死後に現れる「光のトンネル」の正体 | |
2015年4月28日 21時42分の記事 | |
ミクシィからコメントをいただきましたので、それに対するお返事をこちらでさせていただきたいと思います。
4月27日「ネパール大地震でのリトリーバル」へのコメント http://blog.kuruten.jp/imimi/326224 >いみみさん 感動致しました。 なお、「進化の道」についてですが、具体的にどのような形をとるのでしょうか。 ご説明戴けますでしょうか。お願い致します。 また、災害が原因であれ、病気が原因であれ、自分が死ぬときには何を意図するべきでしょうか。 自分の本体と一体になりたいとか、或はどこそこに行きたいとか・・・。 或る説では、光のトンネルが見えてくるが、それは罠なので光のトンネルには入らないようにと述べています。 でも、この話は私には理解不能です。 ですので、いみみさんのご意見をお聞かせ戴けましたら嬉しいです。 宜しくお願い致します。 コメントありがとうございます。 「進化の道」の具体的な内容ですが、死後も基本的には我々の現実世界同様、次元に応じた体を持って生活をしていく点では変わらないと思われます。 ただ、次元が進むにつれて、意識が徐々に拡大し、生前の五感をはるかに超えた知覚を手に入れたり、ちっぽけな自分ではないより大きな「自分」を感得するようになるとされています。 これについては、詳しくは『永遠の大道』(G・カミング著、浅野和三郎訳、潮文社)をお読みください。 この本は、F・マイヤースによる霊界通信であり、内容について非常に信頼性が高いと感じます。 それと、引用されている文章を読んでみましたが、おそらく筆者の主張する光のトンネルの先にあるものとは、いわゆる信念体系領域のことではないかなと感じます。 筆者は、信念体系領域に行かないようにと注意しているだけです。 ですが、いかなる方向性に行くことも、行かないことも、偶然ではなく必然性があってのことだと私は思います。 信念体系領域に行きたければ行ったっていいのだと思います。 そこから絶対逃れられないのかというと、そんなことは決してないからです。 ちゃんと救いの手が差し伸べられます。 この場合、リトリーバル(救出活動)される立場になることになります。 自分が死ぬときには何を意図するべきでしょうかということですが、私も顕在意識ではまだ肉体上の死を経験していませんから、適切な答えができるかどうかわかりません(笑) それでも、客観的にお答えさせてもらうとすれば、「何もしなくてよい」と感じます。 しいて挙げるならば、ふつふつとこみ上げてくる歓喜のエネルギーに浸っておけばそれで十分です。 そうすることで、自分自身のバイブレーションを高め、然るべき領域に自分自身を導いてくれます。 むしろ、死ぬ前に何か意図するより、すべてを天にゆだねたほうがよいと感じます。 我々の顕在意識は、幻想であり、やがては全体(トータルセルフ)として生き始めます。 死後の我々にとって重要なのは、出来るだけ早く自分が幻想であるということに気づくことだと感じます。 ここでいう自分とは、いわゆるパーソナリティのことであり、我々が今「自分である」と感じている自分のことです。 それが幻想であると申し上げています。 三次元世界を超越した視点から見ればです。 しかし、我々はインディヴィジュアリティ(全体自己)としての本質を持っています。 それがトータルセルフとしての自分です。 ですから、死後にいかなるプロセスをたどろうとも、さしたる問題ではないのです。 むしろ、どんなプロセスをたどろうとも、「すべてはうまくいっている」ということになります。 | |
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