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〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
[【時代小説発掘】]
2015年9月20日 10時55分の記事


【時代小説発掘】
〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)
花本龍之介



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概
 北斎親娘が住む長屋が、兆吉の放火で全焼して困った早船飛十郎は、仇討宿の安達屋へ連れていく。なにしろ相手は、蛇のように執念深い兆吉一味だ。この店を襲ってくるかもしれない。さてこれからどうするか、と思案した飛十郎は、北斎たちを江戸の外へ逃がすことにした。好都合にも弟子の繁三郎の実家が、三浦半島の浦賀だという。ただちに江戸を旅立った北斎一行を、すかさず兆吉たちも追っていく。物見遊山の旅か、死出の旅か。助太刀人飛十郎の最後の兵法は、いよいよ佳境に入る。波乱万丈の物語も、江戸を遠く離れた浦賀の海で決着するのか? 飛十郎の居合剣が、いよいよ冴えわたる。

 
【プロフィール】:
尾道市生まれ。第41回池内祥三文学奨励賞受賞。居合道・教士七段。
現在、熱海に居住している。


これまでの作品:

〔助太刀兵法31〕御家人馬鹿囃子
〔助太刀兵法32〕御家人馬鹿囃子(2)
〔助太刀兵法33〕御家人馬鹿囃子(終章)
〈助太刀兵法34〉夢泡雪狐仇討 ゆめのあわゆききつねのあだうち
〔助太刀兵法35〕夢泡雪狐仇討(2)
〈助太刀兵法36〉夢泡雪狐仇討(3)
〔助太刀兵法37〕夢泡雪狐仇討(4)
〈助太刀兵法38〉夢泡雪狐仇討(終章)
〈助太刀兵法39〉北斎蛸踊り
〈助太刀兵法40〉北斎蛸踊り(2)
〈助太刀兵法41〉北斎蛸踊り(3)
〈助太刀兵法42〉北斎蛸踊り(4)
〈助太刀兵法43〉北斎蛸踊り(5)
〈助太刀兵法44〉 北斎蛸踊り(6)



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【時代小説発掘】
〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)
花本龍之介

                               


一 一文禿げ

「それにしても、早船さま。とんだ災難でございましたな」
 本所松阪町にある安達屋の奥座敷で、藤兵衛が茶をすすりながら、おかしげに飛十郎の顔を見た。
「こら、なにを笑っておる。人が苦労しているときに、のんびりと茶でも飲んでいたんだろうな」
 女中に持ってこさせた鏡台の合わせ鏡を手に、焼け焦げた頭をしげしげと検分していた飛十郎は、鏡の中の藤兵衛を渋い顔で見た。
「それにしても、北斎先生の長屋だけが焼けて、人死にがひとりも出なかったのは不幸中の幸いでしたな」
「ふん。おかげで、おれの頭は焦げだらけだ」
 鏡に写った髷や後ろ髪を指でさわりながら、飛十郎は不満そうに鼻を鳴らした。
「たしかに眉毛や髪が多少焼けて薄くなりましたが、なに男振りがあがったというものでございますよ」
 飛十郎の前に茶を運んできた若い女中が、笑いをこらえるような顔で座敷から出ていったが、廊下ヘ出たとたんに、ぷっと吹き出した。
「なにが男振りがあがっただ。見ろ、笑っておるではないか」
 不機嫌そうに言うと、飛十郎は指で髷の先にさわった。髷はちりちりになっただけだが、頭頂部は火傷をおったらしく、一文銭大の丸い地肌が見えて痛々しく焼けただれている。
「この店のすぐ向こうにあります回向院は、勧進相撲でも名が知れておりますが。もともとは明暦の振り袖火事で焼け死んだ、十万余人もの死者の霊を弔うために建立されたものでございます。けだし、火事というものは本当に恐ろしゅうございますな」
 振り袖火事とは明暦三年(一六五八)正月十八日、本郷丸山町の本妙寺境内で施餓鬼のために焼いた若い娘の美しい振り袖が、早死にを恨む女の怨念か、おりからの大風に燃えたまま空中高く舞い上がり、それがために江戸城天守閣と本丸を焼き払い、四百におよぶ町並みを焼失、死傷者と不明者は数知れずという江戸開闢以来と言われる大火事のことである。
「なにが、けだし恐ろしゅうございますだ。ううむ……、これはいかん。おい、藤兵衛、墨はないか」
 鏡で頭頂部の火傷跡を覗き込んでいた飛十郎が、唸るような声を出した。
「すみ? 墨をいったいどうなさいます」
「なんでもいい、すぐに墨を持ってきてくれ」
「墨ならば、そこの違い棚の上に硯(すずり)といっしょに置いてございますが」
 落ち着き払った声で、藤兵衛は答えた。
「おう、そうか。ちょっと借りるぞ」
 飛びつくように硯を取ると、すぐに墨を磨りはじめた。いったい何をはじめるかと思って眺めている藤兵衛の目の前で、たっぷりと筆に墨を含ませると、飛十郎は頭の火傷の上にせっせと塗り出した。
「は、ははは。それなら一文禿げも、さほど見えませんな。しかし早船さまともあろうお方が、外見をそれほど気になさるとは思いませんでした」
 熱心に筆を使っていた飛十郎が、鏡に写した頭頂部を見て満足げに頷ずいた。
「ふん、人ごとだと思いおって……。笑え笑え、そのうちお前の頭も禿げてくるぞ。その時になって泣いても、遅いからな」
「どういたしまして。てまえの血筋は祖父の代から白髪の質らしゅうございまして、禿げは一人もおりません。あいにくでございますが」
 金砂子に八つ橋を描いた蒔絵の硯箱の蓋を。ぴしゃりと閉じると、飛十郎はじろりと藤兵衛を睨んだ。
「もう、いい。禿げの話は終りだ。そんなくだらんことより、北斎一家のことだ。とりあえず、ここの離れに避難させたのはいいが。いつまでも、この店で居候をさせておくわけにはいくまい」
 小振りな古備前の茶碗の底の残った抹茶を、うまそうに喉を鳴らした藤兵衛は、手の内のざらざらした感触を楽しむように撫ぜながら庭に目をやった。池のむこうに離れの屋根が見える。
「てまえどもは北斎先生とご家族に、いつまでもご逗留を願いとうございますが……。なにしろ、兆吉とかいう凶悪な若者が、北斎先生の持ち金と富岳三十六景の肉筆画を手に入れようと、つけ狙っているそうでございますからな。油断は出来ません」


