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検察の権力の源泉は不公平感 |
[小沢氏関係] |
2010年10月18日 13時15分の記事
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民主党の小沢一郎元代表(68)の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、小沢氏が「起訴議決」の執行停止や検察官役の指定弁護士選任の仮差し止めを申し立てたことについて、東京地裁は18日、却下する決定をした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101018-00000584-san-soci
検察審査会の「強制起訴」の議決の執行停止を申し立てたことに対して東京地裁は却下の決定を下した。 極めて不公平に感じるが、この不公平感こそが権力維持のための装置であると思う。法治国家は、本来法の下で平等でなければならない。ところが、法の下において不平等であればあるほどそこに裁量が働くという事である。裁量が働く時に、そこに権力が生じる。 例えば同じ罪を起していれば、同じように処罰されなければならない。ところが、同じ罪を起しても、同じように処罰されなかったり、意図的に微罪で摘発されたりするのであれば人は権力に対して恐れを持つようになる。不公平感こそ権力の源泉なのである。 政治家が検察に強く出ないのは実はこのことが原因である。さらには、政治家の一部は、この危険性を充分に認識しながらそれを改善するのではなく、むしろ小沢氏排除にこの危険な構造を政治的に利用している。 今回の件でその構造性がかなり炙り出された。国民とマスコミは、この巨大な権力が適正に行なわれるように監視しなければならないのである。ところが、にマスコミは、むしろ権力の提灯持ちに徹している。検察からのリーク報道がマスコミをかなりコントロールしているからである。今の日本はかなり危険なことになっきている。中国を言論の自由のない国と上段に振りかぶって論じるのではなく自らの足下を今一度あらためて見つめ直さなければならないと思う。 |
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