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〈助太刀兵法38〉夢泡雪狐仇討(終章) (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2014年8月10日 12時20分の記事


【時代小説発掘】
〈助太刀兵法38〉夢泡雪狐仇討(終章)
花本龍之介 



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概
 花見の名所・王子の飛鳥山へ、目指す仇の京屋丹兵衛が行ったという知らせに、早船飛十郎と清元延寿太夫の娘お糸は、すぐに山へむかった。岡っ引きの花川戸の藤次に、仇一行の様子を聞きながら、飛十郎は茶店の奥座敷でお糸に脇差しを持たせて、仇を刺す稽古をくり返すのだった。降りしきる雪の中、狐の面をかぶった飛十郎とお糸は、仇たちが待つ花見の宴席に乗り込むのだった。斬りかかる相手の刀を、いつの間にか奪ってしまうという、居合太刀打ちの秘技・拳取りを初めて使う飛十郎の剣の冴えが、江戸の悪を斬って捨てる。人助けの剣が、またもや幼い娘を救う。

【プロフィール】:
尾道市生まれ。第41回池内祥三文学奨励賞受賞。居合道・教士七段。
現在、熱海に居住している。


これまでの作品:

〈助太刀兵法21〉尾道かんざし燈籠
〈助太刀兵法22〉尾道かんざし燈籠(2)
〔助太刀兵法23〕尾道かんざし燈籠 (3)
〔助太刀兵法24〕尾道かんざし燈籠 (4)  
〔助太刀兵法25〕 尾道かんざし燈籠(5)
〔助太刀兵法26〕尾道かんざし燈籠(6)
〔助太刀兵法27〕尾道かんざし燈籠(終章)
〔助太刀兵法28〕室の津綺譚
〔助太刀兵法29〕室の津奇譚(2)
〔助太刀兵法30〕室の津奇譚(終章)
〔助太刀兵法31〕御家人馬鹿囃子
〔助太刀兵法32〕御家人馬鹿囃子(2)
〔助太刀兵法33〕御家人馬鹿囃子(終章)
〈助太刀兵法34〉夢泡雪狐仇討 ゆめのあわゆききつねのあだうち
〔助太刀兵法35〕夢泡雪狐仇討(2)
〈助太刀兵法36〉夢泡雪狐仇討(3)
〔助太刀兵法37〕夢泡雪狐仇討(4)





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【時代小説発掘】
〈助太刀兵法38〉夢泡雪狐仇討(終章)
花本龍之介 



一 春の雪

「ごらんなさいやし。せっかく開いた桜の花が、ふりつもった冷たい雪にまるで凍(こご)えているように見えますぜ」
 花川戸の藤次の声に、南北と飛十郎が頭上を振りあおいで見ると、差し交わした枝にぎっしりと花をつけた桜に早くも薄っすらと雪が積もっている。
「だからいいのだ。見ろ、せっかく毛氈を広げた花見客たちも、ときならぬ春の雪に震えあがって帰り支度をはじめているぞ。季節はずれの寒さに、この雪だ。仇討に人出は迷惑。見物人は、少なければ少ないほどいい。そうは思わないか、藤次」
それを聞くなり、藤次はぽんと手を打った。
「ちげえねぇや。旦那のいう通りだ。これが日本晴れの上天気の日なら、満開の飛鳥山は押すな押すなの見物客でいっぱいになりますぜ。そうなったら最後、もう仇討どころじゃござんせんよ。混雑にまぎれて逃げ出した仇を、うっかり見失わねえとは、かぎりませんからねえ」
「なるほど、さすがは江戸一番の助太刀人じゃ。ぬかりがないのう」
 黙って耳をかたむけていた南北が、感心したように相槌をうった。
「藤次、京丹たちが花見をしている場所はまだか」
「へい。すぐそこを曲がった先の、窪地でございます。耳をお澄ましなすって、ほら賑やかに三味線を鳴らす音が聞こえてきましたぜ」
 飛十郎が行く手を見ると、ひときわ立派な枝ぶりの桜の木のあたりから、三味線を弾く音にまじって笛の音も聞こえてきた。
「ほ。桜につもる泡雪の、飛鳥山から笛吹く音色、こいつは春から風流じゃのう」
 さすがは狂言作者、即席で作った芝居のせりふを、団十郎ばりの口跡で南北がうれしげに言ってのけた。「たしかに風流だが、笛を吹いているのは何者だ。京丹一行の六人のなかに、笛をたしなむ者がいるとは思えないが」
 飛十郎に聞かれて、藤次も不審そうに首をかしげた。
「丹兵衛は名うての道楽者ですが、酒と女が専門で笛を吹くとは聞いておりません。もしかすると、とんだ飛び入りがあったのかもしれませんぜ」
「三味線や太鼓とちがって、笛と鼓(つづみ)をたしなむのは侍が多い。もし相手に侍が一人加わったとなると、ことが面倒になるぞ。すまんが藤次親分、笛の吹き手を調べてくれないか。おれたちは、そこの茶店で待っているからな」
 坂道の横にある鄙(ひな)びた花見茶屋を、飛十郎は指差した。
「へい。ひとっ走りいって、調べてまいりやす。それまで旦那と先生は、お糸ちゃんに仇討の用意をさしてくだせえ」
 藤次は腰の十手を引き抜くと、繁造と留吉を従えて勢いよく坂を駆け登っていった。
「なるほど。敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず。これは兵法の第一義じゃ。さすがに助太刀人は、やることにそつがないのう」
 鶴屋南北に持ち上げられて、飛十郎は苦笑いをした。
「そう助太刀人、助太刀人と南北どのにほめられると、なにやら老狐に化かされているようで、ほっぺたをつねりたくなりますな」
「は、はは、たかが王子の狐に化かされるような、早船どのではありますまい。それより、こんな山道で立ち話は、お糸がかわいそうじゃ。早よう茶店へ入ろうではないか」
 寒さに背中を丸めるようにして、南北はそそくさと茶店にむかった。
「南北どのがお書きになった、東海道四谷怪談の大詰の仇討の場ではないが。芝居稽古ならぬ、刀のあつかい、とどめの刺しかたを、お糸に教えようと思っております。南北どのにも、お手伝いをお頼みいたします」
 肩に薄く春の雪をのせて歩く南北にむかって、背後から飛十郎は声を掛けた。