二 時代

「そうだ。あやつは、欲望を満たすためには、人殺しだろうが火つけだろうが平気でやってのける男だ。おそらく兆吉の心の内には、どれほど強い太陽の光りに照らされても、永遠に溶けない氷のかたまりのような物があるのかもしれない。どうして、あのような人間が、この世に生まれ出たものか……」
 頭頂部の火傷にふれて、痛そうに顔をしかめた飛十郎の指先が、墨に黒く染まっている。その指をぺろりと舌で舐めると、飛十郎は袴に指をなすりつけた。
「時代のせいでございましょう。ふた昔ほど前には、あのような冷酷で無慈悲な人間はいなかったように思います。みな貧しゅうございましたが、となり近所が助け合い、おのれの分を守り、年寄りは尊敬し、子供にはやさしかったものです。それがどうです、親は幼子を殺し、子は老いた親を平気で殺す時代です。早船さま、まるで世の中の箍(たが)がはずれ底が抜けたような騒ぎではございませんか」
 藤兵衛はそう言って、いとおしそうに触っていた古備前の茶碗を、そっと畳の上に置いた。
「いや、時代のせいばかりには出来んぞ。兆吉のような人の顔をした怪物や化物を生んだのは、おれたち大人だったのかもしれんぞ。欲に目がくらみ、蓄財におぼれ、贅沢三昧な生活にどっぷりと漬かり、金を稼ぐ忙しさにかまけて、子供をかまうことはおろか、愛情をかけることも忘れ果てているのではないか」
「そうかも、しれませんな」
「この世の中を形づくり、時代をつくり上げてきたのは、ほかならぬ大人たちではないのか藤兵衛。兆吉の背中や躰には、数え切れぬほどの傷と煙管を押しつけた火傷の跡があるという。おぬしがその備前焼の茶碗をいとおしそうに撫ぜたほどの愛情を、そそいでくれる大人が周囲にひとりでもいれば兆吉はあのような罪業を重ねる若者にはならなかったと思うのだが……」
 片手を頬に当てて考え深げに言った飛十郎は、次の瞬間てれたように頭を掻いて藤兵衛を見た。
「これは、すまん。釈迦に説法だったな。世の中のことは、おれなんぞより大勢の人間をあつかう口入れ屋のおぬしの方がくわしかったな」
「いえいえ、森の中に居るとかえって木が見えぬと申しますからな。飼い犬でさえ、情深く育てれば人なつこく優しい犬になり、手荒く冷淡に扱えば牙をむき人に噛みつく犬になるといいます。ましてや人間は、それ以上に細かく気をくばって育てなくてはなりますまい」
 藤兵衛はそう言うと、考え込むように畳の上の秘蔵の古備前を見た。
「早船さまのおっしゃる通り、兆吉という若者の身の上には、同情すべき点がございます。しかし――」
 と言って藤兵衛は、飛十郎を強い視線で見すえた。
「なんだ、藤兵衛?」
 いつにない藤兵衛の気迫に、飛十郎はたじろいだような声を出した。
「あの若者のような劣悪な家庭で育った者は、なにも兆吉だけではありますまい。この江戸には親に放置され、しつけという名目で暴力を振るわれている幼子は、それこそ数え切れないほどおりますぞ」
「ふうむ。そういえば、おれが住む海辺大工町の長屋にも、親に折檻(せっかん)されている子供がいるな。目にすればたしなめもするが、四六時中いるわけではないからな。それとて、子は親のものだと見えを切られれば、どうしょうもないぞ」
 無精髭をこすりながら、飛十郎は横目で古備前の茶碗を見ながら言った。
「そうでございましょう。ですが親にひどい目にあわされ、見捨てられても、立派に立ち直って一人前の商人や職人になって妻子をやしない、世間さまに後ろ指を差されないよう暮らしている者は、いくらでもおります」
「そうかもしれんな」
「むしろ兆吉のように、悪の道に踏み込む者のほうが少ないのではないか。と思いますが」
「そうだ。親が悪いのだの、誰も助けてくれなかったのと、他人のせいにするより、その冷たい世の中に立ちむかって勝つことこそが大切なのだ。兆吉があんな人間になったのは、当人の責任だ。兆吉が弱かったのだ」
 


