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三枚ずつ
[2017.12]
2017年12月12日 9時7分の記事













2020.5.14 13:30 メモ公開設定オン


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2017-12-12 04:34:00 送付


先週 朝 街でも
12〜 日中 学会




脱DNA宣言−新しい生命観へ向けて−(新潮新書 232)
貸出場所 中央図書館
貸出日 2017年11月27日
延長 不可
返却期限 2017年12月26日


DNA複製・修復がわかる(わかる実験医学シリーズ 基本&トピックス)
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最先端生物学で「常識」が大逆転! 「DNAがすべて決めている」なんて大ウソです――養老孟司氏。



脱DNA宣言―新しい生命観へ向けて―
武村政春/著

734円(税込)
本の仕様
発売日:2007/09/18
電子書籍
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いまやDNAの天下である。個人の外見や体質はもちろん、性格や運命までもがDNAに支配されているかのような言説が幅を利かせている。しかし、実は最新の科学では、DNAの絶対的地位は揺らぎつつあるのだ。気鋭の生物学者がわかりやすくユーモラスに遺伝子の基礎知識からRNA研究の最前線までを解説。そろそろDNA至上主義から解放されようではないか。その先には新しくて自由な生命観が待っているのだから。

著者プロフィール目次インタビュー/対談/エッセイ担当編集者のひとこと蘊蓄倉庫感想を送る
著者プロフィール

武村政春 タケムラ・マサハル
1969(昭和44)年三重県津市生まれ。名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。東京理科大学大学院科学教育研究科准教授。専門は分子生物学、生物教育、複製論。著書に『ろくろ首の首はなぜ伸びるのか』『脱DNA宣言』『DNAの複製と変容』など。

目次


まえがき
第一章 総理大臣のDNA
カエルの子はカエル、生まれた時からDNAで運命は決まっている。
そんなDNA至上主義を鵜呑みにしていいのだろうか。
第二章 それは膿から始まった
実はDNAイコール遺伝子ではない、ということすら知られていない。
そもそもDNAとは何か。いったん基礎をおさらいしてみよう。
第三章 DNAの「社会的地位」
私たちの暮らしにDNA技術はどのように使われているか。
犯罪捜査から親子鑑定、病気診断まで、その仕組みを知る。
第四章 恐るべき実力者RNA
授業で習ったきりで忘れてしまっているRNA。
しかし、人智を超えたそのはたらきは最先端科学の注目の的になっている。
第五章 すべての生物の祖先とは?
三十六〜四十五億年前、地球上に生物は誕生した。
最初の生命体誕生の謎の鍵を握るRNAワールドとは――。
第六章 DNAは単なるバックアップコピー
「主役」は実はDNAではなかったのではないか。
そう仮定したときに、新たな世界が見えてくる。
第七章 DNA神話の崩壊
遺伝子にない情報が現れたマウスは一体、何を意味しているのか。
DNA至上主義は通用しなくなっている。
第八章 脱DNA宣言
ついに我々はDNAの呪縛から自由になった。
ここから始まる自由で新しい世界観、生命観を共有しようではないか。

あとがき
主な参考・引用文献
もっと見る
インタビュー/対談/エッセイ
波 2007年10月号より DNAのあとに、RNAが残った  武村政春『脱DNA宣言―新しい生命観へ向けて―』
武村政春

