素の自分 | |
[つぶやき] | |
2013年6月18日 11時30分の記事 | |
私たちは、日常生活を送っている中で、普段は特に意識していないかもしれませんが、時々何か自分の中で変わりたいなと思うことって、ないですか? それは誰かに対するあこがれ的なものであったり、自分自身の身体や身の回りの物であったり、あるいは欲しい物だったり、あるいは家族に対する思いだったり。 他にもいろいろあるとは思います。 ですが、静かに目を閉じて自分自身を見つめていきますと、私たちはすでに満たされているという感覚を得ます。
皆様、応援の方、よろしくお願いします ↓ポチッとお願いします(^0^)/) この「満たされている」という感覚は、真実であると思います。 他の誰から与えられたものではなく、自分自身の中心から湧き出てくるものだからです。 だから、何があっても大丈夫なんです。 「私は満たされている」という思いから出発すると、世の中に対する見方が変わります。 家族や友人や知り合い、上司や部下、先生や生徒、そのほかさまざまなひとに対する認識が変わります。 そこには、何の装飾もない、素の人間同士が現れてきます。 いろいろ言いたいこともあるかもしれないし、自分も言いたい。 でも、みんなそれぞれの立場で、それぞれの思いで、生きているんだな。 そういう風に考えてみると、何も変える必要がないし、ありのままでいいという風になります。 もちろん、成長したい、頑張りたいという気持ちは大切です。 でも今は、それとは別の観点からお話しています。 どちらというとそれは、素の自分に戻ったときの話です。 死んでいくとき、あるいは、生まれてきたときの、自分以外は何もなかった状態に近いかもしれません。 そういったときの心境というのは、私たちはまだ先のことであるとか、もう過ぎ去ったことだとして、意識の外においています。 ですが、時間とはあってないようなものですから、いつでも素の自分に戻ることができます。 素の自分というのは、いいですね。 楽ちんです。 しかも、常に満たされています。 この満たされた心境から出発すれば、あらゆる状況も「楽しむ」ことができます。 試練のような状況に置かれていても、そういった状況にある自分を客観的に見れるようになります。 しかも、そういった試練はいつまでも続くものではありませんから、やがては嵐や夢のように過ぎ去っていき、また平凡な日々に戻ります。 戻るはずです。 だって、素の状態から出発したんですから。 素の自分にいつでも帰り、また新たな再スタートを切れる。 そう考えれば、いつでもリフレッシュして、日々の生活を送ることができると私は考えています。 Some rights reserved by levork 最終編集日時:2014年7月31日 23時22分 | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. はるぱぱ 2013年6月21日 9時32分 [返信する] こんにちは。 天照大御神(アマテラ”ス”オホミカミ)の”ス”は吐くのではなくて、口をすぼめて吸って発語するというのが正式なやり方だと言うことを伺ったことがあり、どうしてなんだろう?と思ったことがあります. そこで、実際にそのやり方で発語してみると、この”す”のところで自分の中心に向かうというか、自分に面と向き合った時のような感覚があり、これが言霊としての”ス”の働きなのかと思った次第です. 象徴学的に言っても太陽(天照)は「自己の本質」を表すことがあるので、私なりの解釈ですが物質的現実と自分の内面世界は照応しているんだなぁと感じました. 2. いみみ 2013年6月21日 17時55分 [返信する] すばらしいお話ありがとうございます。 今日偶然、あわの歌というのを聞く機会があったんですけど、アマテラスオホミカミも、宇宙創成の原始音の響きなのかもしれませんね。
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