三 三浦大根

 きっぱりと言い切ると、飛十郎は池の向こうに見える離れを見た。
「ここに、いつまでも北斎どのを置いておいては危ないな。兆吉という悪党は、恐ろしく頭が切れる男だ。居場所をつきとめたが最後、火付け斬り込みはもちろん、どんな汚い手を使っても富岳三十六景の肉筆画を奪いに襲ってくるぞ」
 頷ずきながら、藤兵衛は身を乗り出した。
「さ、それでございますよ。てまえもそれが心配で、昨夜は雇い人たちに朝まで屋敷の夜廻りをさせました。なにぶん、てまえは商い者でございます。こういったことは、早船さまがご専門。いかがしたら、ようございますかな」
「そのことだが……。お栄や孝太郎が言うには、一度こうと狙ったら何があろうとあきらめぬ。まるで蛭か蛇のように、しつこい奴らしい。たとえ日本中どこの土地に逃げようが、死ぬまで追いかけてくるそうだ」
 むずかしげな顔で、頭をごしごしこすると、飛十郎は天井を見上げた。
「なにか策はございませんか。北斎先生を助けるための、兵法は?」
「ううむ……」
「唸り声ばかりで、なにもいい策はなさそうですな。命あっての物種と申します。千両の値打ちがある画狂人・北斎の肉筆画三十六枚を、兆吉めに渡しますか」
 藤兵衛は、けしかけるような声で言った。
「馬鹿な。せっかく手に入れかけた、金千両。だれが兆吉なぞに渡すもんか」
「てまえも、礼金がわりの富岳図一枚はほしゅうございますが、屋敷を焼かれ命を奪われてはたまったものではございません。ここは絵をくれてやりましょう! 早船さま」
 わざとらしく大声を出すと、横目で飛十郎をうかがった。せっぱつまると、早船飛十郎にいい策が湧いてくるのを、知っていたとみえる。
「むむ」
「さあさあ、どうなさいます」
 顔に汗を浮かべながら、飛十郎が手を上げた。
「まった、藤兵衛。策がわいてきたぞ」
「ほう。その策とは、どんなものでございます。早船さま」
 ゆるみそうになる顔を引き締めて、藤兵衛が聞いた。
「簡単だ。もう逃げるのをやめる」
「やめてどうなさいます。いつまでも、ここに居すわられては困りますぞ」
「心配するな、ここにはおらん。逃げずに兆吉とその一党を、ある場所におびき寄せて、一気にかたずける。どうだ藤兵衛、見事な兵法だろう」
 得意気に胸を張ると、飛十郎は無精髭をひとこすりした。
「ははあ。してその場所とは、いったい何処でございます」
「海だ!」
「海、でございますか? あの魚が泳ぎ、舟が浮かんでいる」
「あたり前だ。ほかに、どんな海がある」
 苦り切った顔で、藤兵衛を睨んだ。
「海はわかりましたが。海といっても多うございますぞ」
「三浦の海だ。あの三浦大根がとれる半島だ」
 藤兵衛に先を越されぬように、飛十郎は名産の大根の名まで持ち出した。


