愛の先にあるのは「調和」 | |
2015年4月7日 20時59分の記事 | |
マザーテレサについては、いろんな噂があり、真偽の判断はご本人がすでに亡くなっている以上、判断できない部分が多いように思います。 私は、世の中でマザーテレサがどう思われているとかはどうでもよくて、純粋にマザーテレサをリーディングしてみた時に得られた印象をお話したいと思います。 ただし、以下でお話する内容は、客観的に証明可能な真実ではなく、リーディングで得られた主観的事実だということをご理解いただいた上でお読みください。
リーディングによれば、地球でマザーテレサと呼ばれた人物は、「純粋な人」だったと言います。 ただ、その一方で、独自の信念に沿って生きていたのだというニュアンスを投げかけてきます。 その信念によって自分自身を縛る一方で、自分が助ける人をも縛っていた部分があったようです。 ですが、結局はトータルで見れば、マザーテレサが多くの人に対して与えた苦しみよりも、救いによって与えたやすらぎのほうがはるかに大きかったようです。 つまり、マザーテレサとマザーテレサが救った人物との間には緊密な信頼関係が存在していて、たとえ医療行為を信仰上の理由により絶ち、その結果病気による苦しみが増えた場合であっても、神(イエス様)に仕えているのだという信頼感を患者は彼女によって与えられ、その結果として多くの安らぎをもたらしていたのだということです。 その後、私はマザーテレサをサイキック・リーディングしていきました。 マザーテレサが本当にイエスに通じていたのかどうかを知るためです。 感覚的にしか申し上げられないのですが、私はマザーテレサの目からどうやらつながりをサーチしているようです。 するとどうでしょう、ふと気が付くと、私はイエスと思われる人物の目に意識が向いていました。 感覚的には、イエスの体の中に私の意識があって、同時にイエスの概観(横顔)も見ているような印象です。 今私が感じているイエスと思われる人物は、若いです。 おそらく、20代ぐらいです。 髪の毛は栗色で、髭を生やしています。 しかし、年代はせいぜい30代前半、おそらくは20代ではないかと思われる艶のある肌をしています。 服装は、古代ギリシャ人のようなゆったりした服装をしているように感じられてきます。 私は今、マザーテレサの目のあたりからイエスの目のあたりに意識がつながったのですが、イエスはマザーテレサと我々が考えているパーソナリティを自分の一部であると感じ取っているのが、私にも感じられてきます。 つまり、私が見たところ、確かにマザーテレサは、イエスへの信仰心を通して、イエスに通じていたのです。 では、マザーテレサと呼ぶ人物は、今どのくらいのレベルに到達しているのでしょうか。 すると、瞬時に印象がやってきます。 マザーテレサは、今、6次元に向かいつつあります。 もう6次元にその意識の焦点があると言ってもいいくらいです。 ミラノンの意識階梯を使って仮に表現しますと、35の意識レベル(5次元)から42の意識レベル(6次元)まで7段階ありますが、そのうち、マザーテレサは今、39ぐらいだと感じます。 ですから、もう6次元の領域に足を踏み込みつつあるという状態だと感じます。 つまり、進化の階梯はオクターブごとに進むのではなくて、グラデーション的に徐々に進行していく可能性があるのだと感じます。 マザーテレサが今、何を重視しているのかを質問してみました。 すると、マザーテレサは愛の先にあるものだという印象を投げかけてきます。 我々地球人からすれば、マザーテレサと言えば愛であり、愛が最高のものだというふうに考えるかもしれませんが、今のマザーテレサは、その愛の先にあるものを求めているのだと言います。 それは何なのかと聞いてみると、「調和」だと言います。 マザーテレサ曰く、愛の先には調和があるというのです。 マザーテレサは、その生前のエピソードとは似つかわしくない印象を投げかけてきます。 調和とは、最初から完成されたものではなく、ぶつかり合いの先にあるものだという印象をよこしてくるのです。 愛も、一つのエネルギー状態ですが、それは人間的な言葉にすると、やさしさや慈愛、そういった言葉で表現されるものです。 しかし、調和というエネルギー状態は、その愛の状態をも包摂するというのです。 イメージ的には、ぶつかり合いの中から、徐々に角を丸くしていって、真ん丸の球体にしていくような作業かもしれません。 この辺は言葉ではなくて雰囲気でかすかに感じ取っているので、適切な表現に近づけるのが難しいです。 ですが、何とか言葉にすると、だいたいそのような表現になります。 一つ重要だと思われる印象をよこしてきました。 我々人間が対極にあると考える、強さとやさしさは、本来表裏一体であり、それを統合したものが、物事が調和した状態すなわち愛を超える状態なのだということです。 ですから、マザーテレサをリーディングしているときに私に返ってくるのは、本当に強い人を思い浮かべてごらんという印象でした。 マザーテレサ曰く、本当に強い人というのは、実はやさしい人なんです。 でも、常にそうあるのではなくて、皆揺れ動いています。 その中で、人間としての体験を積み重ねていき、やがては調和した状態になっていく、そんな感じかもしれません。 ですから、マザーテレサからくる印象を総合すると、調和した状態を目指すためには、自分自身の闇の部分と向き合う必要があることになります。 闇と向き合い、闇と光を統合化していく作業です。 自分自身の持つ弱さと強さの統合と言い換えてもいいかもしれません。 そうすることで、人間は誰もが、より強く、よりやさしくなっていくのです。 それが、マザーテレサが言うところの「調和」した物事の諸相につながっていきます。 | |
このブログへのチップ 0pts. [チップとは] [このブログのチップを見る] [チップをあげる] |
このブログの評価 ★★★★★ [このブログの評価を見る] [この記事を評価する] |
◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. naggao 2015年4月7日 22時34分 [返信する] いいですね。 闇は当然ありながらも、それにフォーカスする時間を少なくする工夫は人間にはあります。 生前のマザーの祈りは、その精神からしても長いものであったのかもしれません。 2. みどりむし 2015年4月8日 20時34分 [返信する] Channeling Erikというサイトをたまに覗きます。彼らはモーゼやキリストからウォルトディズニーまで様々な故人にインタヴューをしてるんですが、その中にマザーテレサがいました。 自分がそれを読んで受けた印象に残った部分は、苦しみと愛は同じくらい重要であり、苦しみを通して神(イエス)に近づく、というところでした。 それはimimiさんがここで言われている光と闇の統合ということなのかもしれないですね。 あと、西洋的な個人主義に異をとなえてるのも興味深かったです。
|
|
◆この記事へのトラックバック | |
トラックバックはありません。 トラックバックURL https://kuruten.jp/blog/tb/imimi/324601 |