっこっです」
「そうだ。才能と心は一心同体でなくてはならん」
「それは、どんなに才能があっても、心が正しゅなくてはいけんちゅうこっですか」
「そん通り。何の役にもたたん。そげな意味じゃぁ」
「身ばし頼むな、はどういうこっですか」
「これは、ちっと難しかかも知れぬな」
 人に仕えるときはいくら才能があっても自慢することなく、常に思案堪忍。
「つまり、常に思案して慎重に仕えなさい、ちゅうこっだ」


二 御忠胆、実に感佩(かんぱい)たてまつり候

 十一月の動きは目まぐるしかった。
 周防が家老人事に手をつけたことが伝わってきた。先々代藩主斉興が取り立てていた島津豊後をやめさせ、後任に島津久徴が再任されたのだ。これはまさしく正助等が望んでいた人事である。
 吉之助への手紙には、諭書の内容に加えて、これも記した。この報告を受けた吉之助からは、中国の名政治家といわれている周公旦のようだと称し、「御忠胆実に感佩たてまつり候」と讃える返書がきた。
 また吉之助への同じ書状に、正助は御剣献上の一件中止が明らかになったことも、綴っている。
 それは順聖院が近衛家を通じて、朝廷に刀剣献上を願い出ていたのを、斉興死後、幕府をはばかる島津豊後の一存で取り止め、準備していた刀は鹿児島に返されていたのだ。
「先君の御意思を無にした行為と思わぬか」
 正助は有村俊斎に怒りをぶつけた。
「そん通りだ。朝廷に対し忍ぶべからざる大罪である」
「再度献上を願いあげたいが、そん趣旨は直接申し上げたほうがよかな」
「拝謁をお許し願ってはどうか」
 そして有村俊斎と連名で願い出た十一月十九日付けの書状には、交替が予定されている京都留守居役に、岩下佐次右衛門の任命をと加えた。今後、京都の情勢を掴むのに、精忠組にとって、これほど強力かつ信頼のおける人物はいない。
 しかし献上は、藩庁要人の蓑田伝兵衛の自重論で実現しなかったと、正助は吉之助に伝えた。
 また、周防の動向を直接見聞きできる立場にあって、正助等と気脈を通じている谷村愛之助や児玉雄一郎から得た内容も吉之助への書状に記した。
 周防は人事の革新など断行すべきだと考えてはいるようだが、内々の後見役という手前、自身の意見を前面に出すことを控え、万事、藩主の意向が出るようにと遠慮している模様である。何しろ、家老の島津久徴でさえ、自分の考えをよく理解していないと歎いているらしいゆえ。そして、周防の心情を表している実例を谷村愛之助は教えてくれた。
 あるとき、周防が谷村に言ったという。
「自分だけ藩主の御前に召しだされては周囲の目もあるので、久徴をも召されるように申せ」
「承知致しました。そのことについて私に一策がございます」
「何だ。申してみよ」
「久徴殿をお召しになり、二つのことをお尋ねになっていただきたく、殿様に申し上げます」
 一つは天下危急の今日、此度の参府は一大事だと思うが、その方の考えはどうか。次は君側の人事を切り替えねばならぬが、その方はどう思うか。
「この二点でございます」
「おお、もっとものことだ。そのように申せ」
 周防はようやく表情を和らげたという。
 藩主の御側近くに控えていた谷村愛之助には、周防の心境が痛いように伝わっていたのだろう。
 われわれも、自分たちの考えがすぐに反映されないからといって、周防に見切りをつけるような短慮は禁物である。順聖院亡き後、この難局を乗り切っていける人物は周防以外にはいない。正助はこの確信を力強い筆致で吉之助へ送った。
       
「島津豊後一派が秘密の会合をやっとうごとです」
 十二月に入って、源助がもたらした報せだ。
「人事への不満で、か」
「ですから、周防公は幕府と通じう恐れがあうと、懸念しておられうとか」
「さもあいなん。退けられていた方々の再任が必要になうな」
「そこで、前藩主治世で小納戸頭取に任じられていた山田壮右衛門
様を前職に戻され、江戸に向わせたとそうです」
「それは、いつか」
「何でん二十日過ぎに再任し、四日置いての東上じゃったとか。福岡の殿様や天璋院(篤姫)様への工作を働きかけうためだそうです」
「島津豊後らに乗じられぬようにと先手を打つためだな」
「とこいが、山田様も、留守居の早川などにな、いけんもならずと、周防公批判に同意しじゃとか」
「そげな状況では、久光公も気を緩むうわけにはいかぬ、な」
 その周防が大名に準じた待遇になったと知ったのは、数日後である。従来の領地一万四千石のほかに一代限り五千石が与えられ、登城の際は、国元のみではあるが、虎皮鞍覆(くらおおい)・金紋先箱を用いることをゆるされたのだ。
「名実ともに藩主を支ゆる最大の実力者になられた」
 行く手を見据えながら正助は、枯葉の舞う千石馬場通りを家路へと急いでいた。