四 旅へ

 東海道・保土ヶ谷宿は江戸から八里九町あまり、裏通りのない往来筋に添った細長い宿場町である。まだ明るいうちに宿場に入ると、すぐに目についた平旅籠で草鞋を脱いだ飛十郎、北斎、お栄、孝太郎と弟子の繁三郎の五人は、すすぎの水をとるのももどかしく順番に湯殿へいって旅の埃(ほこり)を落とした。
「いやあ。いい気持じゃな飛さん。こういった旅籠の湯というものは、ひときわ風情があるもんじゃの」
 さっぱりした湯あがりの顔で、往来を見おろす二階座敷の手摺りに濡れた手拭を干しながら、北斎は上機嫌で街道を急ぎ足で行き来する旅人たちを見た。
「はあ、そうですな。ここまで来ると、なんとなく旅情(たびごころ)を感じますな」
 飛十郎は大きく伸びをすると、道の向う側にある同じ造りの旅籠の開け放った座敷を覗き込んだ。どの座敷も、まだ泊まり客の姿は見えない。
 江戸を明け六つ(午前六時頃)に出立したほとんどの旅人は、女や子供連れや老人をのぞいて二里先にある戸塚宿の旅籠に泊まる。
「のう飛さんや、さっき橋を渡ったところが帷子(かたびら)川じゃ。旅の本に〔留め女の顔は、さながら面をかぶりたるごとく真っ白に塗りたて、いずれも井の字絣の紺の前掛けを〆(しめ)たるは、さてこそ昔(いにしえ)、ここは帷子の宿といいたる所となん聞えし〕とあるようにな。この帷子町と新町と保土ヶ谷町は、それぞれ独立した旅籠町であったが、慶長の(一六〇○)頃から今のような一つの宿場になったのじゃ」
「さすがは北斎どの、よくご存知ですな」
「なんの、たいしたことはないわい。ふわっ、ふわっ、ふわっ、まだ旅はこれからじゃ。珍しい話ならいっぱい知っておる。おいおい披露して進ぜよう」
 楽しげに腹をゆすって笑う北斎を横目に、お栄が洗い髪を手拭いでぬぐいながら座敷へ入ってきた。
「ふん、また親爺の蘊蓄(うんちく)話かよ。感心するこっちゃないよ、早船さん。今のだって、十返舎一九の東海道膝栗毛に書いてあることなんだから。ただの受け売りさ」
 渋い顔をすると、北斎はそっぽを向いた。いろんな家族を見たが、これほど仲の悪い親娘はめったにいない。飛十郎は顎をつまむと、気分を変えるように北斎に声を掛けた。
「それにしても、お弟子の繁三郎どのが浦賀の生まれで、それも網元の息子ということで助かった。おかげで、なんとか兆吉たちを退治する兵法が編み出せたというものだ」
 手摺りに寄り掛かって濡れ髪を拭いていたお栄が、馬鹿にしたように、ふんと鼻を鳴らした。
「筆の持ち方から岩絵の具のまぜぐわいまで、手とり足とり教えてやった無駄めし喰いが、ようやく役に立ったわけさ。それにしても退治たあなんだい。まるで桃太郎きどりじゃあないか。さしずめ孝太郎が猿で、繁三郎が犬、わっちが雉子(きじ)のお供で道案内の三匹かい。馬鹿にするんじゃないよ」
 床の間の傍で、矢立て出した筆の先を墨壺にひたして、なにやら懐手帖にすらすら描いていた北斎が、たまりかねたようにお栄を怒鳴りつけた。
「いい加減にせんか! それ以上、飛さんに文句をつけるなら、わしが頼んでお前のその獅子っ鼻を、居合でもっと低くして貰うぞ。しばらく黙っとれ!」


五 兵法談義

 不服げに頬をふくらませたお栄は、父親を睨みながらやたらと手拭いで髪をこすり出した。そこへ入浴から戻ってきた孝太郎と繁三郎が、また喧嘩が始まったかと、うんざりした顔で濡れた手拭いを手摺りに干しはじめた。
「二人とも、そこへ座って聞きなさい。そもそも兵法とはじゃな、古くは養老元年(七一七)吉備真備が遺唐船で大陸へ学生(がくしょう)として渡り、天平七年(七三五)に我が国へ持ち帰った〔孫子〕の軍書・一巻十三編が初まりと伝えられておる。その後〔六韜(りくとう)〕これは文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜の六巻六十編のことを言うが、周の太公望が撰したといわれる軍書も日本へ伝来し、これらを元に独自の兵法を編み出した源義経や楠木正成の戦術が、義経流および楠木流といわれておるものじゃ」
 講釈師さながらに語りつづける北斎の話の途中から、これ見よがしに大あくびをしたお栄は、ごろんと寝転んでわざとらしく鼾をかき出した。
「なるほど。いや、大公望とは釣り狂いをする者たちの呼び名だとばかり思っていたが、違うのですな」
 飛十郎が感じ入ったように、顎に手をおいたなな顔を振った。
「それも間違っておらん。太公望は世を避けるために毎日、渭水の浜辺で釣り糸をたれていたが、周の文王に用いられ、その子・武王を助けて大国・殷(いん)を滅ぼして、のちに斉国の始祖になったという稀代の名将じゃ」
「いやあ、これは驚いた。それにしても北斎どのは、じつに国名や人名をお知りですな」 感嘆の声を、飛十郎はあげた。
「それも……滝沢馬琴の……受け売り……受け売り……」
 寝言の振りをして、お栄がぶつぶつと呟やきながら、寝返りをうった。
「なにを、ぬかす。馬琴だとて司馬遷の労作の丸写しではないか! ふざけるでない」
 畳を叩かんばかりにして、北斎は憤激の声をあげた。
「つかぬことを聞くが……。その司馬なんとかは、何者ですか」
 耳の後を掻きながら、飛十郎がすまなさそうな顔をして質問した。
「なんじゃと?! あんたはあの有名な司馬遷も、知らんのか」
 あきれ果てた顔で、北斎は飛十郎を見た。
「はあ、なにぶん子供の頃から居合にばかり熱中し、学問のほうは手抜きをしておりましたので」
「それにしてもじゃ。手抜きがひどすぎるぞ。司馬遷・字(あざな)は子長。前漢の高名な史家じゃ。前漢とは農民から出て泗水(しすい)の亭長(宿駅の長で盗賊の追捕もした)となるが、秦末に挙兵しのちに楚王となった盟友・項羽と覇権を争い、天下統一ののち長安に都して皇帝となった高祖・劉邦がうち立てた国のことじゃ」
「ははあ、なるほど……」
 北斎の博識に感服して、飛十郎はほとんど言葉も出ない。
「その高祖の七代のちの武帝の治世(紀元前一○八)の頃、司馬遷は太史令となり、父の司馬談の志をついで本紀(帝王の事跡)十二巻、世家(世襲・諸侯の記録)三十巻、列伝(諸人臣の伝記)七十巻、表(ひょう)十巻、書八巻の計百三十巻にもおよぶ紀伝体の史書〔史記〕を書きあげた偉大な人物じゃ」
「なんと、百三十巻、ですか」
 ごくり、と飛十郎は唾をのみ込んだ。
「そのうえ、義にも強い。親友の将軍・李稜が匈奴(北方の遊牧民族、始皇帝はこれを恐れて万里の長城を築いた)の捕虜になったとき、これをかばって武帝の怒りを受けて重い刑に処せられたという。この屈辱に発憤して、司馬遷はあの歴史に残る大作を完成したそうだ。人間、誰しもこうでありたいものじゃな」
 そう言って北斎は、にんまり頬を崩した。むずかしげな話に眠気を誘われたものか、孝太郎と繁三郎はこくりこくりと舟を漕ぎはじめている。