二 仇討指南

 茶店の奥にある座敷の火鉢に手をかざしながら南北は、飛十郎がお糸に脇差しの扱い方を伝授している様子を熱心に眺めていた。
「いいか、お糸。刀を構えて両手で柄(つか)を握ったとき、そう鍔に手を押し当てていては、すぐに指の皮が破れてしまうぞ。少し離したほうがいい。それに右拳が前で、左手が後だ」
 南北もそれを聞いて、火鉢の上で刀の柄を握る真似をした。
「よし、それでいい。刀は振り廻す必要はない。振っても重いだけで、お糸の腕の長さでは、とうてい相手に届かんからな。なにも考えず、無念無想の心で、ただ真っ直ぐに突くのだ。やってみろ」
 飛十郎の教えに、お糸は太った躰を汗だくにして、何回も刀の切っ先を宙にむかって突き上げる。
「おかしいな。どうも、しっくりといかん」
 無精髭をなぜながら首をかしげていた飛十郎が、お糸の動きを綿密に見直していく。
「そうか。わかったぞ。まて、お糸」
 お糸の手から脇差しを取り上げると、鞘に納めながら飛十郎はにっこりと笑いかけた。「馬子にも衣装というからな。この襷(たすき)を掛けて、この手甲脚絆をつけてみろ」
 越後屋八郎右衛門が用意した風呂敷包みの中から、白羽二重の襷紐と白木綿の手甲と脚絆を出して、お糸に渡した。
「むこうをむけ、おれが白襷を掛けてやろう」
 こくんと頷ずくお糸に、飛十郎がなれた手付きで襷を掛けてやる。両手を出させて手甲、つづいて両足に脚絆、最後に白鉢巻でお糸の額をきっちりと締めあげた。
「おお、これはよう出来た。かわいい仇討娘の誕生じゃ」
 実の孫を見るように、目を細めてお糸を眺めていた南北が、感動したように声を上げた。
「よし。これでもう一度、刀を持って突いてみろ」
 息をととのえると、言われるままにお糸は二度、三度と声をあげて刀を突きだす。
「悪くはないが、もう一つだな。そうだ南北どのに、お願いしょう」
 腕組みしてお糸を見ていた飛十郎が、振りむいて南北の顔を見た。
「なんじゃ。この子の助けになることなら、なんでも手伝うぞ」
「仇討稽古の、お相手をお願いしたい」
「なに、この南北に稽古台になれというのか」
「そうです」
 目をむいて睨んだ南北にむかって、飛十郎は平然として答えた。
「ふん。笛吹けど娘踊らず、といったとこじゃな。よかろう、なんでもやろうじゃないか。仇討の稽古台とは珍しい。どうやれば、いいんじゃ」
「まず、そこにある床の間の柱に、もたれてすわってください」
「……ほんに、これでは本物の芝居狂言の稽古のようじゃて」
 ぶつぶつ言いながら立つと、苦虫を噛みつぶしたような顔をして、南北は床柱の前に座った。
「南北どの。もう少し背中を柱にもたれて、両足を投げ出すように」
 そう注文をつけると、飛十郎はお糸の肩に両手を置いて、南北の前に連れていった。
「いいか、お糸。これは南北どのではない。父上の清元延寿太夫どのを闇討ちした、憎い仇のひとりだ。とどめを刺せ! とおれが声をかけたら、ここをめがけて、」
 と言って、飛十郎は南北の喉仏を指差した。
「必死の思いで、突き刺すのだ」
「そうじゃ。一念巌も通す、というからな。思い切ってやれ」
 両手両足を畳に投げ出して、ぐったりと目を閉じていた南北が、励ますように言葉を添えた。
「お糸、もう少し下腹に力を入れて、刀を握り直せ。突く瞬間に、雑巾をしぼる心持で両拳を、しぼり上げるのだ」
 飛十郎の言葉に熱心に耳をかたむけていたお糸が、意を決したように強く頷ずいた。
「よし、今だ! お糸、とどめを刺せ!」
 合図の声に、お糸は南北の傍へ駆けよると、南北の喉仏めがけて、凄まじい勢いで刀を突き出した。
 もし飛十郎が、南北の肩を押さなかったら、不朽の名作『東海道四谷怪談』を世に送り出した鶴屋南北も、床柱もろとも喉を突き通されて、この世にはいなかったであろう。横っ飛びに突き倒された南北が、飛十郎に助け起こされて、床柱におよそ一寸五分(五センチ)ほども突き立っている脇差しを見るなり、驚愕の声を上げた。
「な、なんと! これは、どうじゃ」
「ほめて下され、南北どの。お糸は見事に、とどめを刺しましたぞ」
「う、うむ。それはそうじゃが――」
 恐ろしそうに肩をすくめると、南北は喉仏を手でなぜ上げた。
「そういえば、四谷怪談の伊右衛門浪宅の場で、お岩さんが柱に突きささった短刀で喉を斬られて死ぬ場面がありましたが。あれと、そっくりですな」
 飛十郎はそう言いながら、横目で蒼白になった南北の顔を見た。
「縁起でもないことを、いわっしゃるな。わ、わしはただ、この京下りの北山杉の床柱に疵をつけたのに肝をつぶしただけじゃよ」
「そういえば、このあたりの花見茶屋にしては、見事な床柱ですな」
 話を合わせたが、なにどう見ても何処にでもありそうな粗末な床柱である。二人の会話に耳を傾けていたお糸が、子供心に気がとがめたのか、慌てて床柱に刺さった脇差しを引き抜こうとした。
「まて、お糸。そう左右に振っては、すぐに刀は折れてしまうぞ。おれに、まかせろ」
 刀の柄を右手で握ると、飛十郎は慎重な手付きで、上下に動かしながらゆっくりと引き抜いた。
「よくやった。見ろ、お糸。もしこれが人の喉首なら、刀の鍔元までつらぬき通しているかもしれんぞ」
 それを聞いた南北が、もう一度喉をさすりながら、ぞくりと身を震わせた。その時、花川戸の藤次が茶店に走り込んで、がらりと障子を引き開けた。