三 突出中止をいかに江戸へ

「面と向っての説得でなければ、堀仲左衛門らの同意は得られまい」
 正助の意見に座の全員が頷く。
 年の瀬も押し詰まったころ、精忠組の主だった者たちが、正助の部屋に集まり、話し合いを続けている。
 諭書によって突出を中止した経緯を江戸の同志に知らせ、突出を止めさせなくてはならない。それをどうするかの話し合いだ。正助は既に書状は出してあるが、それだけでは鎮まるまいと全員は懸念している。
 前回の話し合いで、出府を願い出てはどうかとなり、正助は願書を藩庁に提出したが、許される気配がない。
「確かに書面だけの通知では弱か」
 有村俊斎も不安な思いを隠さない。
「谷村等の話にようと、藩庁は江戸組の頭である堀仲左衛門を呼び戻して処置すべきと考えておうごとだ」
「正助を疑っておうな」最年長の大山正円がいう。
「疑う、とは」吉井仁左衛門だ。
「正助といえども、堀らの同盟者じゃぁからして」
 本心は江戸組に同調し、薩藩の国難を惹起するに至るのではと、恐らく島津久徴あたりが懸念しているのであろう。
「谷村らにようと」
 正助は低く語調を抑えていう。怒りを表すまいとするときの正助の物言いである。
「弾劾書を建言すう者もいたごとだ。血気に乗じて謀うが如きは、はなはだ不可なり、必ずや君側を傷つくうにいたうであろうと」
「そいどん、こん書状にようと」
 吉井仁左衛門が珍しく声を荒げて、書面を叩いた。
 二十四日に届いた堀仲左衛門の手紙のことである。
「今にも暴発せん状況じゃなかか」
 堀や高崎猪太郎などの江戸組は、水戸藩の志士と謀り、井伊直弼を襲撃せんと、以前より固く取り交わしている。そして今や益々水戸藩などへの弾圧が強化されている様子が綴られている。
 皆の意見は一致しているが、どうしようもない。