六 修行時代

「そう言えば、このわしも若い頃これと同じような体験をしたことがある。あれはまだ勝川春朗と名のっていた頃の、二十五、六の生意気盛りのことじゃった。両国の絵草紙屋に頼まれて絵看板を描き上げたところ、諸人にほめられて天狗の鼻になっておった。たまたま通りがかった兄弟子の、勝川春好に見つかったからたまらない」
「ほう……、どうなりました……」
 旅の疲れが出たのか、あくびまじりの声で飛十郎があいずちを打つ。
「くそみそ、とはあのことじゃ。勝川派の名に泥をぬる絵たあ、このことだ! 大馬鹿野郎め! そう怒鳴って、わしの目の前でずたずたに引き裂き見物衆の足元に投げ捨ておった。恥ずかしゅうてのう、いま思うてもくやしゅうて手足が震えてくる」
「いくら兄弟子とはいえ、ちとひどすぎますな。やることが」
「じゃがな。わしも司馬遷と同じように、そのおりの死よりもつらい屈辱に耐えて、恥をそそごうと必死になって修業をかさねたのじゃ。かならず日の本一の名絵師になってやろうとな。思えば画狂人・葛飾北斎があるのも、すべてあの春好のおかげかもしれんなあ」 しみじみとした口調で、北斎は若き日の修行時代を懐かしむように目を閉じた。……それからしばらくすると、旅籠の番頭と女中が、
「おまちどうごぜえやす。晩飯を持ってめえりました」
 両手に夕餉の膳を持って障子を開けた時には、北斎はじめ五人全員が、ぐっすりと白河夜船をきめ込んでいた。

 次の日――。夜明けに旅籠を出立した飛十郎一行は、山あいの道を抜けて弘明寺(ぐみょうじ)から杉田へむかった。このあたりは風光明媚な海添いの道である。杉田村はいたる所に梅の木があって、花の咲く頃ともなれば、磯風に甘い風がただよい流れて旅ゆく人をなぐさめた。
 広重の三枚続きの浮世絵にも〔杉田の梅林〕がある。海を望むおびただしい数の梅の木と、はるか彼方に霞む上総と安房の山々が右手の磯子の断崖絶壁とともに、茶屋を前にした梅見物の華やかな女たちの姿が描かれているのを、飛十郎も江戸で見たことがあった。ここから江戸湾に添って進めば、やがて金沢に出る。保土ヶ谷宿から、およそ四里の道のりである。
 やがて六浦の丘の上にたどり着いた一行五人は、眼下に見える金沢八景の見事な海浜の景観を目にするなり、思わず大きな溜め息をもらした。
「いや、まことに胸が晴れ晴れするような美しい景色じゃ。いにしえの昔、平安京の宮廷絵師・巨勢金岡が、この地の勝景を模し描かむとし及ばずして筆を投じ嘆賞した。という故事がある。ほれ、これがその有名な筆捨ての松じゃ」
 北斎はそう言って、傍らに立っている巨大な松の木を指差した。地表に出ている太い根の間に、石塔や小さな石の碑が立っているのが見える。
 文政十二年(一八二九)から発刊された〔江戸名所図会〕には、長谷川雪旦の手になる茅葺き屋根の能見堂や、草庵や、筆擲松と並ぶ見晴らしの縁台や、遠眼鏡を覗く見物客三人の姿や、その下で客に茶を運んでいる茶店の女や、煙管で一服している駕籠かきの姿まで細密に描かれている。
「おう、ちょうどいい。ちと、腹が北山になった。北斎どの、そこに見える茶店で中食にしませんか」
「そうじゃな。ちょうど昼餉の時刻じゃ。そうしましょう」
 小手をかざして、あたりの風景を飽きもせず眺めていた北斎は、中天にのぼった太陽を眩しげに見ると、機嫌よく飛十郎にうなずいた。