三 笛吹き侍

「早船の旦那! わかりました。笛の飛び入りは、やっぱりお侍でしたぜ」
「そうか、わかった。まあ藤次、茶でも飲んで、ひと息いれろ」
 お糸の帯に脇差しを差し込んでいた飛十郎は、振りむくと盆ごと茶碗を藤次にむかって押しやった。
「こいつは、ありがてえ。いただきますぜ」
 ぬるくなった番茶を一口飲むと、藤次はまぶしげな目でお糸を見た。
「おう。綺麗だよ、お糸ちゃん。旦那、すっかり用意ができましたねえ」
「そうだ藤次、もういつでも仇討ができるぞ。ところで、その笛吹きの侍だが、どういったいきさつで、京丹たちの花見の席にくわわったのだ」
「へい。侍といっても、ご浪人のようです。見張っていた子分の話では、酒瓢箪を肩にして通りがかったところを、丹兵衛に呼び止められたんだそうで。どうやら古い顔なじみのようでございます」
 南北老人が、それを聞いて身を乗り出した。
「ほほう。腰間に一笛を置き、瓢(ひさご)をぶらさげて桜花を見に参ずるとは、その浪人ただ者ではないようじゃな」
 あい変らず難しげな文字を並べて、横から口をはさむ。
「さよう。あの笛の音には、一芸に達した者しかない、冴えた呼吸というものがあった。あの笛を吹いた者が、もし丹兵衛の側についたなら、かなり手こずることになりますな」 そう言って、飛十郎は腕組みをすると、南北の顔を見た。
「じゃが、わしの耳には、それほど手ごわい笛のようには聞こえなかったがのう」
「それは違う。笛が鳴っているあいだは、打ち込む隙はなかった。恐ろしい相手だ。江戸は、まだまだ広い。どこに化物のようなやつが、いるかわからん」
 南北が、困惑した顔で溜め息をついた。
「ちと、考えすぎじゃないかのう。花川戸の親分、あんたはどう思う」
 ふいに聞かれて、藤次は頭を掻いた。
「あっしらにゃ、こむずかしいことはわかりやせんが。そのご浪人さんは、小吉姐さんの酌で盃を重ねておりやしたが……。黒紋付きの着流し姿の、膝をびくとも崩さねえ泰然とした態度には、あっしがこれまで見たことがねえほど落着きがございましたねえ」
「ふむ。江戸の悪党どもを、さんざ震えあがらせた藤次親分の目ききなら、たしかなようじゃな。どうなさる助太刀人どの、仇討は日のべいたそうか」
 大人たちの話を不安そうな顔で聞いているお糸の頭を、南北は筋の浮いた手でやさしくなぜた。
「は、はは、何をいわれる南北どの。仇討を延期して図に当たったのは、かの有名な赤穂浪士の討ち入りぐらいなもの。こういったものは、勢いと気合いだ。次を待っても、好機は二度とこないかもしれん」
飛十郎は立ち上がって刀を帯に差すと、手早く袴の股立ちをとった。
「し、しかし、その笛を吹く化物剣客は、いったいどうする気じゃ」
 刀の下げ緒の端を口にくわえ、鮮やかな手際で襷を掛けた飛十郎は、草履の鼻緒に足の指を差し込んだ。
「どうもこうもない。仇にとどめを刺すお糸と同じ心意気、当って砕けろですよ南北どの」
「わかった。そこまで言うなら、わしはもう止めはせん。じゃが、ぜひこれを使ってほしい」
 南北はそう言って、手に持っていた小さな包みを差し出すと、開けてみなされと目でうながした。
「やあ、これは狐の面ではござらんか。しかも、大小二つございますな」
 紙を貼り合わせて作って彩色した、素朴な面を珍しげに飛十郎は見た。
「これは、伏見稲荷で売っていた面じゃ。京見物にいったとき、買ったものじゃが。王子は関東一の狐の名所じゃ。飛鳥山の仇討には、ぜひこれをつけて敵の度胆をぬいてもらおうと思うての」
「は、はは。こいつは面白い趣向ですな。さっそく、つけてみましよう」
 すぐに狐の面をかぶると、これでどうだというように南北の顔を見た。お糸もそれを見て、小さいほうの面を顔に付けた。二人を見て、南北が手を打たんばかりに喜んだ。
「これは、よう出来た。かわいい子狐と、強そうな親狐の登場じゃ」 
「では討ち入りのときには、この面をつけるとしよう」
 飛十郎はそう言って面を取ると、お糸にもはずさせて、二つの面をふところの中にねじ込んだ。
「では、いくぞ。お糸、覚悟はいいな」
 飛十郎は振り向いて、お糸の顔を見た。反射的にこくんと頷ずくと、お糸はつられたように手を差し出す。その手を引くと、飛十郎はすくい上げるようにして、お糸を抱きあげた。
「いいか、お糸。いよいよ、お父上の恨みを晴らすときがきたぞ。恐がることはない。さっきのように、とどめをといったら無心に刀を突き出せばいい。ほかのことは、助太刀人のこのおれにまかせておけ。では、いくぞ」
 左腕にお糸を抱きあげたまま、飛十郎は茶店の外へ出た。
「お待ちなされ。いい外題が、頭に浮かびましたぞ」
 二人を追って、表へ出てきた南北が声をかけた。飛十郎は足を止めて、振り返った。
「さしづめ今度の芝居狂言は、〔夢の泡雪狐の仇討〕と名付けましたが、いかがでしょうかな」
「おう。いい外題だ。大南北の筋立てに負けないよう、この早船飛十郎も奮闘して見せましょう」
 南北にむかって手を上げて見せると、飛十郎はお糸を抱きあげたまま坂道へ出た。
「旦那、あっしが京丹たちのところへ。ご案内いたしやしょう」
 藤次はそう言って、先に立って歩きだした。山道の両側を、爛漫と咲き乱れた桜の木々が、びっしりと立ち並んでいる。風は無かった。
 薄桃色に重なった花びらの上につもった白い泡雪が、不思議と桜の華やかさをいっそう増したように見えた。足を止めて、一瞬空を見あげた飛十郎が、すぐにまた歩きはじめた。土の肌を見せた坂道に降った雪が、白く砂糖を振り撒いたように見えた。


