小さい頃の感覚と、感動体験を積み重ねることの大切さ | |
2015年4月5日 1時6分の記事 | |
非物質的な能力は、誰にでもあるのですが、我々は普段、「自分は普通である」と思いたいがために、自分の周りの人と歩調を合わせようとし、その結果、自分の個性を殺そうとする傾向があります。 特に子供のうちはそれが顕著かもしれません。 見えないものが見えたり、聞こえたり、感じられたりするのはざらです。
私の場合はよく、トリップする子供でした。 どこかに意識が飛んでしまうのです。 無口な子だったのですが、ときどき、ぼーっとしているときがありました。 今でもぼーっとしているときがありますが(笑)、多分それとはちょっと違う気がします。 意識がどこかに飛んで行って、心がお留守になるのです。 時間の感覚がなくなるのです。 自分が今ここにいるという感覚もです。 ある意味無心の境地に到達していたんですね。 今は雑念だらけですが(笑) でも、何か見えないものが見えたりとか、そういったことはありませんでした。 ただ、一度だけいわゆる幽霊のようなものが見えたことはありました。 中学生のときだったんですが、自転車に乗って道を走っていると、左の視界に人影が写り、その人が半透明に見えたんですね。 当時から、非物質的なことに対するあこがれがありましたから、「なんだろう?!」といった感じで興味津々ではありました。 でも、それだけでした。 夜寝ているときに守護霊(主護霊)に会える方法があると聞くとそれを試してみたり(笑) でも、全然会えなかったり(笑) それでも、大人になって感覚が鈍いはずなのに、ある時を境に、非物質的な体験をするようになりました。 私の場合はへミシンクがきっかけだったのですが、別にへミシンクをしたからではないと思います。 結局は、人間というのは、自分で物事を設定して、ある時期に来たらそれに向かうようになっているような気がします。 私の場合は、生まれる前から今のスピリチュアルの仕事をすることは決まっていたと感じます。 少林寺拳法の教えを通して人の役に立ちたいという思いに向かわせられたのも、偶然ではなかったと思います。 最近、世の中の流れは、人のためよりも自分のために・・・と指導されることが多いですが。 結局はそれこそが、人のためになるわけです。 ですから、何をするにしても、まずは自分のためにしているのだという意識が重要な気がします。 そのうえで、自分の日々の感覚を磨いていきます。 そして、自然の美しさなど、いろんな物事に感動します。 感動と感覚を磨くこと、これは切っても切れない関係にある気がします。 たくさんのことでいろんな感動を積み重ねていくと、結局はそれが微細な感覚をとらえられることにつながる気がします。 ですから、非物質的な体験をしたいと思ったら、まずは日常生活を大切にすることが大切なんですね。 そのうえで、普段当たり前だと思っている常識の数々について、少しずつその枠を外していくわけです。 Some rights reserved by Sumriana Babyana | |
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