 明くる万延元年一月五日夜。埃にまみれた旅姿の堀仲左衛門が、正助宅の戸口に立った。
「自宅へは寄らず、か」
「一刻も早く、諸藩の形勢と水戸藩志士の状況を告げねばと」
 正助自ら雑巾と桶を用意する間に、堀仲左衛門は両刀を外し、衣服の汚れを叩いている。
「道中は一人で」
「高崎猪太郎と一緒であった」
「ゆうと帰藩を決意してくれた」
「急飛脚で藩庁の命令が届き、同時におぬしの書簡が到達したゆえ」
 正助の部屋である小座に向いながらも、二人は急くように会話を続けていく。
「水戸藩は硬軟両派の内紛で不安定だ」
「例の密勅だな」
「それだよ」
 安政五年八月、水戸藩に下った条約反対の戊午(ぼご)の密勅を、幕府が返上せよと迫っているという。
「それをめぐって反対・賛成の硬軟両論が対立してのう」
「それで、決定したのか」
「返上と決まり、激しく反対していた金子孫二郎らは処罰された」
 正助は面と向って説得せねばと思っていた内容を、逐一語り、突出中止に至った経緯を告げていく。それは深更まで及んで、ようやく散会した。
 江戸組の首領である堀仲左衛門が納得してくれ、先ずは一安心である。残る同志たちも、堀仲左衛門からの書状ならば、暴挙を思いとどまる可能性は大きい。
 ところが越えて二月四日に、同志の山口三斎が江戸より帰着し、さらなる報せをもたらした。
「水戸藩に勅書返上を迫っていた幕府が、もし躊躇すうならば、違勅の罪を免れぬとの達しがあい」
 過激派は、これを大老等の奸計なりと大いに激昂し、もし幕府が奉還を迫るならば、断然井伊大老を襲撃すべしと、そこまで事態は切迫してきているという。
「そんため薩摩藩には京都守衛兵の派遣を頼まれた」
 山口三斎の報告に接した在藩組は一大好機とばかりに浮き足立ち、水戸藩志士の挙に応ずべしと、口々に主張。
「ちょっと、待て」
 正助は両手を広げて座を制した。
「殿様から賜った諭書を忘れうな。先ずは再び堀仲左衛門の出府を願い出うこっだ」
「拙者も同感」と堀仲左衛門。
 江戸組の鎮撫と水戸藩の事情を探るのが先決ではないか。早速、堀仲左衛門が藩庁に出府の許可を願い出た。ところが、益々藩の危難を招くものとして、藩庁要人の蓑田伝兵衛は、周防・茂久両公の意見を告げて諭示(ゆし)する書面でよしとして許さない。
「安易に引き下がるな」
 正助は藩庁説得に向けての案文を、座の意見を引き出しながら工夫する。
 両公の意見を通して説諭すれば服従するといえども、もし水戸藩の志士たちが愈々決行せんとするとき、従来の親しい付き合いのなかで、手をこまねいて傍観するには忍びないであろう。そうなった場合、果たして書面だけで随順するであろうか。それよりはむしろ、出府して親しく両公の趣旨を伝え、在藩組の意見をも告げて説諭したほうがより確かではないか。
 この願書が功を奏し、周防は初めて正助らの趣旨を悟り、遂に堀仲左衛門の出府が許可された。その連絡を受けて、正助は主だった者達を集め、再び話し合いをもった。二月十八日に鹿児島を発つ堀仲左衛門との協定を取り決めるためである。
「先ずは京師に到い、そん形勢を視察すう」
「そして、幕閣よいの水戸藩への勅書奉還の勅諚(天皇のおおせ)は、果たして真の叡慮から出たのかどうかも探らねばなうまい」
「最後は江戸の形勢を調査し、事変が起きたら直ぐに田中謙助を帰藩させる」


四 切迫する江戸情勢

 堀仲左衛門等を門口まで見送った正助に、昨年七月に生まれた長男彦熊を抱いた満寿子が、不安げに声をかけてきた。
「西郷様のお宅が大変困窮しておられもすとか」
「それについては、考えがあう。案ずうな」
 諭書が届いて以来、息つく間もないほどの日々だが、愛くるしい彦熊を眺めていると、たとえそれが束の間であっても、疲れが取れていく。
 満寿子は細身で、背丈は正助の胸元までしかないが、嫁いできて以来、病気らしい病気をしたことがない。口数は少ないが、根は明るく、さっぱりとした性格である。両親によく仕えているのは無論のこと、嘉介や平吉への思いやりも行き届いている。正助が国事に精一杯打ち込めるのも、満寿子の存在があってこそ、と思っている。だが、その謝意は、寝間でやさしく抱くことでしか表していない。