四 若さま侍

「あれでございます」
 山頂に建ち並ぶ花見茶屋の一軒に入っていくと、藤次は葦簀(よしず)の蔭から窪地のほうを指差した。
 飛鳥山でもひときわ大きな桜の老木の下に、四畳半はありそうな広い赤毛氈が敷いてある。三味線を膝に置いた小吉の姿や、京屋丹兵衛と笛の浪人者の姿や、芸者ふたりを相手にして騒いでいる男たち三人の姿が手に取るように見えた。お糸を手招きすると、飛十郎は眼下の窪地を指差した。
「よく見ておけ、お糸。あの浪人と話している男が丹兵衛といって、おまえの父親を人を使って殺害した張本人だ」
 目を大きく見張って、お糸はくい入るように仇の顔を見た。
「それから、もう一人。実際に延寿太夫どのを刺し殺した下手人がいる。藤次、浪人者のとなりで酒を呑んでいるのが、船頭崩れの勘助だな」
「へい。さようで」
「お糸、いま下をむいて自分の盃に酒をついだのが、その勘助だ。よく覚えておけ。丹兵衛と勘助、この二人がおまえの親の仇だ。不倶戴天の敵といってな、父親の仇はともに天をいただかず、という意味だ。命を賭けても殺さねばならないのだ。わかったな」
 眦(まなじり)が裂けるほど見開いた目で、丹兵衛と勘助を見ていたお糸が、きっぱりと頷ずいた。
 なごやかな表情で小吉の酌を受けていた浪人者は、盃を呑み乾すと帯に差していた笛を抜き取って静かに口に当てた。曲の名など、むろん飛十郎にはわからない。満開の桜の枝のあいだを、哀調を帯びた美しい笛の音が、心に沁みるように響き渡っていった。
 杖をついた老人が、ふと足を止めると目を閉じて、じっと笛に聞き入っている。頭にのせた宗匠頭巾の上にも、十徳に重ね着した袖無し羽織上にも、春の雪が積もっているが気にもならないらしい。
「あの浪人者は、いったい何者でしょうね」
 風に飛ばされた泡雪が襟首に入って、ぶるっと身を震わせると、藤次は我に返ったように言った。
「わからん。たとえ何者だろうが、仇討をするだけだ」
 笛に聞き惚れていた老人が、感心したように何度も頷ずくと、杖を持ち直して拳で腰を叩きながら歩み去っていった。それを待っていたように、小吉が丹兵衛の耳に何かささやくと、立ち上がって塗り下駄に素足を通した。
――小吉のやつ、いったいどうする気だ……
そう思って見ているうちに、窪地を出た小吉が足早やに、飛十郎がいる花見茶屋にむかって歩いてきた。
身を隠す間もなく、飛十郎がかくれている店へ駆け込んできた。
「早船の旦那、なにをぐずぐずしているんですよ。じれったいたら、ありゃしない」
 唇を噛みしめると、血の気を失った顔で小吉は飛十郎を睨みつけた。
「いつ討ち入ってくるか、じりじりしながら待っているのに、いっこうにその気配がないじゃないか。こっちは、気が気じゃないよ、もう」
 地団駄(じだんだ)を踏むように、小吉は下駄で地面を蹴りつけた。
「どういうことだ、藤次。小吉に仇討のことを知らせたのか」
「へい、あいすみません。成田屋の旦那が、そうしたほうがいいとおっしゃるもんで」
 首の後に手を当てて、藤次はすまなさそうに頭を下げた。
「そういったことは、助太刀人のおれに前もって、いってくれなくては困る」
 飛十郎は、渋い顔をして藤次を見た。
「何をいっているんですよう、旦那! この小吉が、仇討を知らなくってどうするんです。舞台が廻らないじゃありませんか」
 噛みつくような顔で、小吉は言った。
「そういうことじゃな。小吉姐さんのいう通り、舞台が廻らねば芝居にならんのう」
 飛十郎と小吉のやりとりを、耳を澄ませて聞いていた南北が、すかさず口を出した。
「わかった。今回は目をつむることにする。ところで小吉、あの飛び入りの浪人者は何者だ」
「そうじや。わしも、あの風流剣士の名を知りたい」
「あの浪人さんは、ぐうぜん通りかかったのを、京屋さんが花見に呼び入れたんです。なんでも昔お出入りしていたお屋敷の、若さまらしいんですよ」
「ほほう、若殿さまか。それにしては、姿が浪人者じゃ。奇妙じゃな」
 南北は怪訝そうに、首をかしげた。
「そうなんですよ。人を見る目には自信がある芸者のあたしも、ちょっとあの浪人さんだけは見当もつきません」
