コメントへのお返事 | |
2014年8月16日 15時34分の記事 | |
ブログに頂いたコメントへのお返事です。
「最古の仏教典を伝えた人物と、 輪廻転生の真実とは」 ラーマクリシュナ!あの方はたしかに特殊ですね。地上を生きるための世渡りの術みたいな知識をいっさい持たずに生まれてきた方との印象が強いです。一度だけの転生というのはうなづけます。インドが物質への降下のただなかにあるとき霊性の光をともした奇跡的な方。その霊性に圧倒されます。 コメントありがとうございます。 ラーマクリシュナは、地球以外には数回転生していますが、地球は1度だけだと感じます。 このような人物は稀ですが、転生回数が少ないからといってその魂の偉大さを表わしているわけではないことに注意が必要です。 例えば、ブッダはあらゆる次元を含めて数万回転生していますが、地球に転生した存在でブッダは最も高次元まで意識が浸透しています(私の感応では、9次元まで意識が浸透している稀有な存在です)。 通常、我々の意識は5次元相当で集合意識として目覚め始めます。 いわゆる第2の死であり、いわゆる覚醒はこの時に起きると感じます。 自我を脱ぎ捨てたときに覚醒が起きるのであり、その瞬間に数百から数千のパーソナリティを「自分である」と認識し始めます。 他方で、霊性とは、愛、創造性、叡智などと表現されるもので、自我の鎧を脱ぎ捨てたときにほとばしる我々本来の特質のことです。 本来、霊性は、超能力とは無縁のものであり、いわゆる霊能とは異なるものです。 クリシュナのような存在は、地上に出現して人間の中に溶け込むことで、人間本来が持っている霊性の目を開かせ、覚醒の方向に導く伝道師としての役割を担っているものと思われます。 福島の今 はじめまして。 以前より、記事はよく読ませて頂いていたのですが、自身のスピ知識は浅い為(笑)なかなかコメント出来ずにおりました。 今日の記事は大共感致しました。ニュースを聞いて、やはりそうかと。後手後手はもうお家芸みたくなってますが。隠さず、少しでも早くホントの情報を出して欲しかったです。。。 3号機の情報をあのタイミングで出してきたのは、意図的なものを感じます。 情報が明らかになることが後手後手にまわることは、もはや当局の常套手段といってもいいくらいですから、やはり我々は、先手先手を打って、神から与えられた命を自分で育むぐらいの気持ちで、放射能から身を守ることが必要な場合もあると感じます。 3.11のあと、福島からは逃げたほうがいいという話を私がブログ上でいうと、福島で頑張っている人たちがいるのに、というコメントをいただいたこともありました。 私は別にそのことを否定するつもりはありませんでした。ただ、マスコミの情報があてにならないので、特に乳幼児を抱える方のために、別の場所へ移転することも考えたほうがいいという趣旨でお返事をしたものでした。 今からでも遅くはないですから、放射能汚染が懸念される地域にお住まいの方は、別の地域に移転されることをお勧めいたします。 ブッダについて(PART2) <関連> ブッダについて ブッダについて(PART3) キリスト意識の目覚めの前は、苦難がやはりあるのでしょうか? まず、キリスト意識とは何かが問題となります。 狭義では、イエスキリストと関わりのある高次元の集合意識と捉えることができます。 私のブログ上でも何度かこのニュアンスで使ってきました。 この文脈では、関連してキリストをブッダキリストとイエスキリストに分けることができます。 私自身が特に深い関わりを感じるのは、ブッダキリストのほうです。 ブログを書き始めた当初は、ブッダキリストとイエスキリストのエネルギーとを混同していた時期がありました。 それに対して、キリスト意識を人類全体の集合意識とみる見方があります。 私のブログでは、こちらの意味で主にキリスト意識という言葉を使ってきました。 ご質問者のキリスト意識は、後者の意味ではないかと思われます。 キリスト意識への目覚めとは、自分がキリスト意識そのものであることを知ることにあります。 それは、単にわかるという感覚です。 自分が自分であるということを知ること、これがキリスト意識への目覚めの第一歩だと感じます。 キリスト意識の目覚めの前には苦難が必要だと思えば必要ですし、必要ないと思えば必要ありません。 つまり、基本的にはキリスト意識の目覚めと、苦難を味わう事とは無関係だと思います。 人によってキリスト意識のとらえ方が異なりますが、前者、後者いずれの意味合いでもかまわないと思います。 ちなみに、前者よりも後者の方が、あらゆる宗教に属した人、属さない人、あらゆる価値観を持った人、持たない人すべてを包含できるように思います。 つまり、キリスト意識といっても、本来キリスト教とは無関係なものです。 それは、ブッダキリストにしてもそうです。 ブッダのエネルギー系に属しているからと言って、必ずしも仏教を信じなければならないかというと、そんなことはありません。 かといって、多くのスピリチュアル系の人は、宗教=悪ととらえる傾向があるかもしれませんが、宗教が悪というわけでもありません。 宗教は、善でも悪でもなく、宗教は宗教なのです。 今お話しているのはそれとは別に、我々の価値観、信念体系、宗教観を超えたところに、本来の我々の姿があり(それを私は「本来の自分」と呼んでいます)、 それに至る道が本当の自分自身に還る道であり、目覚めの第一歩だと感じます。 覚醒とは、死後に進化してからもたらされるものではなく、今ここにおいてもたらされるものです。 それは、遠い先にあるのではなく、足元にあるものです。 我々は、「わたし」であると認識しつつ生きていますが、本当の我々は「わたし」を超えたところにあります。 それは、遠い先にあるのではなく、我々と背中合わせに、同時に存在しているところです。 また、覚醒したからといって、何か素晴らしいことが起きるわけではありません。 あらゆることが包含され、より広い視点から、俯瞰的に見渡させるようになり、「わたし」の命を明確な自覚を持って生きることができるようになるだけです。 つまり、そういった観点から言えば、我々の日常生活以外に悟りの場は存在しないことになります。 悟りとは、「わたし」を脱ぎ捨てたときに生じますが、それはどこか遠くに出掛けていく筋合いのものではないからです。 現世において、どれだけ「素の自分」に気付けるかが、覚醒への一つの道しるべになるような気がします。 Some rights reserved by bwminseattle | |
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