 

七 六浦

 うどんに甘酒、茶漬けに団子、もり蕎麦に冷やし飴、握りめしと酒と軽くあぶった目刺し、それに金沢名物の八景餅二皿にところ天と、それぞれ違う注文をした五人が、賑やかに舌鼓と腹鼓をうったあと心ゆくまであたりの風景を見終えて、のんびりと腰をあげて歩き出した。
 飛十郎が頼んだのは、むろんお銚子がついた目刺しと握りめしである。北斎は酒も莨もいっさいやらない。五人の中で酒がいける口は、お栄と飛十郎だけだが、さすがに女だてらに昼酒は呑めないとみえて、うまそうに盃を口に運ぶ飛十郎を、うらやましそうに見ているだけだった。
 能見堂から金沢へむかう坂道を、ゆったりとした足運びで下っていた北斎が、ふいに朗々とした声で謡いはじめた。
『はや相模の国、六浦の里に着きてそうろう。……あれに由ありげなる寺のそうろうを、人に問えば、六浦の称名寺とかや申しそうろうほどに、立ち寄りて一見せばやと思いそうろう……』
 すれ違う老若男女の旅人たちが、驚いたように北斎を見て振り返りながら去っていく。「いやあ、いいものですなあ北斎どの。初めて聞きましたが、見事な喉ですな」
「このあたりを舞台にした能楽、六浦(むつら)じゃ。やはり実際の土地でうたう謡曲は、格別のおもむきがあるもんじゃの」
 称名寺は鎌倉中期に執権・北条義時の孫の金沢実時が、この地に別邸をいとなみ創建した寺院である。「さあ、いよいよ金沢じゃ。丘の上から見おろす海や島もよかったが、こうして間近かに見る浜辺も磯の香りが強くただよって、なかなかいいのう」
 海添いの小道のすぐ横は白い砂浜で、風よけの松原が弓なりに三浦半島へ長くつづいて見える。
「まことに、絶景とはこのことですな」
 陽差しが強まって暑くなったのか、渋扇で胸元に風を送りながら、飛十郎はうっとりと沖をいく帆掛け舟を目で追った。
「見かけによらず、飛さんも風流を解するとみえる。ほれ、この小さな社が瀬戸明神じゃ。すぐ前にある人工の築小島の、朱塗りの橋を渡ったむこうにあるのが琵琶島の弁財天じゃよ。そこにある丸い石が、頼朝がさわって天下の将軍になったという伝説で有名な、福石じゃ」
 そう言って立ち止まると、北斎は目の前にある灰色の岩を指差した。見たところ、飛十郎の胸ほどの高さの何の変哲もない石である。寄り掛かるのにちょうどいい形をしている。
「ためしに飛さんも、さわってみたらどうかな。もしかすると出世するかもしれんぞ」
 からかい顔ですすめる北斎に、飛十郎は苦笑して見せた。
「もういい年だから、出世は無理でしょう。また、その気もない……。それにしても北斎どのは、じつにこのあたりのことを知ってますな」
「は、はは、感心することでもない。わしは絵師じゃからな。この金沢には、何度も景色を写しにきておる。知っているのは当然じゃ」


