様々な時代に同時に生きる意味とは | |
[スピリチュアル] | |
2013年9月24日 3時14分の記事 | |
我々が多次元的に同時に生きる意味は、我々の魂の深い部分(神我)のはたらきとかかわりがあるのではないかと最近感じています。 統合された、より大きな「自分」から見てみると、すべてが同時に存在していると感じられてきます。 以下、それについて少しお話ししたいと思います。 多次元的にみると、すべての人生(過去世、現世、未来世)は同時に存在していると言われています。 これは、理屈では理解できなくても、感覚的にはイメージすることができます。 一度、すべては幻想だととらえてみてください。 この現実世界もです。 そうすると、すべて自分自身の心の中に投影して見ることができます。 過去世の自分、今生の自分、未来世の自分、それぞれの時代のパラレルワールドにいる自分、等々。 すべて心の中の「今」に投影して見ることができるので、直観的にイメージできます。
ところが、左脳で考え出すとよくわからなくなります。 そもそも、イメージ=現実ではないとか、現実は現実であって脳が作り出したイメージとは異なる、とかですね。 しかし、このような分離した思考パターンにはまると、抜けられなくなります。 分離した思考はその思考内での安定感、安心感がありますから、人との間で連鎖し、鎖のようにお互いの信念を強化し合っていくことで、さらに一層分離が強まった世界に自らを固定していきます。 ある意味、それが今の我々の現実世界です。 それに対して、統合する思考過程においては、統合化によってもたらされる別の意味での安心感、安定感が生じます。 いわゆるワンネスの境地などは、存在感(ただあるという感覚)、安心感、至福感、歓喜、一つなるものとの一体感など、様々なポジティブな部分をもたらしますが、そういった境地というのは、左脳的な活動ではなく、右脳的な活動からもたらされてくる側面があります。 五感を超えたところにある「やすらぎ」という言い方もできるかもしれません。 五感を超えたものですから、五感によっては知覚できませんが、それを超えたところに「ただ在る」ということに心底納得できる自分がいます。 ただ在るというのは、ある意味、心の状態なので、知覚・認識した結果ではなく、存在のあり方そのものだという言い方もできます。 いつの時も、真の意味での自分らしさとは何かを探求していくこと。 それが様々な時代に同時に生きる意味ではないかと捉えています。 Some rights reserved by 663highland 最終編集日時:2014年7月31日 18時9分 | |
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