2013年9月11日 23時54分 |
個人リーディングについてのご相談 |
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2013年9月10日 0時18分 |
初期の頃の記憶 |
無料記事です。 今回は、ヘミシンクの話でもしようかなと思います。 何度か書いているのですが、初めて私がガイドに会った時の感覚からお話したいと思います。 私の場合、ヘミシンクの存在を知ってから、すぐには始めなかった記憶があります。 それは、北海道に住んでいたために、当時はあまりヘミシンクが習える環境がなかったということもあったんですが、なんとなく習いに行こうという強い動機付けというか、そういったきっかけみたいなものがなかったように思います。 ですが、私にとっては、ヘミシンクの坂本さんの本の影響が非常に強かったように思います。 |
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2013年9月9日 11時39分 |
霊性を高めるには |
霊性を高めるには、どうすればいいのでしょう? 私は、普段の日常生活を大切にすることだと考えています。 日常生活において直面する現実において、自分や周りの人ときちんと向き合っていくことではないかなと思います。 他人と競争する必要はないですし、自分のペースでいいんでしょうけれども。 あとは、自分自身に素直になるということかなという気がしています。 自分の感情を偽らずに、ストレートに感情を表現してみるのがいいです。 そうやって、自分の感情を解放してやると、良い面も悪い面も浮き彫りになってきます。 完全な人はいないんですね。 皆、個性があり、不完全だからこそ、今ここにいるわけです。 普段の生活の中で、人や動植物とともに生き、時にはイモ洗いのようにもまれ合いながら、笑ったり、怒ったり、泣いたり、喜んだりしていく、そのプロセスこそが、霊性進化に通じるものだと私は考えています。 |
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2013年9月8日 22時44分 |
ミニワークのご紹介他 |
無料記事です |
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2013年9月7日 1時51分 |
スピリチュアルの本質とは、もっとありふれたもの |
魂にとっての成長の糧というものがあるとすれば、 それは決して日常生活からかけ離れたところにあるものではなく、 日常生活の瞬間瞬間に出会う、内側からくる喜びに近い感覚にある気がします。 例えばそれは、仲のよい友人と話している時に訪れるかもしれませんし、あるいは、何か大好きな食べ物を食べている時に訪れるかもしれません。 何でもいいんですけど、心から癒されるような、喜びに似た感覚です。 おそらくこれは、エネルギーに由来する感覚なんだと思います。 いわゆる非物質的なエネルギーは目に見えませんし、人によって感じられ方も異なってくる可能性がありますが、確かに実体を持ったものです。 我々も、エネルギーとしての本質があります。 エネルギー体である我々は常に、なんらかの喜びを求めています。 喜びが、魂の躍動を生み、時や空間を超えて存在するアクセスポイントへとつながります。 そこが我々の源に通じるところであり、魂のふるさとでもあります。 |
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2013年9月5日 17時39分 |
大阪ミニワークショップと個人セッションのご案内 |
大阪ミニワークショップと個人セッションの詳細が決まりましたので、ご連絡します。 |
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2013年9月5日 0時25分 |
第3回ヘミシンクオフ会を終えて |
無料記事です 今日は第3回山口ヘミシンクオフ会の日でした。 アットホームな感じで私の自宅で行われました。 今回は6名で行われたんですが、このメンバーの集まりが偶然に偶然が重なって出会ったようなところがあり、不思議な縁を感じています。 きっかけは、ある方の個展に私が知人と行った時に、たまたま会場にいらしていた方が、今回のメンバーのうちのお二人でした。 普通なら、個展に偶然行ったお客さん同士が仲良くなることはないと思われますが、なぜかつながりができ、皆で集まるようになりました。 あとのお二人は、これまた偶然にたまたまキャンセルが出たミネハハさんのコンサートに行った時に、となりの席だった人達でした。 普通だったら隣の席同士でもそれだけで終わるところが、なぜか話が展開し、今度うちでヘミシンクオフ会をするので参加しませんかという流れに。 感覚的にはずっと前からお知り合いだったような気がするメンバーです。 |
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2013年9月4日 2時11分 |
ヒトはなぜ何度も生まれ変わってくるのか? |
人はなぜ何度も生まれ変わってくるのでしょうか。 自我が仮の姿だということに気づかないからでしょうか。 もちろん、それもあるかもしれません。 しかし、より根本的な問題は、人は自分自身を知るために、自分を他人の中に投影して、他人との距離感を図りながら、何度も生を経験している気がしてなりません。 自分と他人という位置関係に身を置くことによって、他人の中に自分自身を投影し、それとの言葉のやり取りから、自分とは何者なのかを常に知ろうととしている側面があります。 例えば、アカの他人に言われたことが何とも思わなくても、自分にとって近しい存在に言われるとカチンとくることがあったりします。 それはなぜかというと、アカの他人よりも、近しい存在のほうが、自分自身をより理解してくれているために、自分自身の内側にあるものがそのまま反映されやすくなるためだと思われます。 つまり、カチンとくるから未熟なのではなく、カチンとくるように出来ているのです。 |
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2013年9月3日 1時34分 |
10月の記事アイデアご紹介 |
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2013年9月2日 3時31分 |
ベストなタイミングでベストな出来事が用意されている |
人生は、上り調子の時もあれば、そうではないときもあります。 いわば、アップダウンのきつい坂を上ったり、降りたりしているようなところがあります。 ですが、人生全体としてみれば、バランスが取れています。 調子がよくてよくて、どんどん上昇していくということはないと思われます。 一回はドン底に落ちます。 まあ、落ち方の程度は人によってさまざまなのかもしれませんが。 そういった意味では、人生というのは、自分自身の意図次第であるところも多いんですが、そうではないところもあるように思えてなりません。 つまり、ベストなタイミングで、ベストな出来事が用意されているという霊的側面です。 |
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