 出府する堀仲左衛門を祈るような思いで送ったその三日後、江戸にいるはずの田中謙助が、水戸藩過激派の首領高橋多一郎の手紙をもって帰藩した。
「堀と行き違いになったな」
 出立の日が三日ずれ、到着があと一日早かったなら・・。悔やんでも仕方ないことだが、江戸の情勢が切迫しているだけに歯噛みをしたくなる。
 手紙には、井伊直弼を暗殺して勅書奉還を名目に藩兵を上京させ、
横浜外国商館を焼き打ちにして攘夷を実行し、併せて幕府の改革を迫るので、薩摩藩は、これに呼応して朝廷護衛の兵を京都に出してほしい、と記されている。
 田中謙助帰藩の報は、瞬く間に精忠組の仲間に伝わり、続々と正助の家に集まってきた。寒中にもかかわらず、座敷と小座は熱気と私語で膨れ上がっていく。
 正助がその内容を読み上げると、水戸藩志士の一挙を待ち焦がれていた面々は勃起した。もう正助の手にあまる程の勢いだ。尋常でない騒音に驚いたのだろう、台所から彦熊が火のついたように泣き声を挙げる。
「皆の思いは解かった」
 正助は興奮を鎮まるのを待って続ける。
「周防公へ出兵建言主意書を認める」
 正助に力強く諭され、ようやく全員は引き上げていった。
 その晩、墨を磨りながら正助は、順聖院からの諭告書を思い出していた。
「あれからもう七年が経つ」
 日頃から仲間と語り合い、抱懐してきた意見を、上様に伝えてはどうか。思い切って吉之助に打ち明けると、良策だとすぐに賛同してくれた。吉之助がまだ庭方役に取り立てられる以前のことである。  
 早速二人で文案を練り、出来上がった建言書は、羅宇屋の源助に託した。そしてその年の瀬、全く思いがけず諭告書が届いたのだった。一字一句刻み込むように読み込んでいったことは言うまでもない。中でも気持ちが逸るときにいつも思い出されるのは、堪忍の二字を第一に心掛ける大切さを説いた行りである。
「こうなったら児玉や谷村らを通して、直接、周防公に願い出うしかあうまい」
 高橋多一郎の手紙は周防への建言書に添えるため、先ず正助は日記に田中謙助報告の大意を写した。そして・・・。
「順聖院様御在世中、水戸、越前、尾張の有志の藩に御結合」していたのであるから、その遺志を継ぐためにも、水戸藩との「結合の信義」を守り、関東の守衛と「天朝御興復ノ御大志を貫かれ」と名目を掲げて出兵の必要を述べ、江戸と京都に、それぞれ海陸百の兵を派遣すべきであると建言した。
 加えて西郷家の困窮を訴えるとともに西郷呼び戻しを願い出た。
 しかし、周防は、以下の理由で許さなかった。
 出兵の条件は、事変到来の節であること、勅命のあるときの二つで、此度のような事前の無名の出兵は許可できない。しかも、これは藩主よりの依頼ではない。少数遊学生の依頼に、鎌倉以来の由緒ある七十二万石の藩の存亡をかけることはできない。
 また死亡届を出してある西郷については、幕府の間者の多い昨今、かえってその難は西郷の身に降りかかる。いざというときに呼び戻しても船で七日もあれば十分である、というものであった。
 その代わり、西郷家には二十五日に金二十五両が与えられた。
 正助は二十三日、それでもめげずに「京師の危急」は明らかなのであるから傍観している場合でないと改めて主張する書を児玉雄一郎に託す。が、周防は、事が起こってからでも遅くないと、あくまで突出には反対を示した。
 だが、あの勃起した熱気を思い起こすと、ここで退き下がるわけにはいかない。有志たちの概ねは、吉之助の弟信吾を始めとして二十歳前後の者が多く、制御されてきた鬱勃の気は先日一気に破裂し、再び制止することは難しい状況にあったからである。
 正助はなおも食らいつき、二十四日夜に嘆願書を提出。
 では突出は止める。その代わり事変が起こったことがわかったら、即時に出兵することを約束してほしいと。
ここに至って、ようやく周防から「返事一左右次第」の出兵確約を取り付けることができ、これをもって田中謙助は再び江戸へ向った。
 さらに二十六日には、出兵の段取りと人数までが決定。すなわち第一回は、京師、関東へ各百名を派遣し、第二回は各三百名増遣である。それだけではない。藩主茂久の参勤のための出府が三月十三日と決定していたが、その際は茂久も三番手として出兵することになった。
 多忙な日々のなか正助は、公武の関係・諸藩の形勢・薩藩の内情などについて、合間をみては吉之助宛に書き綴り、大島への飛脚船があるたびに、満寿子に命じて調達させた衣類などに添えて送っている。
 いずれ吉之助は戻ってきて、薩藩のための大きな力となるはずだ。あの順聖院が認めた人物である。大山正円、吉井仁左衛門、樺山三円、税所喜三左衛門そして有村俊斎など、精忠組の主だった仲間は皆そう思っている。それだからこそ、その空白部分は極力埋めておかなくてはならない。それは自分の使命だと心していた。