 ほんとうなら、私がDNAと出逢ったのは高校生のとき。つまり生物の授業のときだったはずである。生まれたときから体内にあったはずのDNAの存在を、十何年も経過してからようやく知ることになったはずであった。
 ところが今、記憶の糸をたどっていっても、どうしても高校時代の「それ」と行き逢うことがない。私の中でDNAは、確かに当たり前のように私自身の体を形作る情報基盤になっているとしても、果たして「DNA」がいつから、私の記憶の中にその存在を主張し始めたのか、一向に思い出すことができないのである。
 いつの間にか、大学でバイオテクノロジーを学び、いつの間にかDNAが細胞の中で二倍に増える過程、DNA複製の研究に従事するようになっていた。世の中に「DNA」という言葉がごく普通に飛び交うようになったのは、おそらくその頃からであろう。
 初対面の、生物学にも科学にも縁のない人に「大学で教員をやってます」と自己紹介すると、たいてい「ご専門は何ですか」と聞かれる。面白いのは、そうしたとき「分子生物学です」と答えると「へえ〜(???)」というような顔をされ、「DNAの研究です」と答えると「それは難しそうですね」といいながらもどこか合点が行ったような顔をされることだ。
 これほどまでに世間に広がっている「DNA」という言葉。その科学的背景は知らなくても、「DNA」という言葉を利用して話を紡ぐという行為が、今やごく当たり前のように行われている。
 私の新刊においてそのタイトルとなった「脱DNA宣言」は、その言葉から受けるイメージとは裏腹に、田中康夫前長野県知事が掲げた「脱ダム宣言」のような強固な意志を包含しているわけではない。その本質は、DNAに関わる研究に従事してきた研究者としての、強固ではないがしかし頑固な意志の披瀝であり、また世間を飛び交う熱き「DNA」に対する水枕でもある。
 私はかつて「DNAは高慢だ」と述べたことがある。しかしながらDNAは、本当はとても愛らしい物質だ。肉眼では見えないし、普通の顕微鏡でも滅多に見えない、おしとやかな物質なのだ。何か特殊な処置を施すことで、ようやくぼやーっとそこに存在していることがわかるようになり、電子顕微鏡のレベルになってやっと、DNAの細い糸そのものが見えるようになってくる。
 直接見えないものというのは、誰にとってもミステリアスである。ミステリアスであるが故に、やがてDNAは科学的な存在から離れていき、文化的な存在としての「DNA」へと脱皮していってしまった。
 あとには、RNAというDNAによく似た物質が残された。そして今まさに、そのRNAによる生命観革命が起ころうとしているのである。


(たけむら・まさはる 東京理科大学理学部第一部講師)
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担当編集者のひとこと
DNAの恐怖
『脱DNA宣言』の冒頭にも出てきますが、世の中に「DNA」を安易に用いた表現があふれています。
「安倍前首相が改憲にこだわったのは岸家のDNAだ」とか「お前の卑しさは呪われたDNAのせいだ」とか。
 人間の出自によってその人の性格や運命が決まるというような考え方に基づいた表現は差別の温床になることから、メディアなどでは基本的には避けるべきこととされています。だから「あの人は黒人ならではのリズム感がある」というような物言いも、仮に褒め言葉のつもりにしても、慎重にしたほうがいいのです。 ところが不思議なことに「DNA」の三文字がそういう常識を吹き飛ばしてしまうのです。何となく科学的な裏づけがあるようなイメージがあるからです。
 しかし人の性格を「血」のせいに、運命を「生まれ」のせいにするというのは相当に恐ろしいことです。糾弾する団体があろうがなかろうが、あまり安易にするべきことではないと思います。
 嬉しいことに、というべきか最新の生物化学はこうした「DNA至上主義」を否定しつつあります。その詳細は本書でお読みいただきたいのですが、簡単にいえば「DNAってそこまで偉くないんじゃないの?」という考え方が主流になりつつあるのです。
 この本を読み終えると、DNAの呪縛から解放されます。それがどんなものか、それは読んでいただかないとどうにも言えないのですが、少し物の見方が自由になって楽になるのではないかという気がします。

2007/09/25
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蘊蓄倉庫
遺伝子とDNAは別物

 遺伝子とDNAの違いを述べよ。そう聞かれたら「えっ、一緒じゃないの?」と思う方が多いのではないでしょうか。実は遺伝子というのはDNAの中の一部に過ぎません。逆に言えばDNAの中には遺伝子ではない情報も詰まっているのです。『脱DNA宣言』は遺伝の不思議をわかりやすく解説、そして自由で新しい生命観へ読者を誘ってくれるはずです。

掲載:2007年9月25日
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