 
八 塩浜

 福石の前で話している二人を置き去りにして、お栄と孝太郎と繁三郎は海辺にある田圃の間の小道を、さっさと歩いていく。見ていた飛十郎が、不思議そうな顔をした。
「あれは、何ですか。田のようにも見えるが、少し違っている。それに、海に近すぎるでしょう」
「なるほど遠目には田のように見えるが、あれは塩浜じゃよ。つまり塩田じゃな」
 笑いながら、北斎が教えてくれた。
「ほほう。塩を作る田ですか? いや、初めて見ました」
「あれに海水を撒き、天火にさらして塩を採るのじゃ。何十回もそれをくり返し、ようやく塩が出来る。重労働じゃよ。われらも心して、塩をいただかなくてはいかんな」
「まことに、さようですな」
「さて、いくか。連中に追いつかなくてはな。また、お栄にぶつくさいわれる」
 歩きはじめた北斎を、飛十郎は呼び止めた。
「あとひとつ、お聞きしたい。左に見える、あの風雅な二つの太鼓橋の先は、どこへつづいているんですか」
「洲崎じゃ。あの長い中洲にも塩浜がたくさんある。そのむこうに見える形のいい小島が夕焼けで有名な野島じゃな。橋を渡って真っ直ぐ進めば、称名寺にいたる道じゃ」
「あの太鼓橋のむこうに瓦葺きの大きな二階家が見えるが、あれはなんです?」
「料理茶屋じゃ。文人墨客が杖を引いて訪れたのは昔のことじゃ。今はの、火事で大儲けした材木商や、幕臣の上前をはねる札差商人や、役人に取り入る御用商人がの、芸者をあげてどんちゃん騒ぎをやらかしおる。それも、はるばる江戸の柳橋や深川から連れてくるというから、豪勢なもんじゃ」
 深川から芸者がくるという聞いて、ぎょっとした飛十郎は、ふところ手を袖から抜き出して、あたりを見廻した。辰巳芸者の小吉が、海を前にした料理茶屋の庭に立つ石灯籠の影から見ているような気がしたからだ。
「ふわっ、ふわっ、ふわっ、芸者ときいて顔色が変わったようじゃな。飛さんも、なかなか隅におけんな。どこぞの芸者衆と、悪い引っかかりでもあるのかな?」
「じょ、冗談ではない。おれは芸者なんかに知り合いはいないぞ。さ、北斎どの、急ぎましょう。今日中に浦賀に着かなくてはなりませんからな。お栄どのに、だいぶ遅れましたぞ」
 北斎をせかせると、飛十郎は足早に歩き出した。にんまりと笑いながら、北斎も年に似合わぬ達者さで、飛十郎に負けぬ速度で歩き出した。


九 浦賀へ

 金沢に別れを告げた一行五人は、追浜から田浦を過ぎて按針塚(徳川家康に外交顧問として仕えた英人ウイリアム・アダムスの墓)がある逸見の小山を横目に見ながら、横須賀の港に入っていった。
 横須賀も浦賀ほどではないが、江戸と大坂や九州を往来する荷船が出入りして、にぎわった港である。その横須賀を出てすぐの休み茶店で喉をうるおした北斎一行は、海沿いの曲がりくねった道を、馬堀から山へ入り峠越えをして、まだ陽のあるうちに浦賀の町へ到着した。
「おう、これは……。江戸の永代沖や、品川の沖に負けぬほど、船の数が多いではないか」
 港を見おろす坂を下りながら、飛十郎は思わず声をあげた。あとの四人は、すでに浦賀に来たことがあるのか、べつに感動もなく淡々とした顔で歩いていく。
「ふうむ」
 ひとり飛十郎だけが溜め息をつくと、坂道の半ばで足を止めて港町に見入った。この男、生まれて初めてこのような港を見たらしい。ひと口に言えば、人の指を横から眺めた形といえばよいか。それほど入り江の奥が狭く深い。その細長い形をした湾の中に、数え切れないほどの二十五反帆の千石船を筆頭に、八百石積み、五百石積みの大荷船が帆をたたんで碇(いかり)をおろしている。
 菱垣廻船や樽廻船などの沿岸航路や、近海漁でにぎわった浦賀は、相州浦賀巡覧記に〔武府往来の通船、入らずと云事なく、日夜の出入数千船にて、志州・鳥羽より此地までの際になき、繁昌の湊港〕とあるように三浦半島で一番といえるほど栄えた港町であった。 いましも飛十郎の目の前を、酒樽を山積みした樽廻船が、帆柱の半ばまで帆をおろして、夕凪の湖のように波静かな海面を音も無く滑るように港へ入ってきた。ふところに入れた手を胸元から出して、無精髭を撫ぜ廻していた飛十郎の喉が思わず、ごくりと鳴った。「辛抱、しんぼう。飛さんや、あと少しで繁三郎の家じゃ。なにしろ、あやつの実家は浦賀でも名にしおう大網元じゃからな。書状で知らせておいたから、今頃は酒はもちろんご馳走を山ほど用意して待ちかねておるじゃろうて」
 鋭い絵師の目で飛十郎の胸中を見抜いたものか、北斎はからかうような口調で言った。「はあ……。大網元ですか。しかし繁三郎は、どう見ても、」
「喰うに困るほどの貧乏人に見えたか。あれは、親ごころじゃよ。ろくに才能もないのに、家を飛び出して江戸へいった次男坊を、一人前の人間に鍛えあげるためにな」
「つまり、勘当ですか」 
「いや。正式には、奉行所にある勘当帖には、まだ届けていないらしい」
「ふむ。内証勘当というわけですか」
「そういうことじゃ。勘当帖にしるされて、寺の人別帖からはずされたら、こりゃ無宿人ということじゃからな。わしに弟子入りすることはおろか、長屋を借りることも出来んからのう」
「なるほど……。親ごころですな」
 飛十郎は、行く手に見える海産物問屋らしい大店の軒下に目をやった。十歳ぐらいの丁稚小僧が、背伸びするように爪先立って角行灯に火を入れている。きびきびした身ごなしと年頃が、たちまち飛十郎に兆吉の手下の飛猿の三吉を思い起こさせた。
――あの三吉も親さえいれば、あのように悪党の仲間になって、使い走りをすることもあるまいに……。
 思案している飛十郎の横を、刺し子姿の五、六人の船乗りたちが、声高に話しながらすれ違っていった。横丁の奥にある居酒屋へ一杯やりに来たに違いない。瓦屋根の海産物問屋の隣りは、さらに間口の広い干鰯問屋が軒を並べている。幅の広い道の両側には、そういった大店のほかにも小間物屋や呉服屋、薬種屋や履物屋などの日用品をあつかう商い店が、ずらりと建ち並んでいた。
 行き通う人の数も多く、店々のあいだの路地のむこうには海が見える。狭い湾に停泊している船の帆柱が林立し、その向こうに見える対岸の町にちらちらと灯りが光りはじめた。やがて橋を渡って少し行くと、小さな船着き場が見えてきた。
「ほれ、あそこに高札場が見えるじゃろう。あれが渡し場じゃ。浦賀の人たちは、向こう岸に用事がある時にはな、きまってこの渡し舟に乗るそうな。距離はどの位じゃったかの、繁三郎?」
 生まれ故郷に帰って、懐かしげにあたりを見廻している弟子の顔を、北斎は見た。
「はい。対岸まで百九間(一九六メ−トル)ほどでございます」
「ならば、両国橋より十八間(二十三メ−トル)あまり長いだけではないか。思ったより狭いなあ。大川とほぼ同じ幅だ」
 江戸を思い出したような飛十郎の言葉に、お栄も珍しく相づちを打った。
「ほんとだねえ。右手に海さえなきゃ、誰だって川だと思うよ」