五 精忠組排除の張本人は

 今回は常時における参観とは事情を異にしているため、警護に三十人の増派が決定していた。当然のことながら、精忠組の中からも抜擢任命されるであろう。正助らはそう予期していた。
 ところが三月八日に発表されたなかに、精忠士の名前はなかった。
「国家非常なときに際し、藩主がまさに参府せんとすうにあたって、その従士の列に洩れているとは何事か」
 再び大久保家の座敷と小座は制止できぬほどの形勢になった。今回ばかりは、正助自身も不満、不服の気持ちを抑え切れなかった。
「従士に選ばれたのは蓑田一派がほとんどじゃなかか」と大山正円。
「そうじゃなか者達も、親交のあう奴等ばかいじゃぁ」
 有村俊斎の怒りも同様だ。
「どうやら精忠組排除の張本人は蓑田伝兵衛だな」
 正助の発言に吉井仁左衛門も大きく頷く。
 蓑田伝兵衛はもともと故斉興派で、精忠組とは相容れないところがある。
「こうなったら、無許可でん従駕すなわち突出すう旨を告げごと」
 周防へは谷村愛之助を通し、忍び難き状況なりと説き、藩庁へは蓑田伝兵衛宛に速やかに出願する。
 正助の覚悟と素早い動きを知って、会の怒りはようやく収まった。 
 その晩、羅宇屋源助がこっそり訪ねてきた。
「藩庁は精忠組を過激と看做し、未だに危険視しじぁです」
「ここに至っても、か」
「事変一発の後、京師警衛のために派遣すべしと」
「実は昼間」
 正助は精忠組の覚悟を源助に語った。
「きっと蓑田からの呼び出しがあいもすな」
「歓迎すうとこいだ。蓑田の心底を知ったのは心強い」
 翌九日、源助の予想通り、八つ(二時)過ぎに、御用談の義ありと蓑田の使いがきた。 直接談判におよぶなら、先ずは蓑田伝兵衛の警戒を解かねばならぬ。決して暴発などはせぬと。
 ところが現われた蓑田伝兵衛は、初めから威嚇してきた。
「周防公が突出に反対の意向であり、もし君命を無視して突出するならば、藩庁はその者の処分にでる覚悟である」
 蓑田伝兵衛は五十近いであろうか。老獪な眼差しは、正助が以前勤めていた記録所の伊地知季安奉行とは対極にある。正助は、肉付きのいい顎を見据えながら、一言々を胸に刻むようにして聴いていた。無論、そんな威嚇などには動じない。
 すると、蓑田伝兵衛はすぐあとで、口調を和らげてきた。作り笑いすら浮かべている。「アナタのことは、周防公もよくご存知であるから、そのうち私がアナタを周防公に引き合わせるつもりである」
 懐柔だな。冗談じゃない。見くびるな。怒りが咽喉まででかかったとき、蓑田伝兵衛はさらに続けた。
「誰と誰が突出しようとしているのか、それを教えれば・・」
 同志を売れとばかりに駆け引きの姿勢に転じてきた。
「もっての外」と怒りをあらわにした正助は、突出の意志は精忠士一同のもので、「差別之義これ無き段」と言い放ち、甘言に惑わされることなく退出した。
 しかしこのまま引き下がっては、蓑田伝兵衛の威嚇に屈したことになるし、同志の真意が周防に理解してもらえないことになる。こうなったら周防に拝謁し、精忠組の素志を篤と申し開かねば・・。
 藩庁からの帰路、正助は岩下佐次右衛門宅へ寄り、その存念を語ったところ同意を得た。続いて仲間とも談合に及び同意を取り付け、いよいよ正助は周防との直接の面談を決断する。
 翌日十日、福昌寺に向う坂道の途中にある周防の重富邸へ早めに赴き、児玉雄一郎と谷村愛之助に告げた。
「お会いでくうまでは屋敷を出ぬ覚悟だ」
 二人は驚き慄いたようすだったが、児玉雄一郎が引き受けてくれ、初めは八つ後に来るようにといった。その時刻に赴いたところ、大鐘の後から明朝の間に来てくれぬかという。それで日が暮れてから出向いてみると、来客中のため、明朝参るよう言われた。
 三月十一日早朝、正助は重富邸を訪ない、周防との対面がようやく実現した。
 通常なら平伏したまま顔も上げられぬ相手であるが、ここに至るまでの道のりを思うと、感慨は格別である。
 そして今、自分は緊張などしていられぬほどの切迫した状況に置かれている。それでも視線を仰ぐことはできない。正助は相手の胸元に目線を定め、随従を熱望する精忠士の真情と、それだからこそ突出を企てざるを得なかった事情を、筋道立てかつ誠意をこめて吐露した。
「藩庁の決定には従わざるをえないが」
 低く落ち着いた口調は、吉之助から聞いていた順聖院の声量ある声音とは異なるようだ。
「忠節の志は確かに承知した」
 念願かなったという感触を、正助は初めて味わう思いだった。熱いものが込み上げ声にならない謝意を、畳に額を擦り付けて表した。
 周防は尚も続ける。
「蓑田は圭角(性質や言動にかどがある)のある人物のように見える」と批判した上で、正助に訴え告げた。
「藩庁には人材も少なく、余の意志もなかなか通らぬ」
 ここに至って正助は面を上げ、強さと激しさを秘めた、それでいて深みのある視線をしっかりと捉えた。