「そうか。剣の流派だけでもわかると、助かるのだがな」
「ふん、ばかばかしい。花見の酒宴の席で、誰が武芸の話なんかしますか。野暮の骨頂じゃありませんか」
 憤然として、小吉が啖呵をきった。
「名もわからん、剣の流派もわからん、ということか。ちっ、役にたたん芸者だ」
「なんですって! ちょいと、旦那!」
 たちまち小吉は、眦(まなじり)を吊りあげた。
「二人とも、なんじゃ。お糸の前で大人げない。痴話喧嘩は、仇討がおわってからにしなされ」
 年に似合わぬ素早さで、南北は小吉と飛十郎のあいだに割って入った。
「痴話喧嘩だなんて、冗談じゃありませんよ南北さん。こんな、すっとこどっこいのことなど、あたしゃなんとも思っちゃいませんからね。お世話になった清元さんの恨みを晴らす手助けになればと、成田屋の旦那にたのまれたから京屋丹兵衛の相手を、いやいやしているんじゃありませか」
 腕まくりをしかねない勢いで、小吉は飛十郎に詰め寄った。
「わかった、わかった。そのことはこの南北も、ありがたいと思っているのじゃ。危険を承知で仇討の手伝いを買って出てくれた、小吉姐さんと芸者衆にはあとでゆっくり礼をいわなくてはならぬ。とさっきも越後屋さんとも話していたところじゃ。のう、藤次親分」
「へい。まったくその通りで……」
 急に南北から話を振られて、藤次は十手をいじりながら困った顔をした。
「とにかく、仇討はいつはじまるんです。あたしゃ、しびれを切らして、この茶店へやってきたんですからね。やるのか、やらないのか、どっちなんですよ。それとも、この寒さで中止になっちまったんですか」
「小吉、おれが悪かった」
 そう言ったかと思うと、飛十郎は袖から手を抜き出すと、小吉にむかって深々と頭を下げた。
「まあ、早船の旦那…… なにも、そんな」
 あっさりとあやまられて、小吉は拍子抜けしたような顔をした。
「腰に刀を差したお侍さんが、簡単に芸者風情に頭を下げるもんじゃありませんよ」
「いや今度ばかりは、おれが悪い。知らぬこととはいえ、お糸を助けようというお前たち芸者の心意気を思えば、おれの言葉はひどかった。ゆるしてくれ」
「いいんですよう。旦那、もうさっきのことは忘れちまいました」
 そこは深川芸者らしく、小吉はさっぱりと水に流した。
「よし。それでは小吉、おれとお糸は今から仇討をおこなう」
 鍔元を左手で掴むと、鞘を滑らせて柄(つか)を顔に近ずけた。飛十郎は親指の腹で目釘にさわると、ゆるみがないか確かめた。
「えっ! それじゃ、あたしは早く京丹のところへ帰らなくちゃ」
 うれしげに目を輝やかせると、小吉は踵(きびす)を返そうとした。
「まて。お前が花見の席に戻ったら、すぐに討ち込む。そこで頼みだが、斬りあいがはじまったら、芸者仲間を連れて逃げてもらいたい」
 小吉は胸を叩いた。
「がってん、承知ですよ。とばっちりをくっちゃたまりませんからねえ」
 いっこり笑うと、左褄(ひだりづま)を取った手を上げて、小吉は駆けるように茶店を出ていった。それを見送って、南北も頬を崩した。
「おお。それでは、いよいよ仇討決行じゃな」
「さよう。南北どのはこの場を動かず、ことの首尾をもらさず見届けて、あとで越後屋と成田屋へ知らせていただきたい」
「うむ。その役目、承知じゃ」
「藤次親分は、あの宴席から逃げる者がいれば、ひとり残らず引っくくってもらおう」
「へい。子分たちに命じて、水ももらさぬよう手配りをしておきやす」
 猟犬のような目をすると、藤次は十手を帯に差しながら、風を巻いて飛び出していった。
「見なされ、小吉が宴席に戻りおった。なにくわぬ顔で、丹兵衛と笛の浪人に酌をしておるぞ。手も震えておらん。あれは、たいした芸者じゃのう」
 葦簀の蔭から窺がっていた南北が、飛十郎にむかって感嘆の声をあげた。
「それでは南北どの、あとのことはお願いいたす」
 ふところから狐の面を取り出すと、お糸にも付けさせると、自分も面をかぶった。
 お糸の手を引いて茶店を出ると、子供の歩みに合わせるように、ゆっくりした足取りで飛十郎は坂道を下っていった。


