くる天 |
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プロフィール |
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板垣英憲 さん |
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 |
地域:埼玉県 |
性別:男性 |
ジャンル:ニュース 政治・経済 |
ブログの説明: 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速報する。板垣英憲の過去著書も連載します。*定期購読月額1000円
板垣英憲マスコミ事務所
http://www.a-eiken.com |
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ワグネル反乱は、最初からプーチンが仕組んだ偽旗(false flag)「見せかけの反乱」であった。最強軍団「ワグネル」を、最後の戦いに備えて一旦モスクワに引き揚げさせるのが真の目的だったのである。見事 |
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ワグネル反乱は、最初からプーチンが仕組んだ偽旗(false flag)「見せかけの反乱」であった。最強軍団「ワグネル」を、最後の戦いに備えて一旦モスクワに引き揚げさせるのが真の目的だったのである。見事に敵を欺き成功した。
◆〔特別情報1〕 ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の反乱から収束までのわずか一日の間、プーチン大統領は謎の行動に動いていたことがわかった。日本時間の6月24日午後9時頃、プーチンが専用機でモスクワを離れ、翌25日にはトルコのエルドアン大統領の元にいるという情報が届いていた。その時点ではまだ、プーチンが何の目的で向かったのかは不明で、ワグネルのクーデターから亡命したのでは?との見方が強かった。ところが、翌25日にはプーチンはモスクワに戻っていた。しかも、ワグネルがクレムリンに向けて進軍してきた、わずか一日の間に、プーチンはトルコだけでなく、アゼルバイジャンにも向かい首脳会談を経てモスクワに戻っていたのだ。 以下、ロシアの内部情勢に詳しい某イスラム教国記者からのトップ情報である。 |
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ロシアでワグネルのプリゴージンの反乱騒ぎがあったが、先週の米軍の動員が何でもなかったように、ロシア側も大協賛の「大演習劇場」で、何も起こらなかった。べラルースのルカシェンコが仲介して、事は収まった。 |
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ロシアでワグネルのプリゴージンの反乱騒ぎがあったが、先週の米軍の動員が何でもなかったように、ロシア側も大協賛の「大演習劇場」で、何も起こらなかった。べラルースのルカシェンコが仲介して、事は収まった。(satoko女史)
◆〔特別情報1〕 これは、在米30年超の個人投資家satoko女史からのトップ情報である。 今週末は、ロシアでワグネルのプリゴージンの反乱騒ぎがあったが、先週のアメリカの軍の動員が何でもなかったように、ロシア側も大協賛の「大演習劇場」で、何も起こらなかった。「来週末は中国かな」程度に思っていればよい。今回は、べラルースのルカシェンコが仲介して、事は収まったし、辞任するかと言われていた防衛大臣のショイグも安泰の様子だ。とにかく辻褄のあわないことが多すぎた反乱だが、その発端は、プリゴージンのビデオ・アピール。ロシア軍がワグネル陣地を後方から攻撃したという動画を出してきて、いつもの怒り顔でアピールを発表。しかし、この陣地攻撃は完全フェイクだとすぐにロシアのテレビ局も分析して対応していた。プリゴージンだけでなく、ウクライナの情報プロパガンダ当局も全面参加して、フェイク・ニュースのお祭りだった。 |
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超党派の浪人たちがここぞとばかりに維新の公募面接に結集している様相らしい。岸田政権が内閣改造をしようが、9月に解散を打とうが、解散を来年に延ばそうが、政界再編への地殻変動は既に始まっている。 |
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超党派の浪人たちがここぞとばかりに維新の公募面接に結集している様相らしい。岸田政権が内閣改造をしようが、9月に解散を打とうが、解散を来年に延ばそうが、政界再編への地殻変動は既に始まっている。
◆〔特別情報1〕 これは、自民党二階派「志帥会」重鎮からの特別情報である。 結局、岸田首相は下手を打ってしまった。解散風を散々煽っておきながら、ただ匂わせただけに終わったことは、風に振り回された議員も出ているだけに、完全に岸田は自民党内で信頼を落としてしまった。そこに追い打ちをかけるようにマイナ保険証をめぐるトラブルが噴出し、内閣支持率は急落している。G7直後には支持率が56%にまで上昇したものの、瞬間的な上昇に終わり、かえってその反動による落ち込みが激しく、36%まで一気に下落、その後も下落が止まらない状況となっているのだ。立憲から内閣不信任案が出たら解散すると言い切り、まるで採決もせずに解散に踏み切るかのように「匂わせて」た、あの岸田のやり方は、実にまずかった。結果的に、最有力だった9月解散まで危ぶまれる状況に陥り、岸田は自らの首を絞めることとなってしまったのだ。 |
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