 
十 耳役登場

 着いたばかりの渡し舟からおりた乗客たちが、見なれない五人組をじろじろ眺めながら通り過ぎていく。
最後におりた三十がらみの目付きの鋭い男が、飛十郎にむかって軽くうなずいて見せると、船頭小屋の裏手で立ち止まった。
「おや、誰だい? 早船さんの知り合いかい」
「そうだ。伊蔵といってな、おれの目付け役だ」
 飛十郎はそう答えると、ふところ手のまま伊蔵にむかって歩いていった。  
「元気そうだな、伊蔵。おれの前に渡し舟であらわれるとは、ちと驚いたぞ。どこで追い抜いた」
「へい。旦那も、お変わりなく。金沢で、お連れと立ち話をなさっている時に、追い越したんで」
「そうか。四方に気をくばっていたが、さすが伊蔵だな。少しも気付かなかったよ」
 首をひねりながら、飛十郎は無精髭をひとこすりした。
「へ、へへ、こっちは駕籠に乗っておりやしたから、無理もございませんよ」
「駕籠か……、なるほどな。おぬしがここへ来ているということは、おっつけ兆吉たちもあらわれる、ということだな。連中は、何人いる」
「十五人でございます。うち二本差しがふたり、それに十歳ほどの子供がひとりまじっておりやす」
「ふむ、浪人がふたりか。ならば、両角周五郎は抜けたわけか……。ありがたい」
 ほっとしながら、飛十郎は海に目をやった。海面すれすれに群れ飛んでいる海鳥の声が、急に耳についてきた。
「誰でござんす、その抜けたお侍ってのは?」
「示現流の達人だ。町人あがりの浪人だが、まず腕はおれと互角だろうな。あなどれぬ男だ」
「へええ、こいつは驚きやした。早船の旦那と、ために斬り合えるってのは、てえした剣客じゃござんせんか。ですが町人あがりでそんな奴がいるとは、狭いようでも世間は広うございますねえ」
「そういうことだ。油断はならん。ところで、その子供というのは、見え隠れにおれたちをつけていたろう。あいつは、飛猿の三吉といってな、兆吉一味の豆悪党だ」
 足元の岸壁にゆったりと打ち寄せている白い波から、伊蔵の顔に視線を移すと飛十郎はにやりと笑った。
「やっぱり、お気づきでやしたか。いや、すばしこい子で、まったく猿でございますな、三吉というのは。それに、もうひとり妙な野郎が仲間に加わっておりやす」
「妙とは、どういうことだ」
「あれは武蔵と相模の国境いを越えて、すぐのことでやした。ふいに山道をおりてきた四十がらみの、顔のいかつい頑丈そうな男が、兆吉にひょいと頭を下げると、そのまま一緒に歩き出したんで。身なりは町人風でしたが、なにしろ肩に見たこともねえ物をひっ担いでおりやした」
「ほう、どんな形をしていた」
「木綿の布でぐるぐる巻きにしてあったんで、よくは知れませんが、長さはこれ位で……」
 伊蔵は両手を広げて長さを測っていたが、飛十郎の腰に目を止めた。
「そうだ。ちょうど旦那の、お刀ぐらいの長さでしたが。こう、先っちょが、ぐいと曲がっておりやした」
「それは伊蔵、たぶん火縄銃だな」
 顔をしかめると、飛十郎は無精髭をひとこすりして言った。

               了〈助太刀兵法46・北斎蛸踊り−8―につづく〉








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