六 江戸表大変の急報

 振り返ると、突出の企ては・・・。
 正助は、周防との拝謁がようやく叶った経緯を、吉之助へ綴っている。
 昨年九月、今年の二月そして此度と三度になる。これまで人を介しての、建白・嘆願書による要求や交渉であったが、諦めずにきて本当に良かったと思っている。そして周防公はこうも言われた。
 そち達の考えに疑いを持っているように聞こえたかも知れないが、余は少しも疑っていない。もし中央に変事が起こったならば必ずそち達の人数を差し出す。
 そのように仰せられ、さらに出兵の際の隊長について問われたので、日頃の考えを述べた。
 新納刑部(ぎょうぶ)が最適であるが、軍役総頭取というお役目柄、何かと差支えがあろうから、桂久武か関山糺または岩下佐次右衛門がよいと推薦できて、大いに満足している。

「江戸表大変三月三日朝井伊掃部頭様御登城御かごに・・」という町飛脚の報が鹿児島に達したのは三月二十三日だった。
 早速、翌二十四日、周防に面会。去年の諭書の通り、事変が起きたので兵を出されたいと願った。が、周防の意見は次のようであった。
 正助は周防の意見を箇条書きにし、それに対する自分の考えも同様に記した。そのほうが吉之助も解りやすいであろうと。
一、 まだ公式通知はない。坂口勇右衛門(有村勇助護送役)の話だけである。
二、 水戸勢は僅か十七人であり、それも水府浪人とある。跡をくらます考えであろう。
三、 変事だが兵乱とはいえない。
四、 後先を考えず、粗忽に兵を出し、今後、藩に難題を生むかも分からないが、どう思 うか。
五、 兵は国家(藩)の大事である。人臣たるものは国家前後のことを考えて尽くすことが肝要で、出兵後どうなるかの見当もつかないのでは困るだろう、どう考えるか。
 それに対して、自分は次のように答えた。
一、 この度の事変は天下の閣老を征伐したもので、古今未曾有の大事である。
二、 そのままでは済むまい。朝廷の御難題になることは当然のことである。
三、 関東にはお姫様方もおられる。太守様も参勤途中で傍観できない。
四、 だから決められたとおり早速出兵すべきである。
五、 名目は表面関東守衛と届け、京都に出す人数も同じ名目にして、京坂滞在として内実朝廷をお守りしてはどうか。
六、 このような時、多少の嫌疑を恐れていては何もできないではないか。
 以上のように答えたが、周防との対話を通して痛感したのは、入手している情勢の質と幅広さ、そしてそれに基づく状況の分析と見通しの確かさだ。諸侯間との交流と下級武士とでは・・。さりとて我等が得ている天下の形勢をも疎かにはなさらない。東部の一左右もお知らせこれ有るべく候という書状を昨年頂いたことは、すでに伝えた通りだ。
 また有村兄弟については、実に不忠不孝であるといい、我々が予め談合して同意していたのではないかと、非常にご不快な面持ちをあらわにされた。これには自分も困ったが、以下のように答えた。
 江戸と国許と隔たっていて充分趣旨が徹底せず、かねて水戸と談合の信義もあり、朝廷のため斬奸のことをいちずに思い込んで決心したのではないかと。
 すると斬奸を遂げたことはいさぎよいと認めて下さったが、兄雄助については、帰国して薩人と分かり、幕府も追手を出している。無上の難題ではないかと。     
 そこまで記してきて、正助は悔し涙がこみ上げてきた。
 あれほど江戸の同志説得に出府を願ったのに、それが許されず、止めに出かけた堀と田中の出府も間に合わず・・・。
 正助は有村雄助の最期を次のように記して、筆を置いた。
 改服して東方を拝し(京都を遥拝)、父祖の廟に拝礼し、盟中一同に長別を告げ、従容(しょうよう)不迫として臨終に及び候。
 鳴呼天か命か一同愁傷憤激言うべからず。
                                           了









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