ハイアーセルフに、高貴さの違いはあるのか? | |
[スピリチュアル] | |
2013年9月28日 0時4分の記事 | |
今回の話は、相当マニアックですので、やばそうと思われた方はスルーしてください(笑)。 今日の私のつぶやきに、違和感を感じられた方もいらっしゃるかもしれません。 それは、今観させていただいているクライアント様のハイアーセルフに、今までにない「高貴さ」を感じたというくだりです。 そもそも、ハイアーセルフに「高貴さ」の違いはあるのかということになってくるわけですが。 結論から言うと、あると言わざるを得ません。 「高貴さ」を「個性」と言い換えてもいいかもしれません。 言葉というのは不便ですね。 実際、非物質界の事柄に適切な語彙が見当たらないことはざらにあったりします。 この点、「高貴さ」を「個性」と言い換えてもいいのかという問題があります。 例えば、みなさんご存知のブッダがいますよね。 ブッダは、今でも、非物質的には存在しているんですが、ブッダの意識にフォーカスすると、同じようにキリスト意識を体現して地上に出現したとされるイエスにはない魂の深遠さがあります。 奥深さと言いますか、高貴さと言いますか、透明感と言いますか。 じゃあ、イエスのエネルギーは奥深さや高貴さや透明感がないのかというと、そんなことはないんですよ。 でも、あくまでも主観的事実ですが、ブッダの高貴さはイエスを上回ります。 ですが、それはブッダのほうがイエスより進化しているということではありません。 「個性」なんですね。 その意味で、上で高貴さを個性と置き換えることが出来るという言い方をしました。 これで伝わるといいんですが。 なにぶん、言葉というのは不便なものです。 直観的にダイレクトに伝えられたらどんなにいいか。
事情を複雑にしているのは、これだけが理由ではありません。 そもそも、ハイアーセルフという言葉自体あいまいなのですね。 一般的な使われ方を見てみると、ハイアーセルフという言葉をガイドとほぼ同義で使っている人もいます。 あるいは逆に、トータルセルフなどの集合意識レベルで使っている場合もあります。 どちらかというと、後者のほうが大半かと思われますが、それでも、今度はトータルセルフの規模の把握の仕方に差異があります。 トータルセルフの概念は、フレデリック・マイヤースの類魂説に始まると言っても過言ではありません。 なぜなら、それまでスピリチュアリズムでは誰もそのようなことを言わなかったからです。 マイヤースの説の優れた点は、すべてが同時に存在しているとする多次元的視点と輪廻転生との関係を矛盾なく説明することが出来る点にあると私は考えていますが(つまり、「魂が輪廻しているのだとすれば、その順序があるはず」であるのに、「なぜ同時に存在できるのか」という矛盾を説明できる)、それだけではありません。 マイヤースは、地上で生きていた時から類魂説を主張していたらしいんですが、実は死んでからも、向こうの世界から、霊媒を通して類魂をさらに説明してくるといった離れ業をやってきています。 しかも、類魂説をとるのはマイヤースだけではなく、あのシルバーバーチやセスも同じです。 セスについては長年謎でしたが、『知られざる現実』の中で輪廻転生を説明する際に類魂説をとっていることが明らかとなりました。 (その部分は以前、ツイッターなんかでつぶやいたので、探せば見つかるかもしれません。) では、マイヤースはどのような規模で類魂を考えているかというと、以前ご紹介した『永遠の大道』(潮文社)には次のように書かれています。 「自我がこの意識の階段を上昇すればするほど、ますます他の同類の魂達と接近する。一つのスピリット(上魂)によりて養わるる類魂の数は、ある時は千、ある時は百、またある時は二十位しかないかもしれぬ。何れにしても、他の同類の魂につきての自覚は階段を上方に進めば進むほど増大する。」(52頁) 事の性質上、正確な統計をとるということが出来ないわけですが、それにしても大きく開きがあります。 私は、個人セッションや個人リーディングをしてまだ間もないですが、今まで十数人を見てきた限りでは、転生回数にはかなりの近似があります。 およそ数百で一定の範囲内にあるのです。 一度だけ、転生回数が二ケタ台という例がありましたが、それは前にも少し話しましたが、より大きなレベル(例えば宇宙の生まれ変わりなど)での輪廻を1クールとして、何度か二ケタ台の輪廻を繰り返しているという例がありました。 つまり、この例でも、数百の転生をしていたわけです。 私は、最近のこのリーディングの傾向から、トータルセルフ内での輪廻転生は平均して400〜500回程度であるという結論を導き出しました。 ただ、これがすべてのトータルセルフの意識を現しているわけではなく、トータルセルフ内には、輪廻していない(しない)意識の部分があってもおかしくはありません。 ただ、およそ数百というそれほど多くはないという結論は、興味深いことにマイヤースが上で述べている類魂の数とそれほどかけ離れてはいないのです。 あまり興味のない方は、だから何?と思われるでしょうけど(笑)、確かシルバーバーチなどは、類魂の数は少なくとも数千はあると言っていた記憶がありますので(違っているかもしれません)、スピリチュアルの世界では、トータルセルフ(類魂)の数は、数千はいると考えられているケースがかなりあるはずです。 おそらく、ヘミシンクの世界でもそのくらいの数を想定している人は多いんじゃないかなと思います。 何を隠そう、私も実はそうでした。個人リーディングをする前までは。 ですから、類魂の数がおよそ数千もいれば、トータルセルフは神のように進化している、となりますし、その進化レベルに差はほとんどない、という風に考えられがちです(実際、私もそのように考えていました)。 ところが、自分なりにリーディングをして主観的事実を積み重ねていくと、それとは異なった数値が出てきましたし、改めて類魂説を初めて提唱したマイヤースの見解を見てみると、私なりに事実を積み重ねた数値にかなり近似していたのです。 そうなると、数百の類魂の総体であれば、神のように進化したとは言い難いですし、進化レベルにも差がある可能性が出てきます。 実際、トータルセルフには、個性があります。 先ほど冒頭で述べたように、個性を高貴さに近づけてみてみると、トータルセルフによって個性、高貴さには差があるという風になってきます。 でも、実際のところがどうなっているのかはわかりません。 科学的検証の不可能なことですし、人によって認識の仕方にもかなりの差があるからです。 ただこの辺は、多くの人の意見を聞いてみたいところではあります。 以上、ハイアーセルフについての私見でした。 Some rights reserved by Sids1 最終編集日時:2014年7月31日 18時5分 | |
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