五 花見の仇討

 振りしきる泡雪のあいだから姿を見せた狐の親子を目にして、ぎょっとしたように手から盃を落としたのは船頭くずれの勘助だった。
「な、なんだ、てめえは」
「おれは、早船飛十郎。越後屋にたのまれてきた助太刀人だ」
 飛十郎は草履を脱ぎ捨てると、勘助には目もくれず、お糸の手を引いて毛氈の上を歩き出した。
「待ちゃあがれ! 助太刀人なぞ、誰も呼んでねえ。なんの用があってきゃがった」
 凶悪な顔をして立ち上がると、わめきながら勘助は大手を広げて、飛十郎の前にたちふさがった。
「ふ、ふふ。きさまは、まったく悪そうな顔をしているなあ。その目は三白眼(さんぱくがん)といってな、人殺しをするか、人に殺されるかの大凶の人相だそうだ。ま、今のうちに、たっぷりと酒を呑んでおけ。すぐに呑めなくなるぞ」
「ふざけるな。酒が呑めなくなるのは、助太刀野郎! てめえのほうだ」
 足元にある一升徳利を掴んで振り上げると、飛十郎めがけて殴りかかった。ひょいと身を沈めた飛十郎に、軽く手首を握られた勘助が気が付いたのは、もんどりうって投げ飛ばされたあとだった。食べさしの花見弁当や盃が、音をたてて砕け散った。
「これは乱暴な。早船どのとやら、ちと狼藉がすぎますな」
 笛を膝に置いた浪人が、静かな声で言った。小吉が酌をする朱塗りの銚子に、盃を差し出したままである。その桜吹雪の模様の酒盃が、微動だにしないのを飛十郎は見た。
「これは、ご無礼。勘助が、とうせんぼをしたので払いのけただけだ。そういうご貴殿はどなたですかな」
「みどもは、山田左近。見ての通り、しがない浪人者です」
「お見かけしたところ、その瓢箪をかついで飛鳥山に花を見にこられて、京屋丹兵衛に呼び止められたようですな」
 無言のまま耳をかたむけていた左近の両膝が、じわりと拳ふたつほど開いた。同時に素早く左手が、腰のうしろへ動く。
「おれが用があるのは、丹兵衛と勘助だけだ。山田どの、おぬしはすぐにこの席を出ていってもらいたい」
 古びた袴姿の飛十郎と違って、左近は真新しい黒羽二重の着流し姿である。品のいい博多献上の侍結びの帯のうしろに、左近の両刀が置いてあるのを飛十郎は見逃がさなかった。
「そういわれても、丹兵衛どのとは父の代からの古いつきあい。見ず知らずのおぬしに出ていけといわれても、ああそうかと聞くわけにはいかぬ」
 酒を呑み乾すと、左近はまた静かに盃を差し出した。
「なにを、もじもじしている小吉。さ、もう一つ酒をついでくれ」
 ごくりと唾を飲み込んだ小吉が、恐る恐る銚子を差し出す。その銚子を持つ手が細かく震えているのを見て、左近は微笑を浮かべた。それまで黙って眺めていた京屋丹兵衛が、何かを思い付いたように笑い出した。
「は、ははは。出ていかれることはありませんよ、左近さま。この二人は近頃はやりの、仇討装束で人を驚かすという、花見の俄か余興の親子でございましょう。狐の面をかぶっているのが、何よりの証拠。どうせ、投げ銭目当ての素人芝居。小銭をめぐんでやれば、ぺこぺこ頭をさげて立ち去りますよ」
 丹兵衛は袖をまさぐって手にふれた銭を、見ようともせず飛十郎の足元に投げた。ぱらぱらと散った銭が足に当たって、飛十郎は毛氈の上を見た。
「もったいないことをするなよ、京丹。一文銭のなかに、一朱金がまじっているぞ。銭を粗末にすると、ろくな死にかたをしないぞ」
「よけいな心配をしないで、その銭を拾ってさっさと帰ってくれ。喰うに困っての仇討狂言だと思うが、親子そろってご苦労なことだ。それともその娘は、損料を払ってどこぞで借りてきた子か。左近さま、近頃の食いつめ浪人は、何を仕出かすかわかりませんな」
「それが本当ならば、油断のならぬ世の中だな」
 そう答えた左近の躰が、いつの間にか横向きになっている。片膝を立てれば、すぐに抜き打ちが出来る構えである。
「あいや、左近どの。油断できないのは、おぬしの隣りにいる丹兵衛という男ですぞ」
 すかさず面を取ると、飛十郎はお糸を前に押しやった。
「この娘は、清元延寿太夫のたった一人の忘れ形見。さきごろ殺害された父の恨みを晴らそうと、八方手をつくして下手人を探索していたところ、はからずも京屋丹兵衛と勘助の仕業だと判明した」
 刀に届こうとした左近の手が、ぴたりと止まった。
「それはまことか、早船どの。みどもも笛をたしなむ者でござる。かねがね清元どのの音曲は、見事なものだと感服していた。事実ならば京屋どの、とり返しのつかぬことをしたものだな」
「で、でたらめだ! 左近さま、これはいいががかりだ。清元を殺したなどと、いったいなんの証拠がある」
「この者のいうことも一理ある。早船どの、たしかな証拠があってのことでしょうな」
 膝の上に手を戻した左近は、静かに飛十郎と丹兵衛の顔を見くらべた。
「もちろんだ。藤次、出てこい」
 飛十郎が声をかけると、機敏な動きで花川戸の藤次が顔を見せた。
「早船の旦那、お指図を」
「うむ。まずそこにいる三人を、縛りあげてくれ」
「がってんで。おい、野郎ども! そいつらを、引っくくっちまえ」
 驚きと酔いで腰を抜かしたようになってる、予平治と喜之助と彦次の三人を、藤次の子分たちが、たちまちのうちに縛り上げた。
「おい、丹兵衛。きさまは知らなかったろうが、藤次親分とその子分が、十日も前から根岸の家を見張っていたのだ。金のつながりは弱いな。きさまの家に出入りしている仲間の一人が、小判をつかませたとたんに、あっさりと口を割ったぞ」
「だ、誰だ。そいつは」
「ふ、ふふ、きまっているではないか。この花見の席に姿を見せぬ奴が、そいつだ」
「あ、あの野郎」
「最近は、ろくに金もやらずに、こき使っていたそうだな。丹兵衛、けちは命取りになるぞ」
「左近さま、古いよしみでございます。どうか、お助けを……」
 青ざめた顔で左近を見ると、丹兵衛は両手を合わせて拝むような仕草をした。
「ことわる。人殺しを、かばうことは出来ぬ」
 その瞬間、丹兵衛は両手を合わせたまま、左近に体当たりをした。突き倒されたと見えた左近が、ふわりと身を返すと片膝を立てて、すっと立ち上がった。居合の手練れが見せる、抜刀の呼吸であった。あまりの見事さに、飛十郎が目を見張った。


六 居合剣拳取り

 丹兵衛は左近の背後に置かれた両刀に飛びつくと、小刀を勘助にむかって放り投げた。掴んだ大刀の鯉口を切りざま、さっと抜いてお糸の首めがけて切りつけた。
「あっ!」
 茶店の前から見ていた南北と小吉が、声を上げて手で顔をおおった。飛十郎が丹兵衛を斬っても、その前に仇討人のお糸の首が胴と離れてはなんにもならない。
 血の糸を引いて、お糸の首が飛んだと思った一瞬、左近が腰から抜いた笛で丹兵衛の刀を受け止めた、。竹の笛は真っ二つに斬られたが、刃筋を狂わせることは出来た。
 年並みに成長していれば、頭のどこかを斬られたろうが、さいわい横に栄養を取られたお糸の太い躰は、人より背が低かったから、丹兵衛の刀は思わず首をすくめたお糸の髪の毛すれすれに空を斬った。
「くらえ!」
 背後から飛十郎を狙った勘助が、肩を斬りつける寸前、振り向きもせず前に抜き放った飛十郎の切っ先が後に伸びて、ぐさりと勘助の太鼓腹に突き立った。無双直伝英信流・奥の立ち技〔四方刀〕であった。
「わっ」
 悲鳴を上げて腹を押さえて勘助が、後へひっくり返った。引き抜きざまに斬り上げた飛十郎の刀が二撃目を送ってきた丹兵衛の刀を受け止めた。金属の高い音が響き、鉄の焼ける焦げた匂いがした。
「丹兵衛、どちらか一つ選ばせてやろう。お糸に討たれて死ぬか、それとも藤次に捕まって市中引廻しのあと晒し首になるか、さあどっちがいい」
「どっちも断わる。こんなところで、お糸なんかに討たれてたまるもんか。逃げてみせるぜ」
 受けた刀をくるりと返すと、丹兵衛の刀を上から押さえ付けた。こうなると切っ先五寸の物打ちで押さえられた飛十郎の刀から、丹兵衛が歯を喰いしばって引き離そうとしたが、どうしても離れない。
「あきらめの悪い男だ。逃げられるかどうか、廻りを見て考えてみろ」
「うるせえ、助太刀屋! てめえとお糸を返り討ちにして、どうあっても逃げてみせるぜ」
 もの凄い表情で睨む丹兵衛に、飛十郎はにやりと笑いかけた。
「くそっ、笑うんじゃねえ」
「いいから、年貢を納めろ。あの世で、清元どのが待ってるぞ」
「あの世にいくのは、てめえのほうだ」
 汗をかいて引っ張るが、まだ刀は離れない。
「そうかな。では、いくぞ」
 飛十郎が軽く峰を返すと、それまで丹兵衛がどうやっても離れなかった刀が、すっと別れた。
「さんぴん、死ね!」
 絶叫しながら斬りかかった丹兵衛の手元に、音もなく身を寄せた飛十郎の左手が、丹兵衛の拳をついと掴むと軽くひねった。
「えいっ」
 気合の声と同時に飛十郎の刀の切っ先が、深々と丹兵衛の太腿を刺しつらぬいた。丹兵衛は、がくりと膝をついた。思わず目を閉じたお糸がこわごわと開けて見ると、不思議なことに丹兵衛の刀が飛十郎の手に移っていた。無双直伝英信流・太刀打ちの位の秘技〔拳取り〕であった。
「お糸! なにをしている。とどめだ」
 はっと我に返ったお糸は、したたり落ちる血を両手で押さえている丹兵衛の前に駆け寄った。
「討て。父の仇だぞ」
 飛十郎の声に励まされるように、お糸は脇差しを引き抜くと、震える両手で構えて丹兵衛の喉仏めがけて突っ込んでいった。
「ぐわっ!」
 突かれた瞬間、手で脇差しの刃を握った丹兵衛の指が、ばらばらと毛氈の上に落ちた。あまりの残酷さに小吉と南北は、顔をそむけた。
「よくやったぞ、お糸。気をたしかにもて」
 喉仏に突き立った脇差しを引き抜きながら、飛十郎はお糸をはげました。
「清元どのの仇は、もう一人いるぞ」
 その声にお糸が振り返ると、ぐったりと倒れた勘助の躰の傍に、見張るように左近がひっそりと立っていた。
「かたじけない、左近どの」
 飛十郎の会釈に、左近は微笑しながら頷ずいた。
「どうやら、この者が清元延寿太夫どのを殺害した下手人のようですな。お糸どの、存分に恨みを晴らされるがよろしかろう」
「はい、ありがとうございます」
 お糸が、うれしそうに返事をした。
「足を滑らさぬよう、気をつけろ」
 勘助の躰から流れ出した黒ずんだ血で、毛氈がぐっしょりと濡れている。
「おきろ、勘助」
 飛十郎に引き起こされた勘助は、おびえた目でお糸を見た。
「因果応報といってな、悪いことをすれば必ずむくいがくるのだ。丹兵衛が、三途の川のほとりで待っているぞ。勘助、お前もあとを追え」
 ぐったりした勘助には、もう立ち上がる気力がないらしい。
「ここだ」
 勘助の喉仏の下のくぼみを、飛十郎が指差した。逆手に柄を握った脇差しを、お糸は頭上に差し上げた。
「とうっ」
 小さな気合で、お糸は勘助の首をめがけて刀を突き降ろした。剣先が震えることもなく、丹兵衛を刺した時より、よほど確かな突きであった。


七 雲間の爪弾き

 泡雪は、すでにやんでいた。雲の切れ間から差し込んだ陽光が、お糸を明るく照らしていた。満開の桜の木立の間から、仇討を見物していた花見客たちが、わあっと声をあげて喝采した。
 飛十郎の目に茶店の横にいる小吉と南北が、袖で泪をぬぐっている姿が見えた。
「早船どの、本懐おめでとうござる」
 そう言って、左近はやさしくお糸の頭をなぜた。
「よかったな、お糸どの。これで、お父上は安心して成仏なさるに違いない」
 左近の言葉につられて。空を見上げた飛十郎は、雲間からもれる幾本もの輝く光の筋の中を、三味線を爪弾きながらゆっくりと遠去っていく延寿太夫の姿が見えたような気がしていた。
「早船さま、助太刀まことにご苦労さまでございました」
 いつの間にやってきたのか、越後屋八郎衛門がおだやかに笑いながら立っていた。
「おお、八郎衛門か。いま、空に清元どのが……」
「わかっております。てまえにも、はっきりと延寿太夫の姿が見えました」
「あたしにも、三味線を持った父が見えました」
 お糸の声に、飛十郎と八郎衛門はまた空を見上げた。だが、吹く風に雲が流れ去ったのか、晴れ渡った空にはもう何の姿も見えなかった。
「お糸ちゃん、よかったねえ」
「おう、藤次か。いろいろと、ご苦労だった」
「早船の旦那、まことにお見事な助太刀でございました」
「いや、みな影で働いてくれたお前たちのおかげだ。礼をいうぞ」
 藤次と子分たちを見廻すと、飛十郎刃そういって頭を下げた。
「とんでもねえ。あっしらは、おいいつけ通りに動いただけでさ。旦那、どうか頭をお上げになってくだせえ」
「これからも、よろしくたのむ」
 手に持っていた刀を袴の裾でぬぐうと、飛十郎は目にも止まらぬ速さで鞘に納めた。
「ところで成田屋への知らせだが」
「へい、ぬかりはございやせん。丹兵衛がとどめを刺されたおりに、留公を中村座に走らせやした。おいつは、声だけは誰にも負けねえほど、大きゅうございますので」
「そうか。だが、その役目、本当はおれがやりたかったなあ」
 ふところ手の指を胸元から出すと、飛十郎はそう言って無精髭をこすった。
「まったくで。あと始末さえなけりゃ、あっしが自分でいきてえとこでございやすよ」
「は、ははは、やっぱりそうか」
 飛鳥山を埋め尽くす満開の桜を眺めながら、飛十郎は中村座のひのき舞台の上で、源九郎狐に扮した市川団十郎が、
「飛鳥山っ!」
 の掛け声に、大目玉をむいて思わず親狐の皮で作られたという、初音の鼓を取り落す場面を思い浮かべて、愉快げに笑いつづけた。

              了     〈助太刀兵法39北斎蛸踊りにつづく〉


 






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